台北
台北滞在3日目です。今日帰ります。
昨日はウォーキングツアーに参加してみた。2時間位で街の一角を歩くのだ。ガイドがついて、建物の歴史などを教えてくれる。
博物館、228事件の記念公園、総督府と、昔ながらの市場と、若者の街西門をめぐった。
ここでも、日本の関わりを意識させられる。最初の博物館が、もうすでに日本が植民地時代につくった建物だという。ガイドが、後ろに見えるのが、博物館で、台湾の伝統的な建造物の1つです、と言うと、参加者の西洋人たちから、ノ〜という声があがる。たしかにそれは、どこからどうみても、西洋風の建物だからだろう。ガイドは、でも、これがまちがいなく台湾の旧跡の1つなんだ、と言った。
ガイドは大学生の女の子2人だ。英語が流暢だ。
僕の英語力では半分くらいしか聞き取れないのだが、僕なりに聴きとったところでは、日本の植民地になって、日本人が支配層になって台湾人が非支配層になった歴史は喜ばしいものではないが、日本が台湾を立派に開発してくれてそれが今の台湾の発展につながったのだ、的な受け止め方、つまりは教えられ方をしているようだった。
228事件の記念碑を見て、総督府へ向かう。大きくて立派な建物だ。いまでも大統領が使っているという。これも日本がつくった建物だ。
もしかしたら東京でも、めぼしい古い建物をめぐれば、西洋建築ばかりなのかもしれない。国会議事堂、東京駅など。日本の近代の歴史が、西洋とのかかわりの歴史であるのと同じくらい、台湾の近代の歴史は、日本とのかかわりの歴史なのかもしれない。日本をとおして西洋の文化と技術を吸収したということかもしれない。
古い商店街へ向かう。せまい路地の両側に服屋や靴屋がところせましと立ち並んでいる。ガイドが、日本と似てる?と聞いてきたので、すごく似てると答える。
台湾オリジンの飲み物であるという、寒天入りのレモネードを飲む。すごくおいしい。続いてビール味のアイスクリームを食べる。妙な味だ。ガイドが食べているアイスを味見させてもらったら、すごくおいしい。でも食べたことがない味。釈迦頭(しゃかとう)という果物の味だそうだ。形が釈迦の頭ににている、見慣れない果物だ。
こういうツアーに参加するのは初めてだった。いつも一人旅のときは、街をやみくもに歩きまわるのが好きだからだ。気の向くままに歩いて、気の向くままにカフェに入る。そういうスタイルが好きだった。でも今回は、なんだかガイドブックを開くにも面倒な感じに疲れがたまっていて、なんとなく人恋しかったので、ツアーに申し込んでみた。
最初、参加者があつまったときは、年齢層も高く、みんな押し黙り、なんだか思ったのと違うかも、途中でこっそり消えちゃおうかな?とか思う。笑顔であいさつしても、あいさつを返してくれない人さえいる。俺以外は白人だ。なんかアウエーでいやな感じだ。残念ながらいればテンションを多少高めてくれるであろう妙齢の女性などはいない。みんなどちらかというと暗い顔をしている。なんか、観光の負け組が集まってきてしまったように感じだ。
〜
それから3時間後、ツアーが終わり、10人あまりの参加者のうちの3人とぼくはコーヒーを飲んでいた。仲良くなっていたのだ。そのままご飯を食べに行き、ローカルフードを楽しんだ。結果、参加して本当によかったと思った。
こういうことはよくあるな、と思った。どうやら僕は最初はなんでも悪い未来ばかりを考えてしまうらしい。というか、いちいち考えすぎなのだろう。カナダくんなどは、かつて台北に留学して3年間住んでいたのだという。なんでそんな君がこんなツアーに参加してるんだ?と聞くと、なんだか退屈だったから友だちでもつくろうと思って、と言う。そんなんでいいんだ、と目からうろこが落ちる思いがした。
そして最後はカナダくんと夜市へいく。めちゃくちゃ大きな夜市だ。よくこれだけの規模の夜市が毎晩、毎晩、開けるものだと思う。東京でもこんな規模の夜市は成立するだろうか? 見渡す限り、食べ物、食べ物、熱気と匂いがむんむんで、食べ物の匂いで酔いそうになる。気がつけば10時を回っていた。歩きすぎて足が痛いので、今日はこれで切り上げることにする。おいしいとすすめられた、肉まんみたいなパンを買ったが、満腹すぎてまだ食べられていない。
といろいろ書いてきたが、昨日温泉に行ったことはまだ書いてないことに気付く。台北にいる友だちと合流して北投という温泉に行ってきたのだ。ラジウムがすごいらしく、日本では秋田のどっかの温泉にしかないお湯なのだという。たしかに効能がありまくりっぽい感じのお湯だった。なんかとろみさえありそうなお湯だ。熱すぎて最初はひざまでしか入れない。足を入れてはひっこめ、足を入れてはひっこめをしていると、おじさんがやってきて、そこは熱いですからあちらにいかれるといいですよ、ときれいな日本語で教えてくれた。そんな温泉街が都心から電車で30分なのだ。台北、なかなかの実力だ。
台北は今日も曇っている。曇っているのは空だけじゃに気がする。空気全体がけぶっている。こういう場所なのだろうか。そこはどうも好きになれない。湿度も高すぎる。でも、台北は思ったよりずっと都会にして、ずっとコンパクトだ。全体が下北沢みたいな感じというか、がんばれば歩いて回れるような距離感に都心が収まっていて、すごい密度でカフェやなんかがそこかしこにある。つまり、住みやすそうな街ではあるな、と思った。
台湾6日目
高雄6日目のお昼です。今日はAirbnbで台湾人カップルのアパートに泊まっています。ジャンジャンとアビーです。ジャンジャンはお酒の輸入などをやっていて、自宅のリビングでミニバーを開いていたそうで、もうすぐ古いビルを階層してバーをオープンするとのこと。そして、そこをただのバーじゃなくて、みんなが溜まれる基地みたいな場所にしたいのだとか。フードやカフェもやるんだよ、とのことです。
コワーキングスペースみたいにしてよ、とリクエストすると、そういう場所にもしたいと思ってるとのこと。なかなかおもしろい人に出会えたと思った。
このアパートは、高雄の都心の駅から歩いて5分で、16畳くらいのリビングに、6畳ほどの個室が4つとキッチンがある。ビル自体はかなり古そうで、エレベーターもないんだけど、日当たりもよくて気持ちがいい場所です。
家賃どんくらい?と聞いたら、1カ月で16000元だそうで、5万5千円くらいでしょうか。ビルが古い、家具もないので安いほうなのだそうです。家具付きだと20000元、7万円くらいとのこと。なるほどなるほど。このアパートはひとりで住むには大きいので、借りるなら友人とシェアする感じだね。この半分の広さならいくらになる?ときいたら、だいたい10000元だそうです。3万5千円くらいか。でも、それは高雄だからであって、台北だとこの3倍はするのだとか。東京の郊外とかわらない値段かな。
しかし、高雄の人は台北が好きじゃないらしく、みんな文句を言ってるw 僕はまだ台北にいっていないので、イエスともノーとも答えないけど、まあ、東京みたいに人がセカセカしているらしいことはわかった。あと雨が多いってね。
高雄滞在中、まだ一度も雨が降ってない。昼間は青空が広がり、太陽がじりじりと照って、日本の真夏という感じ。暑いな〜何度ある?と調べると、27度しかない。あれ?おかなしいな、と思うが、体感温度という項目は34度となっていた。湿度が高いから暑く感じるのだろうか。まだ少し肌寒かった日本から来て急激な気温変化のせいか、3日目くらいから夏バテのような感じになって、基本、ぐったりしています。
あと、いろいろ食べたいのに胃があんまり消化してくれなくて、悲しいです。
台湾のことどう思う?ってさっきジャンジャンに聞かれた。うーん、と答えに詰まる。いいと思う、好きだよ、とは言ったものの、どこが好き?と言われて、うーんとなる。
まあ人はフレンドリーだけど、フレンドリー過ぎないというか、タイのように街行く人たちが人懐っこいわけじゃない。しゃばりかけるとスマイルしてくれるのだが、そうじゃないとただじっと見られたりするだけだ。もっとも、頻繁に中国語で話しかけられるので、旅行者、あるいは日本人だと思われていないフシはあるので、なんとも言えない。
食べ物も、おいしい店にいけばおいしいが、基本、中華の感じなので、びっくり!感動!ということもそれほどない。ああ、こういう感じね、おいしいね!って感じ。
でも逆に言えば、日本語は通じないけど、なんだか親しい人、みたいな感じをすぐに覚える気はする。違和感が少ないというか、外国にいることを忘れそうになる瞬間がある。とくに、案内してくれている台湾人の友人は日本語ができるので、そうなると、相手が台湾人であることすら忘れそうになる。
あと、漢字のパワーも感じる。街の看板やお店のメニューなど、思ったりずっと判読できる。漢字を見て意味を類推すると、けっこう当たってる。日本と漢字の意味がかなり同じだという印象。漢字が日本にやってきて時間がたつけど、あんまり意味が変わってないようだ。そういうこともあって、しゃべり言葉はまったく意味がわからない難点をのぞけば、けっこうスムーズに生活できてしまっている。
あと、高雄は、あるいは台湾は、本当に日本と縁が深いんだ、ということがわかってきた。そのことを高雄の人はみんな知っている。日本人はあんまり知らないんじゃないかな。高雄の歴史に日本というものが、がっちりと介入している。ぬきがたく。
前のブログで、旧市街にいったら、おばあちゃんの家を思い出したという話を書いた。その話をジャンジャンにしたら、それはそうだよ、あの地区は日本がつくったんだから、と教えてくれた。高雄に近代的な街をつくったのは日本なのだ。日本風の都市計画を持ち込んだ。だから、懐かしかったのだ。
だから、高雄で僕が戸惑っていたのは、外国にきた興奮というよりは、不思議な懐かしさに遭遇するからで、それはそういう歴史のわけなのだ。
そして、228事件という言葉を何度か耳にする。高雄の人の大事な歴史のキオクみたいだ。悲惨な記憶としてだけど。もう少し勉強してから来るべきだったと思った。台湾映画を2−3観るくらいはしておけばよかった、と思ってあわててネットをあさったけど、ていよく日本語字幕で見れる映画は見つからなかった。
台湾にて
3日前から台湾に来ている。
高雄は熱い。昼間の気温は27度くらいなのだが、急な温度差にやられたのか、歩きまわりすぎたのか、体が熱くてへとへとになっている。
友だちと、どういう人がタイプかというヨタ話をしていたら、
ビビアンスーが好きだったのを思い出した。台湾出身だ。
高雄の街は、とくに旧市街や住宅街は、タウンハウスという3階建てくらいの小さなコンクリートのビルが一軒の家になっている。それが、ずっとならんでいて、ときどき、一階が商店になっているのがずっと並んでいるところもある。アジアでは珍しくない風景で、これが中華圏の文化なんだろうな、と思っていたら、なんだか不思議な気持ちになっているのに気づいた。なんだろうな、と考えていた。
あ、そうか。懐かしさだ。とわかる。おばあちゃんの家に似ている。おばあちゃんの家は呉服屋で、商店街のなかにあった。ちょうど一階がお店になっていて、間口が狭くて奥に広い。2階は住居スペースだ。
高雄の旧市街には、おばあちゃんの呉服屋みたいなちょっとレトロで独特の空気の服屋や帽子屋なんかが並んでいて、おばちゃんたちが暇そうにしていて、なんだか、まじで懐かしいぞ、と思う。
僕が海の近くのカフェに行きたいとリクエストして、友だちがネットで探してくれた。そのカフェがこの旧市街にあるんだけど、はりきって行ってみたら、なんともいえないレトロなザ・喫茶店みたいな店が鎮座していた。僕たちは入り口で立ち尽くしてしまった。愛想笑いをしながら、一歩踏み入れてしまった店からおずおずと出てきた。友だちが、こういうのをなんというか知ってるよ、えっと、ショウワなお店、でしょ?と言ってきた。あまりに的を得ていたのでびっくりするやら、おかしいやらだった。
人気のある朝食屋さんに連れていってもらった。
小さめの肉まんといった感じの小籠包と、ホットドッグのパンみたいややつにオムレツと何かをあげたパリパリするものをはさんだものが人気だそうだ。おいしかった。とくに小籠包は絶品だった。10時位にいっても混んでたが、朝は行列なのだそうだ。高雄に来てから、「あれ、思ったよりあさっりしている」と何度も口走った気がする。何をたべても、想像より少しやさしい味なのだ。スタバのカフェラテ以外は。。そうそう、朝食には豆乳も欠かせないらしく、みんな飲んでいた。これもうまかった。
さっき、突然サイレンが鳴って、何事かと思ったら、防空演習だという。30分ほど外出禁止なのだという。ちょうど出かけようとしていたので困っていたら、宿のオーナーが、君は外国人だから知らなかったと言えばいい。警察がいないところを選んで行き給え、と言う。なので、おそるおそる駅まで歩いていくことに。誰も歩いてないし、車も走っていない。ところどころに警察がいる。裏道を通って歩く。が、ついに警察官に止められる。こっちへ来いと言われて、ここで待ちなさい、的なジェスチャーで指示される。あたりには、道を歩いて止められたっぽい人たちが数人たむろしていたので、一緒に待つことに。やっぱり、日本とは違う緊張感があるんだね。
今泊まっているゲストハウスは、実はイリーガルなんだ、とオーナーが言う。というか、台湾のゲストハウスはほとんどがイリーガルなのだという。営業許可をもらうための基準が、大型ホテルと同じものが要求されるらしく、小さなホテルやゲストハウスはクリアできないのだという。いま、そういう宿のオーナーが集まって、規制緩和を訴えていこうとしているとのこと。ここの宿の自慢は玄関のロックだ。日本製のロックだそうだ。なんでも、プッシュ式の番号鍵なのだが、電気がいらない機械式なのだそうで、どうやら珍しい逸品らしい。日本中のゲストハウスをまわっているときに見つけたのだという。こだわりのロックだ。たしかに、電気がなくても使えるようだ。だが、ロックのせいなのか、ドアのたてつけのせいなのか、ロックを開けるのは簡単だが、ロックを締めるのに、僕の場合平均で5回は失敗する。そこが難点だ。
橋本治がいいね、
春なんで褒めるシリーズ。橋本治がいいねだ。
いま、橋本治の本をよく読んでいる。いろいろ。最初に手にとったのは「蝶のゆくえ」だった。高橋源一郎がお勧めしていたので読んでみた。
しんどかった。読後感がせつないのだ。あー。これは物語なのだ、フィクションなのだ、と言い聞かせることができないくらり、ああ、きっと本当にこんなふうなんだろうな、と思わせるものがあった。軽々しく泣かせてくれない小説だった。
虐待されて死んじゃう男の子の話なんだけどね。虐待される子も、する大人も、みんなかわいそうになる物語だった。そしてそこはかとない怒りが湧いてくる。そう、この怒りは馴染みのあるものだ。日々うっすらと感じている、社会へのやるせなさ、みたいな感じかな。そーいうのがあったね。
それから、いろんな本を読んで、いま読んでるのは「二十世紀」という本なんだけど、面白くて、なかには読み通せなかったものもあるけど、なんかこの人の本は、一気に読めてしまうものがあって、リズムがよいのと、うんうん、そうそう、そうなのよ、みたいに共感を乗せていってくれるところがあって好きなんです。
ということで、どうやら橋本先生も「信じられる」に入れちゃおうかなーって思ってるところです。
しかし、この信じられるってなんなんだろうね、前も又吉の本のときに書いたけどさ。まあ、都合よく考えれば、自分が思っていることが正しい気にさせてくれる、みたいなことなんだろうけどさ。でも、うんうん、わかるわかる、とうなずきながら読んだあとで、まあ、でも、きれいごとだね、これは。と急に冷めてしまう人の本もあるんだよね。一方、この人はなんてまあ頭がいいんだろう、と感心して読むんだけど、どっかそこはかとなく、騙されちゃだめだ、ってごくごく小さな声がささやくこともある。内田樹とか、宮台真司かなーたとえば。どちらもどちらかというと好きな作家なので、悪くいうつもりはないんだけど、なんかひっかかるなあ、って感じがあったりする。
というか、別に比較して論じたいわけじゃないから、いいや。
そうじゃなくて、なんというか、ああよかった、君がいてくれて助かったよ、という素直な気持ちにさせてくれるのが、僕にとっての「信じられる」作家で、そういう人の本に出会うと、ああ、よかった、これで少し生きられる(おおげさ)と思うわけだ。
これってやっぱり、どこか勝手な解釈で、自分が肯定された気分になるからなんだろうけど、でも、それでいいじゃんというか、そういうものだってそんなにホイホイと見つかるもんじゃないよということなのだ。
たぶん、橋本治本人に会えば、いじわるなこといっぱいいわれると思う。あんたなんか、ごまかしばっかじゃない、って。でも、そういう形の肯定だってあるわけで、というか、僕のことをどう思うかなんてことではなく、橋本さん本人がどう生きて、なにを感じてきたのか、というところで、ああ、よかった、となるわけだと思う。ご苦労されているのか、されていないのか、ふわふわと掴みどころがなさそうな人なんだけど、とにかく、橋本さんをネタにたくさんのことが書けそうだという気持ちにさせる。ふふふというおかしみを感じる。それが大事なことなんだね。
ほうれん草はすごいと思った。
昨年の10月、いや11月になろうとかというころだろうか。父が急逝して少しして、母が庭の畑にほうれんそうの種を植えた。すぐに芽が出てきた。そしてゆっくりと3センチくらいまで育った。だが、そこで成長が止まってしまった。まてどくらせど、それ以上大きくならない。気がつけば冬になっていた。雪も降った。たまに思い出して見に行くと、一列に行儀よくならんだほうれん草は、元気をなくし、葉が黄色くなりかかっているものさえあった。このまま枯れてしまうのだろうか。植えるタイミングを間違えたのだろうか。母に尋ねると、いつもそうだよ、的な答えが返ってきたが、到底納得できるものではかった。
そして、あれ、気が付くと春が来ていた。同じ頃に植えたチューリップがぐいぐい芽を出し、成長して、ついには赤い花を咲かせていた。僕は、ほうれん草はどうかな、と見に行ってみた。あ。少し大きくなっている。ほうれん草は成長を再開させていたのだ。生きていたんだ。冬の間は、おそらく成長するだけの太陽エネルギーが得られないか、気温が低すぎるだからで、ぎりぎり死なな無い程度の生命活動を維持しいて、春が来たとみるや、一気に巻き返しにきたのだ。すごいと思った。よく耐え、そしてタイミングを逃さない。何事もなかったかのように、ほうれん草は育つのだろう。人工知能のロボットってこんな感じ?と一瞬思ってしまう。でも、よくプログラミングされている、としか言えないような感じを持ったのだ。種に入ってた装置すげえな、みたいな。
あんなに待ち焦がれた春なのに、本番が来てみると、なんかつらい。まず花粉症がつらい。が、それだけでなく、あんなに待ち焦がれた春が来てみると、自分は何を待ち焦がれていたのか、つきつけられるような気持ちになる。さあ、春がきたぞ、やってみろ、ほら、待ってたんだろ、と言われているような、うかうかしてると春が過ぎさるという焦りもあって、春が好きなのに、つらい、そんな矛盾の中にいま、いる。もうすぐ四月。 モスバーガーでマスクをしながら。なのだった。
いまさらながらMFクラウド確定申告を褒めよう
そういえば、今年の確定申告はあっといまに終わって、もう還付金が戻ってきていた。なんとあっけないことか。これでも65万円控除の青色申告のほうだぞ。
およそ3年まえ、白色申告で数週間、うんうんうなっていたのが隔世の感がある。でも、それは、金の力を借りたせいだとも言える。さすがに税理士じゃない。クラウドサービスだ。MFクラウド確定申告だ。
月に800円、つまり年に9600円払っているが、その価値はあったと思う。だって簡単だったから。すっきりと設計されたそのシステムもさることながら、なんといってもサポートが抜群だった。このサポートが受けられるなら月800円も安いものだ。チャットで質問するのだが、いつでもすぐに、「ご質問ありがとうございます」とやってきて、僕の要領を得ないだろう質問にキビキビと答えてくれる。だいたい、5分で解決する。
さすがに税務そのものに関する質問は税務署に聞けと言われてしまうのだが、こういう場合はどう入力すればいいの、〇〇っていう項目はどういう意味、などの質問は、僕がわかるまで丁寧に答えてくれる。
わざわざこんなに持ちあげるのは、昨年、競合のfリーなるサービスで嫌な思いをしたからかもしれない。多忙を極める確定申告シーズンだったからかもしれないが、ほとんど侮辱に近いサポート対応を受けたのだ。あれ、そのとき書いたかな? でも、まあ、たまたまかもしれない。たまたま不機嫌なバイトくんに当たってしまったのかもしれない。でも、お金を払っていたのだ。いろいろ比較検討し、特集記事などをふむふむと読んで、よし、これはよさそうだ、これに決めた!と決めたわずか3日後に、かようのしうちを受ければ、グチのひとつも垂らしたくなるのが人の常である。あまりに腹がたったので、即効で解約するとともに、自分にしては珍しく、できればお金を返してほしい、と書いてしまった。もちろん、お金は返ってこなかった。コピペの謝罪文がさらっと送られてきただけだった。
まあいい。花粉症で平熱なのに微熱があるみたいな日が続いているからといって、悪口ばかりを吐いてはいけない。だから、褒めようと思って書きだしたはずだったのだ。そう、MFクラウド確定申告は、その点いいぜ、と言いたかったのだ。
サポートのよさは、ある程度何度かサポートを受けてみないとわからないからね。だから僕が確定申告のためにクラウドサービスを使ってみようかな、という人たちのために、いま書いているんだ。MFクラウド確定申告がいいと思うぜ!ってね。
春なんでテンション高めで書いた。
楽天主義者の未来予測
ぼくは本当はそんなにデジタルな人間ではない。
なんとなく、社会人になって依頼、IT業界をうろうろとしてきたが、プログラマーでもないし、iPhoneだっていまだに4を使っているという遅さだ。いまどき、遅れてる奴でも5Sくらいもっている。つまり、最新技術にあんまり興味ないんだろう。使えるものは使えなくなるまで使う、みたいな人間なのだ。
それはTシャツなんかにも適用されて、よく友人などから服装がだらしないと注意されるのだが、ふつうにみんなと同じTシャツにGパン履いてるだけなのに心外だと思っていたが、あるとき、鏡をまじまじと見たら、わかった。Tシャツの首のところがゆるゆるで、ダラーンとしていた。すそも波打っている。よくみればプリントの色もすっかりはげていた。
Tシャツは徐々にくだびれたから、気付かなかったのだ。まだ着れる、どこも破れてないと思っているうちに、周囲からみたら、ボロボロの服をきている妙な奴ということになっているのだ。新しい服が欲しいという欲もあんまりないのだ。
という話がしたいんじゃない。
なんか、TVで最近明石家さんまを見るとイラっとするようになって、なんだろうと思っていたら、さんまがちょいちょい、自分は芸能界の成功者だ、というアピールをしていることに気づいた。それだけのがんばりはしたんだ、ということも匂わせる。
いや、おれはさんまはどちらかというと好きだ。でも、生き馬の目を抜く芸能界で必死にがんばった、そして今の俺があんねん、的なのが、なんかイラっとする。
それは、第一に、ちくしょう、うらやましい、それだけだろう。でも、第二は、なんだよ、芸人つーのは、世間とちがう価値観で生きてて、その存在で人をいっときなごませる種類の人間じゃないのかよ? というか、そうだったらいいのに、と思ってしまうのだ。
いまテレビに出ている芸人だちは、みんながんばりすぎてる気がする。まじめというか、つまりはテレビに出れるんだから成功者なんだ。異端者というよりは。
お笑いの技術はあるかもしれないが、お前みたいな奴が生きてるってことが救いだよ、思えるような存在様式ではない。芸能という社会の階段を一歩一歩登っていく普通のがんばりやさんなのだ。
いや、べつにそれは何も悪く無い。いいたいのは、業界の構造のことなのかもしれない。明石家さんまは、業界のなかの数少ない金の椅子を獲得した成功者ではあっても、業界のパイを広げた人ではない、というか、テレビの世界のパイはまるで広がってないということだ。言いたいのは。テレビで活躍デキる人の数は決まっていて、そこのレギューラーメンバーに入ることをみんなが目指していて、ひとたびそれを手に入れたら、そこからこぼれ落ちまいと必死にがんばる。ああ、これでは世間そのものではないか、、という嘆きだと思っていただければいい。
そんなのそうなってんだからそうなってんだよ。という声が自分の中にもあるが、やはり笑いの世界も競争なんだね、というどこかさみしい気持ちが湧くのも事実なのだ。こんなに腹を抱えて笑わせてくれてはいるが、その裏には血もにじむような。。みたいな。
まあ、芸能界批判をしたいんじゃないんであって、ちょうどさっき『楽天主義者の未来予測』という本を読んでいて、そこには、世界は潤沢に向かっており、世界中の人が豊かに暮らせる未来がやってくるのだ的なことが書かれていたからかもしれない。
テクノロジーのおかげで、世界の食糧問題や水問題、エネルギー問題、環境問題などは解決するだろうという方向で未来が描かれている。
IT業界でよく皮肉な話として自嘲的に言われるのが、ITのおかげで仕事はとても効率化されたのに、(ワープロがない時代の書類作成を考えるだけで。。Eメールがない時代の会社間のやりとりを考えるだけ。。。)、働く人はちっとも楽になってない、労働時間も減ってない、むしろ増えている、という議論だ。
自分だけがITで効率化されたとしたら、おそらく、楽になったのだろう。みんなが8時間働いてやっていることをIT使って4時間でやっちゃう。あとの4時間は余暇だ。同じ成果を上げているんだからもらえる報酬は同じだ。となるはずが、そういう時期もいっときあったかもしれないが、気がつけばみんなITを使いはじめて、社会全体のスピードがあがってしまった。おいしくなくなってしまったのだ。もちろん、ITを使いこなせない人たちは脱落していったのかもしれないが、それでは意味がないだろう。万人が楽になるはずのIT革命ではなかったのか。
たしかにむかし苦労してやっていたことが、楽にできるようになったという意味では万人に恩恵が与えられたのだ。数字が変わる度に電卓でパチパチ計算していたものが、エクセルに入力すれば何度でも瞬時に計算してくれる。とか。
これはなんかおかしいな、と思ってしまうよね。
産業革命はよかったのかもしれない。それは基本的なサバイバルのレベルで人類に貢献したのだから。機械化のおかげで、食料生産がどれほど楽になったか。治水がどれほど楽になったか。衣類も安価に手に入る。いわゆる衣食住が、明らかに万人が(アフリカとかこれからの地域は別かもしれないが)生きる、生き延びることが楽になったと思われる。平均寿命の伸びがそれを証明しているとも言える。
だが、IT革命はこれ、ほんとに人の生活を楽にしたのか?と思う。なんか、古いNHKニュースとかみてると、昔のサラリーマンとか、会社来てから悠然とお茶飲みながら新聞読んだりしてるけど、一体どんな会社?ってこともあった。みんな5時に帰ってたらしい、とか。それで今と同じくらいの「満足度」の生活を維持できた、んじゃないかな。
つまり、人工知能でどうなる?という。よく、人工知能の発達でこういう職業がなくなる、だの、失業者がこんだけ増える、だのという予測を耳する。それは本当にそういう予測ができるんだろうけど、じゃあなんでわざわざそんな未来に向かうんだということでもある。テクノロジーは万人を楽にするために発達してきたんじゃないのか?という。人工知能+ロボットで、人間の仕事が代替されました。じゃあ、人間は遊んでくらせばいいじゃないか。なんで失業を心配しなくちゃいけないのか。働かなくても暮らせる社会がやっと実現するんじゃないのか?
というのは、口にするのも恥ずかしい馬鹿みたいな疑問なんだけど、なんかはっきりとした回答を聞いてない気がする。僕自身、考えても、うまく考えが進まないというか、どっちにも考えられる気がする。人間にとって遊んでくらせる世界は楽園ではないという気もする。人間には、なにか意味のあること、人の役に立つことをしていたいという本能みたいなものがある気がするからだ。だからといって、せっかくがんばってロボットつくったら失業者たくさんでました、さあ問題です、ってのもバカバカしい社会運営だという気がする。でも、いわゆる自由主義的資本主義ってそういうもんでしょ、という気もするし、別に昔から人間社会なんてずっとそんなもんだよ、という気もする。
3年くらい前に、アジアに出て住んでみたとき、僕の頭にあったひとつの疑問は、日本はこんなに豊かになったのに、自分を含め人びとに豊か感がない、余裕感がないのはなんなんだろう、というものだった。外国から日本を見ればなにかわかるかな?と思った。だが、インドネシアとタイに行ったのが間違いだったのか、いまいちわからなかった。両国ともこれから経済発展する国で、活気があり、逆にいえば、日本が来た道を遅れてたどってきてるだけにも見えた。高度成長というやつだ。だとしたら、そこにあの疑問の回答などないのは当たり前なのだ。いままさに物質的に豊かになるのを楽しみ、盛り上がっている最中なんだから。
だから本当は日本より先を行っているヨーロッパ行かないとだめだったなーって思ってるけど、どうなんだろうね。
とりえあず、『楽天主義者の未来予測』の上巻しかまだ読んでないから、下巻に回答なりヒントなりがあることを祈る。
幻想なのかあるいは調子がいいのか
生きていると、すべてが段取り通りだと感じることがまれにある。
あるよね?
たとえば、お目当てのカフェに行こうとしたら、閉まっていて、仕方がないから近くの古ぼけた喫茶店に入ったら、そこでたまたま同級生に会って、そのつてて、さらに昔の親友に会うことになって、小学生時代からのわだかまりがひとつ解けることなって…とか。適当に書いたけど。
こんなにわかりやすいものじゃなくても、何か当初の予定が狂ったかに見えたが、あとから考えたら、そのことで正しい方向に進むことができた、みたいな。
そういうことって、そのときは、どこかスピリチュアル的な運命のような、神の導きのような感じがするけど、ただ、なんでも前向きに受け止められるほど精神の調子がよいだけなのかもしれない。し、裏を返せば、人生にどっちに転んでも受け取り方次第、ということだけなのかもしれない。
まあいいとして。
今日、なんとなく遠くのカフェまで歩いていって、そこで仕事をしようと考え、午前中のワンセッションを終えた僕は、Ingressを片手に家を出た。
途中、というか歩き出す当初から、そういえば、こっちへ歩いていくならほかの曜日にすればよかった、なぜならば今日は、前から行ってみたかったカフェの定休日であることを知っているからなのだが、でも、まあ、今日はそっち方面となんとなく決めちゃったから、歩いていれば別のカフェが見つかるだろうと、楽観的に歩みを勧めた。
Ingressをしながら1時間ほど歩いて、そろそろカフェを探そうということで、周囲を歩きまわるが、めぼしいお店が見つからない。ない。不毛地帯だ。
足も疲れてきたので、そうだ、ひと駅戻るけど前に行って、そこそこ落ち着けた喫茶店に行こうということで、そっちへ向かう。
が、本日は閉店なり。あらら。ということで、即座に、じゃあもう少し戻ってもう駅前のミスタードーナツでいいや、いまいち落ち着かんけど、ということで向かう。
結構混んでて、なんとなく座った席はトイレの横で、ばたんばたんとうるさいうえに、3人にひとりの割合で、トイレを開けっ放しにしていく。女子トイレなのに。
2時間くらい仕事しようと思ったが、1時間もせずにたいさんすることに。
なんだかついてないや。
こんな日でも、すべては段取り通り、だったのだろうか?
それとも、ただ、運が悪かった、あるいは間が悪かったのだろうか?
では失敗だろうか?
どう考えても、得られなかったものに対する見返りなどなかった気がする。
ただ、ひたすらがっかりしただけだ。
では失敗?
今日は失敗DAY?
じゃあ、こういうことじゃない?失敗したということは、チャレンジしたということじゃない? しょうもないけど。ただ、行き当たりばったりで遠出してきただけだけど。
これも自宅にこもっていたら起きなかったアクシデントじゃない?
と、ここまで考えて気持ちが一瞬あがりかけたが、話のあまりのスケールのちいささに気づいて、いっきにしぼんだ。
北風がぴゅーっと吹いてきた。でもね、と思う。俺は北西の1KM くらい先にそびえたつ、2棟のマンションを見つめている。
僕がこの土地に引っ越したときから、あの2つの巨塔は立っていた。周囲に高いビルがひとつもないから、ニョキっと突き出て、要塞かなにかのよう。
あれはなんだろう?と駅に向かう途中、駅から帰る途中、何度となく見上げてきた。たぶん、数百回はこころに印象を刹那焼き付けてきた。でも、それがなんであるかは30年、知らなかった。
だが僕は。もう知っているんだ。先週、Ingressをしていたら、たどり着いていた。あの塔に。ふたごのようにそびえたつ、あの茶色の要塞に。そこは、ライオンズマンションだった。
家から徒歩でこれる距離なのに、一度も近付いたことがなかった。なにも用事がないからだが、それがライオンズマンションだと確認したとき、かすかな感動がやってきていた。
そうか、ライオンズ、マンションだったのか。
それからというもの、あの建造物を見上げるたびに、「俺はあそこに行ったことがある」と、誇らしい気持ちがこみ上げる。俺はあそこに、行ったんだ。
30年たった。ライオンズマンションを見つづけてきた。
僕の記憶のなかには、ライオンズマンションを見た時の気持ち、というものが、シリーズになって保存されている気がする。それはたいてい、おなじトーンだ。少しさびしく、心もとなく、少しだけ開放的な、そんな気分だ。
あれはなんだろう? いつもそう思っていた。今思えば、どっからみても普通の構想マンション以外の何もでもないのだが、なぜか僕は、30年間、あれはなんだろう、という気持ちであれを見てきた。なぜだったのだろう。それはおそらく、周囲からあまりに突出していて、巨大なアート作品か、かつての繁栄のなごりを残す廃墟か、それとも幽霊みたいな蜃気楼なのか、そういうふうに僕は印象しつづけてきたように思う。
さみしい。いつもさみしい気持ちで見ていた。明らかに僕の中でなにかを象徴している、そんなライオンズマンションなのだ。
はるか遠くに給水塔をみたときの気持ちにも似て。