変わったもの

何が変わったのか。このまえ、20年ぶりくらいの知人に会って、懐かしい話をしていた。そして、結局、インドには行ったのか?と聞かれた。

そう、その知人とは、学生時代の終わり、ちょうど僕がインド旅行へ行く前ぐらいから、連絡をとらなくなっていたらしい。だから、その質問が出たのだ。

「もちろん行ったよ」「ほんとに行ったんだ!」てな会話があって、いまその数日後、たまに当時の思い出が蘇る。

そして、たったいま思い出していたのは、デリーから17時間、鉄道にのって、夜明け前にバラナシに着いたときのことだった。ホームに降り立つと、ちょうど日の出くらいで、真っ暗だったのが、だんだんと周囲が見えるようになっていく。すると、ギョ! 改札を出ると、そこには、大勢の人が地面に寝ていたのだ。

おそらく深夜について朝を待っていた人たちなのだろう。ぼくはそのまま、目当てのホテルへと向かったが、あの頃の僕なら、一緒に地面に寝転がって、朝を待つことだってできただろう。

20代前後といは、そういう年代だったのだ。

でも、いまはできないか? できないことはないのだ。むしろ今のほうが怖さは少ないと言える。あのころよりは旅の経験も積んでるし、スマートフォン、インターネットという武器もある。露頭に迷うんじゃないかという不安はそんなに感じないだろう。

ただ、あの頃のように、インドの鉄道一本に乗ることが、大冒険だった日はもう返ってこないというだけのことだ。あの頃のように、駅のホームで一夜を明かしたとしても、なにか冒険をやりとげた気持ちにはなれないだろう。

経験を積んでしまったといえばそれだけなのだが、歳を重ねるということはそういうことでもある。

話はとぶが、もっと幼いころ、小学生くらいだと、台風がくるだけでも楽しかった。大雨になるとわくわくしたものだ。大人になると、服が濡れるなあ、という面倒くささしか感じなくなるわけだが、子供のころは、何かいつもと違うというだけで、一日中興奮していたものだった。

話を戻すと、じゃあの頃みたいに、ただ旅をするだけで冒険だった日々は返ってこないのだろうか。もう貧乏旅行は冒険にはならなくなったのだな。でもある意味、若いころのそれは、日常の中の非日常という冒険に過ぎなかったともいえる。

いずれは日本に帰る。そのことはわかっていたし、なにがどうあれ、日本に辿りつけば、なんとでもなると知っていた。なんとかなるどころか、旅に出る前と変わらない日常に戻るのだと知っていた。

 

僕はいつからか、日常を失ってしまったように感じているところがあるのかもしれない。帰るべき日常がしっかりとないものから、非日常を求める気持ちも薄らいでしまったようだ。それよりも、日常をもっと確固としたものにしたい、という思いのほうが強く、生きてきたように思う。それがなかなかならない。

そうだ。ほんとうに。非日常を失ったんだ。だってわくわくしないもの。旅行することを考えても。それはもう飽きるほど旅をしたということではない。もちろん、旅の前はワクワクするんだ。ただ、ひとつひとつが冒険にはならないこともまた予感している。そういう感じなのだ。書いてていまいち、わからなくなってきた。

 

そういうことじゃないんだ。ただ、あのときの気持ちのようなものを、また味わいたいな、と思っただけなんだ。あのインドで感じたあの感じ。あれ依頼、二度と味わっていない。旅はたくさんしたけど、あの感じとはやっぱりちがった。自分の行動がうわすべりしていくような、毎日、目が覚めても夢を見続けているかのような、あの感じ。あの感じを味わいて~。なんて、思った。どうすればいいんだろうか。