日本人の英語

マーク・ピーターセンの『日本人の英語』に続いて、『実践   日本人の英語』を読んでいる。やられたー!の連続である。たとえば、ピーターセン先生のよると、日本人はThenの使い方がおかしい、という。「そこで、」の意味で「Then, 」と書く学生が後をたたないのだとか。これはネイティブによると、まったく意味がわからないのだとか。

え、俺もよくやるよ! まずthenの次にカンマなんて普通はつけないのだとか。それなのに、なぜが日本の学生たちは 「Then, 〜」と書いてくるのだと氏は嘆いておられる。

たしかに、俺もなぜ自分がそう書いてしまうのか、よくわからない。学校でそう習った覚えもない。たぶん、おそらく、単純に日本語の「それで、」と書きたいという気持ちが先にあり、それを単純に英語にしようとして、「それで」らしき意味のある言葉として、Thenが浮かび、単純に「それで、」と言いたいところに、「then、」と入れてしますのだろう。きっとそうだ。

ピーターセン先生のよると、たいていの場合、「それで、」と言いたいときは、thenじゃなく、and を入れておけばいいらしい。言われればそうだという気がする。ネイティブはみんなそう書いている。俺はここにジレンマを感じる。

今まで僕たちは、then,〜 みたいな英語は目にしてきていないはずなのだ。そのかわり、「それで、」の意味で「and、」と書かれた英文を少なからず目にしてきたはずなのだ。俺なんかで言えば、そういう文を山ほど翻訳してきたはずだし、「and、」を自ら「それで、」と(経験的学習として)訳してきたはずなのだ。

それなのに、自分で英文を書こうとすると、then, と書いてしまう。

つまり、それは、日本語に引っ張られているということ。英文を書くときにも日本語思考がどうしても出てきて、Thenと書かせるのだ。

もっと恐ろしい事実は。僕は「それで、」は「Then,」じゃない、ということを、以前にも読んだ気がする。どっかでそういう指摘に出会ってる気がする。でもすっかり忘れていた。きっと、今後もうよほど注意してないと忘れてしまうのだろう。で、また、Then、と書くのだろう。

これはつまり、レイヤーの違いだと思われる。

「それで、」を英語にしたいなら、「and, 」でいいんだよ、という知識は入るレイヤーと、「それで、」を「Then、」に変換しようとする知識が入っているレイヤーが違うのだ。「Then、」のレイヤーのほうが土台に近く、深く根付いているのだ。

だから、新しい知識を学んでも、単純に上書きされないのだ。「Then、」は学んだことというよりは、日本語という超基礎的なレイヤーから、自然と湧きあがってくる間違いなのだ。だからしつこいのだ。

おれは再三、ブログでも、翻訳が上達しねえ、とグチってきたが、これが原因なのだと思った。いくら翻訳の技術を身につけていっても、日本語という基本レイヤーからの「間違え」攻撃に絶え間なくさらされているのだ。

あれ、まてよ? 日英翻訳ならそれでいいが、俺がやっている英日翻訳だとその論理はとおらないか? 英語を自然な日本語に変えるのがなぜこれほど難しいか、という理屈にはならないか?

でもまあ、近いところにある気がする。脳内で、英文を日本語的に細切れに変換しているから、それをそのまま文章にすると、トントンカンな日本語になってしまうのだ。意味はわかっている(はず)なのに、なぜか普通の日本語にできない、という現象だ。

 

そう、翻訳という作業は、僕にとって、ある種の抵抗の連続、という感覚がつきまとうのだ。戦っている感じだ。積み上げている、とか、変換している、とか、そういう作業をしているというよりも、脳内で戦っている、という感覚に近い。だから変な疲れ方をする。たとえるなら、右足と右手を同時に出して歩く、という歩き方を、強制的に続けようとするような感じというか、わざわざいらんことをしている、という感覚がどうしてもつきまとう。

翻訳なんて、わざわざいらんことをしていることなのだろうか。わざわざ本質的な変換仕切ることができない、違う言語に変換することなどいらんことなのだ。

僕がバイリンガルなら、翻訳するというモチベーションがそもそも湧かないに違いない。僕は英語のままだと、やっぱりどこかわかった気がしないから、日本語にしてみることで、やっと読めた気がするゆえに、翻訳をするのだ、という側面が否めない。

そこにストレスとある種のやりがいを感じているのだ。

だから、たまにバイリンガルの職業翻訳家みたいな人がいて、日本語と英語を自由に行き来して、両言語で自由に読み書きしている人を見ると、自分がしていることが馬鹿に思えてくる。俺なんかが苦労していらんことせんと、あの人に全部やってもらったいい。

 

まあいい。今日書きたいことはそのことじゃない。翻訳のことじゃない。

こうした、プリミティブなものに、基本的なレイヤーに戦いを挑む、みたいな行為が、そこはかとなく、嫌いだけど、そこはかとなく、興味深い。そんな気がしていることに、今日、気がついた気がした。ピーターセン先生のおかげで。

それは、基本的に、いらんこと、であり、実用的にはあんまり意味がないことであり、当然お金にもならんかったり、人からも馬鹿じゃないのか、とみれらルようなことかもしれない。のかな?

 

筆が荒れてきているのは、早く帰ってサッカーを見なければと思いながら、導入したばかりのATOKでなれないタイプを繰り返してるからだ。

 

ここ数ヶ月、歯の間にワイヤーブラシを入れて歯を磨いている。歯医者さんの指導だ。最初は血がたくさん出た。いまではあまり出ないが、まだ数カ所、ブラシを入れると、はああ、と声を出したくなるような神経への刺激がある。あの感じは、とてもいやだが、1日一回、やらないと物足りなくなった。そういうことかもしれない。