幻想なのかあるいは調子がいいのか

生きていると、すべてが段取り通りだと感じることがまれにある。

あるよね?

たとえば、お目当てのカフェに行こうとしたら、閉まっていて、仕方がないから近くの古ぼけた喫茶店に入ったら、そこでたまたま同級生に会って、そのつてて、さらに昔の親友に会うことになって、小学生時代からのわだかまりがひとつ解けることなって…とか。適当に書いたけど。

こんなにわかりやすいものじゃなくても、何か当初の予定が狂ったかに見えたが、あとから考えたら、そのことで正しい方向に進むことができた、みたいな。

そういうことって、そのときは、どこかスピリチュアル的な運命のような、神の導きのような感じがするけど、ただ、なんでも前向きに受け止められるほど精神の調子がよいだけなのかもしれない。し、裏を返せば、人生にどっちに転んでも受け取り方次第、ということだけなのかもしれない。

 

まあいいとして。

今日、なんとなく遠くのカフェまで歩いていって、そこで仕事をしようと考え、午前中のワンセッションを終えた僕は、Ingressを片手に家を出た。

途中、というか歩き出す当初から、そういえば、こっちへ歩いていくならほかの曜日にすればよかった、なぜならば今日は、前から行ってみたかったカフェの定休日であることを知っているからなのだが、でも、まあ、今日はそっち方面となんとなく決めちゃったから、歩いていれば別のカフェが見つかるだろうと、楽観的に歩みを勧めた。

Ingressをしながら1時間ほど歩いて、そろそろカフェを探そうということで、周囲を歩きまわるが、めぼしいお店が見つからない。ない。不毛地帯だ。

足も疲れてきたので、そうだ、ひと駅戻るけど前に行って、そこそこ落ち着けた喫茶店に行こうということで、そっちへ向かう。

が、本日は閉店なり。あらら。ということで、即座に、じゃあもう少し戻ってもう駅前のミスタードーナツでいいや、いまいち落ち着かんけど、ということで向かう。

結構混んでて、なんとなく座った席はトイレの横で、ばたんばたんとうるさいうえに、3人にひとりの割合で、トイレを開けっ放しにしていく。女子トイレなのに。

2時間くらい仕事しようと思ったが、1時間もせずにたいさんすることに。

なんだかついてないや。

こんな日でも、すべては段取り通り、だったのだろうか?

それとも、ただ、運が悪かった、あるいは間が悪かったのだろうか?

では失敗だろうか?

どう考えても、得られなかったものに対する見返りなどなかった気がする。

ただ、ひたすらがっかりしただけだ。

では失敗?

今日は失敗DAY?

じゃあ、こういうことじゃない?失敗したということは、チャレンジしたということじゃない? しょうもないけど。ただ、行き当たりばったりで遠出してきただけだけど。

これも自宅にこもっていたら起きなかったアクシデントじゃない?

と、ここまで考えて気持ちが一瞬あがりかけたが、話のあまりのスケールのちいささに気づいて、いっきにしぼんだ。

北風がぴゅーっと吹いてきた。でもね、と思う。俺は北西の1KM くらい先にそびえたつ、2棟のマンションを見つめている。

僕がこの土地に引っ越したときから、あの2つの巨塔は立っていた。周囲に高いビルがひとつもないから、ニョキっと突き出て、要塞かなにかのよう。

あれはなんだろう?と駅に向かう途中、駅から帰る途中、何度となく見上げてきた。たぶん、数百回はこころに印象を刹那焼き付けてきた。でも、それがなんであるかは30年、知らなかった。

だが僕は。もう知っているんだ。先週、Ingressをしていたら、たどり着いていた。あの塔に。ふたごのようにそびえたつ、あの茶色の要塞に。そこは、ライオンズマンションだった。

家から徒歩でこれる距離なのに、一度も近付いたことがなかった。なにも用事がないからだが、それがライオンズマンションだと確認したとき、かすかな感動がやってきていた。

そうか、ライオンズ、マンションだったのか。

それからというもの、あの建造物を見上げるたびに、「俺はあそこに行ったことがある」と、誇らしい気持ちがこみ上げる。俺はあそこに、行ったんだ。

 

30年たった。ライオンズマンションを見つづけてきた。

僕の記憶のなかには、ライオンズマンションを見た時の気持ち、というものが、シリーズになって保存されている気がする。それはたいてい、おなじトーンだ。少しさびしく、心もとなく、少しだけ開放的な、そんな気分だ。

あれはなんだろう? いつもそう思っていた。今思えば、どっからみても普通の構想マンション以外の何もでもないのだが、なぜか僕は、30年間、あれはなんだろう、という気持ちであれを見てきた。なぜだったのだろう。それはおそらく、周囲からあまりに突出していて、巨大なアート作品か、かつての繁栄のなごりを残す廃墟か、それとも幽霊みたいな蜃気楼なのか、そういうふうに僕は印象しつづけてきたように思う。

さみしい。いつもさみしい気持ちで見ていた。明らかに僕の中でなにかを象徴している、そんなライオンズマンションなのだ。

はるか遠くに給水塔をみたときの気持ちにも似て。