にんげんだもの

今日、朝から足の甲が痛んで、整体に行ってきた。大事はないとのことでよかった。おそらく、サーフィンで自分のボードにぶつがったのだろう。

そのあと、友人の子どもに会いにいった。今日はすこしクールなお出迎えだったが、うれしかった。

物の仕組みに興味があるようで、ベビーカーのアームを付けたり、外したりをしきりにしていた。そのあとは、自動ドアのボタンを押すと開くのが面白いようで、何回も何回も押してははしゃいでいた。

そのあとは、消毒の容器をプッシュすると消毒がプシュっと出てくるのが面白いようで、何回も消毒をプシュプシュしていた。

幼い子どもはあからさまに、面白いと思ったことを、飽きるまで繰り返す。全く同じことを何度も何度も。関心を失ったら次へと関心を移していく。俺もそんなふうに一日を過ごしていたときが、間違いなくあったはずだが、残念ながら記憶はない。思い出したいものだ。

小学一年生か、二年生か、三年生か、のころ、親が、学研かなにかの、日本の歴史シリーズの本を揃えてくれた。全部で13冊くらいあったと思う。白い装丁を覚えている。僕はいまいち意味がわからないながらも、面白い気がして読んでいた。そのうちの一冊のタイトルが「大正デモクラシー」だった。僕は、デモクラシーが何かもまったくわからないまま、母親に、大正デモクラシーはね〜、と何かを話していたのを覚えている。母は、難しい言葉しっててすごいねーと言っていた。僕は、誇らしい気持ちと、本当は意味をわかってないという背徳感に、体のなかが羽毛になったようなくすぐったり気持ちを味わっていた。もちろん、母はお見通しだったことだろう。

最近、何か具体的じゃない気持ちに浸りがちになっている。役に立つことをする意欲がいちじるしく弱くなっている。ヨガや英会話や、健康食や、自己啓発や、仕事やなんや、かやだ。

具体的に成果が出ることをここのところやる気があってやっていたのに、一週間くらいまえから、どーでもいいや、という気分が支配的になり、ひとりで音楽を聞いたり、小説を読んだり、していたいなと思うようになっている。まあ、そういうモードのとき、というだけのことなんだろうけど。自分の移り気に振り回される日々。

 

就職活動をしているとき、1つの疑問を持っていた。今の世の中、お年寄りが尊敬されていない。むしろ時代に遅れている、お荷物用に扱われている、というか、自分がそう感じてしまっている。だけど、そのことが悲しくもあって、それは自分の未来でもあるし、どうしてこうなっているんだろう、と、ぜんぜん自分の喫緊の問題ではないのに、なんかやるせない気持ちでいた。

インディアンの酋長はもっと頼りにされていたはずだ、と。

最近、その問題に回答らしきものが得られたような気がする。

それは瀬戸内寂聴だ。彼女が回答なのだと思った。

もう100歳になるという。彼女は、尊敬され、求められている。

心から、彼女の話をききたいという人が大勢いる。この僕だって、彼女に何かを言ってもらいたい、と思う。人生の支えになるような、なにかひとことを。

そしてなにより、彼女の、心のままに生きてきた実話をきくだけで、なんだか元気になってくる。

瀬戸内寂聴みたいになれば、僕のやるせなさは無効となる。彼女は110歳のときには、さらに10年分、人びとから尊敬され、求められているはずだからだ。年齢を重ねるほどに、重みを増す言葉。

僕はこれを寂聴モデルと名付けることにした。人生目指すべきは、寂聴モデルなのかもしれない。いや、と思う。でも、身近な家族はたまったもんじゃない、ということもありうる。好き勝手に生きている人。身内だったらしんどいのかも。

まとまらなくなってきたが、不可能じゃない、ということはわかった気がした。役に立つお年寄りになることも。

本当は役に立たなくてもいいんだ、という考え方もあるとおもう。生きているだけでみんな価値があるのだ、と。でも、それは理念みたいなもので、それをまっとうすることは、なかなか難しい。

それは行き着く境地のようなもので、それを頼りに生きるられるほど、太い綱なのだろうか。

ひたすら人に優しいだけの存在になれれば、それに越したことはないのだが、それはまたそれで、真の修行の道なのだ。そんなに徹底して優しくなんてなれない。いざとなったときに、非日常的な追い詰められた状況になったときに、それでも自分がどれほどの優しさを発揮できるのか、はっきりいって自信はない。あっといまに保身に腐心し、ことがすっかり終わってから、ごめんよと懺悔し、涙が乾かないうちに、にんげんだもの、と自分を許すのだろうか。