スタバはいいね

昨日、久しぶりにスタバに行ってみた。混んでいて座れないこともあるので、もう何ヶ月も行っていかなった。つまり、仕事カフェのローテーションからはずしていた。でも、この時間ならどうかな?と、3時半くらいにいってみた。結構席が空いていた。なによりうれしいのが、やっぱり客層がいい。大学生とか若い人が多く、パソコンを開いている人もちらほらいる。外国人もいる。パソコンでスーツの年配の外国人もいる。つまりは、大学教授っぽい人もいた。

やっぱりこういう客層に囲まれると、なんとなく仕事もやる気が出るから不思議だ。それでいて。コーヒーつきで300円そこそこで2時間はいられる。安い。

かつて、コーヒーを目的でスタバに入ると、この程度のコーヒーで300円かよ、これならドトールいくわ、と思っていたが、パソコンを持って仕事をするとなると、え、300円でいいんですか?となる。なにせWiFiも使えるのだ。

 

いま、ある危険な記憶がよみがえってしまった。危険というか、大人げない記憶だ。

いつか書いたこともあるが、23歳でインドにいったときのことだ。それが初の海外旅行だった。バラナシというガンジス川沿いの聖地の街で、聖地といえど町中が土埃でもうもうとしているところの、牛と車と人間が無秩序に行き交う大通りで、忘れもしない、僕は、あまりのカオスの思わず道の真ん中で立ち止まってしまったのだ。

すると、牛も車も人も、ただ僕をよけて通っていった。

クラクションはほうぼうでずっと鳴りっぱなしなので、とくに自分が鳴らされているとは感じず、不思議と心が安らぎさえした。僕は灼熱の太陽の下、土埃の中で立ち尽くして、ああ、と思った。もし、今日僕が、誘拐されて、どこかへ連れ去られたとしても、日本の誰にもわからないのだな、という思考がよぎった。この町に僕がいたことでさえ、日本の家族が知ることはないかもしれない。インターネットも携帯電話もない時代だった。

そのとき、ああ、これが自由か、と身震いするような感動を覚えた。もちろんそれは、23年間日本を出たことがない若造の、井の中の蛙的な誇大妄想なのだが、こういう自由をそれまで一度も感じたことはなかったのだ。

もちろん、それは、俺は誘拐なんかされない、という無根拠な自信があっての、自由感なのだが、今、僕が、これからどこへ行こうと、もう誰にもわからないのだ、という失踪の可能性を感じた瞬間だったのかもしれない。

もちろん、今、そんな願望はない。むしろ、いろんな人たちともっと交流して、認知され、関係を結んでいきたいという欲望をむくむくと感じるくらいだ。

ただ、スタバで真横の席に、日本人にはない感じの雰囲気をまとった、妙齢の外国人女性が本を一冊持ってやってきて、でも、本は読まずにMacbookを開いてなにやら作業を始めたときに、ん〜、どうの外国人の年齢はわかりにくいな、若そうにも見えるし、そんなに若くなさそうに見える。美人にも見えるし、美人じゃなくも見える。ん〜。と思っているときに、感じていた、かすかな懐かしさとは、あの、ゴドウリヤーの交差点で、砂埃のなかで、牛に横切られ、車にクラクションを鳴らされながら、空を仰ぎ、ああ、俺は今、ここにいるんだ、と思った瞬間のあの感じを100倍に薄めたようなのに似ていた気がする。

外国人の女性つながりでもうひとつ言うと、このまえ、新しくできた仕事カフェの1つでせっせとパソコンを打っていたとき、そう、同じ人もいると思うが、僕は考え事をするとき、ふと、通りすがる人を真顔で凝視してしまうクセがあり、向こうがそれに気づいて目が合っても、1,2秒間、目があっていることに気づかないことがあるのだ。いや、目が合っていることは気づいているのだが、頭に中には別のことが巡っているので、今、赤の他人と目が合っている、という現実が、どこか現実離れしたものになっていて、あ、しまった、こっちが現実だった、と気づくまでに少しタイムラグがあるということだ。

で、そうして考え事をして、通路を行き交う人を眺めていたとき、東南アジアとかブラジルとかそっちのほう系の女の人と、パチっと目線が合った。それは珍しいことじゃなく、今日だけでも2−3人とは目が合っているのだが、そこからが違った。

その女の人は、日本人がまずやらない感じの、ちょっとだけ顔をかしげて、つまり、ウインクをするときみたいな顔の動作をして、でもウインクはしないで、フンっっとでも言うような感じで小さなポーズを決めたのだ。

おお、なんか映画で見たことあるような、ないような、相手が男だったら、メンチを切られたとしか思えないような、そういうことがあった。

ただ、それだけなのだが、なんか、それいいね、と思った。

思えば、ずっと前のスタバでも同じようなことがあったし、それがどこかの国や地域での、えしゃくとか、スマイル、という感じなのかもしれない。

でも、なんというか、あれ、かわいいね。もしここが日本じゃなくて、ぼくがジャケットでも着用していれば、ウインクでも返したいところだった。

あんまり女の人のことばかり言ってるとあれなんで、最後は子供のことも言っておく。

それと似た感じを受けたのは、先週のマクドナルド。ものすごくはしゃいで走り回っている3姉妹がいた。一番下は2歳、真ん中は3歳、一番上でも4歳か5歳、と言う感じ。

2歳の子が、店内のいろいろな人に、目が合うと手を振るのだ。女子高生たちがかわいいかわいいとキャーキャー騒いでいた。

まあ、よくいる2歳児だ。それが、たまたま僕が帰るときのと、その家族が帰るときが重なり、出口近くで一緒になった。2歳児は、僕の存在を補足すると、すかさず俺の顔を興味深い目で見て、目線をはずさない。まあ、よくあることだが、お母さんに手を引きずられながら、後ろにいる僕から目線を話さない2歳児に、おれは、あっぱれ!と叫んだ。

あっぱれ!君はそんなにも人生が、いまという瞬間が、楽しくてしょうがないんだな、僕などと言うまっかな他人にも、アクションを投げて、リアクションを楽しもうとしているのだ。知らないおじさんと目が合うことが、そんなに面白いかい? 君よ。ありがとう。そして、どうか、その好奇心をなくさないで!

僕は何かをもらったような気分で、マクドを出て、本屋へ向かう。かねてより気になっていた、中村なにがしの小説を買ってみよう。とりあえず、今晩の楽しみは保証されたと思った。