戦争は懐かしいのか

8月15日らへんは、戦争特番をイッパイ見た。なんか、懐かしい気持ちになった。俺は前世で兵隊だったんじゃないだろうか。。いや、子供の頃に読んだ幻の軍国本のせいだろう。なぜ幻かというと親に何度聞いてもそんな本はうちにはなかったと言われるからだ。でもあんなに繰り返し読んだ記憶があるのに。あんな軍国本が図書館にあったはずはなく、本屋で売っていたとも思えず、やはり家で読んだとしか思えないのだが。。もしかすると親戚の家とかそういうことだったのかもしれないが。。

とにかく、自分が戦争にいった記憶があるかのように思う瞬間がちらほらあった。戦友と喉カラカラでジャングルを水を探して歩いていたら、きゅうりのでかいのが垂れ下がっているのを発見した。村人の畑らしい。ちょっと失敬ということで、競うようにきゅうりを腹いっぱいたべた。気がつけば満腹になった俺達は眠り込んでいたようで、目が覚めるとあたりが水浸しだった。おいおい、雨でも降ったのか、と思うが濡れているのは自分たちの周りだけだ。あれあれと思ってよく見ると、ふたりして寝小便をたれていた!あわてて戦友を起こしてふたりで大爆笑した、あの暑い暑い夏の日のこと。

ばかばかしい思い出だが、それは死と隣合わせの日々の記憶でもある。あの日、きゅうりが見つからなければ、脱水症状で倒れていたかもしれない。そんな綱渡りの日々を笑い飛ばしながら生き抜こうとしていた。

あれはどこの島でのことだったか、敵陣にはためく大きな旗を大砲でふっとばしてやった。すると、敵もあっぱれで、勇敢な兵士がするするとポールを昇ってきて、また旗をまきつけやがった。俺達は敵ながらあっぱれ、あっぱれと喝采を送り、もうその旗を狙うのをやめにしてやった。なんて日々がつづられていく。

戦争は悲惨なだけじゃない、充実した日々でもあったはずだ。

死ととなり合わせのひりひり感、仲間との熱い絆、生還した喜び、仲間を亡くす悲しみ、せつなさ、無常感。敵を倒す興奮、達成感、ふとしたときにやってくる、えもいわれぬむなしさ。

そういうものがすべてないまぜになって強烈に迫ってくる、そんな濃厚な日々があった。それが戦争だった。もちろん、その裏で、罪のない人を殺してしまう罪悪感とやってられなさ、結局は駒のように使われているというバカバカしさ。怒り。あれもしたかった、これもしたかった、生きて帰れさえすればできたことを数えながら、マラリアで意識が遠のいていく雨の中の野営。

短い期間にありとあらゆることが置き、ありとあらゆる感情を体験し、自分が自分でなくなったりする戦争。

戦争は悲惨だ。二度と繰り返してはならないが、戦国武将の武勇伝は大好きな俺達。

いや、こんな皮肉なことを言おうとしたわけじゃなかった。人の命令で大変な思いをするなんてまっぴらごめんな俺だ、戦争などぜったいに巻き込まれたくない。兵隊じゃなくても徴用で働かされるのもゴメンだ。だから、背に腹はかえられぬとばかりに、個人の自由が奪われ、戦争に勝つためという大義名分で他人のいいなりにならなければならない戦時下の日本ではとうてい生きられない。と言うしかない。

そして、戦争だからというだけで、ふだんなら世界中が大騒ぎになるような犯罪が、どさくさで許される。とくに敗戦国にならない限りは。コツコツと勝ち取ってきた個人の自由が、戦争という緊急事態を言い訳に、ごっそりと奪われる。おれはそれが嫌だ。