道が海みたいになる

タイ人は時間に遅れる、遅れると聴いていたけど、そうでもないな、と思っていたら、いつのまにか自分が時間に遅れる人間になっていた。

 

昨日、日本人同士の飲み会があったのだが、一時間くらい遅れた。用事があったわけじゃない。ただ、雨が降っていたからだ。こちらの雨はゲリラ豪雨だ。たちまち、オフィスの前が海のようになった。ちゃんぷちゃぷと波さえ立っていた。

 

そうなると、こうなる。飲み会の時間がせまる。でも、こう思う。雨が降っている。止むまでまとう。そんなの「当たり前じゃん」って思うのだ。こんなに降ってる。行くわけ無いじゃん、って。一時間くらい遅れたってどうせ酒飲むだけだし、一時間も待てば雨も止む。じゃあ待とうじゃないか。

 

3日前くらいも飲み会があって、そのときは30分待っても雨が収まらないので、偶然通りがかったタクシーを捕まえて、なんとか会場へいった。でも、その行動力が起きたのは、「とにかくお腹が空いた」からであった。

 

渋滞、豪雨、停電、さまざまなアクシデントが頻繁に発生する環境において、時間を守ることがどれほどの意味があるのか。自分が急いでいっても、相手が来てないければどうしようもない。逆に言えば、それほど大事なことか?と随時とわれているとも言える。本当に本当に大事な用件なら、ずぶ濡れでも駆けつけるだろう。だが、めったにあるものではない。だって、道路が海みたいになるのに、危険をおかしてそこを渡っていくほどの用件っていったいなんだというのだ。

 

タイで、はじめての雨季を体験しているのだ。

それなのに、今日、傘をオフィスに置いてきてしまった。明日、オフィスにつくまで雨が降らないことを祈る。それだけだ。