できないことができるときとは

不思議なことに、今、部屋がずいぶん片付いている。

数ヶ月前までは、絶望的な気持ちで部屋を見渡したものだった。

とくに押入れの中を。服が散乱している。片付ける宛先がない下着たち。傾いたダンボールが棚の役割を担おうとしているが、役不足であることは明らかだった。

ずっと着ていない服が捨てられなかった。もう着ないことはわかっているのだが、買ったときの思い出、まだ着れるものを捨てる罪悪感、などなどで、捨てようとすると体が動かなくなるのだった。

そしてなによりも、部屋がすっきりと片付いているというイメージが持てなかった。どうしていいかわからないかった。自分には無理なのだ。ここまでなのだ。別に汚部屋というほどもないし、男のだらしない部屋といえば、それまでのことだ、と思い込もうとしてきたが、心のどこかでひどくがっかりしていた。

しかし、今、驚く。押し入れがスッキリしていることに。なぜこうなった。簡単なことで、服が半分以下になった。つまりは捨てることができた。すくたんじゃなくてリサイクルに持っていったのだが。それがよかったのかもしれない。リサイクルなら、ワンチャン、有効活用されるのなら、2回しか着ていない服だって、処分できた。

 

片付けられる人からすると、何をおおげさな、と思うかもしれないが、本当に何年も、俺には無理だこれ以上は。。と思い込んできたラインを超えることができた。

それが不思議なのだ。

今思えば、別になんでもない、どうしてできなかったのか不思議なくらいなのだが。

だが、こういうことは、人生でいくらもある気がする。だから書いている。

 

とくに心境の変化があったのか、そういう気もしない。気持ちの調子がいいのか、そうでもない。どちらかというと、落ち込み気味な気がしている。だが、そうした自己評価とは裏腹に、夜も以前よりずっと眠れるようになったし、体もすごく動かしている。月に2−3回は塩水に浸かっている。片道2時間かけて。。

 

でも、気持ちが晴れているわけではない。後味の悪い夢をよく見るし、ああ、もうこんなところまで来てしまって、やり直すことができない、とはかなむ気持ちに、1時間に2回ぐらいなるのが毎日なのだが。

 

アレン・ギンズバーグの教え子だったというアメリカ人と知り合いになった。名前はずっと前から知っていた。ビートジェネレーションのグルだ。だが、その作品に触れたことはなかった。詩集「吠える」を買った。

すごいな、とは思ったがとくに心が動くわけではなかった。でも、その当時に、この詩を手にとって、電撃に打たれたかった。そんな気はした。

 

狂った社会の中で、自分だけが正気で、狂った言葉で狂った社会を告発したかった。そんな24歳であったなら、と夢見る。実際は、正規ルートで成り上がるのに嫌気がさしていて、でもドロップアウトする勇気もなく、抜け道を探していた。結局は成り上がりたかった。すごいと言われたかった。成功者と呼ばれたかった。

アレン・ギンズバーグもそうだったのだろうか。

 

気がつけば、若者ではなく、気持ちは若いと思っても、若者と接すると、自分は若者じゃないことがわかった。でも、じゃあ、これは何なんだ。

そこはかとない怒りや焦燥が若者の特権であるのなら、俺はもうその権利を有しない。それは自分でもそう思う。もうそこにはいない。だが、これはなんだ。

社会への怒りは実はあまりない。自分もそれほど違わないのがわかる。誰だって悪者なんかじゃない。だが、これはなんなんだ。

 

言葉を失っていく。中年以降のおやじたちが、言葉を失っていく理由がわかる気がする。言っても仕方がないことばかりが、腹のなかで沸騰する。その刃が自分に向くことがわかっているのだ。

だからときおり、理屈ぬきの感情だけを吐き出すべく、キレる。

キレる場所を探す。台風に見舞われた駅の改札で、駅員に食ってかかるおじさんの悲哀。わかっているはずだ。悪いのは駅員じゃない。でも、俺だって悪くない。じゃあこの頭が真っ白になるほどの怒りはどこにぶつければ。

何も悪いことをしていないのに、大切なものが奪われていく。神様のいじわる。

そんなことを書きなぐってはみたが、今のこの日々がもてていることに、ありがたい、という思いがわいてくる。

数年前までは、このようなおだやかな日々が過ごせるとは思わなかった。これでも、ずっとずっとずっとマシになったのだ。

明日がこないで欲しい、朝にならないでくれ、そんな夜を幾日も過ごしていたころもあったのだ。

湘南の海で、夕方5時のサイレンを待っている。子どもたちがサーフボードを抱えて集まってくる。こんなところで何をやっているんだろう、と自分が不思議になる。笑えてくる。一体何をやっているのだろう。俺が。こっけいな。日焼けを気にしてサンスクリーンで真っ白になった俺が、いっぱしの顔つきで、乗れる波を見つけようとしている。まだサーフボードを抱えて歩くことすらうまくできない俺が。

 

”自分”が社会の中を生きていく、というのは事実誤認だ。

”自分のようなもの”がもがきながら歩いている。ときどき、見知らぬ人があらわれて、あらぬところをノックする。ドアはそっちじゃない、ここだ、この眼の前にあるんだ。だが、ときどき彼らがあっているときがあって、あらぬところにドアが開く。あ、そっちから出れるんだ、と出てみると、また、そこには濃厚な空気のワールドがあり、人々が歩いていて、少し息苦しいなあ、などと感じ始める。またドアを探す。だが、目の前にあるそのドアからは、なぜか出られないのだ。

 じゃあ、ということで、あらぬところにあるはずのドアを探す。でも見つからないのだ。どうしても。見つかる気がしない。本を読んでも見つからない。サーフィンをしても見つからない。ダンスをしても見つからない。きっと誰かがまたドアをみつけてくれると思っても、誰もノックしてくれない。

するとこんどは、足元にあったマンホールの蓋がズズズと音をたてたかと思うと、おかっぱの女の子が、かくれんぼしてたの、などと言ってきたりする。もしかして、そこから出れたりする?

いや、それは今考えたひとつの夢、願望、イメージ、ラビット・ホールにすぎないのはわかっている。こうやってイメージできたことは、もう起こらないのだ。

見知らぬ人だけがドアを空けることができるし、思いつかなかった場所にしかドアは開かないのだった。