政治の言葉

安保法制は興味を持って追いかけている。いろんなことを思う。まず安保法制の中身は「つまびらか」には知らないので、まあ、単純に「集団的自衛権」が焦点だと考えよう。だとしても、なんだか反対、賛成、どっちも言えそうな気がするとは前回書いたとおりだ。

 

合憲、違憲もある。こちらは、集団的自衛権が必要か不必要かとはまた違った論点だ。そちらも混じっているからややこしい。違憲だから(今後も絶対)やってはいけない、ということにはならない。必要なことなら、それが合憲となるよう、憲法を改正すればいいのだから。だから、今回の法案を通す、通さないでいえば、合憲か違憲かも焦点となるが、そもそも論に立ち返るなら、やはり、集団的自衛権の行使、それ自体が、今の、あるいは比較的近い将来の日本にとって必要なことなのか、がやはり議論されるべきだろう。(憲法も超重要だが、こうして議論を分けてみる、ということね)

 

いや、今言ったことをすぐひっくり返すようだが、本当に重要なことは、集団的自衛権そのものより、やはり、合憲か違憲か、のほうにあるのかもしれない。つまり、こんなに学者たちがこぞって違憲だと言う法律を、こんなに強引に可決していいのか、という、国会運営に関わる部分だ。現行の国会運営ルールに則っていれば何でも許されるのか、では、与党が3分の2以上の議席を持つ衆議院において、そもそも国会にどんな役割があるというのか、という問いも生まれてくる。与党が勝ち過ぎると、もはや国会は不要、機能しない、ということではないのか。

そういうことでいいのか、という民主主義の運営方法、民主主義への敬意の払い方の問題もあって、もしかしたら今、反対派の人たちが怒っているのはそのことなのかもしれない。僕なんかはそうだ。

 

集団的自衛権自体がどうよりも、そういう進め方でいいのか、という政権への不信頼だ。国会と言う場できちんと議論をする気ないだろ?という感想が、どうしても芽生えてくるのだ。国会中継を見ていると。

だから、集団的自衛権にNO、安保法制にNO、というよりも、安倍政権の国民に対する、あるいは民主主義に対する態度にNO、という気持ちのほうが僕の中では大きいのだと思う。

 

だが、それは、多分に主観的なものなので、難しい。安倍首相の、あるいは閣僚たちの態度は、どうも相手の話にまともに答える気ない感じがするね、国会無視だね、というのは、どちらかというと主観的な感覚のものだろう。もっとも、自分的には客観的にもそうだ、としか感じられない。ただ、うまくそれを論証する自信はないのだ。

 

どうも政治の話は筆が進まない。慣れていないからか。

 

まだ、今日書きたかったことにたどり着いていないのだが。。。

 

じゃあ少し飛んで、国会にはこういう問題もある。それは、表立って言えることと言えないことがあるのではないか、ということだ。世界に発信されてしまうからだ。

たとえば、安保法制なら、具体的に想定している敵国とは中国のことです、と言って、具体的に尖閣諸島に中国がかくかくしかじかのような軍事行動をとったときに、現行法ではかくかくしかじかの問題が問題が生じる。ゆえにこの法案が必要だ。というはっきりと具体的な議論がどうしてもなされない。それは、はっきり言えないからではないのか。

そこを、ある国Aが、ある国Bをとやっていても、どうもピントがずれてるのだ。

もちろん、法案のロジックを説明するなら、A国、B国、という抽象化のほうが正しいだろう。ただ、なぜこの法案が必要か、という前提条件を議論するとき、A国、B国では何もわからない。

前提、すなわち、安倍首相がいうところの、「国際環境の変化」とは、A、B、という抽象的なものではなく、中国、北朝鮮、ロシア、アメリカ、(あるいはアルカイダイスラム国)といった個別具体的もなのであるはずだからだ。

でも、どうだろう。安倍首相がこういう答弁をしたら、どうなるか。東シナ海で中国の軍艦がアメリカの軍艦と軍事衝突したときに、近くにいた自衛隊がじっと見守るわけにはいくまい。また、米中が衝突する可能性は、米国の政府筋および、我が国のインテリジェンスの情報によると、かなり高まっている、2020年までの確率は75%といわれている。とか。

すると野党はこの前提を疑問視するだろうから(またすべきだから)、その情報および分析レポートを開示せよ、というだろう。だが、それは機密事項だから国会で公表するようなものではない、ということになるだろう(じゃない?)

 

というような感じで、肝心なところは国会で議論できないよ、というのが議員全体が共有している暗黙の了解なんじゃないか、などと思うが、どうなのだろう。

また、そうであった場合に、国民の立場として、あらゆることを赤裸々に遡上にあげて議論しなければ、大事な法案など決められるものか、と言えるかというと、自信がなくなる。

やはり、外国に向けて公表できない機密、あるいは、外交上、言わないほうがいいこと、というのはあるはずだ。

だが、そこが隠されていると、もやがかかったように、議論の前提が見えてこない、というのも事実だ。見えないばかりが、前提を共有していない場合は、議論すら始められない。

いまの国会を見ていると、与野党で前提を共有していないのに、前提については公に議論できない、しない、という風に見える。前提とは、まあ、いわゆる「国際環境」をどう見ているのか、ということだ。おもに軍事面だ。

 

と、ここまで苦し紛れに書いてきたが、まだ問題としたかったことの半分が言えたところに過ぎない。でも、いちおうまとめておくと、国会で表立って議論できないことがあるんじゃないの? あるとしたら、どうやってその先の議論を進めればいいの? ということだ。ないとしたら、今の政権の態度はあまりにも国会をバカにしているとは思う。

 

あとひとつ書きたかったことは、似たようなことなのだが、表立って否定できなかった矛盾が積み重なっているが、それをどう処理するのか、という問題だ。

 

もう疲れたので、次回にする。さわりだけいうと、たとえば東京裁判の矛盾、国際連合の矛盾、アメリカの矛盾、核不拡散条約の矛盾などについてだ。いわゆる、小学生でもおかしいとわかる、ことについて、表立っておかしいと言ってこなかった、また、どうやら言えないらしい、そして言えない、ということを国民も容認しているらしい、という問題だ。ややこしいので、また体力のあるときに書く。