にんげんだもの

今日、朝から足の甲が痛んで、整体に行ってきた。大事はないとのことでよかった。おそらく、サーフィンで自分のボードにぶつがったのだろう。

そのあと、友人の子どもに会いにいった。今日はすこしクールなお出迎えだったが、うれしかった。

物の仕組みに興味があるようで、ベビーカーのアームを付けたり、外したりをしきりにしていた。そのあとは、自動ドアのボタンを押すと開くのが面白いようで、何回も何回も押してははしゃいでいた。

そのあとは、消毒の容器をプッシュすると消毒がプシュっと出てくるのが面白いようで、何回も消毒をプシュプシュしていた。

幼い子どもはあからさまに、面白いと思ったことを、飽きるまで繰り返す。全く同じことを何度も何度も。関心を失ったら次へと関心を移していく。俺もそんなふうに一日を過ごしていたときが、間違いなくあったはずだが、残念ながら記憶はない。思い出したいものだ。

小学一年生か、二年生か、三年生か、のころ、親が、学研かなにかの、日本の歴史シリーズの本を揃えてくれた。全部で13冊くらいあったと思う。白い装丁を覚えている。僕はいまいち意味がわからないながらも、面白い気がして読んでいた。そのうちの一冊のタイトルが「大正デモクラシー」だった。僕は、デモクラシーが何かもまったくわからないまま、母親に、大正デモクラシーはね〜、と何かを話していたのを覚えている。母は、難しい言葉しっててすごいねーと言っていた。僕は、誇らしい気持ちと、本当は意味をわかってないという背徳感に、体のなかが羽毛になったようなくすぐったり気持ちを味わっていた。もちろん、母はお見通しだったことだろう。

最近、何か具体的じゃない気持ちに浸りがちになっている。役に立つことをする意欲がいちじるしく弱くなっている。ヨガや英会話や、健康食や、自己啓発や、仕事やなんや、かやだ。

具体的に成果が出ることをここのところやる気があってやっていたのに、一週間くらいまえから、どーでもいいや、という気分が支配的になり、ひとりで音楽を聞いたり、小説を読んだり、していたいなと思うようになっている。まあ、そういうモードのとき、というだけのことなんだろうけど。自分の移り気に振り回される日々。

 

就職活動をしているとき、1つの疑問を持っていた。今の世の中、お年寄りが尊敬されていない。むしろ時代に遅れている、お荷物用に扱われている、というか、自分がそう感じてしまっている。だけど、そのことが悲しくもあって、それは自分の未来でもあるし、どうしてこうなっているんだろう、と、ぜんぜん自分の喫緊の問題ではないのに、なんかやるせない気持ちでいた。

インディアンの酋長はもっと頼りにされていたはずだ、と。

最近、その問題に回答らしきものが得られたような気がする。

それは瀬戸内寂聴だ。彼女が回答なのだと思った。

もう100歳になるという。彼女は、尊敬され、求められている。

心から、彼女の話をききたいという人が大勢いる。この僕だって、彼女に何かを言ってもらいたい、と思う。人生の支えになるような、なにかひとことを。

そしてなにより、彼女の、心のままに生きてきた実話をきくだけで、なんだか元気になってくる。

瀬戸内寂聴みたいになれば、僕のやるせなさは無効となる。彼女は110歳のときには、さらに10年分、人びとから尊敬され、求められているはずだからだ。年齢を重ねるほどに、重みを増す言葉。

僕はこれを寂聴モデルと名付けることにした。人生目指すべきは、寂聴モデルなのかもしれない。いや、と思う。でも、身近な家族はたまったもんじゃない、ということもありうる。好き勝手に生きている人。身内だったらしんどいのかも。

まとまらなくなってきたが、不可能じゃない、ということはわかった気がした。役に立つお年寄りになることも。

本当は役に立たなくてもいいんだ、という考え方もあるとおもう。生きているだけでみんな価値があるのだ、と。でも、それは理念みたいなもので、それをまっとうすることは、なかなか難しい。

それは行き着く境地のようなもので、それを頼りに生きるられるほど、太い綱なのだろうか。

ひたすら人に優しいだけの存在になれれば、それに越したことはないのだが、それはまたそれで、真の修行の道なのだ。そんなに徹底して優しくなんてなれない。いざとなったときに、非日常的な追い詰められた状況になったときに、それでも自分がどれほどの優しさを発揮できるのか、はっきりいって自信はない。あっといまに保身に腐心し、ことがすっかり終わってから、ごめんよと懺悔し、涙が乾かないうちに、にんげんだもの、と自分を許すのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サーフィンのジレンマ

夏からサーフィンを続けている。体力的にもうできないかもしれないと思っていたのに、もう一度、サーフィンがやれているのはうれしい。

しかし、一点だけ、困っていることがある。日焼けだ。

サーフィンは日焼けする。冬でもおかまいなしだ。ハットをかぶって、日焼け止めを塗りたくっても、しっかり日焼けしてしまうのだ。

色が黒くなるだけならいい。でも、肌が荒れたり、固くなったりしているようなのだ。肌が汚くなるのは嫌なのだ。せっかく、おしゃれを研究し、こぎれいに身繕いをしているのに、毎月きっちりとヘアサロンに通い、身だしなみをしているのに、肌が汚いようじゃあ、だめなのだ。

サーフィン、楽しいから、どんどんハマっていきたい。でも肌荒れが怖い。日焼けが怖い。サーフィンやればやるだけ上達して楽しくなる、でもそれだけ日焼けする。紫外線だ。

何かを得るには何かを代償として払わなければならない、そういうことなのだろうか。

とりあえず、日焼け止めをいろいろ試して、がんばってみるつもり。肌のせいでサーフィンをやめるなんて、女優じゃないんだから。。でも。。。

三浦春馬はサーフィンをしながらどうやってあの肌を保っていたんだろう。たんに若かったということだろうか。

 

ところで、三浦春馬が好きだった。彼の透明感にあこがれていた。それは見た目なのだろうか、内面からかもしだす空気感なのだろうか、だが、男性に感じることは少ない、透明感といえるものを、三浦春馬は醸し出していた。それに素敵な気持ちになっていた。

しかし、透明感とはふしぎな言葉だ。いえば、日本人なら多くの人が、どういう感じをいっているか共通認識を持てるようなのに、じゃあ透明感って何?と問うと、なかなか説明が難しい。

あの子は透明感があるか、という問にはだいたい一致する答えが出せるのに、透明感を分解するとよくわからなくなる。肌の白さ、きめ細かさ、がまず上げられるが、それだけでは透明感とはいえないのだ。

どこか、遠い存在のような感じ。俗世間にいない、天使の世界にいる、そんな感じも少し必要なのだ。

 

そういえば、今ふと思い出したが、若い頃、ディスコでバイトをしていたとき、サーフファーだという男性客が、数ヶ月に一回、ぶらりとやってくることがあった。背が高く、日に焼けて、洒落ていて、男の僕から見てもかっこいいやつだった。雰囲気はチャラ男の反対で、寡黙で、ナンパもせず、かといって踊りもせず、ただ、ぼうっと立って酒を飲んでいた。今思えば、影でナンパしていたのかもしれないが、いつもひとりで来ていて、変わった客と思っていた。

そういえば、僕とほぼ同時期に入ったアルバイトの男の子は、大学生だったのだが、頭の中で声が聞こえるようになって休学中なのだといっていた。ものすごくしずかでおとなしのいに、ダンスタイムになると狂ったように叫ぶので、面白がられ、かわいがられていた。

かといえば、16歳で一人暮らしをしているという女の子もいた。たしか、お金も自分で稼いでいたはずだ。いつもハイテンションで明るかったが、今思えば、そうとうの苦労があったはずだ。

僕の教育係だった先輩は、歯がなかった。シンナーで溶けたのだという。怖かったがやさしかった。

僕と同日に入ったアルバイトの男の子は、去年まで暴走族をしていたということで、写真を見せてくれた。警察署までいって解散届を出したという話を聞かせてくれた。礼儀正しくてかっこいいやつだった。

僕は、高校生まで酒もタバコもしたことがない、およそ不良の要素がゼロのまじめ優等生だったので、たった一年で真逆のような人たちに囲まれていたことは、今思えば驚きだ。でも僕はあまりに若かったので、それなりに馴染んでいくことができたのだった。もちろん、馴染み切ることはできなかったのだけど。

この時代は、いわゆる黒歴史なのだと思っていた。大学も行かずに、バイトと遊びに明け暮れていた。今思えば狂っていた。女性関係も荒れていて、今、パートナーと言える女性がいないのは、このときに悪い女性感、恋愛感を身に着けてしまったからではないのか、とずっと疑ってきた。ツケは大きかったな、と。

でも、やっぱりあれは必要な体験だったのだと今日、この瞬間は思っている。世の中にはいろんな人がいろんな風に生きていて、どこかにいきるよすがを見つけて、なんとか生き延びようとする。

そんなことをおもだしたのは、「推し然ゆ」を昨日読んだからかもしれない。

僕にとって黒歴史の舞台とも言えるあの場所は、生きるよすがだったのかもしれない。うっかり入ってしまったぬかるみなんかではなくて、さがしまわってようやく探り当てたオアシスで、汚れた黒い水をガブガブと飲むことで、僕は生き延びようとしたのかもしれない。

まったく人間とは不思議だ。普通に18年間生きてきただけの、なんの変哲もない男の子が、大学の教室にもサークルにも体育会にも学園祭にも、夢見たはずの青春を見いだせず、消えてしまいたいとまで思っていたあのころ、僕を救ったのは黒い水だったのだ。

そのことは、偶然ではないのかもしれない。あの水を飲むしかなかったのかもしれない。その構造はまだ紐解けていないけれど、孤独者が寄ってたかって乱痴気騒ぎをしているあの場所が、16歳の家出少女と同じように、僕の居場所だったのかもしれない。あくまで、仮の、なんだろうけれども。

オアシスは喉が癒やされ、体が休められたら、出ていかなくていけない。ただ、そういうことだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の宝

8歳の姪っ子が箱根駅伝が好き過ぎることはもう書いただろうか。

本当に変わっていると思う。月間駅伝、みたいな本を神棚のごとく祀っているときく。

母親も父親もとくに駅伝ファンではない。姪が勝手に好きになったのだ。テレビで見かけたのだろう。

いまでは、駅伝に出場する全選手の大学と名前と走行区間を暗記してしまうくらいに好きになってしまった。

このことが、本当にうれしい。

姪がいつか若者になり、自分がわからないと言い始めたら、言ってあげることができる。君は、子どものころ、駅伝が本当に本当に大好きだったんだよ。

そうすれば、そこに戻ることができる。自分が心から好きなことがわかっていて、ただ熱狂していたたときに。

もし大人になった姪が、あの頃のことは覚えてないといっても、こう言ってやろう、君が忘れても僕は覚えている。君はそれはそれは駅伝のことを楽しそうにおしゃべりしていたんだよ、と。

 

いま、非対称性の解消というプロジェクトに取り組んでいる。

消費と制作のバランスを少し戻そう、という。

たとえば、最近、服をつくりたいと思っている。前から不思議だった。毎日着るもの、こだわるものなのに、自分の手で作り出せないことが。

どうして、こんなにも時間を使って、何件ものお店を回って、それでもこれだという服が見つけられない。

もちろん、服を作るのは大変だ。布からつくるとしても、シャツ1枚つくることだって、無理そうに思える。ユニクロなら数千円で買えるクオリティのやつだって、自分のこの手から作り出されるとは想像できない。

これが料理なら、少し事情は異なる。僕は自炊する。レストランのようの美味しいものはできないかもしれないが、自分で「十分おいしい」と思えるものを素材からつくることができる。作れるメニューは限られるが、日常生活を回せないほど少ないわけじゃない。

靴は、絶望的だが、デザインも気に入って、足型にも合う靴を探し回って疲れ切ったことがある僕は、どうして、こうなっているのだろう、と思っていた。今は、なんとか足に合う、デザインも好き系な靴を見つけたが、それが廃盤になったり、好みが変わったらまたプレッシャーのなかで靴屋をめぐることになるのだろう。

そして、なによりも不思議なのは、エンターテイメントの世界だ。芸術や文学に少しよるかもしれないが、僕は明らかに、精神の安定や、苦しい時を乗り越えるために、本や映画の助けを必要とした。おそらくもっと若い頃は音楽にも助けられたはずだ。高校時代、わけもわからず、パンクのテープを繰り返しきいていたりした。それは、耳から暴力的に怒鳴り込んでくるあの刺激を必要としていたときがある、とうことなのだと思う。自分の胸のなかにあるものをなんとか解放していたのかもしれない。

だが、自分手ではまったく作り出せないのは、これはなぜだ。

こんなに自分にとって重要なものが、自分の手で少しも作り出せない。クオリティの問題ではない。ぜんぜん作り出せないのだ。これはいったいどういうことなのだろう。(練習すれば演奏はできると思う。でも曲を作ることは想像すら遠い)

この非対称性はいったいなんなのだろう、と思うのだ。

いつかくるだろうか、僕が、自作の服を身にまとって街を闊歩し、いたく満足している姿をみるときが。

いつかくるだろうか、自分がつくった曲に癒やされ、自分が書いた小説に励まされるときが(これはプロの小説家でもないことなののかも・・)

でも、わかっている。きっと飽きてしまう。飽き性なのだ。

でも、少しやってみることはできるだろう。現に僕はいま、自分で編んだレッグウォーマーを履いている。できたてなのに穴だらけの。

 

子どものころ、家に「はぎれ」と書けれた箱があって、中に布の切れ端がたくさん入っていた。ズボンが破れると、母がはぎれの中から布を選んで修繕してくれた。いやではなかった。アップリケも楽しかった。あの文化は、もう母のもとにもない。はぎれはどこへいったのだろう。

 

いつもどおりに混乱している。部屋にものが溢れ、断捨離本を買って、さてどうしようかと途方にくれている僕は、服が捨てられずに困っている僕が、「はぎれ」の箱を懐かしく回想し、憧れのような感情を抱いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せめて言葉が裏切らないように

今年の抱負を聞かれたとき、今年は言葉を大切にしたいと答えたのを思い出した。

 

昨年は、身体にフォーカスした一年だったような気がする。サーフィンを始めた。バドミントンも毎週通うようになった。ヨガもさぼりながらも日課にしている。

 

 

言葉は不思議だ。自分が口にする言葉が自分自身を裏切ることがある。裏切るとはこの場合、自分に偽りを言い聞かせる、といったような意味だ。

いまこの瞬間でさえ、自分が本当のこと、本当に思っていることを書けているだろうか。

 

必ずしもいつも、人に向かって本当に思っていることを言えない、それはそれでいいと思う。ああ、本当に思っていることを今、言えていないな、とわかってれば。

避けたいのは、自分では本当のことを話しているつもりで、実はそうじゃない、といった事態だ。意外と多い気がする。

 

 

そういうことを極力なくしたい、というのが今年の抱負だ。

これは、大事業なのだ。

とはいえ、ここに矛盾があるのがわかる。

本当のことを話しているつもりなのに、実はそうじゃない、ということはどうやったらわかるのか?というパラドックスだ。

時間をおけばわかるかもしれない。あのとき自分はああ言ったが、あれはうそだったと。しかし、それも、記憶の書き換えということもありえる。

じゃあいったいなんなんだ!

ということで次。

 

 

Ω←ちなみにこれは、いまキーボードにおでこをおしつけてうなっていたら、なぜか現れていた、なぞの文字です。どうやって打った??

 

今日、ひとつこだわりを捨てられた体験をした。

お正月におしるこを飲もうと思って、井村屋のおしるこの素を買ってあった。お湯で溶かすとおしるこになるよというレトルトパッケージだ。

だが、思いついたときにはいつも餅がなくて、おしるこを作ることができなかった。今日、いっそこのまま食ってやろうと思って、パッケージの封を切った。

果たして。なかにはあんこが詰まっていた。ふつうに食べられそうだった。スプーンですくって食べた。甘い甘いあんこだった。普通におやつとして食べた。おいしかった。

本当はわかっていた。ずっと前から。それがただのあんこに違いないことは。でも、裏面におしるこの作り方がバシっと書いてあるから、これはおしるこ用なのだと、こだわってしまっていた。

でも、そのまま食べることだっていいんだ。それを今日、実行した。成功だった。

こだわってしまっていたんだな、と思った。餅と一緒に食べることに。お湯で割って食べることに。でも、それがそのまま食べてもおいしいことは、ずっとずっと前からわかっていたんだ。

 

いま、プチ引きこもり状態になっている。人とあまりしゃべりたくなくなったのだ。引き金はわかっている。スキーだ。

みんなでスキーに行こうという計画がもちあがって、みんなが盛り上がっているのだが、僕は、迷った末、行かないことにした。

そのことでとても落ち込んでいるのだ。

行けない理由はとくにない。そこがポイントだ。

これが、別の用事があるから行けない、とか、怪我をしているから行けない、というなら、ただ、残念だ、でもまた次があるさ、と思うだけのことだろう。でも、そんな理由はひとつもないのだ。

自分の中にある躊躇だけがある。でも、行きたい、という気持ちもあるから、落ち込んでいるのだろう。

バカバカしいかぎりである。行きたいなら行けばいい。だれも止めていない。でも、行きたくない気持ちもまた、たしかにあるのである。それは過去のスキーの記憶や、コロナや、集団行動苦手説まで、さまざまな自分のなかの理由だ。

問題は、どっちに転んでも後悔するという必敗の構図に自らを陥れてしまったことなのだ。

それは、今回だけではない。何度もある。集団で遊びにいくとき、かなりの確率で陥る構図なのだ。

そして、その構図は、「自分だけで決めていいのに、その結果に落ち込むという、どうしようもなく優柔不断で混乱して弱っちい俺」というところに行き着き、ありていに言えは自己嫌悪の嵐がやってくるのだ。

わかっているのは、喉元をすぎれば熱くない、ということだけだ。

わかっているのに、また同じことを繰り返すのだろう。

しかし、と今は思う。そのスキーごときが引き金になった自己嫌悪が、いま、もうおれの人生はどうにもならないかもしれない、というところまで行き着きつつあるのだが、それは、それで、必要なことなのかもしれない、と無理に肯定的にとらえようとしている。というか、そうである部分もたしかにあるという気がする。

こういうことだ。ふだん目を背けている課題、問題に、きちんと向き合え、という無意識からのメッセージが届いた状態、という風に見れるということだ。あるいは、そう思いたい、ということなのかもしれないが、いずれによせ、もうそういうアンニュイなモードに入ってしまったのだ。だから、またブログを書き始めているのだ。

 

 

いや、ちょっとおおげさじゃないか、というツッコミがはいったところで筆を一旦置く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これから得られるものよりも、失うものの心配をしている。

これから得られるものよりも、失うものの心配をしている。

今年に入ってから、そんな日が続いている気がする。

思えば、ずっと前からそうだったのかもしれない。

 

公園を通りがかったら、2歳くらいの子どもがしきりと目線を送ってくるので、アレ?と思ってら、友達の子どもだった。

マスクをしていたのによくわかったな〜と思いながら、ひさしぶりと声をかける。おそらく、うれしそうにしていた。そのことがうれしい。

 

子どもは、自分の背の1.5倍はある鉄棒の下をくぐるときに、下を向き、必須に頭をかがめてくぐった。笑った。おかしくて、せつなくなった。どうしてこんなにかわいい。

 

子どもが抱っこしてほしいとジェスチャーをしたので、抱っこした。子どもは、僕の首に手を回して、首の後をコリコリと掻いた。そのしぐさに、懐かしさを感じた。逆の立場でそんなことをしていた頃があるような気がした。誰かの太い首に腕を回し、首のうしろをコリコリとした。

静かな時間が流れて、どうしよう、と思った。

子どもは、地面に降りたがった。この切り替えの速さもまた、子供らしく、好きだ。すぐに何かに関心を移し、とことこと歩いていった。

 

仕事もせずに海外をほっつきあるいているとき、父は何も言ってこなかった。関心がないのだと思った。そのことを友だちに愚痴ろうとしたら、君のことをよほど信頼していたんだよ、などとのたまう。そんなんじゃないんだよ、といいかけながら、それが一番聞きたい言葉だったことがすぐにわかった。

 

もう何ヶ月も、それなりに眠れる日が続いている。すごいことだ。睡眠障害をほぼ克服したのだ。夜寝て、朝起きることができる。

なにより、睡眠について、もはや、眠れないのでは、という不安感も、また昼過ぎに起きてしまったという罪悪感もなくなったことの、解放感は大きかった。

しかし、最近、また、少しずつ、寝る時間が遅くなりつつある。

不思議なもので、睡眠習慣が改善したおかげで、明らかに、頭と体がきちんと機能している時間が長くなったにもかかわらず、一日が短く感じる。なにか欠けている気がずっとしていた。

おそらくそれは、「悩む時間」なのかもしれない。じりじりと答えもなく、焦りつづける、あの不毛な時間が欠けている。

それは恐怖の源でもあると同時に、強烈な「俺はここにいる」という感覚をもたらしていたのかもしれない。俺は今ここで、こんなにも焦っている。

 

もちろん、そんなところから、生の実感を調達するなんて馬鹿げている。だが、かわりのものが見つかるまで、あるいはなれるまで、なにか物足りない感が続くのかもしれない。

 

願わくば、もっと何か違うところで、生きているという実感を、感じたいものだ。新しいパターンを必要としている。

 

不安ではない何かを。

 

 

 

坂口恭平の「まとまらない人」

坂口恭平の「まとまらない人」出版記念イベントに参加してきた。

 

坂口さんのイベントは初めてだったが、圧巻だった。

一時間半が文字通りあっという間に過ぎてしまった。

弾き語りライブ4曲と、インフレーション宇宙のような、トークからトークが派生し、またそこから別のトークへと、無限に植物の根が伸びていくような不思議なトークもすごかった。

最後に、ワークショップとして、参加者から希望をつのり、いのちの電話のライブバージョンをやってくれた。これも面白かった。

 

夢から醒めなければいいと思っちゃう、つまり、現実の毎日がつらい、という相談者には、

「やりたくないことをするな」とアドバイス。相談者は当初、どうすればやりたことができるのか、にこだわっているようだったが、恭平氏は、やりたいことをするにはエネルギーが100いる。やりたくないことをしないだけなら必要なエネルギーはゼロだ。という。

だから、やりたくないことをやらない、から始めなさいと。

そして、やりたくないことを列挙しろと指示し、一番やりたくない

ことだということを、じゃあそれを辞めなさい、はい解決だよ。と。

ただ、やりたくなことをやめるために、事前準備が必要だということで、たとえば仕事をやめるなら、生活保護や失業保険について調べて、現実的な準備をしないとね、ということだった。

平氏は、自分はやりたいことをやっているのではなく、やりたくないことを一切しないだけなのだ、という。

相談者が、でも恭平さんは、本を書いたり、表現活動をしているのは、やりたいことをやっているのではないのか?と問うた。

平氏は、そうじゃない。出さないと(表現しないと)苦しくなるから出してる。「出さない」ということが「やりたくないこと」なのだ、というようなことを答えていた。

イベントが始まる前、ぼくは少し驚いていた。会場には、若いファンが詰めかけているものと思っていたが、年齢層は以外に高く、みんな真剣な顔をしてじっと待っていた。重苦しい空気が流れていた。

だが、恭平氏が喋りだすと、みんな笑顔に。しかめっつらしていた人も笑っていた。これが恭平氏のパワーなんだと思った。

いま苦しいと感じている人、死にたいと感じている人の声をきき続け、励ましつづけている恭平氏に、すごいなあ、こんなに温かくてやさしくて激烈な人はいるんだな、と感動していた。

 

ただ、理解不能なことがひとつあった。。。

平氏、なぜが僕と目を合わせようとしないのだ。。。

新刊本を買ってサインの列に並んだのだが、なぜか、握手をするときも、僕の方を一切見てくれなかった。チラっと見て目が合うと、「あ、やばい奴きた」みたいな顔をして一瞬で目をそらし、以降、いっさい目を合わせてくれなかった。いっそ下を向いていた。

あれ、恭平さん、僕が苦手ですか??みたいな。。。

これがまったく腑に落ちないのだ。僕は嫌われるようなことは何もしていない。。本当に。僕の顔もにこやかだったはずなのに、なぜ目をそらされてしまうのだろう?

 

そのあたりのわけのわからなさも恭平氏の魅力のひとつなのだが、帰り道は少しさみしくて泣きたくなったりもした。

でも、もう一回ライブ行く。

 

 そういえば、今朝、寝起き際に不思議なことがあった。

ふと気がつくと、音が聞こえていたのだ。盛夏のセミの鳴き声のような音が周囲に充満している。

冷蔵庫の音かな?と思ったが、冷蔵庫の音はそれとは別に聞こえている。虫?でも外から聞こえてくるというより、空間全体を音が満たしている。

あれ?これってたまに、まったく音がないときに、音が聞こえるような気がするやつかな?と思う。

静寂の音というやつだ。

耳を澄ました。セミの鳴き声みたいな音なのか超音波なのかわからない音が聞こえている。それが音だと思うのは、微妙に変化してくからだ。音色みたいなものが。

あ、なんかバリ島のガムランとか、日本の雅楽みたいな感じかも、ともう。

そして、ああ、と気づく感じがあった。

世界は本当は音で満たされているんだ。静寂とされるときでも。

そして、その音を模倣、再現しようとしたのが、ガムランであり、雅楽だったのではないか?と思いつく。

そっか、そっかあ、とひとり納得しながら、その静寂の音に耳を傾けていた。

で、途中で、まてよ、やっぱり虫の音?と思って、指で耳の穴をふさいでみた。

すると、もっと大きな音がグワングワンと響いてきた。違う音だ。なんだこれ?

よけいわからなくなったので指をはずした。

そして、さっき、冷蔵庫の電磁波の音だったのかもしれない。なにしろ、冷蔵庫が頭のすぐ横にあったから、とつまらないことを思いつく。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みちくさをくう

ツイッターで、坂口恭平の「いのちの電話」のやりとりの一部らしきものが、流れてきた。

死にたい気持ちになっているという男性に対して、坂口さんは、「小学生の時何が好きだった?」と問いかけていた。

男性は、「何も好きじゃなかったです」と答えた。

それから、じゃあ中学は?と続くのだが、この、「小学生のとき何が好きだった?」という問いは、僕もこれまでにも何度か考えてみたことがあるものだ。

ズバリこれだ、という答えはいつも出てこないのだが、よく頭に浮かぶのは、「粘土遊び」だ。

おそらく小学生というよりは幼稚園かそれ以下のときの記憶だと思うが、自宅でひとり座り、油粘土で人形を何体か作って、戦わしたりして遊んでいたときの情景が浮かぶ。

プロレスの解説者のように、闘いの状況をぶつぶつとつぶやきながら、遊んでいた気がする。

しかし、それがとても好きだったかというと、首をかしげてしまう。そんなに興奮して遊んだわけでもないし、なにしろ粘土遊びは一人遊びだ。思い出すと、少しさみしい気持ちにすらなる。

 

次によく浮かんでくるのは、小学生のとき、学芸会で劇をやっていたときの記憶だ。

題名も覚えている。ひとつは「まさかり太郎」でもうひとつは「丹下左膳」だ。

まさかり太郎は、金太郎がまさかりをもっているようなのが主人公で、桃太郎みたいにお供をつれて、悪者を退治する物語だったと思う。僕がタイトルを含め、発案した記憶がある。

もしかすると、まさかり太郎は演劇ではなく、紙芝居だったかもしれない。

 

次に、丹下左膳だ。丹下左膳というのは、マンガかなんかに出てくる侍の主人公の名前だ。そのまんま、侍の物語をつくった。

まず、すべてが安易だった。そもそも侍の芝居をやろうというところからスタートしていない。クラスの数人とチームを組んだところ、そのなかに丹下という名前の男の子がいて、丹下がいる、じゃあ丹下左膳だ、サムライだ、となった記憶がある。

そして、小学生の僕たちにお話をつくる能力などなく、とりあえず、二手にわかれてチャンバラで切り合えばいいんじゃね、となったと思う。

一応、サムライ風の衣装をそれぞれのお母さんにつくってもらい、新聞紙を丸めたのを刀として、あとはぶっつけ本番でとにかく切り合えばいい、最後に丹下左膳が勝てばいい、という台本だったと記憶している。

結果は大盛況だった。チャンバラ劇は子どもたちに受けに受け、たしかアンコールがかかったような記憶がある。

そして、次の学芸会もリクエストに答えるようにして、劇をした。またしても戦いなのだが、こんどは現代的な戦争で、舞台の両端にダンボールを置いて、そこをお互いの基地に見立てて、とにかく大砲を打ち合うという台本だった。

またしも、筋書きはなく、ただひたすら打ち合って、ときどき、ダンボールから、人やぬいぐるみが吹き飛んで出てくる、ということだけ決めてあった記憶がある。この、ダンボールからぬいぐるみが吹き飛んでくる、というのが大受けで、やんやのかっさいと笑いを浴びたのを覚えている。

 

こうした記憶は、いま書いているから思い出してきたもので、さっきぼんやりと、小学生のとき何が好きだったかな、と考えているときには、思い出せていないものも含まれている。

そう考えると、学芸会で劇をやるのが好きだった、とは言えるのかもしれない。

 

しかし、学芸会は年に2,3回ある程度のものだ。劇のことを考えたり、取り組むのは、本番のせいぜい数週間前からで、それ以外の毎日は劇とは一切関係ない日常を送っていたはずだ。

そこで、じゃあ毎日のように好きでやっていたことはないの?と考えると、はたと困って「なにもないです…」というのが、今までの答えだった。

 

しかし、今日、もしかしたら「みちくさ」が好きだったとは言えるかもしれない、と思った。

特別好きだという感情や、興奮を感じていた記憶はないが、とにかく毎日、あきれるほどみちくさを食っていた気がするのだ。

学校の帰り、友達たちと下校しながら、バッタを見ればバッタをつかまえ、水たまりがあれば足をいれてみたり、穴があれば傘をつっこんで深さをはかったり、ハチがいれば捕まえようとして刺されたり、みちくさにまつわる記憶がいくらでもある。

 

そして、よく母親が笑い話として話すのが、僕が帰宅すると、持って帰ってくるはずの体操服袋がない、またどっかに置いてきた、ということで、母が下校ルートを逆にさかのぼって、よく僕の落とし物を探して歩いたという話だ。すると、ポツ、ポツと、体操服袋や水筒や帽子などが落ちていて、「ああ、ここで遊んだんだな、あれをしたんだな」とわかるのだと言っていた。

 

つまり、遊びに夢中になるあまり、手に持っていたものをそこかしこに置いてきてしまったようなのだ。

そんなことは誰にでも一度や二度はあるだろうが、僕は一度や二度ではなかったらしく、しまいには、近所の友だちのお母さんが、僕が落としたものを自宅に届けてくれるようになったそうだ。僕の名前が書いてなくても、「きっとそうだと思って」と、届けられたそうだから、僕が落とし物をするのは近所には知れ渡っていたのだろう。

 

「みちくさ」が好きだった、という記憶になっていないのは、それがあまりに日常的だったのと、毎日、違う場所で違うことをしていたので、これをするのが好きだった、というような繰り返しの記憶を形成していないからだろう。

でも、僕はまちがいなく「みちくさ」が好きだったのだ。

 

ふと、みちくさの定義ってなんだっけ?と思って調べてみると、デジタル大辞泉では「目的の所へ行き着く途中で、他の物事にかかわって時間を費やすこと」と書いてあった。

 

これはいささか困ったことになった。

 

「小学生のときに何が好きだった?」と聞かれたとき、僕は、「みちくさ」すなわち、「目的の所へ行き着く途中で、他の物事にかかわって時間を費やすこと」が好きでした、と答えなければならないわけだ。

 

なぜ困るかと言えば、「小学生のときに何が好きだった?」と聞く人はつまり、「じゃあその好きだったことを大人になった今でもやればいいんだよ」と言うために聞いているからなのだ。

ロジックはこうだ。悩める大人がいる。彼は、何もする気がおきない、とか、将来何をすればいいかわからない、あるいはいっそ死んでしまいたい気分だ、という。

 そういう人は少なからずいる。そういう状況に陥ることは誰にだってありうる。そして、たとえ今、何もする気が起きない、何もしたいことがないのだとしても、子どものころなら、誰だって、好きなことがあったはずだ、というのがこの問いのキモなのだ。

 で、たしかにあった、何々をするのが好きだった、と相談者が答えたら、じゃあそれを今やってみたら? 子どものころのようにはできなくても、大人として同じようなことはできるでしょ?という提案をするわけだ。

 

で、悩める僕は、「みちくさ」が好きだったといま答えた。

じゃあ今「みちくさ」をやってごらん、と架空の相談相手から提案されたという状況だ。

 

「目的の所へ行き着く途中で、他の物事にかかわって時間を費やすこと」をやってごらん?

 

そう言われた僕の心に起きた最初の反応は、「というか、『目的の所』がそもそもわからなくて困ってきたんだし、どちらかといえば、『みちくさ』のほうばかりを何十年もやってきた気がするんだが、、」というものだ。

いやはや。。

「じゃあ好きなことばかりをやってこれて、あなたは幸せだね?」と人は僕に言うのだろうか。

それはロジックとしては間違っていないが、ちょっと無責任ではないだろうか。「君は目的外のことに時間を使うのが好きなんだから、目的外のことをこれからもどんどんやればいいんだよ!」って言われて、「そうだね!わかった、ありがとう!」って言えるだろうか。

それで問題は解決したといえるのだろうか。

 

とはいえ。「みちくさ」漢字で書けば「道草」。この言葉は、ぼくにぽかぽかとあたたかい、ひだまりのなかの幸福で無邪気な時間を思い起こさせるのは事実だ。

 

学校の帰り道、目的は家に帰ること。だが、その目的は、普通に歩けば難なく叶えられるものだ。だからその途中で、ぼくたちは、リラックスして、好奇心をただよわせ、目についたものに手を伸ばし、ふと始まってしまった遊びを日が暮れるまでつづけたりした。

 

かえるの卵をとっていたら、全身ずぶ濡れになり、このまま帰ると親に怒られるからと、みんなで裸になって、服を干して乾くのを待っていたら、まだ夏ではなく気温が高くなかったのか、ぜんぜん乾かなくて、どんどんと日が暮れてきて心細くなってきて、どうしようか、どうしようか、とオロオロしながら、それでもまだカエルの卵をとったり、アメンボを追いかけたりしているうちに、心配した親たちが探しにきて、服は濡らすわ、帰りが遅くなるわで怒られると思ったら意外なほど怒られなくて、いろんな意味でほっとした、あの日の夕方のことを、幾度となく思い出すのは、なんでなんだろうね。

 

そういえば、いま、とくに都会の子どもたちが、みちくさを食えなくなっているのが問題だと言っている大学のセンセイの著書をAmazonで見つけた。

たしかに、学校の帰りに子供たちが、何時間もどこかへ行方不明になって帰ってくる、そんなことが安全性の面でも許容されない世の中になっているみたいだ。

でも、田舎のほうなら、まだまだ子どもたちはみちくさを食っているのだろう。

 

「みちくさ」不思議なもの。みちくさの目的は、みちくさではない。みちくさをしようと思ってみちくさをするのではない。

あくまで僕らは家に帰ろうとしている。でも、その途中で、興味深いものを見つけてしまうだけなのだ。

少しのうしろめたさ、家に帰らなければと思いながら追いかけるトンボがたのしかったのだ。トンボ狩りをしに来たわけではなかったのだ。

 

僕たちは、トンボ狩りをしにきたわけではなかったのだ。

 

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 Michikusa

 

I saw part of Sakaguchi's telephone counseling conversation with a guy who feels like want to suicide,  on Twitter.

Mr. Sakaguchi asked a man who wanted to die, “What did you like when you were an elementary school student?”

The man replied, "I didn't like anything."

Then Sakaguchi asked the man, "What about junior high school?"

Their conversation continued after that ,but this question, “What did you like when you were an elementary school student?” was something I've thought of several times before.

I don't always get a clean answer, but one thing that often comes to my mind is "play with clay."

 

I think it's probably a memory of kindergarten, rather than an elementary school student. It seems that I sat alone at home, made some dolls with oil clay, and played with fighting dolls.

Like a person who explained professional wrestling on TV, I spoke out with the clay dolls fighting.

However, when asked if I liked it very much, I feel that is not the case. I didn't play with such excitement, and when I recall the scene, I even feel a little sad. Because I always do clay play alone.

The next thing that comes to mind is the memory of a theater performance at an elementary school.

I remember the title. One of them was "Tange Sazen". 

Tange Sazen is the name of the main character of Samurai (the medieval soldier) that appears in comics. I made a story about Samurai.

In the first place, however, I did not start from trying to do a Samurai play. When I teamed up with several people in the class, there was a boy named “Tange” in the team, so I could only come up with the story of Tange Sazen.

And as an elementary school student, I didn't have the ability to create stories.

So I decided to divide the team into two forces, fighting without any scenario.

We had our mother make a samurai-style outfit and we made a sword out of rolled newspaper.

After that, we went out on the stage and fought without a script. We only decided that the hero would win the final.

The result was a great success. The samurai battle excited the children and we got an encore from the audience.

Then, the next school performance was also played in response to the request. Again, this is a battle, but this time it was a modern war, with cardboards placed on both ends of the stage, each of which was likened to each other's base, and fired with cannons anyway.

Again, there was no scenario. We hit missiles towards each other, and sometimes people and stuffed animals jumped out of the cardboard base by the blast.

This idea of ​​a stuffed animal blowing out of cardboard was a huge success. The audience was excited and laughed a lot.

I remember these memories because I'm writing now. I usually forget them.

It may be said that I liked to play drama at elementary school.

However, there are some school performances a few times a year. I thought about and worked on the play from weeks before the actual production, and every day other than that, I had to have a daily life unrelated to the stage.

Is there anything you liked to do on a daily basis?

I get confused when asked.

“Nothing ...” was the answer so far.
 

However, now I thought that I might have liked "Michikusa".

I don't remember feeling emotional or excited about it, but anyway, it seems to have spent so much time every day.

On the way home from school with my friends, I caught the grasshopper when I saw the grasshopper, and if there was a puddle I tried to put my foot in, or if there was a hole, I took an umbrella and tried to deepen it. I have been stung by a bee trying to catch a bee.

There are many memories about “Michikusa”.

My mother often talked about memorable stories when I was in elementary school. When I get home, I don't have a gym bag that I should bring home. I dropped it somewhere again. My mother walked up the path I walked and picked up what I dropped. My mother finds my gym bag, water bottle and hat in various places.
“Oh my son played here,” my mother understands.

I was so addicted to play that I left what I had in my hands.

Anyone could have done that once or twice, but I didn't seem to have done it once or twice.

Eventually, my friend's mom in the neighborhood began to deliver what I dropped to my home.

Even if my name wasn't written, the things I dropped were delivered to my home.
Neighboring mothers would have guessed that if something had fallen on the road, it was mine.

Still, when I was asked what I liked as a kid, I didn't immediately think that I liked Michikusa because it was too everyday.

Also, because I was doing different activities in different places depending on the day, I didn't form a repetitive memory that I liked to do something.

But I definitely liked “Michikusa”.

Suddenly, what is the definition of Michikusa? I thought. When I looked up in the dictionary, it was written “to spent time on other things on the way to the destination”.

This was a bit of a problem.

When asked, “What did you like when you were an elementary school student?” I answered “Michikusa”, that is, I must answer. I liked "to spent time on other things on the way to the destination".
 
Why am I troubled?
After being asked, “What did you like when you were an elementary school student?”, You were told, “So you can do what you like now even when you grow up.”

The logic is this. There are adults who have problems. He says he doesn't feel like doing anything, doesn't know what to do in the future, or wants to die.

 There are not a few such people, and anyone can fall into such a situation. And even if you don't feel like doing anything right now, or you don't want to do anything, even if you were a kid, everyone should have liked something. .

If you've liked it when you were a kid, you can still do it now as an adult. Even if you can't do it as a child, you can do the same thing as an adult. That is a suggestion for those who are suffering.
 
And now I replied that I liked "Michikusa".

In other words, I was advised to do “Michikusa” now.
 
Why don't you do "to spent time on other things on the way to the destination" now?

The first reaction that happened to my heart was, “I mean, I've been in trouble because I don't know the destination, but I feel like I've been doing Michikusa for decades.”

Sigh.

Will people say to me, "So you're happy that you've just done what you like?"

That's not wrong as logic, but is that okay?

Someone tells me, "You like doing something else on the way to your destination, so you can do something other than going to your destination!"

I answer "That's right! Thank you!"

Is that really okay?
Could it be said that the problem has been solved?

 
Although. “Michikusa” written in kanji is “street grass”. It's true that this word reminds me of a warm, innocent time in Hidamari.

The way home from school is to go home. The purpose can be achieved without difficulty if you walk normally. So on the way, we relaxed, greeted with curiosity, reached out to the ones we saw, and continued the play that had just begun until the sun went down.


When we were picking frog eggs, we were soaked throughout the body. If we go home wet, parents will get angry. So we got naked and dried our clothes. Summer hasn't come yet, and our clothes didn't dry out easily.

As the sun went down, we became more and more conscious of what to do and what to do, but we were still catching frog eggs and chasing amembo.

Near sunset, finally worried parents came to look for us. Our clothes were still wet and the return home was so late that we were prepared to get angry by our parents.

However, the parents were not surprisingly angry and we were relieved.

Why is it that I remember that evening again and again?


Speaking of which, it seems that the problem is now that children in the city are no longer able to eat Michikusa. I saw such a book on Amazon.

Certainly, it seems that children are missing somewhere for hours on their way home from school, and that is not acceptable in terms of safety.

But in the countryside, the children are still eating Michikusa.

 
“Michikusa” is a mysterious thing. The purpose of Michikusa is not Michikusa. I didn't do it because I wanted to do it.

We are just going home. But on the way, we just find something interesting.

We chased the dragonfly, worried that we should not derail too much. That was exactly what I enjoyed. We didn't come to hunt for dragonflies.

 

We did not come to hunt for dragonflies.