日本人の英語

マーク・ピーターセンの『日本人の英語』に続いて、『実践   日本人の英語』を読んでいる。やられたー!の連続である。たとえば、ピーターセン先生のよると、日本人はThenの使い方がおかしい、という。「そこで、」の意味で「Then, 」と書く学生が後をたたないのだとか。これはネイティブによると、まったく意味がわからないのだとか。

え、俺もよくやるよ! まずthenの次にカンマなんて普通はつけないのだとか。それなのに、なぜが日本の学生たちは 「Then, 〜」と書いてくるのだと氏は嘆いておられる。

たしかに、俺もなぜ自分がそう書いてしまうのか、よくわからない。学校でそう習った覚えもない。たぶん、おそらく、単純に日本語の「それで、」と書きたいという気持ちが先にあり、それを単純に英語にしようとして、「それで」らしき意味のある言葉として、Thenが浮かび、単純に「それで、」と言いたいところに、「then、」と入れてしますのだろう。きっとそうだ。

ピーターセン先生のよると、たいていの場合、「それで、」と言いたいときは、thenじゃなく、and を入れておけばいいらしい。言われればそうだという気がする。ネイティブはみんなそう書いている。俺はここにジレンマを感じる。

今まで僕たちは、then,〜 みたいな英語は目にしてきていないはずなのだ。そのかわり、「それで、」の意味で「and、」と書かれた英文を少なからず目にしてきたはずなのだ。俺なんかで言えば、そういう文を山ほど翻訳してきたはずだし、「and、」を自ら「それで、」と(経験的学習として)訳してきたはずなのだ。

それなのに、自分で英文を書こうとすると、then, と書いてしまう。

つまり、それは、日本語に引っ張られているということ。英文を書くときにも日本語思考がどうしても出てきて、Thenと書かせるのだ。

もっと恐ろしい事実は。僕は「それで、」は「Then,」じゃない、ということを、以前にも読んだ気がする。どっかでそういう指摘に出会ってる気がする。でもすっかり忘れていた。きっと、今後もうよほど注意してないと忘れてしまうのだろう。で、また、Then、と書くのだろう。

これはつまり、レイヤーの違いだと思われる。

「それで、」を英語にしたいなら、「and, 」でいいんだよ、という知識は入るレイヤーと、「それで、」を「Then、」に変換しようとする知識が入っているレイヤーが違うのだ。「Then、」のレイヤーのほうが土台に近く、深く根付いているのだ。

だから、新しい知識を学んでも、単純に上書きされないのだ。「Then、」は学んだことというよりは、日本語という超基礎的なレイヤーから、自然と湧きあがってくる間違いなのだ。だからしつこいのだ。

おれは再三、ブログでも、翻訳が上達しねえ、とグチってきたが、これが原因なのだと思った。いくら翻訳の技術を身につけていっても、日本語という基本レイヤーからの「間違え」攻撃に絶え間なくさらされているのだ。

あれ、まてよ? 日英翻訳ならそれでいいが、俺がやっている英日翻訳だとその論理はとおらないか? 英語を自然な日本語に変えるのがなぜこれほど難しいか、という理屈にはならないか?

でもまあ、近いところにある気がする。脳内で、英文を日本語的に細切れに変換しているから、それをそのまま文章にすると、トントンカンな日本語になってしまうのだ。意味はわかっている(はず)なのに、なぜか普通の日本語にできない、という現象だ。

 

そう、翻訳という作業は、僕にとって、ある種の抵抗の連続、という感覚がつきまとうのだ。戦っている感じだ。積み上げている、とか、変換している、とか、そういう作業をしているというよりも、脳内で戦っている、という感覚に近い。だから変な疲れ方をする。たとえるなら、右足と右手を同時に出して歩く、という歩き方を、強制的に続けようとするような感じというか、わざわざいらんことをしている、という感覚がどうしてもつきまとう。

翻訳なんて、わざわざいらんことをしていることなのだろうか。わざわざ本質的な変換仕切ることができない、違う言語に変換することなどいらんことなのだ。

僕がバイリンガルなら、翻訳するというモチベーションがそもそも湧かないに違いない。僕は英語のままだと、やっぱりどこかわかった気がしないから、日本語にしてみることで、やっと読めた気がするゆえに、翻訳をするのだ、という側面が否めない。

そこにストレスとある種のやりがいを感じているのだ。

だから、たまにバイリンガルの職業翻訳家みたいな人がいて、日本語と英語を自由に行き来して、両言語で自由に読み書きしている人を見ると、自分がしていることが馬鹿に思えてくる。俺なんかが苦労していらんことせんと、あの人に全部やってもらったいい。

 

まあいい。今日書きたいことはそのことじゃない。翻訳のことじゃない。

こうした、プリミティブなものに、基本的なレイヤーに戦いを挑む、みたいな行為が、そこはかとなく、嫌いだけど、そこはかとなく、興味深い。そんな気がしていることに、今日、気がついた気がした。ピーターセン先生のおかげで。

それは、基本的に、いらんこと、であり、実用的にはあんまり意味がないことであり、当然お金にもならんかったり、人からも馬鹿じゃないのか、とみれらルようなことかもしれない。のかな?

 

筆が荒れてきているのは、早く帰ってサッカーを見なければと思いながら、導入したばかりのATOKでなれないタイプを繰り返してるからだ。

 

ここ数ヶ月、歯の間にワイヤーブラシを入れて歯を磨いている。歯医者さんの指導だ。最初は血がたくさん出た。いまではあまり出ないが、まだ数カ所、ブラシを入れると、はああ、と声を出したくなるような神経への刺激がある。あの感じは、とてもいやだが、1日一回、やらないと物足りなくなった。そういうことかもしれない。

 

 

 

 

 

 

松本人志やっぱすげえよな

毎週日曜日、前夜に夜更かししてすごく眠くても、なんとなく10時過ぎには起き上がる。それは、『ワイドナショー』が観たいからだ。松本人志が出ているワイドショー番組だ。やっぱり松本人志をみたいから見ているようだ。松本人志が時事な問題に何というか。やっぱりそれが聴きたいから見るのだ。

気がつけば、松本人志は、耳を傾けられる人になってしまったようだ。いつのまにしうなった? 昔から天才だとか、キレてるだとか、頭いいとか、独自の視点だとかはあたりまえに言われていたけど、どちらかというといいかげんなむちゃくちゃな人で、なんでもひねった笑いに変えてしまう、笑いがすべてみたいな特殊人間だったはずだ。それがいつのまにか、頼むよ、まっちゃん、信じられることを言ってくれよ、それも笑えるようにね、というすごいハードルの高いことを求められる立ち場になってしまっている。浜田はそんなことないのに。

浜田はまあ、普通の世間をよくわかった、まっとうな大人が言うことを言うことを期待されているだけだ。それは、SMAPの中居と同じようなことだ。

だが、松本は、それではすまされないようなのだ。それ以上を求められている。俺の中で、だけかもしれないけど。

松本に求められるのは、何の後ろ盾もないひとりの個人が心の底から信じていることを、つまり本音を、いかなるときも言う、そんなふうに期待されている。

それは、大げさな本音ではいけない。黒いことを言えばそれが本音かというとそうではない。欲望をあからさまに肯定すれば本音かというとそういうことでもない。もっと繊細な本当の本音を言うように求められているのだ。これは、大変だよ。

本音、というのは語弊があるかもしれない。本音とはいつも1つとは限らないからだ。ぐちゃぐちゃになっている、相矛盾するメッセージが交互にやってくる、そういう本音もある。

松本人志村上春樹なのだ。

村上春樹は大変だ。2度も大変なことを言わされている。1つは、イスラエルの受賞式で、卵と壁、という話をさせられている。させられるいるとしか言えない。イスラエルの場で、イスラエル批判ともとれるスピーチを世界中が見ている中で、した。それも、立場からの発言が許されない作家として。どういうことか。たとえば、政治家なら、公として発言を求められるだけで、お前、本当に心の底からそう思っているんだろうな?とまでは言われない。まあ、なんといっても、あの人は、政治家だから、そりゃあ、いろいろあるでしょ。いろいろな立場や利害や、党利党略、諸事情があるでしょ、ということで、割り引いて聞いてもらえる。オバマでさえそうだ。オバマがどんなにキレイ事を言ったって、そりゃあ大統領の立場ならああ言うしか無い、というように許されて、広島に謝罪しないと言ったって(そこまで言ってないが)、本当は謝罪したいくらいの気持ちがあるはずだ、と胸中を推し量ってもらうことができる。

だが、村上春樹は、推し量ってなどもえらない。作家はやっぱり、私人でしかないからだ。村上春樹が、あれは作家としても公の発言であって、私人としての私はまた別の考えを持っている、などと言えば、たちまちふざけるな!と多くの人を失望させるだろう。べつに小説を書いているからといって、いつも本当のことを言わなきゃいけない、なんてきまりはないのだが。

だが、僕たちは、あるいは僕は、それを期待してしまう。そして、フクシマのあとは、ヨーロッパで、原発はよくない、と言わされた。大変なことだ。

言わされたと書いたが、村上春樹の本心とはちがって、という意味ではない。村上があの場に立ったとき、失望させないでくれ、という1000万の目が注がれたということだ。僕らの村上は、信じられる人であってほしい、と。

どうなのだろう、だが、ああしたスピーチはどのくらい本心なのだろうか、一度聞いて観たい気もする。

だがしかし、どうして僕は、松本人志に、本心を話してほしいと、思ってしまうのだろうか。どうして、立場からのポリティカルコレクトで許してあげようと思えなくなっているのだろうか。それはやっぱり特別な人だからなんだな。

というようなことを仕事の合間に考えていたら、また中高生に囲まれていた。今日もマクドナルドだ。ここまで若い空気を吸いたいわけではないのだが。。。

 

 

 

 

 

 

 

ハリウッドザコシショウ

ハリウッドザコシショウが、R-1で優勝したわけであるが、僕も決勝は生で見ていた。もうヒイヒイいいながら笑ってしまった。中でも好きなのが、武田鉄矢が「ぼくはしにましぇん」と言うところのものまねだ。手をグル回しながら、「ぼっちっちぇ、あっちちゃ」みたいなことを叫んでいる。それで、超笑ってしまった。でも、なんでおもろいのか、すぐにはわからなかった。

 

前に、脳関係の医者だか科学者だかが書いた本のなかで、失語症で言葉が理解できなくなった人たちが、病院でテレビを囲んでいて、そこには米国大統領がスピーチをするところが流れていて、それを見ている患者さんたちがゲラゲラ笑う、というシーンが出てくる。なんでも、大統領が真面目な顔をしてしゃべっているのが面白いのだそうで、つまり、心にもない真っ赤な嘘をとうとうと語っている姿に大笑いしているのだという。患者さんは失語症だからスピーチの内容はもちろん聞いていない。ただ、声色とか、顔の標準、抑揚なんかを見ているだけなんだが、それで大笑いできるらしい。これを、僕も体験したいな、と思った。ただ、言葉が理解できないだけじゃ、この体験は難しいだろう。たとえば、僕はフランス語がまったくわからないが、フランス大統領のスピーチをテレビで見ても、どこが真っ赤なうそで、どこか本心なのか、いまいちわからない。

やっぱり失語症だからこそ、読み取れる何かがあるのだろう。だから、一時的にそのような状態になって、人びとのやりとりを眺めてみたいと思ったのだ。

 

生活の中に笑いがすくなって久しい気がした。10代後半から20代前半のころは、関西に住んでいたこともあってか、とにかく隙あれば笑いをとろうとしていたように思う。近くにいた友だちもみんなそうだった。一日中、笑わし、笑わされていた。面白いことを言えるということに仲間内ですごく高い価値が置かれていたように思う。おそらく若者はとはそういうものだ、というだけだろうが、たしかにそうだったという記憶がある。

どうしてあんなに笑っていたのか。昔のCMで、笑い転げる10代の女の子が、だって箸が転がるんですもん、と言うようなCMがあったが、箸が転がってもおかしい年齢というものがあると昔から言われているわけだ。それはいわゆる思春期、とくに女の子なのだ(たしか)。なぜなのか。希望に満ちているからなのか、ただ、情緒が不安定だからなのか。もちろん、今でもお笑いはよく見るし、仲間内でも面白いことを言い合う場面はある。が、それほど価値を置かれなくなっている気がする。もっと大事なことが人生にはある、と常に引き戻されてしまうからだろうか。

明石家さんまが、つまるところ笑いとは緊張と緩和なんだ、というようなことを言っていた。

そういえば、前のマクドナルドで子連れのママさんが隣に来て、という話を書いたが、あのとき、ふと、思ったことがもう1つあった。それは、ママさんが、子どもに「静赤にしなさい」とたしなめながら、ときどき、ぷぷぷっと吹き出していることだった。子どもが何かおかしいことをするのだ。それはおかしな顔かもしれないし、もっと無意識的なおかしな行動や言動なのかもしれない。ただ、かわいい、というだけで笑ってしまうことがあるのかもしれない。でも、こういう光景ってよく見るよな、と思った。

小さい子供を連れたママさんは、よく、ぷぷぷっと笑っている。子どものすることにウケているのだ。これは発見でもあった。僕は子どもがいないので、あーわかるわかる、とはならないのだ。だから興味深い。僕の感覚でいえば、ママさんは1日に少なくとも20回くらいは子どもに笑かされているはずだ。ただ、かわいい、かわいい、だけじゃなく、吹き出すほど笑えるってすごい。毎日うんざりするほどいっしょにいる相手に、こんなに頻繁に笑わしてもらえるってうらやましい。

子どもは何をして、ウケをつくりだしているのだろうか。天然ボケ的なことだろうか。

ザコシショウは「俺達の」笑いだ。かつてのダウンタウンがそうだったように。芸風が似ていそうな長野は、俺達の笑いじゃない。あれは奴らの笑いだ。みんなの笑いと言ってもいいだろう。正統派だ。ザコシショウは久々にテレビで見られた、俺達の笑い、と言う気がした。

でも、ザコシショウのネタは3回めくらいから、まったく笑えなくなるのが、少しつらさみしい。なぜなのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

リアルよりリアリティ

又吉の『夜を乗り越える』という本を読んでいました。

面白かった。又吉を好きになったかもしれない。『火花』を読んで、あれ、思ったような何かがもたらされないぞ、という気持ちになったりしたが、でも、何箇所か、おお、助かるよ、というところがあった記憶がある。具体的な箇所は今すぐ言えないが、そういうふうに書いてくれて、なんだか助かるよ、と思ったのだ。

そういうのってあるよね。おそらくは、『夜を乗り越える』のなかで、又吉自身が書いていたのだが、自分では気づいていなかったけど、そう感じていたようなことを、ズバッと書いてもらえると、共感というか、ほっとする、あの感じだ。

そうだよね、そう思っていいんだよね。という。

又吉は僕にとってそっち系の人に認定されたようだ。信じられる奴っていうやつだ。

まだ、予断は許さないという気持ちもあるが、ほぼ確定していいだろう。信じられる。

そういうことを言うと、お前は何様だという声が自分の中からもやってくるが、それでいいんだ、という声がさらにかぶせてくる。

それが正しい本の読み方だ、と。自己啓発な本もたくさん読んできた。すごく疲れているとき、そういう本を求めた。読むと安心できる気がした。すがるように行を追う。だが、どこかでわかっている。俺は信じていない。これを書いた人を。という感覚がどっかにあるときも多かった気がする。書いてある内容は最高だ。どこも間違っていない。完璧だ。それを証拠に感動している。でも、どこかでわかっている。この効果は続かない。し、これを書いた奴と会ったらきっと失望することを。

又吉は、失望しないだろう。それは又吉に又吉以上のことを何も期待していないからだ。傍観者の気持ちで見ているだけだ。そうか、そうやってやってんのか。でも、それだけで、なんとなく少し助かる。それだけだからだ。

人生に宿題なんてないのかもしれない。宿題なんか終わらさなくても、夏休みは終わる。二学期が始まって、先生におこられて、居残りでやらされるのかもしれないが、夏の宿題がおわらないうちは、夏が終わらない、わけじゃない。夏は終わる。夏が終われば夏休みも終わる。僕たちはただ慌てるだけだ。でも、二学期を始められるんだ。

あれ、なんかちょっと違っちゃったな。たとえが悪かったのかもしれない。

いま残念なことに気づいた。又吉は年下だ。。なんか本に書いてあると、人生のセンパイみたいな気分で読んでしまっていた。いいんだけど、自分より年下の人に、信じられる何かを求めるなんて、やっぱり、情けないと思ってしまった。

やっぱり村上春樹を読もう。。

春樹はセンパイだ。先輩なら先輩らしく、よすがになってもらえばいい。

ところで、若くして亡くなった、先人たちは、よすがにしていいのだろうか。それとも、それは、情けないことなんだろうか。太宰治なんて、俺は実はちゃんと読んだことないけど、あんなの、又吉は敬愛しまくってるけど、俺より若く、あの世にいっちゃってんじゃんか。そんな人が若気の至りで書いた文章を、ありがたがってはいけない気がしてしまうんだ。やっぱり俺のほうが長く生きた。それはゆるがない。太宰が悩んでいたら、俺が何か言ってやらないといけない立場だ。一応人生の先輩として、うんぬんかんぬん、だと俺は思うよ、だから、お前は、結局のところ、いろいろあるし、苦しいし、今はそう思えないかもしれなけれど、うん、お前は大丈夫だよ、と。

太宰、お前は大丈夫だよ。でも、しっかりやらなくちゃあだめだよ。現実にはひとつひとつ集中して対応していかないと、現実は現実だからな。でもね、そうやって、よっぽどへまでもしないかぎり、あなたならできるから、いっこいっこ、やって、丁寧にやっていけば、思った通りにはいかないかもしれないが、なんとかはなってるよ。

というようなことを、焼き鳥屋の隅で、酔った勢いで、言わなければならない。

でも、彼らは先人である。先人は、先に生まれているという意味でやっぱり先輩なのでは? 俺より先に人生を経験したことは間違いない。だから、まあ、いいことにする。

きょう、ラグビースコットランド戦、天皇の天覧試合を見ていた。惜しくも負けた。本当に惜しかった。悔しかった。まだ悔しい。なんでこんなに悔しんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことがどうしてできなかったんだろうと言いたい

最近、暑いので車によく乗るようになった。レイのマクドナルドへ行くのだって車だ。春先などは、イングレスにはまっていたこともあり、遠くまで歩くのを趣味のようにしていたが、Ingressはもはや僕のスマホで動かない産物となった。スマホが古すぎるのだ。iPhone4だ。4sじゃないぞ、4だぞ。もう動かないので、必然的に飽きた。

しかし、感慨深いもので、車を運転できるようになるとは、半信半疑だったころがある。そんなに昔じゃない。わずか5年ほど前だ。俺は根っからのペーパードライバーだった。学生時代に一年半かかって免許をとったあと、ほぼ一度も運転せずに生きてきた。車はいらなかった。し、嫌いだった。車は嫌いだった。子供の頃から、車は敵だった。車に酔ったのだ。だから嫌いだった。第一匂いが嫌いだった。あの、ガソリンと、プラスチックと、芳香剤のまざったような、不快な匂い。タクシーなどは最悪だった。まだ、Kトラックの、無骨な、鉄とガソリンの匂いしかしないほうが、酔わなかった。

まあいい。そん俺であるか、あ、そのまえに子供ネタもうひとつ。子どもって、男の子って、車派か、怪獣派に別れるんじゃないかな。物心ついたころから、車が大好きな事、怪獣とかウルトラマンとかにはまっていく子と。親がよく、俺は車に興味を示さなかった、と言う。周りの子がスポーツカーとか、カウンタックとか言いながら、ミニカーや車の絵本で興奮している横で、おれは怪獣消しゴムでひたすら架空のバトルを展開していたのだ。根っからの怪獣派なんだ。自慢じゃないが、まだ怪獣消しゴム持ってる。

で、話を戻すと、車だ。5年前、彼女とキャンプに行くことになった。当然運転は彼女だった。文句もいわず運転してくれた。GWで片道10時間かかった。でも、楽しかった。でも、やっぱり、このままではいけない、とガラにもなく思った。そして、ネットで調べて、ペーパードライバー講習を受けたのだった。

5回くらいはやったと思う。なんとか乗れるようになって、レンタカーを借りて、彼女の家に遊びに行こうとしたら、渋滞にはまって、3時間かかった。ご機嫌はななめになっていた。ということもあって、いつしかまだ、車嫌いになっていた。

簡単にいえばペーパードライバーに戻った。

そのとき、俺はもうずっとペーパーなんだろう、と少し思った。だが、最近は普通に車に乗っている。まだ緊張するから疲れるが、あれ、こんなことがどうしてできなかったんだろう、と思う程度には慣れた。

こんなことがどうしてできなかったんだろう。

いつかそう言えると思って、翻訳を一応仕事としてやってきた。もう4年たつ。だが、まだ言えない。なぜだ。悔しい。思ったより全然できねーっていう日が3日に1回くらい来る。楽勝と思えた日は一度もない。それは、べつに、贅沢を言っているからじゃない。そんなに高いレベルを目指しているわけじゃない。歩合の仕事なんだから、ある程度ペース良くなっていかないと、どうしようもない。だけど、すぐに脳がいっぱいになるんだ。早く言える日がくるといいな、それとも、やめる日のほうが早いか。こんなことがどうしてできなかったんだろう、といえる日が来るのだろうか。

人生は、思ったより簡単だったことより、思ったよりできない、ことのほうが重要だから困る。思ったより簡単なことで生きていけたらよかったな。

車の運転はいい。だって本当はどこかでわかっていた。見渡せば、おじいちゃん、おばあちゃんだって運転してる。あんなどんくさかった奴でも運転してる。だから、どんなに今はそう思えなくても、自分だって慣れさえすれば、普通程度には運転できるようになることが信じられる。だから、どっかで、時間の問題なんだ、慣れの問題なんだ、本当は負けっこない試合なんだということはわかっていた。

そうか、本当はやればできることなのかもしれない。大勢の人が、やれていることなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軽い罪悪感の日

2週間ばかり前になるが、奥居香さんがMを歌うのを間近で見ることができた。たまたま、新作アルバムのプロモーションでモールに来ているのに遭遇したのだ。やはり、Mはよかった。

そういえば、先日Mについてブログを書いたばかりなので、不思議なものを感じた。というか、単純にうれしかった。

さっき奥居香と書いてしまったが、垂れ幕には岸谷香と書いてあったので、訂正しなければいけないだろう。人妻なのだ。俺的には奥位香を名乗っていて欲しい気がするが、勝手な気持ちだし、それほど大きな気持ちでもない。

さっき、マクドナルドでパソコン仕事をしていたら、となりに小さな子を連れたママが来て、子どもが大きな声ではしゃぐのをしきりにたしなめていた。俺を気にしているようだった。気にしなくていいですよ、とか言おうかなとも思ったが、なんとなくわざわざこちらから言うのもおかしいかな、とか思いつつ、気にしていないというメッセージを全身からただよわせるように、少しわざとした。

ママがトイレにたったすきに、子どもとアイコンタクトをして、にっこり笑ってやった。お前たちのこと、ぜんぜん気にしてないから、気にせずはしゃげよ、というアイメッセージだ。うまく伝わったかなと思うすきに、ママが帰って来てしまった。

見られた。

もしかしたら、俺が子どもにメっと怒っているかのように思われてしまったかもしれない。冷や汗が出る。が、意識的にニコニコしてみたいので、たぶん大丈夫だろう。

とかなんだかいいつつ、やっぱりマクドナルドは家族連れや学生の場所であり、ちまちまパソコンいじってる俺が場違いなんだよな、と思いながら、でもまあほかにも2,3人同じような奴がいるな、と胸を若干なでおろしながら、仕事に集中したりしていたら、誰かに声をかけられ、はっとなった。

となりのママだった。うるさくしてごめんなさい、というようなことを言ったようだ。しまった!言われてしまった。と汗が出た。それを言われないようにボディーランゲージでがんばっていたのに、やっぱり、気にさせてしまっていたのだ。おれはとりつくろうに子どものほうを見て、子どもは元気なほうがいい、的なことを口走るが、なんだか意味が噛み合ってないような気がしたし、なによりも、慇懃ないやみに聞こえてしまったらどうしよ、と思って焦った。じわっと汗が出るのを感じたとき、おそらく2歳くらいのおそらく妹のほうが、ばいばーい、と言って、手を差し出してくれた。

おお、救世主。俺は、じゃあ、ばいばいなー、的なことをもぐもぐ言いながら、子どもとハイタッチをした。(こどもはハイだが、俺にとってはロータッチ)

ついでにお兄ちゃんのほう、推定4歳、にもロータッチをしようと手をだしたのだが、お兄ちゃんのほうは笑顔こそくれるものの、手を出さなかった。おお、もうそういう歳か、大人だ、とたじろく。ふと、ママを見ると、困ったようなエヘヘ笑いをしていた。

美人だった。

総合的にいえば、負けた、と思った。そういう後味が残った。もうお昼時にマクドナルドに行くのはよそう、と思った。マクドナルドは子連れママさんのオアシスであるべきなのだ。

それからホームセンターに家の玄関につける網戸をチェクしに行く。めぼしいものがない。うちは引き戸なのだが、引戸用の網戸はなんか高いものばかりなのだ。うーん、どうしようかなー、開き戸用を無理やりつけてやろうかな、と悩んでいると、少し離れたところに、うーんとうなっているおじさんが一匹。店員とのやりとりを聞いていると、網戸を買おうとしたのだが、網戸の外枠もついていると思い込んでいたのに、ついていないと聞かせれて、えっ、となっていたところらしい。おじさん、そうかー、そうなのかー、と落胆しながら、あきらめきれないようで、店員にお引取りを願ったあとも、巻き尺を取り出していろいろ計っていた。俺はにわかにおじさんがチェックしている網戸をチェックしたくなったが、待つのもなんだし、近づいていっておじさんにプレッシャーをかけるのもなんだし、あきらめた。

そして、近所にオープンした最近の新しい職場、あおい珈琲にやってきたわけである。今日は合計3回、車を駐車した。すべてバックせずに駐車できる場所に停めてやった。わざわざ停めにくい場所に止める必要などないからだ。だが、こんなことでは一向に駐車が上達しない、という罪悪感を、どう扱ったらいいか、決めかねて、暑い暑いと言いながらお店に入る。応対に出た店員が、おや、知ってる顔だ、的な反応をする。そろそろ常連だ。今日は暑いし珍しくアイスコーヒーだな、と思って席につくが、冷たい水がサーブされるのを見て、ホットコーヒーに切り替える。ただし、今日は炭焼きだ。そんなくだりを何十回とやってきたな、とまた軽い罪悪感を覚える。

今日は、罪悪感の日なのだろうか。

 

 

 

 

 

バレーボール、グリット、広島オバマ

最近、バレーボールのオリンピック最終予選をかじりついて見ている。女子バレーはしびれる場面がたくさんあった。イタリア戦の木村沙織の完全に本気になった顔と鬼気迫るプレーにびっくりしたし、そう、もう全盛期じゃないのかな、と少しさみしく思っていたのが、体が下から突き上げられるかのようにジャンプして、ありえない方角にスパイクを決める沙織選手に、なんだ、まだぜんぜんできるんじゃんか!と安堵と喝采だった人がお茶の間にたくさんいるはずだ。こんな感動話をあと5〜6はできる。そんな熱い闘いだった。

 

そんな日々を送っていると、自身もバレーボールをやっていた中学、高校時代を思い出すのは必然だ。いろいろな場面が思い出されたが、最近、リフレインしているのは、放課後、部活が始まるまでの時間を、チームメイトと一緒に過ごしたある日の場面だ。なぜそこに集まっていたのか、思い出せない。体育館がほかのことで使っていてまだ練習が始められない、とかそんなことだったように思う。教室に、1人、また1人と部活のメンバーが集ってきて、とはいえ、4人プラス女子マネくらいの感じで、窓から日差しがよく入ってきたように覚えている。

ぼくたちは椅子にすわってまったりしていた。女子マネが、最近、この曲がすきなんだ、と言って、MDのイヤホンを部員のひとりに回した。イヤホンを受け取った部員は、しばらく曲に耳を傾けて、あ、エムだね、俺も大好きなんだ、と言った。プリンセスプリンセスの『M』だ。

そのとき、ぼくはなんだかたそがれていて、Mはいい曲だよね、と心のなかであいづちをうちつつ、なんだかスッキリしない気持ちをもてあましていた。

おそらく、今日、練習するのが嫌だ、とかそういうような気持ちだ。そして、そう思う自分が嫌だ、という気持ちもあったように思う。基本的に練習が嫌いで、部活も嫌だ嫌だと思いながらやっていた。それでも上手かったら、漫画のヒーローにもなれるが、僕はうまいほうではなかったから、浮かばれない話にしかならない。

 

グリットが足りなかったのだろうか。いま、ライフハッカーの翻訳で、Grit(グリット)がテーマの記事に取り組んでいた。Gritとは、やり抜く力、というような意味の言葉で、最近、米国では少し流行っているようだ。なんでも、心理学者たちの研究で、さまざまな分野で一流の業績を収めた人に共通していたのは、才能ではなく、このグリットであることがわかったそうだ。ある学生が良い成績を収めるかを予測するには、その生徒のグリットがどれほどあるかを調べればいいらしい。アンケート調査でわかるようだ。

 

オバマ大統領が広島に来た。中継を見ていた。資料館に入って10分で出てきたときは、短いな、と思った。スピーチは、さすがにいいこと言うなと思ったけど、とくに際立ったことを言っているようには思えず、長いな、と思って聞いていた。だが、そのあとで、被爆者のおじいさんと握手をして語り合う場面で、おお、と心が動いた。胸が熱くなった。なぜだろう。すべては段取り通り行われるセレモニーだ。だが、胸は熱くなった。きっとこういうセレモニーは大切なのだ。オバマやっぱりすげえな、と思う。

テレビのなかで、ほかの被爆者のおじいさんが、オバマにほおずりしたいほどうれしい、と泣いていた。そして、肩の荷が降りた気がした、というようなことを言った。へえ、と思う。肩の荷が降りたのか。どういうことなのか。被爆者が抱えてきたやり場のない気持ちが、オバマの来訪と献花によって、報われたということなのだろうか。オバマは原爆を命じた大統領ではない。それでも、これほどの寛解がある。とにかく、よかった。オバマよくやってくれた、という思いがした。そういう僕も被爆者ではないし、身内に被爆者もいない。

そしてMである。久しぶりにMを聞こうとYouTubeをあさっていたら、なぜかテレビドラマがヒットした。なんとなく見始めたら、面白くて7話全部見てしまった。久しぶりに、ドラマっていいな、なんて思いながら見ていた。7年前に亡くなった夫を手放して、生きている人のほうを向く、というドラマだった。というか、主演女優がタイプだった。

 

さて、というか、やっぱり、オバマだ。オバマが広島に来た、これはやっぱり大きい。ドラマの主人公も、最終回、肌身離さず持ち歩いていた夫の遺骨をお墓に返した。そういうことがあって、未来を向ける、なんてことがあるんだろう、と考えていた。