オリンピック効果

今年はどっぷりオリンピックにはまっている。放送時間をチェックして、できるだけの試合を見ようとしている。さすがに朝方までは待てずに寝てしまうことが多いが、でも毎夜、テレビにかじりついて叫んでいる。

というぼくも、ロンドンオリンピックは海外にいたこともあって、一切見なかった。見ないとなると関心もなくなるもので、ネットで結果をチェックすることさえなかった。あれ、そういえばやってるんだっけ?という感じだった。むしろ、あんなのに盛り上がって、バカじゃないか、メディアに乗せられてんじゃないよ、他人の試合より、自分のライフのほうが何百倍も大切なんだから、テレビを見ている暇なんてねえんだ、とさえ思っていた。

でも、今年ははまってしまった。。もうオリンピックが始まる前から負けていた。もう、一年も前から、バレボールやらサッカーやらの予選を必死にかじりついて応援してしまっていたのだ。予選をあれだけ必死に応援しておいて、本番を知らんぷりなんてできるわけがないのだ。かくして、深夜や朝方でもがんばって見たりしていた。そうこうしているうちに、ほかの競技も目に入ってくる。予選を見たら準々決勝を見ないわけにいかない。準々決勝を見たなら準決勝が気になるのは当然である。かくして、気がついたらほとんど全競技を追いかけるはめになった。

そうか、こうやってハメられてしまうのか…。と思いつつ、でも、毎日毎日、こんなに興奮できるなんて、オリンピックも捨てたもんじゃないな、と思ったりしている。

そして、ある効果が気がついた。少し前に、夏は暑くて出歩けず、運動不足になるということで、日本3大無駄な買い物の1つと言われる、ルームランナーを買ったのだ。おれはいらないと言ったのだが、母が買え買えというのでしぶしぶ買った。

あー、3日もすればオクラ入りだろうな、と思っていた。事実、母の睨みのもと、しぶしぶ5分ほど歩いて、すぐにスイッチを切る始末だった。

だが、オリムピックが始まってから、なぜか、ルームランナーに進んで乗るようになっていた。30分で自動で切れてしまうのだが、それがなぜか「完走」に思えてきて、なぜか完走を目指してしまうようになったのだ。ここ数日は、完走できている。もちろん、テレビでオリムピアンの活躍を見ながら、歩くのだ(あくまで走る、ではない)。

これは効果だ。あんなに運動が嫌いな僕が、オリムピックに乗せられて、ルームランナーに乗っているのだ。その五輪もあと1週間。オリンピックが終わったら、ぼくもルームランナーを降りるのだろうか。引退だ。

でも、それでも、いいと思った。それで十分だ。少なくとも、1万数千円だかのモトはそれでとれるだろう。

そして、それだけじゃない効果も感じている。やっぱり、なんだか、全般的にやる気が出ている気がするのだ。選手たちがあんなにがんばってる、おれも少しくらいは、って励まされているのだろう。これは明らかに効果だ。

だから、今夜はバドミントンの決勝を見ないわけにはいくはずがない。レスリングも目が閉じるまでは見届ける。

完全にすっかり乗せたれている。だが、どっちかだ。乗るか乗らないか。乗ってしまったいじょう、とことん乗せられたほうが、きっといろいろスッキリするのだと思われる。

今回のオリンピックは、ブラジルの経済うんぬんで、いろいろ問題がありそうだった。もしかするとオリンピックでお金を使いすぎて、このあとブラジル経済はどーんと落ち込んでしまうかもしれない。

だけど、選手たちがほとんど命をかけるくらいの勢いで、全身全霊をぶつけているのは間違いない。それはオリンピックそのものの経済効果やメリット・デメリットとはまったく別の場所に存在するものなのだと思う。

ぼくは長い間、スポーツをどこかで蔑視していたと思う。スポーツってしょせん、ゲームじゃんか、誰が買っても負けても、見ている人の生き死にや、人生の根幹にはぜんぜん関わりがないじゃないか、と。しょせんお遊びにすぎない。きばらしにすぎない。ローマ帝国衆愚政治にすぎないのだ、と。

だが、その一方で、スポーツ選手になんともいえない羨望を感じてしまうのだ。それは富や名声が手に入るからだけではない。真剣勝負をする場所を彼らが持っている、ということもあるはずだ。そういう羨望を感じさせるから、スポーツは多くの人の気になり続けているのかもしれない。何かに没頭できたときの心地よさを、誰もが一度は味わったことがあるだろうから。

ということで、あと1Week、せいぜい五輪を楽しみたいと想います。