集団的自衛権で思ったこと

集団的自衛権について、僕の中に不思議な感覚があるのはわかっていた。それは、どっちの気持ちにもなる、という現象だ。

まず、基本的に、ぼくは、集団的自衛権に反対の立場のつもりだ。国を守るには個別的自衛権で十分だし、中東の石油ルートを守ることが、国民の生命と財産を著しく脅かすとは思えないからだ。素人考えだが、中東戦争が起きたら、介入するより、多少高くなってもほかの国から買うほうがいいと思うからだ。経済的も長期で見れば戦争に介入するより安くつく気がする。

しかし、こんなことも考える。もし、中国の戦艦がフィリピンの領土に侵攻して、住民を蹴散らしながら、占領していくようなことがあれば(極端な想定だが)、本来なら国連PKOなどが出るのが一番だが、国連は機能するか怪しいので、それこそ有志連合でフィリピンを守ろう、ということになるだろう。

そのとき、日本は9条があるから何もしませんよ、でいいのだろうか?と思う気持ちは僕の中でも芽生える。

とはいえ、チベットには、アメリカを含め、どこも何もしなかったじゃないか、という気持ちもあるし、そういう「正義」路線な考え方はたぶん、このテーマにはなじまないのだと思う。

だからやっぱり、戦争に巻き込まれる危険があることなどせず、やるとしても経済制裁とか、現場に行くとしても難民の救助とか、そういうところで日本は貢献すればいいじゃないか、という思いもやはり湧いてくる。

これはどういう問題なのだろうか?

 

ある日のことを思い出す。わずか去年の話だが、おれはタイのコワーキングスペースにいて、アメリカ人、ドイツ人としゃべっていた。そのときも旬なニュースだったので、ふと、きみたちはどう思う?日本の集団的自衛権、と聞いてみた。

すると、米、独、両君が、あっさりと、「やればいいじゃない」と言う。やったほうがいいよ、だって中国がああいう動きをしているし、一国で対応するより、多数で対応するほうがずっと効果的だ。と言う。

あ、そうだよね、と思わず言いそうになる自分がいた。おれは沈黙してしまった。自分の中で矛盾が起きたのだ。頭では、そうだね、集団的自衛権、やったほうが効果的だよね、と思っている。どうせ攻めこまれたら戦闘にはなるんだから、それなら、多国籍で対応したほうがいろいろ安心だ。

日米だけならともかく、これから、フィリピンやベトナムや、もしかして台湾やらも、中国に対抗しなくちゃいけないのだとしたら、そして、中国以外は他国の領土に野心がないのだとしたら、常識的な国が連合して、非常識な国に対抗する、という枠組みは、それは作ったほうがいいはずだ。ことアジアに関していえば、日本はむしろリーダーになるべきではないだろうか?(まあアメリカがいるとはいえ)

だが、腹の底のほうで、ぜったいダメ〜!と言う声もひびいてくる。というより、ムカっとしているイライラする腹立ちみたいな感情が湧いてくるのをそのとき感じた。

なんだろう?しばらくわからなかった。が、昨日、わかった気がした。沖縄の基地の問題を考えているときと同じ感情だと気づいたのだ。

 

話は少し飛ぶ。テレビをなにげなく見ていたら、安倍首相が、アメリカの戦争に巻き込まれるということは絶対にありません、と叫んでいる映像が流れた。そうだよね、それが集団的自衛権に反対する人たちが心配していることだよね。でも、なんでそんな心配するんだろう?と思う。言っておくが、僕自身もそれを心配するひとりなのだ。そうなりそうな気がしていやだな、と思う。だが、同時に、なんでそう思う?とも思う。

日本はアメリカのいいなりになるから? そうだろう。そういう疑いがあるからだ。でもなんで?安倍さんはあんなに、そんなことない、と言ってるが。そうか、信用できないんだな。ではなぜか。僕は不勉強だから、本当はちゃんと知らないのだが、一応言ってみると、あれだ、日米地位協定の件が引っかかってるんじゃないか?と思ったのだ。

米兵が日本で犯罪を犯しても、日本の法律で裁けない、というあれだ。沖縄で女性にひどいことをした米兵が、基地に逃げ込み、そのまま本国に送還され、結局は罪を免れたケースがあると聴く。

地位協定はそれだけじゃないけど、まあつまりは、不平等条約、というやつなのだ。

米国と日本の関係は依然としてそういう状態にあるのは確かだろう。地位協定を変えられない日本が、有事の時にアメリカに逆らえるかどうか、やはり、そこはアヤシイと思ってしまう。

だから、順番なんだ、と思った。

集団的自衛権のまえに、地位協定を対等なものに変える。もしかすると、沖縄の基地も、あれは歴史上、米軍に強制摂取されたものだから、(一時でもいいから)撤退させる。そして、住民に土地を返す。それから、あらためて、やはり沖縄に米軍基地があるほうがいいのか、国会、住民投票などで結論を出せばいいのじゃないのか。

(一時でもいいから)と書いたのは、形だけ撤退させるということではなく、フィリピンがそうしたみたいに、マジで撤退させて、やっぱり必要という結論のもとに、改めて、主権国家として、対等な関係のうえで、米軍基地を誘致するということだ。

憲法が押し付けられたものだとしたら、基地だってそうだろう。必要、不必要を問わず、一旦、白紙に戻して、国民が選びなおす、それでいいんじゃないか。もちろん、だから、憲法もそれでかまわないと思う。

とんでもなく面倒なプロセスだ。だから憲法も、基地も、放置されてきたのだろう。でもひとつ思うのは、日本はそういうプロセスを踏んでいくから待っててね、対応してね、と言えば、アメリカは、それはいいことだ、と言いそうだということだ。米国議会はそう反応しそうだ。なにせ民主主義を大切にする議会なのだから。

で、まず何から手を付ければいいのだろうか。。安倍さんのやるべきことは山積みだ。でも、これをやり遂げれば、間違いなく歴史に名を刻むことになるだろう。でもまあ、ほんとに大変だ。

だから、いま、ひょいと、集団的自衛権、是か非か、と問われても、困ってしまうのだ。もっと、ぜんぶ話に入れてから、話して、それから決めればよくない?と思うのだ。

とはいえ、面倒だ。ほんとに面倒だ。というか、いま、やっぱりスッキリ考えられないな、なんでかな、と思っている。情報が足りないのか、考えが足りないのか、状況にリアリティがないだけなのか。

やっぱりまとまらないね。でも、憲法改正国民投票は、生きている間に経験したいな、って思うな。