火花は信用できるか

最近、Google Play Musicを試用している。不思議なもので、ふだんそれほど音楽を聴かないのに、なんとなくいつも何かしらの曲を流しておくようになった。仕事中は仕事用BGMを、散歩中は総合ベストヒット!みたいなのをずっと聞いている。ラジオみたいでいい。昔良く聞いた、FM802のようだ。そう、FM802のころに僕は青春を迎えていたのだった。あの画期的な、ヘビーローテーションという言葉をはやらせた、音楽専門ラジオだ。

東京に引っ越してからも東京FMやら、WAVEやらを聞いてみてが、どうしてもおしゃべりが入ってくる。けっこうハイテンションでだらだらしゃべっている。音楽を聴きたい時は音楽ばっかりずっと聴きたいのに。。それをまた叶えてくれたのが、昨今の音楽ストリーミングサービスだが、いかんせん、FM802みたいに無料じゃない。いま思えば音楽専門ラジオけっこう、いいものだった。

 

ネットでRadikoとかで聴けるのだが、なんだかブツブツきれたりして、どうも使い勝手が悪かった。ネットのほうは本気でやってないな、と思えた。

 

まあ、そう重要な話題でもない。

 

又吉の「火花」を読んだよ。

ぼくがドキっとしたことばがある。それは「信用できると思った」という主人公のセリフだ。

神谷パイセンの第一印象がそれであったと思うし、あともう一回くらいどっかで出てきた。ああ、神谷パイセンの彼女の新しい彼氏になった男の印象もそうだった。

この「信用できる」という言葉は、ぼくがどこか頭のおくでずっと気にしてきた言葉だという気がする。

 

たびたびぼくのブログに出てくる吉福伸逸さんの本を読んだときの感想もそうだった気がする。書いてあることは全部は理解できないけど、なんか信用できるな、この人は。そう思えるような言葉が並んでいた気がする。この、信用できる、という感覚を味わいたいがために、彼の本を求めて読んでいたような気がする。

その本を読んでなにかに役立てようだとか、そういう気はなく、ただ、信用できるものがある、という感覚にすがろうとしていた気がする。信用できる人がいる、なのかもしれない。

いやたんに、自分は彼の言葉に納得する、というだけのことかもしれない。べつに教祖のように仰ぎ見る気持ちでもない。ただ、なんか、ほっとする感じかもしれない。

 

でも、火花を読んだとき、又吉も「信用できる」を探して生きているのだろうか、と同類的な親しみを勝手に感じようとした。

探して生きてる、とかおおげさなものじゃなく、ただ、「信じられる」と感じる瞬間のことをなんか大事な瞬間だと思ったことがある、というだけのことかもしれない。

 

とかなんとか、まじめなことを書くことに少し退屈してきていると思った。

でもやっぱり信用できるものに出会うとうれしくなる。それはたいてい、ちょっとあんまり憧れではない姿で現れる。