高校野球

5歳になったばかりの姪が、甲子園に魅せられたらしいとの一報が入った。

おお、と短く感嘆した。そして、ことの大きさを1日たった今でももてあましている。

 

そのとき、姪がお盆の法事でうちに来ていた。みんなでリビングにいるとき、ぼくは何気なく高校野球にチャンネルを変えた。地元東邦の試合をやっていた。7回ウラで9−2で負けているところだった。7回で7点差、さすがの東邦もここで終わりかな、と思ったが、なにせ甲子園だ、なにがあるかわからない。

という気持ちでがんばれ!と見ていたら、昼寝をしかけていた姪がテレビをまっすぐに見つめているのに気がついた。

周りの大人は、せっかく昼寝をしておとなしくなってくれると期待していたので、苦笑いをして顔を見合った。でも、そのまま寝てくれるかもしれず、あまり刺激するな、という顔のサインが母から来たので、ぼくは黙っていた。

試合が進み、いよいよ9回ウラになっていた。その間に3点返したが、まだ4点差だった。9回裏で4点差、しかもたしかツーアウト。さすがにここまでか、と思って、チラっと姪を見ると、さっきまでソファに寝転がっていたのに、完全におやま座り(体育座り)をしている。眼光が鋭い。

あれ、もしかしてこれ見てるの?興味あるの?と聞くと、いや、ちがう、と首をふる。ただ、前を見ているだけだという。前方を見ていると、勝手にテレビが視界に入るだけなのだと言う。おかしなことを言うものだと思ったが、すぐに試合に気持ちは移った。そしてそして、なんと東邦はそこから5点をとり、逆転サヨナラしてしまうのだ!

きたーー!と興奮して叫んでしまったが、姪はとくにはしゃぐこともなく、どうして服が汚れているの?と高校球児のユニフォームを指差すのだった。

それはね、すべりこんだりして、汚れちゃったんだね、がんばっってこと。がんばった人は服が汚れちゃうんだよ。と母が説明する。姪は、ふーんという感じで見ていたが、あ、こっちの人は服が汚れてる人が少ない、と指摘。こっちの人とは、負けたチームであった。

 

そして、その夜。姪の母からメールがあり、姪が、「あれ(高校野球)、なんだかわからなかったけど、また見たい」と言ったそうだ。

 

なんでもないことだ。ただのきまぐれに過ぎない。そういうことは何度もあった。だが僕は、なにか感動のようなものを覚え、それがすぐ消えるかと思ったのに、まだ続いている。

1つは、姪がなぜそう言うのか、わからないということだった。もちろん野球のルールなど知るよしもない。だが、そういえば、試合中、アウトってなに?セーフってなに?とちくいち聞いてきていたな、という記憶がある。興味を持ったのだろうか。

 

結論から言おう。姪は、高校球児たちの、甲子園にかける、激闘の熱い想いに、心をうたれたのではないか。ぼくはそう想いたくなり、そう思うことにした。母にぼくはそうとしか思えない、というと、考えすぎだ、と一蹴されたわけであるが、

でも、それが高校野球だったというところに、妙に何かを僕は感じたのだ。

 

もし姪が、5歳にして、荒ぶる魂、この一瞬にかける青春、というものの存在を、始めて知覚した日なのだとしたら、なんてすばらしい日に居合わせることができるたのだろう、と思わざるをえない。

 

ぼくはもうそうとしか思えなくなり、母に、姪はソフトボール選手になりたがるかもしれない、そしてオリンピックに行くかもしれない、と考えを伝えた。もしかして東京オリンピックに? いや、さすがに9歳では無理か、いや、しかし、世の中に絶対というものははないはずで…。

母はもうそこにいなかった。

 

だけどおれは確信する。なんだかわからないけど面白かった、心が動いた、そういうものに姪は出会ったのだと。そしてそれは、おれのこころに鈍い痛みを引き起こしたわけを、さっきから何度も考えているんだ。

東邦がんばれ!