子どもとはなんだろうか

4歳の姪がたまに遊びにくる。うれしいものだ。かわいい以外の言葉がないが、それも親ではなく叔父さんという気楽な立場だからなのだろうか。まだ、天使の部類を保っている。そろそろ、こしゃくな考えをもつようになってきた感もあるが、まだまだ天使の世界の住人である。

平日の5時頃になると、必ず、電話がかかってきて、パソコン電話をやりたいと言ってくる。お目当ては「ばあば」なのだが、俺がパソコン電話の鍵を握っているのをわかっているようで(俺はセットアップ係)、電話口でこびたようなことを言ってくることがある。「あのね、あのね、ぱしょこんでんわ、したいなーとおもって」

 

この、かわいいだけの存在が、つまらない大人になったりするなんて信じられないのだが、この毎日が楽しくて仕方がないように見える、ノリノリウキウキのまま40歳、50歳、60歳までいってしまうというのもまた想像が難しい。

子どもは大人によくだまされる。だから誘拐されたりする。無防備だ。怖いし困る。でも、4歳の子どもが大人並みの警戒心をそなえ、知らないおじさんに心をまったくゆるさないとしたら、大人たちはずいぶんがっかりすることだろう。無防備であるということでも、子どもは大人を救っている。

最近、ふとした友人から、子どものころ、何になりたかったの?と尋ねられた。それが、ないんだよ、と答えるしかなかった。記憶をたぐっても、大人になったら何かになりたい、と思った記憶がないのだ。とくに何にも憧れなかったし、スポーツも早いうちから自分には向かないとわかっていたように思う。

でも忘れているだけで、どこかに痕跡があるんじゃないかと思いたち、幼いころの想い出アルバム的なものを掘り出してきた。幼稚園時代に書いた絵やなんかが、とってあった。

おそらく5歳。幼稚園のアルバムを見ていたら、衝撃的なことが書いてあった。

つたない字で、「しゃちょうさんになっておかねをいっぱいかせぎたい」と書いてあった。

うそだ!内心叫んでしまったが、まぎれもなく、アルバムにはおれの名前が書いてる。おそらく直筆だ。

予想外とはこのことだった。もっと斜め上的なことだったり、宇宙征服とかなんとか、ばかばかしいことが書いてあるならまだしも、社長になってお金をたくさん稼ぎたい、としっかり書いてあるなんて。

おそらくこれは、俺史上、最古の「夢」だ。あるいみ初夢だ。それが、社長で、お金だとは。。

親に吹きこまれただけなんじゃないか、とも思うが、だが、親がそう書けということも考えにくく、そのときそれが頭に浮かんでしまったのはまぎれもなく俺の主体性の結果なのだ。

お金を使ったこともないくせに。。。なぜ。。。

このことであることがわかる。現在の俺はどうも、社長になってお金をいっぱい稼ぐということが、あまり心良いことじゃないと思っているようだ。どうせなれっこないというコンプレックスの裏返しかもしれない。だが、おれは、5歳のおれが、そう書いたという事実をことのほか重く受け止めている。そむけてはいけない現実のようなものとして受け取ってしまったふしがある。

この一件をもってして、子供時代に何になりたかったかを探ろうとする気持ちは急激にしぼんでしまった。というか、結果は出たのだ。お金持ちになりたかったのだ。

さて、このことを自分の今後の人生に活かせるのだろうか? なんか思ってたのと違う、そういう感触だけがいま、ここにある。

4歳ながらに、意外となんでもわかっていて、しょうもないことではだまされてくれなくなった姪っ子も、「きみは本当は月からきたお姫様なんだよ」と神妙な顔で説得すれば、心の底から信じてくれたりするのだろうか? もうすぐ月に帰らなくてはいけないと聞かされ、みんなと離れるのがさみしいといって泣くだろうか。試してみたいけど、怒られるからやらない。