気がついたら東京

気がついたら東京にいた。今日あたりから、我に帰った。思えばここ数週間、記憶があいまいだ。少しおかしくなっていたのだろう。だから移動は助かる。今回も、移動により、我にかえることができたようだ。

 

日常の中に変化を作りだしにくい体質のようだ。つまり、毎日、創意工夫して何か新しいことをやっていく、新しい要素を加えていくのが苦手で、油断すると毎日毎日、同じパターンを繰り返してしまう。同じところでご飯をたべ、同じ人達と話し、遠出せず、新しい人にも出会わない。そうこうしているうちに、イキイキと飛び回る意識が眠り、毎日のルーチンをとにかくこなそうという意識と、あらゆることへの漠然とした不安感だけが回り始めるだ。アブー。アブーなのだ。

 

東京に着き、一年ぶりに友人たちに会う。すぐに時計の針は戻り、ずっと東京にいたように感じられてくる。あれ、タイにいたんだっけ。。ほんとに?

 

ずっと時差ボケのような続いていて、わずか2時間しか時差がないわけだが、でも頭がボーっとしていてしんどかった。今日あたりから頭が冴えてきて、ほっとする。

 

いま深夜一時の恵比寿のマクドナルド。ビジネスマンや若者が、それなりに何かをしながら時を過ごしている。パソコンの人もちらほら。みんな何をしているんだ? しかし、やはり、バンコクマクドナルドとはやっぱり違うなー。東京とバンコクはやっぱりだいぶちがうんだなーって感じられてくる。面白い。去年は、同じ、同じ、と、同じところばかりが目についていた。バンコクも東京も変わらないなーって。

それはおそらく、思っていたよりずっとバンコクが大都会で、きらびやかだったからかもしれない。予想外だったのだ。でも、バンコクにすっかり馴染んだ体で東京に身を浸せば、違いが際立ってくる。層が厚い。それが東京の印象。

 

生きてるだけでラッキーなんて、やっぱりなかなか思えるものではない。友人知人にあっていると、やはり、焦る気持ちがむくむくと湧いてくる。比べることもないはずだが、やはり、どこかで。もうかなり昔、いろいろな事情で大変な危機にいると感じているとき、いま、この問題さえ乗り超えられれば、この問題さえ消してくれたら、あとはいくらでも自分で幸福を追求できるのに!って思ってたことがある。

それだけ、その問題をクリアするのが、不可能に近く見えていた。先が見えなかった。だが、結局は困難は過ぎ去った。だが、僕は約束を守れなかったようだ。その問題がなくなっても、バラ色の未来に向かって歩み出せたのかというと、そうではないだろう。

あるとき、自分がとある重篤な病気にかかったのだと思い込んだことがあった。そのときも、これが間違いであってくれたら、もしくはこの病気が治る病気であってくれたら。。と神に祈ったものだ。そうしたら、僕は、パートナーを見つけ、子どもをつくり、もっと夢を追い、充実したキャリアを歩んでいくのに。。

だが、それは結局勘違いだと判明する。そういうふうに頭がおかしくなる時がたまにあるのだ。そしてそのとき神に誓ったことは、冷静さが戻るとともに、あやふやなところに押しやられる。そして日常のこまごまとした問題が戻ってくるのだ。

そういうふうに生きていた僕は、もう神に誓わないだけの学習はしたのだが、こんどは、そんな自分でもなんとかなるような仕組みをつくっておけばいいんじゃないか、というヨコシマま気持ちが湧いてきているのだ。