INGRESSを始めた、面白いやら、がっかりやら

前回、歩くことについて書いたからだろうか。INGRESSというゲームをいませっせとやっている。GoogleがつくっているGPSを利用した陣取りゲームだ。

 

なんとなく存在は知っていたが、ゲームはほとんどしないので、スルーしていた。でも、なんとなく気になってインストールしてみた。このゲームを始めてすごく歩くようになったという報告かなんかを見たからだと思う。

最初の3日くらいは何のことだかわからなかったが、コツがつかめてくると、次のポータルへ行かざるをえなくなって、結果、よく歩くようになった。

不思議なもので、それまでは、近くの書店まで往復3キロの道のりがけっこうな遠出で、出かけるのに気合が必要だったものが、最近では、その書店からさらにどこへ行こうか、的な発想に変わってきている。つまり、たくさん歩くようになった。

それまでは、一日30分以上歩くといい、とテレビでやっているのを親が見て、あんたは運動不足だから歩きなさい、30分歩きなさい、と言われていながら、いざ歩いてみると30分ってけっこう長い、よく歩いたと思ってもまだ15分、みたいな感じだったのが、昨今では、といってもまだ一週間程度だが、おっときづいたら90分、みたいな感じになっている。

まさか歩く時間が長すぎるのを気にするときが来るとは思っていなかった。あんまり長く歩くと仕事にさしつかえる、という気持ちが湧いている自分に驚く。

あれだけ歩くのに苦労していたのに。

とはいえ、飽きっぽい僕のことだから、一ヶ月も続くのか怪しいものではあるが、歩くことが義務から権利に変わったような斬新さがあった。

つまりは、INGRESSは面白いということなのだ。

そして、なーんだ、とがっかりする気持ちも湧いている。

自分に、である。

運動して健康になるんだ、という固い意志は5日と続かないのに、ゲームとなると、あっという間に10日はつづく。なんだよ、意志弱いくせに、ゲームには簡単にハメられて。。

だけど、あれ、デジャブ、とも思う。

そう、サーフィンを始めた時に思ったこと。

サーフィンをやるまで、海に入るのが嫌いだった。

べたべたするし、なにより、波に酔うのだ。海水浴にいってちょっと深いところで遊んでいると、1時間もしないうちに気分が悪くなる。

もう寝ていたい、となる。そもそも、泳ぐこと自体も好きじゃない。

ということで、大人になってから海水浴など行かなくなって久しい。

ところが、サーフィンという遊びを覚えたら、海が好きでたまらなくなった。

海があると入りたくてたまらない。もちろんサーフボードを持って。

今は(海が遠くて)やらなくなってしまったのだが、やっているときは、海を見ただけでよだれが出るような気持ちだった。あのスリルと快感を早く味わいてー。

 

おわかりいただけると思う。そういうことは人生によくある気がする。

遊べるとなると様相が一変する。ゲーム的な快感なんて、しょせんは低級な快感、せつなの快感なのだろうが、それに俺はこんなにも弱い。

まだ、ビデオゲームじゃないだけいい、そう言い聞かせて今日もスマホ片手に歩き出す。これは健康のために自分をだましているんだ、ゲームにあえてはまっているんだ、と言い訳をして。

あれほど散歩しなさい、歩きなさい、少しは運動しなさい、と口をすっぱくしていた親が、最近などは俺が出かけようとすると苦虫をかんだような顔をする。あんまり歩いてばかりおったらいかんがね、仕事できんがね。

いや、仕事の時間は前から変わってないよ、という事実を簡潔に述べて、すまなさそうに玄関を出る。

なんで歩くのにこんな罪悪感をもたなくちゃいけないんだ。と思いながら。

いつまで続くかわからないが、続いたほうが健康に間違いなくいいとは思う。それがゲームだとしても、その時間の95%はただ歩いているのだから。(5%は立ち止まってスマホをいじっている)

ゲーミフィケーションというらしい。やるべきことをゲーム化して、生産性をあげることを言う。僕は簡単にゲーミフィケーションされてしまうようだ。

だが、Ingressの思想には共感するところがないではない。ゲーム化することで、ふだん完全に飽きていた近所というものが、割りと楽しい遊び場になったのだ。そして、近所の神社や公園にやたら詳しくなっている。ふだん、散歩といいながら目的地との往復しかしていなかったんだ。知らない場所がたくさんあった。

歩いている最中、ぼくの意識の中心にはゲームがある。だが、周辺の意識では、自然と目に入ってくる風景や建物、人びとの営みを追っている。あるときふと思った。あれ、こんな雰囲気のいい道があったんだ、天気もいいし、こんなイヤホンなんかはずして、周囲の環境音を楽しもうじゃないか! イヤホンをはずす。音が流れ込んでくる。遠くの子どもたちの歓声、飛行機雲が伸びていく音、自動車、風で木々がさらさらと音をたてる。ああ、気持ちいい。

だが、だが、しかし。5分もするとすぐに飽きてしまって、たいくつないつもの地元に早変わりする。ああ、つまんね。モヤモヤと妄想が湧いてくる。いつもの考え事をしはじめる。ああ、もう家に帰ろうか。

やっぱりゲームのがいいや、ということで、イヤホンを耳につっこむ。またINGRESSの世界に入り込む。なんだかなあ・・

どうして感動は続かないのだろう。日常を生きるという感動は。数分しか続かない。

どうしてゲームなんかの「面白い」は結構長持ちするんだろう。一回に数時間は続くし、また翌日も続いていく。

本当は、タモリみたいに、自分で日常をゲーム化というか、興味化して、勝手に自分流に楽しんでいくのが一番いいんだろう。他人がつくったゲームに乗っかるばかりではなくて。

俺はやがてIngressに飽きるだろう。それは間違いなく。でも、飽きたからといって、それまでに歩いた距離がなくなるわけではない。かならず何らかの体の変化、それがダイエット効果ならびに健脚効果となることが望ましいが、となって現れるはずである。体は(ほぼ)物理の世界に属している。動機がなんであれ、ゲームであれ、歩いた時間は歩いた時間なのだ。

歩くことがそんなに大事なら、純粋にウォーキングを極めればいいじゃないか、というかもしれないが、それじゃだめなんだよ、やっぱり。できないんだ。

自分をソーシャライズするための言い訳を探している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩くという不思議

たまに衝動的に散歩に出ることがある。普段から極端に出不精な僕は、昨夏のあいだは一日に一歩も家から出ないことも珍しくなかった。ただでさえ暑い上に、行くところなどないからだ。

秋になり、冬が近づいたころ、さすがに体が悲鳴をあげたのか、歩いてくれ、外に出てくれと言っているような気がするようになった。具体的には、体がむずむずして落ち着かなくなる。

で、でもとりたてて用事はないし、気の利いた散歩道があるわけでもなく、どちらかというと昼間からフラフラ歩いてると、この、かつての農村に住宅街がじわじわと広がり始めている田舎町では、人の視線が気になる(気がする)。ということもあって、一度は、ほら、仕事、仕事、ひとつでも翻訳を仕上げてからまた考えよう、などと頭がさとしにかかる。が、体の要求が勝つと、えいや、とばかりにあてもなく歩き出すことになる。

 

そういうときはたいてい、なるべく歩いたことのないところを歩こうとする。そのせいで、目算をあやまり、一応目的地なんかも強引に決めたりするものだから、30分で帰るつもりが90分たっても帰りつけないこともある。靴も油断しているから小指が痛くなったりする。

 

そう、不思議なこととは、歩いていると、上半身と下半身が別の意志を持っているかのように感じられてくることだ。

下半身は、つまりは脚は、テクテクと一定のペースで歩きつづけている。とくに疲れもなく、ただ、機械のように体を運んでいく。上半身は、といっても働いているのはもっぱら頭なのだが、頭はいろいろなことをとりとめもなく思考し、急に自暴自棄になったり、不安になったり、妙なひらめきによって希望に満ち溢れたり、忙しい。

でも脚は、我関せずと一定のペースを守っている。ストップと指令を出さなければ、いつまでも進み続けるのではないか、と思われてくる。

人間にとって歩くという行為は、ものすごく基本的な行為なのではないかと思えてくる。呼吸とか、食べる、みたいな。

だって、ぜんぜん疲れない。いや、疲れるのだが、思っているよりぜんぜん疲れない。すごく久しぶりに歩いているのに、1時間歩き続けても、もう立ち止まろう、という意思は脚からはやってこない。

たいていは、暑い、とか、喉がかわいた、とか、飽きた、とか、靴の調子が悪い、とか、歩くという行為そのものとは違う要因によって、歩くのをやめたくなるのだ。

歩くこと自体は、生きる、ことみたいに基本的な行為としてあったのだろうと思われてくる。

ぼくは走らないが、ランニングを日課とするひとは、走る、がそういう行為になっているのだろうか。僕は走るのはどちらかというと嫌いなのだ。

以前、ドキュメンタリーで、目も耳も機能していないという赤ちゃんが、その場からまったく動かなくなるというのを見た。なんでも、目からも耳からも刺激が入らないと、何かに興味を惹かれて、そっちへ行こうとする意志が生まれないからだという。もちろん触覚は機能しているから、手に触れれば興味をもつが、手に触れたということはすでにそこにそれはあるわけで、手足を使って移動する必要などないということになる。その場でずっとそれと戯れている。

その後、大人たちがなんらかのソリューションを見つけ出す流れだったと思うが、今は覚えていない。覚えているのは、そうか、赤ちゃんも、動くのに意志を必要とするのか、という感慨だけだった。

 

元旦は近所の社に初詣に行ってきた。すごい晴れていた。道すがらすごいなーと頭のなかでつぶやくほど、そらが青く晴れ渡っていた。1月1日にこんな陽気に恵まれるなんて、なんだかすごいことなんじゃないかと思った。すごくおめでたい国なんじゃないか、みたいな。

おみくじを引いた。村のじいさま連中がお神酒でへろへろになって笑っていた。平和だ。3番だった。お、はじめてじゃないか、と誰に言うでもなく、じいさまのひとりが言った。3番のくじを渡された。いろいろ書いてあったが、基本、時期を待て、と書いてった。もろもろうまくいくけど焦るな、みたいなことがずっと書いてあった。でも大吉みたいだった。ふーんと思う。これでも大吉なのか、とちょっと不満に思う。もっと威勢のいいコトを書いてあってもいいのにね。おみくじを結びつけて帰ろうとしたら、あ、お手水を忘れていたことに気づく。新年早々、無礼をしてしまった。

帰り道、やっぱりそうだ、と思う。実は出かける前は、すごく出かけれうのを迷っていたのだ。元旦ぐらい家でゆっくりしても罰はあたらない、などとつらつら考えていたところを、でも初詣くらいいくか、と重い腰をあげてきたのだ。で、やっぱり、歩き出せば、歩けるもので、いま、家の近くまで帰ってきたのに、もう少し歩き続けようと、遠回りするために道路をわざわざ反対側へ渡ったところだ。やっぱり、歩き出せば、歩きつづけようとする。それはただの慣性の法則 なのかもしれないが。 

 

 

 

 

 

みんな記憶喪失

よくあることで、誰もが経験することだと思うが、子どもは記憶を喪失する。

もう何年も前だが、ある子どもと再会した。その子はたしか9歳くらい。その子の両親と僕は友だちで、その一家とぼくはわりと近所に住んでいたから、よく家族ぐるみで遊んでいた。その子は当時、2歳だった。ぼくはものすごく覚えている。ものすごく人見知りで、最初にあったときにはぜんぜんしゃべってくれなかった。何度か会ううちに、あととき突然、仲良くなって、ふたりともテンションあがって、それからものすごく仲良くなった。僕の誕生日などはおめでとうを何十回も言ってくれて、ぼくはもうれしくてたまらなかった。

だが、まもなく、その子は遠くへ引っ越して、ほとんど会わなくなって、こっちも海外をふらふらなどしていたから、やっと再会できたときには7年ほどがたっていた。

僕はドキドキした。覚えているだろうか。

しかし、あろうことか、まったく少しも覚えていなかったのだ。あんなに遊んだのに。。。。

僕が必死に想い出を語ろうとすると、怯えたような目をするので、かわいそうになってやめた。僕は知らないおじさんでしかなかった。

残念だった。でも半分は予想していた。だってそういうものだから。俺だって2歳のころの記憶は1ミリもない。親から、〇〇くんと毎日あそんで大の仲良しだったと聞かされても、おもかげさえも思い出せない。

だから、そんなものなのだが、大人側はぜんぶ覚えているし、それもとてもあたたかい想い出としてそれなりに大事に抱えてきているので、当の本人がまったく覚えていないと、何かが失われた気さえしたものだった。

だが、別に何も失われていないはずだ。俺の記憶は俺の記憶として、そのままあるし、過去のいい想い出が、悪い想い出に変わったりはしない。過去の出来事は少しも変わらないのだし、その子と僕があんなに楽しい時を過ごしたこと、その笑顔にあんなに慰められたことには、少しも変わりはない。はずなのだ。

記憶が人をつくっているのだとすれば、あの子は2歳までの記憶がないのだが、あのころのあの子とはもう別人といってもいいのかもしれない。もちろんそれは、僕にとってということで、ずっとそばにいた親兄弟からすれば、まったく生まれた時からあの子のままだ、ということになるのは当たり前である。

だが、なぜ覚えていてもらいたいと思うのだろう。

いま、過去は過去として独立て価値があるのか、ということを書いてみようかと思ったが、なんだか少しちがうなと思ってしまった。

 

星野道夫が本の中で、こんな話をしていた。

アラスカかだかのテレビの撮影のガイド役をしていたときのことだか、撮影クルーはクジラかだかの映像を撮りにきていたのに何日もクジラに出会えず、イラつきだしという。そこで星野道夫はこう言ったそうだ。クジラにはもしかしたら出会えないかもしれない。そのことで番組には支障がでるかもしれない。でも、いま君たちはアラスカの大自然のなかにいて、一生の間でもう二度とこの地には戻ってこないかもしれない、かけがえのない時間を過ごしている。そのことにもっと大切にしてほしい、だとかなんだとか。

それを読んだときはまったくそのとおりだと思ったが、いま、でもやっぱりクジラ撮りに何百万(あるいは何千万)もかけてやってきて、撮れませんでしたじゃやっぱりすまないだろう。どれほどの損害があるかわからない。それは本当にアラスカで数日間を過ごしているということより価値が低いことなのだろうか。などとヨコシマなことを思ってみる。

 

たいてい、良心の呵責のような気持で、誰かになにかをやってあげなくちゃと思ってやると、裏目に出る。こっちは大変な思いや、いろいろ犠牲にしてやってるのに、相手は、あ、どうも、くらいのリアクションだったり、わざわざしなくてよかったのに、と同情的な目で見られたり、悪い時には、面倒なことをしてくれたなーという苦い顔を返されるときもある。そういうとき、あれ?なんだこれは?とびっくりする。怒りさえ湧いてくるが、たいていは、あとから冷静になると、やっぱり余計なことを勝手にしていたということがおおい。でも、そのときは、なんか、そうしなきゃ自分がすごくケチだったり、やさしくなかったり、義理人情がないように思われる、というか自分でも思ってしまう、みたいな焦りに似た気持で行動するんだけど、そういう焦りがあることじたいが、もう本当はやらなくてもいいことであることを示しているのだろうと思う。でもたまに、ああ、やってよかった。本当にやっといてよかったと思うこともあるので、はっきりいって、未だにその見分けはついかないのかもしれない。

 

最近、バランスボールを椅子代わりにしています。結構快適で、あれ、ぜんぜんオッケーじゃんって思っている昨今です。

 

 

 

 

 

火花は信用できるか

最近、Google Play Musicを試用している。不思議なもので、ふだんそれほど音楽を聴かないのに、なんとなくいつも何かしらの曲を流しておくようになった。仕事中は仕事用BGMを、散歩中は総合ベストヒット!みたいなのをずっと聞いている。ラジオみたいでいい。昔良く聞いた、FM802のようだ。そう、FM802のころに僕は青春を迎えていたのだった。あの画期的な、ヘビーローテーションという言葉をはやらせた、音楽専門ラジオだ。

東京に引っ越してからも東京FMやら、WAVEやらを聞いてみてが、どうしてもおしゃべりが入ってくる。けっこうハイテンションでだらだらしゃべっている。音楽を聴きたい時は音楽ばっかりずっと聴きたいのに。。それをまた叶えてくれたのが、昨今の音楽ストリーミングサービスだが、いかんせん、FM802みたいに無料じゃない。いま思えば音楽専門ラジオけっこう、いいものだった。

 

ネットでRadikoとかで聴けるのだが、なんだかブツブツきれたりして、どうも使い勝手が悪かった。ネットのほうは本気でやってないな、と思えた。

 

まあ、そう重要な話題でもない。

 

又吉の「火花」を読んだよ。

ぼくがドキっとしたことばがある。それは「信用できると思った」という主人公のセリフだ。

神谷パイセンの第一印象がそれであったと思うし、あともう一回くらいどっかで出てきた。ああ、神谷パイセンの彼女の新しい彼氏になった男の印象もそうだった。

この「信用できる」という言葉は、ぼくがどこか頭のおくでずっと気にしてきた言葉だという気がする。

 

たびたびぼくのブログに出てくる吉福伸逸さんの本を読んだときの感想もそうだった気がする。書いてあることは全部は理解できないけど、なんか信用できるな、この人は。そう思えるような言葉が並んでいた気がする。この、信用できる、という感覚を味わいたいがために、彼の本を求めて読んでいたような気がする。

その本を読んでなにかに役立てようだとか、そういう気はなく、ただ、信用できるものがある、という感覚にすがろうとしていた気がする。信用できる人がいる、なのかもしれない。

いやたんに、自分は彼の言葉に納得する、というだけのことかもしれない。べつに教祖のように仰ぎ見る気持ちでもない。ただ、なんか、ほっとする感じかもしれない。

 

でも、火花を読んだとき、又吉も「信用できる」を探して生きているのだろうか、と同類的な親しみを勝手に感じようとした。

探して生きてる、とかおおげさなものじゃなく、ただ、「信じられる」と感じる瞬間のことをなんか大事な瞬間だと思ったことがある、というだけのことかもしれない。

 

とかなんとか、まじめなことを書くことに少し退屈してきていると思った。

でもやっぱり信用できるものに出会うとうれしくなる。それはたいてい、ちょっとあんまり憧れではない姿で現れる。

 

 

 

 

 

子どもとはなんだろうか

4歳の姪がたまに遊びにくる。うれしいものだ。かわいい以外の言葉がないが、それも親ではなく叔父さんという気楽な立場だからなのだろうか。まだ、天使の部類を保っている。そろそろ、こしゃくな考えをもつようになってきた感もあるが、まだまだ天使の世界の住人である。

平日の5時頃になると、必ず、電話がかかってきて、パソコン電話をやりたいと言ってくる。お目当ては「ばあば」なのだが、俺がパソコン電話の鍵を握っているのをわかっているようで(俺はセットアップ係)、電話口でこびたようなことを言ってくることがある。「あのね、あのね、ぱしょこんでんわ、したいなーとおもって」

 

この、かわいいだけの存在が、つまらない大人になったりするなんて信じられないのだが、この毎日が楽しくて仕方がないように見える、ノリノリウキウキのまま40歳、50歳、60歳までいってしまうというのもまた想像が難しい。

子どもは大人によくだまされる。だから誘拐されたりする。無防備だ。怖いし困る。でも、4歳の子どもが大人並みの警戒心をそなえ、知らないおじさんに心をまったくゆるさないとしたら、大人たちはずいぶんがっかりすることだろう。無防備であるということでも、子どもは大人を救っている。

最近、ふとした友人から、子どものころ、何になりたかったの?と尋ねられた。それが、ないんだよ、と答えるしかなかった。記憶をたぐっても、大人になったら何かになりたい、と思った記憶がないのだ。とくに何にも憧れなかったし、スポーツも早いうちから自分には向かないとわかっていたように思う。

でも忘れているだけで、どこかに痕跡があるんじゃないかと思いたち、幼いころの想い出アルバム的なものを掘り出してきた。幼稚園時代に書いた絵やなんかが、とってあった。

おそらく5歳。幼稚園のアルバムを見ていたら、衝撃的なことが書いてあった。

つたない字で、「しゃちょうさんになっておかねをいっぱいかせぎたい」と書いてあった。

うそだ!内心叫んでしまったが、まぎれもなく、アルバムにはおれの名前が書いてる。おそらく直筆だ。

予想外とはこのことだった。もっと斜め上的なことだったり、宇宙征服とかなんとか、ばかばかしいことが書いてあるならまだしも、社長になってお金をたくさん稼ぎたい、としっかり書いてあるなんて。

おそらくこれは、俺史上、最古の「夢」だ。あるいみ初夢だ。それが、社長で、お金だとは。。

親に吹きこまれただけなんじゃないか、とも思うが、だが、親がそう書けということも考えにくく、そのときそれが頭に浮かんでしまったのはまぎれもなく俺の主体性の結果なのだ。

お金を使ったこともないくせに。。。なぜ。。。

このことであることがわかる。現在の俺はどうも、社長になってお金をいっぱい稼ぐということが、あまり心良いことじゃないと思っているようだ。どうせなれっこないというコンプレックスの裏返しかもしれない。だが、おれは、5歳のおれが、そう書いたという事実をことのほか重く受け止めている。そむけてはいけない現実のようなものとして受け取ってしまったふしがある。

この一件をもってして、子供時代に何になりたかったかを探ろうとする気持ちは急激にしぼんでしまった。というか、結果は出たのだ。お金持ちになりたかったのだ。

さて、このことを自分の今後の人生に活かせるのだろうか? なんか思ってたのと違う、そういう感触だけがいま、ここにある。

4歳ながらに、意外となんでもわかっていて、しょうもないことではだまされてくれなくなった姪っ子も、「きみは本当は月からきたお姫様なんだよ」と神妙な顔で説得すれば、心の底から信じてくれたりするのだろうか? もうすぐ月に帰らなくてはいけないと聞かされ、みんなと離れるのがさみしいといって泣くだろうか。試してみたいけど、怒られるからやらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安保法案が通る

安保法案が今夜にも採決されそうだ。

ぼくはこの法案が後々、やっぱり必要だった、と評価される可能性はあると思っている。

だが、いまこの法案を通す必要性を、政府は国民に説明できなかったという事実はゆるがないだろう。

説明する気がなかったのかもしれない。おそらくそうだろう。この、説明する気がなかった、あるいは、説明することに失敗したという点をもってしても、この法案は今国会で通すべきではないのだ。

安倍政権が、そんなに急いで法制化するほど危機が迫っているというわりには、その説明に失敗しつづけているのはなぜだろうか。

前にも書いたけど、それを説明するには中国を仮想敵国のように言わなければいけない、だがそれは外交上好ましくないので言わない、だから、そのへんは野党も国民も察してほしい、ということなのだろうか。

でも、それにしては、どうか察してほしい、という切実な態度も伝わってこなかった。ただ、国民を小馬鹿にしているような、国会答弁ばかりが、安倍首相、岸田外務大臣、中谷防衛大臣、横畠法制局長官の口から、マシーンのように繰り返されるばかりだった。

安倍さん、横畠さんはともかく、岸田さんは優秀な政治家に見えるし、中谷さんは正直な人柄を感じさせる。でも、答弁は何を言ってるか理解できないような言葉が並んだ。

安倍さん、岸田さんは、その奥底に、ぜったい可決するまで押し通す、という強い意志を感じた。

中谷さんは、とりあえず自分の役割だと思っていることを誠実にやっていこう、という気持ちを感じだ。ただ、その役割とは、この法案を無事通すこと、というだけであろうことが残念だ。

横畠さんなどは、優秀そうな人だが、俺は知らない、俺は俺の権限の中で、指示されたことをせいいっぱいやっているだけ、という開き直りを感じだ。

野党はどうかというと、一生懸命やっている人が多いと感じだ。でも、本当に本当の話し合いを開こうと必死に安倍政権を説得している人は見受けられなかったように感じだ。もちろん、それはとても難しいし、腹ただしいことなのかもしれないが。

つまみ食いのように見ただけの国会中継なので、あくまで印象論になってしまうが、そういう風に僕は見ていた。

なんでこうなってしまうんだろうなー。大事なことならもっとちゃんと噛み合った議論をして、ちゃんとわかりやすく説明してほしいのになー、と思いながら見ていた。

ただ、それは、国会の外でも同じようだった。テレビの討論番組などを見ても、法案に賛成、反対、両陣営がそれぞれの主張を述べるだけで、話し合って最善策を考えよう、だとか、共通認識を構築していこうという姿勢は見られなかった。もちろん、番組の作り方がそうなっていたのかもしれないだ。

結局、どちらもすこしも歩み寄らなかった、というか、まだ何のことだかよくわからないうちに、賛成派と反対派に別れているようにも見えた。こんなにわかりにくいのだから、賛成と反対を行ったり来たりしてもいいはずだが、と思う。

僕は、法案そのものは、絶対反対じゃない、というのは前から書いてきたとおりだ。ただ、不備がありそうだ、ということで今回は反対している。

集団的自衛権違憲かもしれない問題もそうだし、軍法を整備せずに自衛隊の活動範囲を広げるのも危険なことだと思っている。

結局のところ、やっぱり、なんでこの11本がまとまった法案を、こんなに急いで通す必要があるのか、わからなかったし、噛み合った議論も聴くことができなかった。

でも、なんとなく、いつもこうだよね、国会って、という気持ちもあって、とりあえず、次の選挙で俺がどうするかは腹づもりがあるけど、国民の多数はどういう判断を下すのかな、と思っているところだ。

しかし、なんでこうなるのかなーーーー。政治家がこうなってしまうメカニズムが日本にあるのだろうね。個人の資質の問題とかじゃなくて。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりとめのない飢餓についての思考

むかし、貧しい農村ではご飯を食べるために、子どもを売ったりしていたという。日本のことだ。そんなに昔じゃない。100年、200年くらい。もっと近いかもしれない。

とんでもないことだ。現代で考えれば。そういうことを考えれば、とりあえず、食うために子どもを売らなければならないような事態になる前に、生活保護もある、そのほかの公的な救いの手がある、そもそも食べ物は余るほどある、今の日本は本当に暮らしやすくなったものだと思う。考えれば、だけどね。体感的には、なんかなーというのはあるけど。昔はもっと大変だったのだ。少なくとも、飯を食う、という生死の根源レベルにおいては。

 

だから本当は、ついに我々は飢餓を撲滅した、少なくとも我が同胞が餓え死にすることのない国を作りあげた!ばんざーい!という儀式を一回やったほうがよかった気がするね。

たぶんそれが達成される前後には戦争をやってて、それどころじゃなかったというのと、戦後すぐは餓死もありえただろうし、そのあとは敗戦のショックと占領とでバンザイどころではなかった。で、いつのまにか餓死しない日本、というのが当たり前になっていて、どころか、オリンピックまで開いちゃった、みたいな流れなんだろう。

とりあえず、俺達はもう餓死しないんだぞー!みんなだ、全員だよ!ってたたえあいたいね。

もちろんそれは、工業化と、貿易のおかげなのであって、一斉に経済封鎖でもされれば、食べ物がない!という事態はありえるかもしれない。でも、そうならないようにするすべはあるだろうし、世界同時飢饉とかにならないかぎり、もう日本に、村ごと餓死しそう、みたいな状況は生まれないのだと思う。

もうそれでいいじゃないか、という声もする。

もうそれでいいじゃないか、ではないのはなんでだろう、という頭で考えただけの疑問が湧く時がある。

まあ自分だって、それでいいわけじゃないからしょうがない。俺だって餓死さえしなきゃハッピーでしょ、毎日笑って生きられるでしょ?って言われたら、あほか、もうちょっといろいろしたいしほしいわ、って言うと思う。せめて人並みには。。。。。。。。。。

この人並みがくせもので、人並みはレベルアップしていってしまう。

みんなが人並みを目指せば、人並みはじりじりとせり上がってしまう。というか、常に人並みじゃない人がでて、そういう人は焦るし、つらい気持ちなる。だからがんばる、で、人並みがまたじりじりとあがっていく。

でも、がんばるって大切なんだろうと思う。がんばればいいじゃないか、と思う。そこに生きがいや充実が生まれるんだろうと思うからだ。

それぞれの立場で、それぞれの願望欲望があり、それぞれにがんばる。そのせいで人並みのハードルがあがっていくのは、それは、まあ、悪いことじゃないと思うかな。もしかすると日本から飢餓がなくなったのはそのおかげなのかもしれない。日本というか、世界がその方向へ向かってきたのは。

最近はずっと女子バレーを見ている。ああ面白い。3時間ずっと面白い。すごい。彼女たちはすごい。

 

小学校のとき、いじめらしきことはやっぱりあった。いじめられる子はたいてい、何も悪くない、ただ、すこし動作が緩慢だとか、ボーっとしているとか、外見がボッサリしている、とか、そういう子たちあった。性格が悪いからいじめられる、なんてことではなかった。

何もしないのに、ヤジを飛ばされ、ややもすると足蹴にされたり、こじかれたり、ものをなげられたりした。いまボクの頭に浮かんでいる子たちは、僕から見て、内面がよく推し量れない感じの子たちだったから、それをどう受け止め、どう処理しているのか想像がつかなかったし、今でもわからない。

どういう大人になったのだろうか。はっきりいって、ちょっとトロいだけの優しい子たちだった。何かの才能が開花してえらくなっているかもしれない。そういうことであれば痛快だ。あるいは、優しいパートナーや仲間を見つけて、幸せにのんびり暮らしているのかもしれない。トロさは変わっていないかもしれないが、それが大きな障害にならない暮らしにたどり着いていることを願うし、きっとそうだと思う。

僕が学校のプールで唯一溺れかけたとき、たしか、排水口の真上に立ったら、顔を上に出せなくなった、ぼくの脇腹をもってザバっと持ち上げて助けてくれたのは、そうした男の子のひとりだった。先生も気づかなかった。手が届きそうなところにたくさんクラスメイトがたくさんいたのに、誰も気づいてくれなかった。なんであいつは気づいたのだろう。おれはお礼を言えただろうか。

極限状態になれば、人間の醜さが出る。だから、極限状態にならないように、ならないように、社会は運営されなければならない。だから、戦争はいけないのだ。

俺達は一皮むけば修羅なんであって、そのことを身を持って知った元軍人たちはただ沈黙したのだろう。社会がどんなに成熟したって、そこにいる人間たちが極限状態の訓練を積んできたわけじゃない。ただ、極限状態を避ける仕組みをせっせと積み上げてきただけなのであって、極限状態を軽々しく乗り切れると精神論をぶってるやつほど簡単に修羅になるんだろう。

おれは修羅になりたくないから、飢餓も戦闘も、ごめんこうむるよ。

貧乏もしたくない。

でも、現代社会の中で修羅になる人もいるようだ。

ところで「修羅」の使い方あってのかな。。