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オリンピック効果

今年はどっぷりオリンピックにはまっている。放送時間をチェックして、できるだけの試合を見ようとしている。さすがに朝方までは待てずに寝てしまうことが多いが、でも毎夜、テレビにかじりついて叫んでいる。

というぼくも、ロンドンオリンピックは海外にいたこともあって、一切見なかった。見ないとなると関心もなくなるもので、ネットで結果をチェックすることさえなかった。あれ、そういえばやってるんだっけ?という感じだった。むしろ、あんなのに盛り上がって、バカじゃないか、メディアに乗せられてんじゃないよ、他人の試合より、自分のライフのほうが何百倍も大切なんだから、テレビを見ている暇なんてねえんだ、とさえ思っていた。

でも、今年ははまってしまった。。もうオリンピックが始まる前から負けていた。もう、一年も前から、バレボールやらサッカーやらの予選を必死にかじりついて応援してしまっていたのだ。予選をあれだけ必死に応援しておいて、本番を知らんぷりなんてできるわけがないのだ。かくして、深夜や朝方でもがんばって見たりしていた。そうこうしているうちに、ほかの競技も目に入ってくる。予選を見たら準々決勝を見ないわけにいかない。準々決勝を見たなら準決勝が気になるのは当然である。かくして、気がついたらほとんど全競技を追いかけるはめになった。

そうか、こうやってハメられてしまうのか…。と思いつつ、でも、毎日毎日、こんなに興奮できるなんて、オリンピックも捨てたもんじゃないな、と思ったりしている。

そして、ある効果が気がついた。少し前に、夏は暑くて出歩けず、運動不足になるということで、日本3大無駄な買い物の1つと言われる、ルームランナーを買ったのだ。おれはいらないと言ったのだが、母が買え買えというのでしぶしぶ買った。

あー、3日もすればオクラ入りだろうな、と思っていた。事実、母の睨みのもと、しぶしぶ5分ほど歩いて、すぐにスイッチを切る始末だった。

だが、オリムピックが始まってから、なぜか、ルームランナーに進んで乗るようになっていた。30分で自動で切れてしまうのだが、それがなぜか「完走」に思えてきて、なぜか完走を目指してしまうようになったのだ。ここ数日は、完走できている。もちろん、テレビでオリムピアンの活躍を見ながら、歩くのだ(あくまで走る、ではない)。

これは効果だ。あんなに運動が嫌いな僕が、オリムピックに乗せられて、ルームランナーに乗っているのだ。その五輪もあと1週間。オリンピックが終わったら、ぼくもルームランナーを降りるのだろうか。引退だ。

でも、それでも、いいと思った。それで十分だ。少なくとも、1万数千円だかのモトはそれでとれるだろう。

そして、それだけじゃない効果も感じている。やっぱり、なんだか、全般的にやる気が出ている気がするのだ。選手たちがあんなにがんばってる、おれも少しくらいは、って励まされているのだろう。これは明らかに効果だ。

だから、今夜はバドミントンの決勝を見ないわけにはいくはずがない。レスリングも目が閉じるまでは見届ける。

完全にすっかり乗せたれている。だが、どっちかだ。乗るか乗らないか。乗ってしまったいじょう、とことん乗せられたほうが、きっといろいろスッキリするのだと思われる。

今回のオリンピックは、ブラジルの経済うんぬんで、いろいろ問題がありそうだった。もしかするとオリンピックでお金を使いすぎて、このあとブラジル経済はどーんと落ち込んでしまうかもしれない。

だけど、選手たちがほとんど命をかけるくらいの勢いで、全身全霊をぶつけているのは間違いない。それはオリンピックそのものの経済効果やメリット・デメリットとはまったく別の場所に存在するものなのだと思う。

ぼくは長い間、スポーツをどこかで蔑視していたと思う。スポーツってしょせん、ゲームじゃんか、誰が買っても負けても、見ている人の生き死にや、人生の根幹にはぜんぜん関わりがないじゃないか、と。しょせんお遊びにすぎない。きばらしにすぎない。ローマ帝国衆愚政治にすぎないのだ、と。

だが、その一方で、スポーツ選手になんともいえない羨望を感じてしまうのだ。それは富や名声が手に入るからだけではない。真剣勝負をする場所を彼らが持っている、ということもあるはずだ。そういう羨望を感じさせるから、スポーツは多くの人の気になり続けているのかもしれない。何かに没頭できたときの心地よさを、誰もが一度は味わったことがあるだろうから。

ということで、あと1Week、せいぜい五輪を楽しみたいと想います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

核先制不使用

新聞を読んでいたら、オバマ大統領が導入を検討している核先制不使用政策に対して、安倍総理が「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として反対の意向を伝えた、と書かれていた。

 

これを読んだとき、ざわざわっとした。安倍首相の言い分がわからないでもない、と感じてしまったからだ。

 

この話題はいったんおいといて、NHKで、原爆投下を指示した大統領と言われている、トールーマンのことをやっていた。米国に散在している文献を調査し、原爆投下にいたる過程に、具体的に誰がどんな話し合いをして、どう決定されたのかを探ろうという企画だった。結果、意外なことが判明する。原爆投下を指示した悪魔の大統領だと思っていたトルーマンは、実は、この新型爆弾により、一般市民、女性や子どもが犠牲になることのないようにしなければ、と投下を決める前の日記に書いているのだ。トルーマンは新型爆弾の威力は承知していた。だが、それを一般市民の頭の上に落とそうとはよもや考えていなかったらしいのだ。そんなことをすれば、ヒトラーと同じ虐殺者として糾弾されるだろう、とまで日記に書いている。

ならばなぜ広島、長崎に原爆が落とされたのか? それは、トルーマンが軍にだまされたからだという。軍は原爆を都市に落としてその威力を確かめたかった。軍の計画には、投下先として京都さえ入っていた。というか、むしろ京都の落としたいと考えていた。京都は知的レベルが高い人が多いから、新型爆弾の意味を理解するだろう。そのほうが戦争終結が早まる、という理屈だった。それを、トルーマンが、京都はだめだ、と却下する。そこで軍は、広島は巨大軍事都市であって、市井の民が暮らしている場所ではないとトルーマンに信じこませ、投下許可をとりつける。かくして、広島に原爆が落とされた、という筋書きらしい。

広島、長崎、と原爆が落とされ、その結果の現実を知ったトルーマンは、「より多くの命を救うために原爆が投下された」というロジックを口にするようになる。そして、生涯その主張を通した。アメリカ国民もその主張を自分のものとした。

トルーマンはそう信じこまなければ、精神がもたなかったのかもしれない。軍の最高司令官である自分の責任の元で、数万人を一瞬にして殺してしまう、兵器を使用してしまったのだ。それも一般市民、女子供の頭の上に。

そして、おなじ理由で、アメリカ中がトルーマンの理屈を信じ込もうとし、信じこんでいったのだろう。

そして、ぼくがこの番組で一番印象的だったのは、被爆者の1人に、記者が、トルーマンは本当は市民の上に原爆を落としたくなかったらしいですよ、と伝えたシーンだ。トルーマンが自分でそう書いている文書を見た被爆者は、言葉につまって沈黙した。

その数秒、あるいは数十秒の沈黙が、胸に来るものがあった。

そのとき、彼の中で何が起きていたのか。

おそらくであるが、ずっと憎しみの的としてきたであろうトルーマンが、実は、そんな悪魔じゃなかったと知って、何か芯のようなものが揺れてしまったのではなかろうか。じゃあ、だれを憎めばいい?軍か? でも軍は、戦争に勝とうとするだけのマシーンみたいなものだ。人間的な判断をするのは大統領の責任である。

ぼくは恐ろしいと思った。だれも本気でそれを意図しなかったのに、原爆が落とされたのだとしたら、、だれもその悪魔性を引き受ける人間がいないのだとしたら。

原爆を投下した乗組員は、軍の命令に従って作戦を遂行しただけだと語っていた。それを完璧にやり遂げたのだと。それは、そのとおりだろう。

ホローコースにヒトラーがいなかったら、世界はあの「事件」をどう受け止めることができただろうか。

おそろしいなーー。寒気がした。それは、もしかしたらそっちが実態なんじゃないか、って気がしたからだ。ヒトラーが悪魔的な願望を持っていて、人心を操ってそれを実行した。それも十分におろそしいが、ヒトラーがいなくても、似たようなことが起きていた可能性があるとしたら・・・

 

でも、日本人にとって本当に恐ろしいのは、日本の加害性の実態なのだろう。もう時間がずいぶんたったので、事実がどうなのかはわからないかもしれない。でも、ぼくの心の奥でいやーな感じをたまに引き起こすのは、それだ。

もう書いているだけでいやな気持になる。誰かと議論したいとも思わない。だから、これを読んで嫌な気持ちになった人がいたとしたら、申し訳ない。とりま消さないけどね。

 

ということで、やっぱり戦争を語るのは難しい。感情がどうしてもけばだってくる。でも、戦後のさらに後で生まれたぼくでさえ、どこか心に食い込まれている気がしてならず、たまに戦争関連の本など読んでみたりする。

結局、戦争ってなんなのか、よくわからないのだ。

 

 

 

 

 

高校野球

5歳になったばかりの姪が、甲子園に魅せられたらしいとの一報が入った。

おお、と短く感嘆した。そして、ことの大きさを1日たった今でももてあましている。

 

そのとき、姪がお盆の法事でうちに来ていた。みんなでリビングにいるとき、ぼくは何気なく高校野球にチャンネルを変えた。地元東邦の試合をやっていた。7回ウラで9−2で負けているところだった。7回で7点差、さすがの東邦もここで終わりかな、と思ったが、なにせ甲子園だ、なにがあるかわからない。

という気持ちでがんばれ!と見ていたら、昼寝をしかけていた姪がテレビをまっすぐに見つめているのに気がついた。

周りの大人は、せっかく昼寝をしておとなしくなってくれると期待していたので、苦笑いをして顔を見合った。でも、そのまま寝てくれるかもしれず、あまり刺激するな、という顔のサインが母から来たので、ぼくは黙っていた。

試合が進み、いよいよ9回ウラになっていた。その間に3点返したが、まだ4点差だった。9回裏で4点差、しかもたしかツーアウト。さすがにここまでか、と思って、チラっと姪を見ると、さっきまでソファに寝転がっていたのに、完全におやま座り(体育座り)をしている。眼光が鋭い。

あれ、もしかしてこれ見てるの?興味あるの?と聞くと、いや、ちがう、と首をふる。ただ、前を見ているだけだという。前方を見ていると、勝手にテレビが視界に入るだけなのだと言う。おかしなことを言うものだと思ったが、すぐに試合に気持ちは移った。そしてそして、なんと東邦はそこから5点をとり、逆転サヨナラしてしまうのだ!

きたーー!と興奮して叫んでしまったが、姪はとくにはしゃぐこともなく、どうして服が汚れているの?と高校球児のユニフォームを指差すのだった。

それはね、すべりこんだりして、汚れちゃったんだね、がんばっってこと。がんばった人は服が汚れちゃうんだよ。と母が説明する。姪は、ふーんという感じで見ていたが、あ、こっちの人は服が汚れてる人が少ない、と指摘。こっちの人とは、負けたチームであった。

 

そして、その夜。姪の母からメールがあり、姪が、「あれ(高校野球)、なんだかわからなかったけど、また見たい」と言ったそうだ。

 

なんでもないことだ。ただのきまぐれに過ぎない。そういうことは何度もあった。だが僕は、なにか感動のようなものを覚え、それがすぐ消えるかと思ったのに、まだ続いている。

1つは、姪がなぜそう言うのか、わからないということだった。もちろん野球のルールなど知るよしもない。だが、そういえば、試合中、アウトってなに?セーフってなに?とちくいち聞いてきていたな、という記憶がある。興味を持ったのだろうか。

 

結論から言おう。姪は、高校球児たちの、甲子園にかける、激闘の熱い想いに、心をうたれたのではないか。ぼくはそう想いたくなり、そう思うことにした。母にぼくはそうとしか思えない、というと、考えすぎだ、と一蹴されたわけであるが、

でも、それが高校野球だったというところに、妙に何かを僕は感じたのだ。

 

もし姪が、5歳にして、荒ぶる魂、この一瞬にかける青春、というものの存在を、始めて知覚した日なのだとしたら、なんてすばらしい日に居合わせることができるたのだろう、と思わざるをえない。

 

ぼくはもうそうとしか思えなくなり、母に、姪はソフトボール選手になりたがるかもしれない、そしてオリンピックに行くかもしれない、と考えを伝えた。もしかして東京オリンピックに? いや、さすがに9歳では無理か、いや、しかし、世の中に絶対というものははないはずで…。

母はもうそこにいなかった。

 

だけどおれは確信する。なんだかわからないけど面白かった、心が動いた、そういうものに姪は出会ったのだと。そしてそれは、おれのこころに鈍い痛みを引き起こしたわけを、さっきから何度も考えているんだ。

東邦がんばれ!

 

 

 

 

 

 

そっちでもいい

毎度のごとく、吉福さんの話をしよう。やっぱり面白いからだ。

ハワイの家を尋ね、インタビューにいったときの一幕が最近、繰り返し思い起こされるからだ。

文脈はすっとばして書いてみると、ぼくが、魂というものがある気がする、と訴える場面だ。言い方はこうだ。ぼくはいま、現代社会、現代日本、社会、世間、そういうものに違和感を抱いている。何かおかいしと思っている。だが、そう考えている自分も、社会にプログラムされてきたはずだ。それは親の影響、学校教育、広く世間一般からの影響、そういうもろもろで、右も左もわからない赤ん坊のときから、世の中とはこういうものだよ、生きるとはこういうものだよ、と、言葉でも、言外でも、教えられてきた。それなら、それを鵜呑みにして生きていけば、なんの矛盾も感じないはずだ。いいか悪いかは別にして、ただ順応して生きればいい。

だがぼくは現に違和感を感じている。ということは、社会のプログラムに左右されない、芯のようなもの、生まれ持っての判断、感性、すなわち魂のようなものがあるのではないか? その魂が、この狂った現代社会に異議を唱えているのではないか?

と、そういうようなことをぼくは言った。

だから、ぼくはこの自分の無垢な魂を肯定し、信頼して、社会と対峙して生きていくべきなんだ、という結論にぼくはもっていきたかったはずだ。

だが、吉福さんは、こう言った。「それはまったくまぬけな見方だね」

ほう。

吉福さんは言う。社会は矛盾を含んだままあなたをプログラムしたのだ、と。

だから、ぼくは矛盾を抱えた存在としているのだと。

そのとき、ぼくの起きたこと。それは、痛快。

不思議なものだが、自分の信念のようなものを、あたまごなしに否定されのだが、その刹那、ぼくはおそらく、こんなようなことを考えた。「なんか、そんな感じだと思ってた」

うそなのだが、ぼくはそのように自分のことを考えたことなどなかったのだが、あっというまに納得してしまったばかりか、むしろ、そっちであってほしかったと前から思っていたかのように振る舞った。振る舞ったというか、本当にそう思った。

どっちがよかったのだろうか。

魂があるんだよ、きみの純粋な魂が悲鳴をあげているんだよ、でも君の魂のほうが正しいのだから、がんばりなさい、と言われるのと、あんたが矛盾ごとプログラムされただけだよ、と言われるのと。

だけだよ、ではない。そんな紋切型の話ではなく、そういう風にみたほうが実態に近いだろう、ということだ。

細かい話はいい。だけど、面白いよね。この変わり身の速さ。自分の。

そして、この胸がすくような感覚はなに?

 

最近、耳の上辺りに白髪が目立つようになってきた。だから染めている。このとき、負い目のようなものを感じる。イチローは白髪を染めていないからだ。この年齢で白髪は自然なことなのだろう。だが、ぼくは、やっぱり染めてしまう。まだもてたいからだ。独身だし、もてる必要があるのだ。と言い訳しているが、そうか、おれはありのままの自分は恥ずかしくて見せないつもりなんだ、という気持ちが、あのころから意識するようになっている。

生物としておそらく自然なことである白髪も見せられないのに、ありのままの自分、とか、そういうこと言うのはもうやめにしないとな、と思うんだ。

とかいいながら、外見をよく見せようとすることなら、昔からさんざんやってきたじゃないか、何をいまさら、という声も聞こえた。

 

さて、脱線したが、本線がどこにあるのかわからない。

痛快だ。今日のキーワードは痛快だと思うんだが、思えば変わった言葉だね。

 

いわゆるゆとり世代の人達がいる。はっきりいってぼくはうらやましい。よく、会社で使えないとか、常識がないとか言われているが、おおらかで自己肯定感をもっていて、ものおじしない。これってみんながなりたい人だよね? もし、ゆとり世代が世間で揶揄されているとおりの気配をまとった人たちなのだとしたら、ゆとり教育は成功したんだと言わざるをえない。ぼくはゆとり教育、受けたかった。ゆとりのある性格になりたかった。きっと、そのほうが生き抜いていきやすいはずなんだから。なんとかなっちゃうんだから。

 

ということで、今日はお墓参りに行ってきました。ずいぶん久しぶりに。バチあたりです。

 

最近、将棋にはまってます。ネット対戦が面白すぎて。あれはいかんね。中毒性がある。早く伊藤かりんに追いつきたい。1級だったかな。すごい強いよそれは。将棋の面白さは、ぼくはほとんど手を読まないんだけど、読めないんだけど、なんとなくいけそうだと感じて、飛車とか角の大駒を切って、攻め込んでいくときの、あのドキドキはたまらないね。跳ね返されることも多いけど、そのまま押し切って勝てたときの快感といったら! 将棋ウォーズ、挑戦受け付けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

奇妙な反転

いわゆる311の地震が起きたとき、オフィスビルにいた。仕事をしていた。グラリとすさまじい揺れがきて、ひさしぶりに死の予感を感じた一瞬があった。これはやばい。そして、とはいえ、東京なのでそこまでの揺れではなく、誰かが冷静にドアを開けにいくのを見ていた。そのとき、心の中に浮かんだことばは、「しまった、忘れていた」だった。僕は神戸の震災も体験していて、大勢の命がなくなってしまうような地震が自分の身にも起こりえるということを知っていた。でも、そのことを、ずっと忘れてしまっていた、というような感じだった。

だからなんだ、ということはないんだけど、なんとなく、いつ死んでもおかしくはないのだ、という緊張感のようなものは、すっかり忘れていた、あるいは、口では言っていても、実感を伴うものになっていなかった、と思ったのだ。

そして、揺れが収まり、誰かがテレビをつけた。津波が地面をのみ込んでいく空撮の映像が淡々と流れていた。なんだこれ? 現実感がなく、ただただ興奮していた。あのなかに何千人もの人が覆われていっていることを、考えればわかるはずなのだが、現実ではないようにしばらくずっとなっていた。

まあ、俺は被災地にも行っていないし、何もしていない。だから、何を言えるのか、というのもあるが、ひとつ、ああ、はっきりしたなあ、と思うのは、本当に何の罪もない人が大勢亡くなったということだ。それまでの行いがよかった人、人を助け、人にやさしくしてきた人も容赦なく波は飲み込んだのだ、ということはわかった。

 

それからしばらくたって、死んだ人は、不幸になったわけじゃない、と思うしかないのだと思うようになった。残された遺族は悲しいし、若くしてなくなった人や、結婚したばかりとか、子供が生まれたばかりとかで亡くなった人はどれほど悔しいか。それはちゃんと考えると胸が張り裂けそうになるくらいだ。だが、それでもやっぱり、死んだ人は、死んだ瞬間から、もう、幸不幸を超えた世界へ行った、と思うしかないような気がしたし、事実、そうなんだろう、という気がする。

本人にとってはすべてがチャラになった。そう思うことは悪いことなのだろうか、いいことなのだろうか。

だから、こういうことだ。生きてるうちは、死んでも死にきれない、という状況はいくらでもあり得ると思う。これをやらずに死ねるか、あの子を残して死ぬなんて、、本当に、悔いの残る死というものは普通にある。むしろ、悔いがまったく残らない死などあるのか、とすら思う。だけど、死んだらやっぱりチャラになるのだと思う。

奇妙な矛盾のように感じる。たとえば、ある知り合い人がいて、死にそうだったら、死んで欲しくないと願う。少しでも長く生きて欲しいと思う。長く生きてというよりは、今、死んで欲しくないと願う。その今は、今、今、今、とずっとつづいていくような今だ。だけど、死んでしまったら、やっぱり、天国で安らかにね、なのだ。

ちょっと何を言っているかわからなくなってきたが、いきなりそこで変わってしまうのだ。だから、死は、悲しいばかりのものじゃない、死ねた、という側面もあるんじゃないか、というような。どんな憎しみや苦しみを抱えていても、抱えているがゆえに死ねず、未来永劫苦しみつづけるのだ、ということにはなっていない、という意味だ。どんななにを抱えていても、いつかは死ねる。そして、おそらく、死んだら、もう苦しみは終わるのだ。

だから、悪いことばかりじゃない、と思えてしまう。だけど、今誰か知り合いが死にそうになっていたり、死にたいと言っていたりすれば、とにかく死なないで、今は死なないで、とやっぱり思う。それは矛盾としか言いようんがないのだが、この矛盾を正す必要があるのか、ないんじゃないか、と思っているというような。そんなような。

で、本題はここからで、こうした、死がどうした、生きるがどうしたというようなことは、はっきりって、ヨタ話だ。酒飲み話だ。本当に考えるべきことは、日々の生活のほうで、とくにこのままではいけない、という状況にいるのなら、状況をどう変えるか、切り開くか、に頭を使うべきなのだ。そこはまるで否定しないし、そうあらねば、と努めているのだが、それでもやっぱり、人に死に接すると、ああ、なにはともあれ、すべてがチャラになるんだな、としか感じられなかったりする。

なんか、まとまらなくなった。どういうトーンの記事になったのかわからないが、なんとなく、いま書きたかったのは、重いことじゃなく、心が軽くなるような方向性だったのだが、たどり着けなかったようだ。眠いので寝る。

 

 

 

 

 

 

 

スタバはいいね

昨日、久しぶりにスタバに行ってみた。混んでいて座れないこともあるので、もう何ヶ月も行っていかなった。つまり、仕事カフェのローテーションからはずしていた。でも、この時間ならどうかな?と、3時半くらいにいってみた。結構席が空いていた。なによりうれしいのが、やっぱり客層がいい。大学生とか若い人が多く、パソコンを開いている人もちらほらいる。外国人もいる。パソコンでスーツの年配の外国人もいる。つまりは、大学教授っぽい人もいた。

やっぱりこういう客層に囲まれると、なんとなく仕事もやる気が出るから不思議だ。それでいて。コーヒーつきで300円そこそこで2時間はいられる。安い。

かつて、コーヒーを目的でスタバに入ると、この程度のコーヒーで300円かよ、これならドトールいくわ、と思っていたが、パソコンを持って仕事をするとなると、え、300円でいいんですか?となる。なにせWiFiも使えるのだ。

 

いま、ある危険な記憶がよみがえってしまった。危険というか、大人げない記憶だ。

いつか書いたこともあるが、23歳でインドにいったときのことだ。それが初の海外旅行だった。バラナシというガンジス川沿いの聖地の街で、聖地といえど町中が土埃でもうもうとしているところの、牛と車と人間が無秩序に行き交う大通りで、忘れもしない、僕は、あまりのカオスの思わず道の真ん中で立ち止まってしまったのだ。

すると、牛も車も人も、ただ僕をよけて通っていった。

クラクションはほうぼうでずっと鳴りっぱなしなので、とくに自分が鳴らされているとは感じず、不思議と心が安らぎさえした。僕は灼熱の太陽の下、土埃の中で立ち尽くして、ああ、と思った。もし、今日僕が、誘拐されて、どこかへ連れ去られたとしても、日本の誰にもわからないのだな、という思考がよぎった。この町に僕がいたことでさえ、日本の家族が知ることはないかもしれない。インターネットも携帯電話もない時代だった。

そのとき、ああ、これが自由か、と身震いするような感動を覚えた。もちろんそれは、23年間日本を出たことがない若造の、井の中の蛙的な誇大妄想なのだが、こういう自由をそれまで一度も感じたことはなかったのだ。

もちろん、それは、俺は誘拐なんかされない、という無根拠な自信があっての、自由感なのだが、今、僕が、これからどこへ行こうと、もう誰にもわからないのだ、という失踪の可能性を感じた瞬間だったのかもしれない。

もちろん、今、そんな願望はない。むしろ、いろんな人たちともっと交流して、認知され、関係を結んでいきたいという欲望をむくむくと感じるくらいだ。

ただ、スタバで真横の席に、日本人にはない感じの雰囲気をまとった、妙齢の外国人女性が本を一冊持ってやってきて、でも、本は読まずにMacbookを開いてなにやら作業を始めたときに、ん〜、どうの外国人の年齢はわかりにくいな、若そうにも見えるし、そんなに若くなさそうに見える。美人にも見えるし、美人じゃなくも見える。ん〜。と思っているときに、感じていた、かすかな懐かしさとは、あの、ゴドウリヤーの交差点で、砂埃のなかで、牛に横切られ、車にクラクションを鳴らされながら、空を仰ぎ、ああ、俺は今、ここにいるんだ、と思った瞬間のあの感じを100倍に薄めたようなのに似ていた気がする。

外国人の女性つながりでもうひとつ言うと、このまえ、新しくできた仕事カフェの1つでせっせとパソコンを打っていたとき、そう、同じ人もいると思うが、僕は考え事をするとき、ふと、通りすがる人を真顔で凝視してしまうクセがあり、向こうがそれに気づいて目が合っても、1,2秒間、目があっていることに気づかないことがあるのだ。いや、目が合っていることは気づいているのだが、頭に中には別のことが巡っているので、今、赤の他人と目が合っている、という現実が、どこか現実離れしたものになっていて、あ、しまった、こっちが現実だった、と気づくまでに少しタイムラグがあるということだ。

で、そうして考え事をして、通路を行き交う人を眺めていたとき、東南アジアとかブラジルとかそっちのほう系の女の人と、パチっと目線が合った。それは珍しいことじゃなく、今日だけでも2−3人とは目が合っているのだが、そこからが違った。

その女の人は、日本人がまずやらない感じの、ちょっとだけ顔をかしげて、つまり、ウインクをするときみたいな顔の動作をして、でもウインクはしないで、フンっっとでも言うような感じで小さなポーズを決めたのだ。

おお、なんか映画で見たことあるような、ないような、相手が男だったら、メンチを切られたとしか思えないような、そういうことがあった。

ただ、それだけなのだが、なんか、それいいね、と思った。

思えば、ずっと前のスタバでも同じようなことがあったし、それがどこかの国や地域での、えしゃくとか、スマイル、という感じなのかもしれない。

でも、なんというか、あれ、かわいいね。もしここが日本じゃなくて、ぼくがジャケットでも着用していれば、ウインクでも返したいところだった。

あんまり女の人のことばかり言ってるとあれなんで、最後は子供のことも言っておく。

それと似た感じを受けたのは、先週のマクドナルド。ものすごくはしゃいで走り回っている3姉妹がいた。一番下は2歳、真ん中は3歳、一番上でも4歳か5歳、と言う感じ。

2歳の子が、店内のいろいろな人に、目が合うと手を振るのだ。女子高生たちがかわいいかわいいとキャーキャー騒いでいた。

まあ、よくいる2歳児だ。それが、たまたま僕が帰るときのと、その家族が帰るときが重なり、出口近くで一緒になった。2歳児は、僕の存在を補足すると、すかさず俺の顔を興味深い目で見て、目線をはずさない。まあ、よくあることだが、お母さんに手を引きずられながら、後ろにいる僕から目線を話さない2歳児に、おれは、あっぱれ!と叫んだ。

あっぱれ!君はそんなにも人生が、いまという瞬間が、楽しくてしょうがないんだな、僕などと言うまっかな他人にも、アクションを投げて、リアクションを楽しもうとしているのだ。知らないおじさんと目が合うことが、そんなに面白いかい? 君よ。ありがとう。そして、どうか、その好奇心をなくさないで!

僕は何かをもらったような気分で、マクドを出て、本屋へ向かう。かねてより気になっていた、中村なにがしの小説を買ってみよう。とりあえず、今晩の楽しみは保証されたと思った。

 

 

 

 

 

ゆっくり思い出す

最近どうも自分のなかで「M」ブームのようで、いろんな人がカバーするMを聴いていた。いいなあ、と感じ入るのだが、やっぱり、オリジナルに戻ってくる。プリプリの。おそらく、それが僕の青春時代とつながっているからに違いないのだが、もう少し内容を吟味してみると、ボーカルの歌い方のある特徴に気付く。奥居香の歌い方は、感情がこもっているんだが、こもっていないんだが、よくわからない、ということだ。

歌いあげている。だが、湿り気がない。あんなに歌い上げているのに、歌い上げやがって、とは思わない。不思議な物語を聞かされているような気分になる。ある日、あるとき、どこかの国で、こんなことがあったのよ。とでもいうような。

Mを聴いて今思い出すのは、恋愛の数々ではない。思い出になりそこねていた思い出などが、ぽつり、ぽつりと浮かんでくる。

それは、ささいなことだから、忘れていたということではない。それは、ふだんの自分からは想定できない行動をとり、どちらかといえば、早く忘れてしまいたい記憶のなかの、非常に事務的な手続きのなかの、テーマをはずれた部分で受けたインパクトの、必死すぎて判断の余地がなかったときに、じぶんが何を選択したかという記憶だったりする。

自分は自分が思っているような自分ではなかった、とき、やってくるのは失望ばかりではない。安心だったりするのだ。

思わせぶりな書き方で申し訳ないのだが、いささか恥ずかしいことなので、誰にでも人生で1回くらいはある、本当にどうしていいかわからなくなったとき、ぐらいに各自が読み替えてくれたまえ、と思う次第だ。

いや、本題は、ぽつり、ぽつりと何かを思い出すって、なんだ?ということだ。

いや、やっぱり、それが思い出されるときに何が起きたのか、のほうだ。

 

人生で、何度も思い出されることよりも、はじめて思い出されるほうを僕は信じる。

とでも宣言しておこう。何度も繰り返す感情よりも、はじめて感じる感情的情景を信じる、と言い換えてもいいだろう。

そう言いながら、まったく同じMのPVを繰り返し繰り返し聞いているのは矛盾なのだろうか。

いま、かわいらしい店員がやってきて、何かを言った。僕は大音量でMを聴いているから、口がぱくぱく言っていることしか見えていなのだが、水を替えてくれたから、お水を交換いたしましょうか、とかだと思う。だから、ありがとう、と小さく言っておくが、その声も自分に届かなかったので、その、ささやかな笑顔だけが脳裏に残った。いい気分だ。

長岡望悠はあんな憂いをたたえた顔から、あんなに強烈なスパイクを打つ。そのことに胸打たれていたことを、なんとなく思い出す。