橋本治がいいね、

春なんで褒めるシリーズ。橋本治がいいねだ。

いま、橋本治の本をよく読んでいる。いろいろ。最初に手にとったのは「蝶のゆくえ」だった。高橋源一郎がお勧めしていたので読んでみた。

しんどかった。読後感がせつないのだ。あー。これは物語なのだ、フィクションなのだ、と言い聞かせることができないくらり、ああ、きっと本当にこんなふうなんだろうな、と思わせるものがあった。軽々しく泣かせてくれない小説だった。

 

虐待されて死んじゃう男の子の話なんだけどね。虐待される子も、する大人も、みんなかわいそうになる物語だった。そしてそこはかとない怒りが湧いてくる。そう、この怒りは馴染みのあるものだ。日々うっすらと感じている、社会へのやるせなさ、みたいな感じかな。そーいうのがあったね。

 

それから、いろんな本を読んで、いま読んでるのは「二十世紀」という本なんだけど、面白くて、なかには読み通せなかったものもあるけど、なんかこの人の本は、一気に読めてしまうものがあって、リズムがよいのと、うんうん、そうそう、そうなのよ、みたいに共感を乗せていってくれるところがあって好きなんです。

 

ということで、どうやら橋本先生も「信じられる」に入れちゃおうかなーって思ってるところです。

しかし、この信じられるってなんなんだろうね、前も又吉の本のときに書いたけどさ。まあ、都合よく考えれば、自分が思っていることが正しい気にさせてくれる、みたいなことなんだろうけどさ。でも、うんうん、わかるわかる、とうなずきながら読んだあとで、まあ、でも、きれいごとだね、これは。と急に冷めてしまう人の本もあるんだよね。一方、この人はなんてまあ頭がいいんだろう、と感心して読むんだけど、どっかそこはかとなく、騙されちゃだめだ、ってごくごく小さな声がささやくこともある。内田樹とか、宮台真司かなーたとえば。どちらもどちらかというと好きな作家なので、悪くいうつもりはないんだけど、なんかひっかかるなあ、って感じがあったりする。

 

というか、別に比較して論じたいわけじゃないから、いいや。

そうじゃなくて、なんというか、ああよかった、君がいてくれて助かったよ、という素直な気持ちにさせてくれるのが、僕にとっての「信じられる」作家で、そういう人の本に出会うと、ああ、よかった、これで少し生きられる(おおげさ)と思うわけだ。

 

これってやっぱり、どこか勝手な解釈で、自分が肯定された気分になるからなんだろうけど、でも、それでいいじゃんというか、そういうものだってそんなにホイホイと見つかるもんじゃないよということなのだ。

 

たぶん、橋本治本人に会えば、いじわるなこといっぱいいわれると思う。あんたなんか、ごまかしばっかじゃない、って。でも、そういう形の肯定だってあるわけで、というか、僕のことをどう思うかなんてことではなく、橋本さん本人がどう生きて、なにを感じてきたのか、というところで、ああ、よかった、となるわけだと思う。ご苦労されているのか、されていないのか、ふわふわと掴みどころがなさそうな人なんだけど、とにかく、橋本さんをネタにたくさんのことが書けそうだという気持ちにさせる。ふふふというおかしみを感じる。それが大事なことなんだね。

 

ほうれん草はすごいと思った。

昨年の10月、いや11月になろうとかというころだろうか。父が急逝して少しして、母が庭の畑にほうれんそうの種を植えた。すぐに芽が出てきた。そしてゆっくりと3センチくらいまで育った。だが、そこで成長が止まってしまった。まてどくらせど、それ以上大きくならない。気がつけば冬になっていた。雪も降った。たまに思い出して見に行くと、一列に行儀よくならんだほうれん草は、元気をなくし、葉が黄色くなりかかっているものさえあった。このまま枯れてしまうのだろうか。植えるタイミングを間違えたのだろうか。母に尋ねると、いつもそうだよ、的な答えが返ってきたが、到底納得できるものではかった。

そして、あれ、気が付くと春が来ていた。同じ頃に植えたチューリップがぐいぐい芽を出し、成長して、ついには赤い花を咲かせていた。僕は、ほうれん草はどうかな、と見に行ってみた。あ。少し大きくなっている。ほうれん草は成長を再開させていたのだ。生きていたんだ。冬の間は、おそらく成長するだけの太陽エネルギーが得られないか、気温が低すぎるだからで、ぎりぎり死なな無い程度の生命活動を維持しいて、春が来たとみるや、一気に巻き返しにきたのだ。すごいと思った。よく耐え、そしてタイミングを逃さない。何事もなかったかのように、ほうれん草は育つのだろう。人工知能のロボットってこんな感じ?と一瞬思ってしまう。でも、よくプログラミングされている、としか言えないような感じを持ったのだ。種に入ってた装置すげえな、みたいな。

 

あんなに待ち焦がれた春なのに、本番が来てみると、なんかつらい。まず花粉症がつらい。が、それだけでなく、あんなに待ち焦がれた春が来てみると、自分は何を待ち焦がれていたのか、つきつけられるような気持ちになる。さあ、春がきたぞ、やってみろ、ほら、待ってたんだろ、と言われているような、うかうかしてると春が過ぎさるという焦りもあって、春が好きなのに、つらい、そんな矛盾の中にいま、いる。もうすぐ四月。 モスバーガーでマスクをしながら。なのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまさらながらMFクラウド確定申告を褒めよう

そういえば、今年の確定申告はあっといまに終わって、もう還付金が戻ってきていた。なんとあっけないことか。これでも65万円控除の青色申告のほうだぞ。

およそ3年まえ、白色申告で数週間、うんうんうなっていたのが隔世の感がある。でも、それは、金の力を借りたせいだとも言える。さすがに税理士じゃない。クラウドサービスだ。MFクラウド確定申告だ。

 

月に800円、つまり年に9600円払っているが、その価値はあったと思う。だって簡単だったから。すっきりと設計されたそのシステムもさることながら、なんといってもサポートが抜群だった。このサポートが受けられるなら月800円も安いものだ。チャットで質問するのだが、いつでもすぐに、「ご質問ありがとうございます」とやってきて、僕の要領を得ないだろう質問にキビキビと答えてくれる。だいたい、5分で解決する。

さすがに税務そのものに関する質問は税務署に聞けと言われてしまうのだが、こういう場合はどう入力すればいいの、〇〇っていう項目はどういう意味、などの質問は、僕がわかるまで丁寧に答えてくれる。

わざわざこんなに持ちあげるのは、昨年、競合のfリーなるサービスで嫌な思いをしたからかもしれない。多忙を極める確定申告シーズンだったからかもしれないが、ほとんど侮辱に近いサポート対応を受けたのだ。あれ、そのとき書いたかな? でも、まあ、たまたまかもしれない。たまたま不機嫌なバイトくんに当たってしまったのかもしれない。でも、お金を払っていたのだ。いろいろ比較検討し、特集記事などをふむふむと読んで、よし、これはよさそうだ、これに決めた!と決めたわずか3日後に、かようのしうちを受ければ、グチのひとつも垂らしたくなるのが人の常である。あまりに腹がたったので、即効で解約するとともに、自分にしては珍しく、できればお金を返してほしい、と書いてしまった。もちろん、お金は返ってこなかった。コピペの謝罪文がさらっと送られてきただけだった。

 

まあいい。花粉症で平熱なのに微熱があるみたいな日が続いているからといって、悪口ばかりを吐いてはいけない。だから、褒めようと思って書きだしたはずだったのだ。そう、MFクラウド確定申告は、その点いいぜ、と言いたかったのだ。

サポートのよさは、ある程度何度かサポートを受けてみないとわからないからね。だから僕が確定申告のためにクラウドサービスを使ってみようかな、という人たちのために、いま書いているんだ。MFクラウド確定申告がいいと思うぜ!ってね。

 

 

春なんでテンション高めで書いた。

 

 

 

 

楽天主義者の未来予測

ぼくは本当はそんなにデジタルな人間ではない。

なんとなく、社会人になって依頼、IT業界をうろうろとしてきたが、プログラマーでもないし、iPhoneだっていまだに4を使っているという遅さだ。いまどき、遅れてる奴でも5Sくらいもっている。つまり、最新技術にあんまり興味ないんだろう。使えるものは使えなくなるまで使う、みたいな人間なのだ。

 

それはTシャツなんかにも適用されて、よく友人などから服装がだらしないと注意されるのだが、ふつうにみんなと同じTシャツにGパン履いてるだけなのに心外だと思っていたが、あるとき、鏡をまじまじと見たら、わかった。Tシャツの首のところがゆるゆるで、ダラーンとしていた。すそも波打っている。よくみればプリントの色もすっかりはげていた。

 

Tシャツは徐々にくだびれたから、気付かなかったのだ。まだ着れる、どこも破れてないと思っているうちに、周囲からみたら、ボロボロの服をきている妙な奴ということになっているのだ。新しい服が欲しいという欲もあんまりないのだ。

 

という話がしたいんじゃない。

 

なんか、TVで最近明石家さんまを見るとイラっとするようになって、なんだろうと思っていたら、さんまがちょいちょい、自分は芸能界の成功者だ、というアピールをしていることに気づいた。それだけのがんばりはしたんだ、ということも匂わせる。

 

いや、おれはさんまはどちらかというと好きだ。でも、生き馬の目を抜く芸能界で必死にがんばった、そして今の俺があんねん、的なのが、なんかイラっとする。

 

それは、第一に、ちくしょう、うらやましい、それだけだろう。でも、第二は、なんだよ、芸人つーのは、世間とちがう価値観で生きてて、その存在で人をいっときなごませる種類の人間じゃないのかよ? というか、そうだったらいいのに、と思ってしまうのだ。

いまテレビに出ている芸人だちは、みんながんばりすぎてる気がする。まじめというか、つまりはテレビに出れるんだから成功者なんだ。異端者というよりは。

お笑いの技術はあるかもしれないが、お前みたいな奴が生きてるってことが救いだよ、思えるような存在様式ではない。芸能という社会の階段を一歩一歩登っていく普通のがんばりやさんなのだ。

 

いや、べつにそれは何も悪く無い。いいたいのは、業界の構造のことなのかもしれない。明石家さんまは、業界のなかの数少ない金の椅子を獲得した成功者ではあっても、業界のパイを広げた人ではない、というか、テレビの世界のパイはまるで広がってないということだ。言いたいのは。テレビで活躍デキる人の数は決まっていて、そこのレギューラーメンバーに入ることをみんなが目指していて、ひとたびそれを手に入れたら、そこからこぼれ落ちまいと必死にがんばる。ああ、これでは世間そのものではないか、、という嘆きだと思っていただければいい。

 

そんなのそうなってんだからそうなってんだよ。という声が自分の中にもあるが、やはり笑いの世界も競争なんだね、というどこかさみしい気持ちが湧くのも事実なのだ。こんなに腹を抱えて笑わせてくれてはいるが、その裏には血もにじむような。。みたいな。

 

まあ、芸能界批判をしたいんじゃないんであって、ちょうどさっき『楽天主義者の未来予測』という本を読んでいて、そこには、世界は潤沢に向かっており、世界中の人が豊かに暮らせる未来がやってくるのだ的なことが書かれていたからかもしれない。

 

テクノロジーのおかげで、世界の食糧問題や水問題、エネルギー問題、環境問題などは解決するだろうという方向で未来が描かれている。

 

IT業界でよく皮肉な話として自嘲的に言われるのが、ITのおかげで仕事はとても効率化されたのに、(ワープロがない時代の書類作成を考えるだけで。。Eメールがない時代の会社間のやりとりを考えるだけ。。。)、働く人はちっとも楽になってない、労働時間も減ってない、むしろ増えている、という議論だ。

 

自分だけがITで効率化されたとしたら、おそらく、楽になったのだろう。みんなが8時間働いてやっていることをIT使って4時間でやっちゃう。あとの4時間は余暇だ。同じ成果を上げているんだからもらえる報酬は同じだ。となるはずが、そういう時期もいっときあったかもしれないが、気がつけばみんなITを使いはじめて、社会全体のスピードがあがってしまった。おいしくなくなってしまったのだ。もちろん、ITを使いこなせない人たちは脱落していったのかもしれないが、それでは意味がないだろう。万人が楽になるはずのIT革命ではなかったのか。

たしかにむかし苦労してやっていたことが、楽にできるようになったという意味では万人に恩恵が与えられたのだ。数字が変わる度に電卓でパチパチ計算していたものが、エクセルに入力すれば何度でも瞬時に計算してくれる。とか。

 

これはなんかおかしいな、と思ってしまうよね。

産業革命はよかったのかもしれない。それは基本的なサバイバルのレベルで人類に貢献したのだから。機械化のおかげで、食料生産がどれほど楽になったか。治水がどれほど楽になったか。衣類も安価に手に入る。いわゆる衣食住が、明らかに万人が(アフリカとかこれからの地域は別かもしれないが)生きる、生き延びることが楽になったと思われる。平均寿命の伸びがそれを証明しているとも言える。

 

だが、IT革命はこれ、ほんとに人の生活を楽にしたのか?と思う。なんか、古いNHKニュースとかみてると、昔のサラリーマンとか、会社来てから悠然とお茶飲みながら新聞読んだりしてるけど、一体どんな会社?ってこともあった。みんな5時に帰ってたらしい、とか。それで今と同じくらいの「満足度」の生活を維持できた、んじゃないかな。

 

つまり、人工知能でどうなる?という。よく、人工知能の発達でこういう職業がなくなる、だの、失業者がこんだけ増える、だのという予測を耳する。それは本当にそういう予測ができるんだろうけど、じゃあなんでわざわざそんな未来に向かうんだということでもある。テクノロジーは万人を楽にするために発達してきたんじゃないのか?という。人工知能+ロボットで、人間の仕事が代替されました。じゃあ、人間は遊んでくらせばいいじゃないか。なんで失業を心配しなくちゃいけないのか。働かなくても暮らせる社会がやっと実現するんじゃないのか?

 

というのは、口にするのも恥ずかしい馬鹿みたいな疑問なんだけど、なんかはっきりとした回答を聞いてない気がする。僕自身、考えても、うまく考えが進まないというか、どっちにも考えられる気がする。人間にとって遊んでくらせる世界は楽園ではないという気もする。人間には、なにか意味のあること、人の役に立つことをしていたいという本能みたいなものがある気がするからだ。だからといって、せっかくがんばってロボットつくったら失業者たくさんでました、さあ問題です、ってのもバカバカしい社会運営だという気がする。でも、いわゆる自由主義的資本主義ってそういうもんでしょ、という気もするし、別に昔から人間社会なんてずっとそんなもんだよ、という気もする。

 

3年くらい前に、アジアに出て住んでみたとき、僕の頭にあったひとつの疑問は、日本はこんなに豊かになったのに、自分を含め人びとに豊か感がない、余裕感がないのはなんなんだろう、というものだった。外国から日本を見ればなにかわかるかな?と思った。だが、インドネシアとタイに行ったのが間違いだったのか、いまいちわからなかった。両国ともこれから経済発展する国で、活気があり、逆にいえば、日本が来た道を遅れてたどってきてるだけにも見えた。高度成長というやつだ。だとしたら、そこにあの疑問の回答などないのは当たり前なのだ。いままさに物質的に豊かになるのを楽しみ、盛り上がっている最中なんだから。

 

だから本当は日本より先を行っているヨーロッパ行かないとだめだったなーって思ってるけど、どうなんだろうね。

 

とりえあず、『楽天主義者の未来予測』の上巻しかまだ読んでないから、下巻に回答なりヒントなりがあることを祈る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想なのかあるいは調子がいいのか

生きていると、すべてが段取り通りだと感じることがまれにある。

あるよね?

たとえば、お目当てのカフェに行こうとしたら、閉まっていて、仕方がないから近くの古ぼけた喫茶店に入ったら、そこでたまたま同級生に会って、そのつてて、さらに昔の親友に会うことになって、小学生時代からのわだかまりがひとつ解けることなって…とか。適当に書いたけど。

こんなにわかりやすいものじゃなくても、何か当初の予定が狂ったかに見えたが、あとから考えたら、そのことで正しい方向に進むことができた、みたいな。

そういうことって、そのときは、どこかスピリチュアル的な運命のような、神の導きのような感じがするけど、ただ、なんでも前向きに受け止められるほど精神の調子がよいだけなのかもしれない。し、裏を返せば、人生にどっちに転んでも受け取り方次第、ということだけなのかもしれない。

 

まあいいとして。

今日、なんとなく遠くのカフェまで歩いていって、そこで仕事をしようと考え、午前中のワンセッションを終えた僕は、Ingressを片手に家を出た。

途中、というか歩き出す当初から、そういえば、こっちへ歩いていくならほかの曜日にすればよかった、なぜならば今日は、前から行ってみたかったカフェの定休日であることを知っているからなのだが、でも、まあ、今日はそっち方面となんとなく決めちゃったから、歩いていれば別のカフェが見つかるだろうと、楽観的に歩みを勧めた。

Ingressをしながら1時間ほど歩いて、そろそろカフェを探そうということで、周囲を歩きまわるが、めぼしいお店が見つからない。ない。不毛地帯だ。

足も疲れてきたので、そうだ、ひと駅戻るけど前に行って、そこそこ落ち着けた喫茶店に行こうということで、そっちへ向かう。

が、本日は閉店なり。あらら。ということで、即座に、じゃあもう少し戻ってもう駅前のミスタードーナツでいいや、いまいち落ち着かんけど、ということで向かう。

結構混んでて、なんとなく座った席はトイレの横で、ばたんばたんとうるさいうえに、3人にひとりの割合で、トイレを開けっ放しにしていく。女子トイレなのに。

2時間くらい仕事しようと思ったが、1時間もせずにたいさんすることに。

なんだかついてないや。

こんな日でも、すべては段取り通り、だったのだろうか?

それとも、ただ、運が悪かった、あるいは間が悪かったのだろうか?

では失敗だろうか?

どう考えても、得られなかったものに対する見返りなどなかった気がする。

ただ、ひたすらがっかりしただけだ。

では失敗?

今日は失敗DAY?

じゃあ、こういうことじゃない?失敗したということは、チャレンジしたということじゃない? しょうもないけど。ただ、行き当たりばったりで遠出してきただけだけど。

これも自宅にこもっていたら起きなかったアクシデントじゃない?

と、ここまで考えて気持ちが一瞬あがりかけたが、話のあまりのスケールのちいささに気づいて、いっきにしぼんだ。

北風がぴゅーっと吹いてきた。でもね、と思う。俺は北西の1KM くらい先にそびえたつ、2棟のマンションを見つめている。

僕がこの土地に引っ越したときから、あの2つの巨塔は立っていた。周囲に高いビルがひとつもないから、ニョキっと突き出て、要塞かなにかのよう。

あれはなんだろう?と駅に向かう途中、駅から帰る途中、何度となく見上げてきた。たぶん、数百回はこころに印象を刹那焼き付けてきた。でも、それがなんであるかは30年、知らなかった。

だが僕は。もう知っているんだ。先週、Ingressをしていたら、たどり着いていた。あの塔に。ふたごのようにそびえたつ、あの茶色の要塞に。そこは、ライオンズマンションだった。

家から徒歩でこれる距離なのに、一度も近付いたことがなかった。なにも用事がないからだが、それがライオンズマンションだと確認したとき、かすかな感動がやってきていた。

そうか、ライオンズ、マンションだったのか。

それからというもの、あの建造物を見上げるたびに、「俺はあそこに行ったことがある」と、誇らしい気持ちがこみ上げる。俺はあそこに、行ったんだ。

 

30年たった。ライオンズマンションを見つづけてきた。

僕の記憶のなかには、ライオンズマンションを見た時の気持ち、というものが、シリーズになって保存されている気がする。それはたいてい、おなじトーンだ。少しさびしく、心もとなく、少しだけ開放的な、そんな気分だ。

あれはなんだろう? いつもそう思っていた。今思えば、どっからみても普通の構想マンション以外の何もでもないのだが、なぜか僕は、30年間、あれはなんだろう、という気持ちであれを見てきた。なぜだったのだろう。それはおそらく、周囲からあまりに突出していて、巨大なアート作品か、かつての繁栄のなごりを残す廃墟か、それとも幽霊みたいな蜃気楼なのか、そういうふうに僕は印象しつづけてきたように思う。

さみしい。いつもさみしい気持ちで見ていた。明らかに僕の中でなにかを象徴している、そんなライオンズマンションなのだ。

はるか遠くに給水塔をみたときの気持ちにも似て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

INGRESSを始めた、面白いやら、がっかりやら

前回、歩くことについて書いたからだろうか。INGRESSというゲームをいませっせとやっている。GoogleがつくっているGPSを利用した陣取りゲームだ。

 

なんとなく存在は知っていたが、ゲームはほとんどしないので、スルーしていた。でも、なんとなく気になってインストールしてみた。このゲームを始めてすごく歩くようになったという報告かなんかを見たからだと思う。

最初の3日くらいは何のことだかわからなかったが、コツがつかめてくると、次のポータルへ行かざるをえなくなって、結果、よく歩くようになった。

不思議なもので、それまでは、近くの書店まで往復3キロの道のりがけっこうな遠出で、出かけるのに気合が必要だったものが、最近では、その書店からさらにどこへ行こうか、的な発想に変わってきている。つまり、たくさん歩くようになった。

それまでは、一日30分以上歩くといい、とテレビでやっているのを親が見て、あんたは運動不足だから歩きなさい、30分歩きなさい、と言われていながら、いざ歩いてみると30分ってけっこう長い、よく歩いたと思ってもまだ15分、みたいな感じだったのが、昨今では、といってもまだ一週間程度だが、おっときづいたら90分、みたいな感じになっている。

まさか歩く時間が長すぎるのを気にするときが来るとは思っていなかった。あんまり長く歩くと仕事にさしつかえる、という気持ちが湧いている自分に驚く。

あれだけ歩くのに苦労していたのに。

とはいえ、飽きっぽい僕のことだから、一ヶ月も続くのか怪しいものではあるが、歩くことが義務から権利に変わったような斬新さがあった。

つまりは、INGRESSは面白いということなのだ。

そして、なーんだ、とがっかりする気持ちも湧いている。

自分に、である。

運動して健康になるんだ、という固い意志は5日と続かないのに、ゲームとなると、あっという間に10日はつづく。なんだよ、意志弱いくせに、ゲームには簡単にハメられて。。

だけど、あれ、デジャブ、とも思う。

そう、サーフィンを始めた時に思ったこと。

サーフィンをやるまで、海に入るのが嫌いだった。

べたべたするし、なにより、波に酔うのだ。海水浴にいってちょっと深いところで遊んでいると、1時間もしないうちに気分が悪くなる。

もう寝ていたい、となる。そもそも、泳ぐこと自体も好きじゃない。

ということで、大人になってから海水浴など行かなくなって久しい。

ところが、サーフィンという遊びを覚えたら、海が好きでたまらなくなった。

海があると入りたくてたまらない。もちろんサーフボードを持って。

今は(海が遠くて)やらなくなってしまったのだが、やっているときは、海を見ただけでよだれが出るような気持ちだった。あのスリルと快感を早く味わいてー。

 

おわかりいただけると思う。そういうことは人生によくある気がする。

遊べるとなると様相が一変する。ゲーム的な快感なんて、しょせんは低級な快感、せつなの快感なのだろうが、それに俺はこんなにも弱い。

まだ、ビデオゲームじゃないだけいい、そう言い聞かせて今日もスマホ片手に歩き出す。これは健康のために自分をだましているんだ、ゲームにあえてはまっているんだ、と言い訳をして。

あれほど散歩しなさい、歩きなさい、少しは運動しなさい、と口をすっぱくしていた親が、最近などは俺が出かけようとすると苦虫をかんだような顔をする。あんまり歩いてばかりおったらいかんがね、仕事できんがね。

いや、仕事の時間は前から変わってないよ、という事実を簡潔に述べて、すまなさそうに玄関を出る。

なんで歩くのにこんな罪悪感をもたなくちゃいけないんだ。と思いながら。

いつまで続くかわからないが、続いたほうが健康に間違いなくいいとは思う。それがゲームだとしても、その時間の95%はただ歩いているのだから。(5%は立ち止まってスマホをいじっている)

ゲーミフィケーションというらしい。やるべきことをゲーム化して、生産性をあげることを言う。僕は簡単にゲーミフィケーションされてしまうようだ。

だが、Ingressの思想には共感するところがないではない。ゲーム化することで、ふだん完全に飽きていた近所というものが、割りと楽しい遊び場になったのだ。そして、近所の神社や公園にやたら詳しくなっている。ふだん、散歩といいながら目的地との往復しかしていなかったんだ。知らない場所がたくさんあった。

歩いている最中、ぼくの意識の中心にはゲームがある。だが、周辺の意識では、自然と目に入ってくる風景や建物、人びとの営みを追っている。あるときふと思った。あれ、こんな雰囲気のいい道があったんだ、天気もいいし、こんなイヤホンなんかはずして、周囲の環境音を楽しもうじゃないか! イヤホンをはずす。音が流れ込んでくる。遠くの子どもたちの歓声、飛行機雲が伸びていく音、自動車、風で木々がさらさらと音をたてる。ああ、気持ちいい。

だが、だが、しかし。5分もするとすぐに飽きてしまって、たいくつないつもの地元に早変わりする。ああ、つまんね。モヤモヤと妄想が湧いてくる。いつもの考え事をしはじめる。ああ、もう家に帰ろうか。

やっぱりゲームのがいいや、ということで、イヤホンを耳につっこむ。またINGRESSの世界に入り込む。なんだかなあ・・

どうして感動は続かないのだろう。日常を生きるという感動は。数分しか続かない。

どうしてゲームなんかの「面白い」は結構長持ちするんだろう。一回に数時間は続くし、また翌日も続いていく。

本当は、タモリみたいに、自分で日常をゲーム化というか、興味化して、勝手に自分流に楽しんでいくのが一番いいんだろう。他人がつくったゲームに乗っかるばかりではなくて。

俺はやがてIngressに飽きるだろう。それは間違いなく。でも、飽きたからといって、それまでに歩いた距離がなくなるわけではない。かならず何らかの体の変化、それがダイエット効果ならびに健脚効果となることが望ましいが、となって現れるはずである。体は(ほぼ)物理の世界に属している。動機がなんであれ、ゲームであれ、歩いた時間は歩いた時間なのだ。

歩くことがそんなに大事なら、純粋にウォーキングを極めればいいじゃないか、というかもしれないが、それじゃだめなんだよ、やっぱり。できないんだ。

自分をソーシャライズするための言い訳を探している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩くという不思議

たまに衝動的に散歩に出ることがある。普段から極端に出不精な僕は、昨夏のあいだは一日に一歩も家から出ないことも珍しくなかった。ただでさえ暑い上に、行くところなどないからだ。

秋になり、冬が近づいたころ、さすがに体が悲鳴をあげたのか、歩いてくれ、外に出てくれと言っているような気がするようになった。具体的には、体がむずむずして落ち着かなくなる。

で、でもとりたてて用事はないし、気の利いた散歩道があるわけでもなく、どちらかというと昼間からフラフラ歩いてると、この、かつての農村に住宅街がじわじわと広がり始めている田舎町では、人の視線が気になる(気がする)。ということもあって、一度は、ほら、仕事、仕事、ひとつでも翻訳を仕上げてからまた考えよう、などと頭がさとしにかかる。が、体の要求が勝つと、えいや、とばかりにあてもなく歩き出すことになる。

 

そういうときはたいてい、なるべく歩いたことのないところを歩こうとする。そのせいで、目算をあやまり、一応目的地なんかも強引に決めたりするものだから、30分で帰るつもりが90分たっても帰りつけないこともある。靴も油断しているから小指が痛くなったりする。

 

そう、不思議なこととは、歩いていると、上半身と下半身が別の意志を持っているかのように感じられてくることだ。

下半身は、つまりは脚は、テクテクと一定のペースで歩きつづけている。とくに疲れもなく、ただ、機械のように体を運んでいく。上半身は、といっても働いているのはもっぱら頭なのだが、頭はいろいろなことをとりとめもなく思考し、急に自暴自棄になったり、不安になったり、妙なひらめきによって希望に満ち溢れたり、忙しい。

でも脚は、我関せずと一定のペースを守っている。ストップと指令を出さなければ、いつまでも進み続けるのではないか、と思われてくる。

人間にとって歩くという行為は、ものすごく基本的な行為なのではないかと思えてくる。呼吸とか、食べる、みたいな。

だって、ぜんぜん疲れない。いや、疲れるのだが、思っているよりぜんぜん疲れない。すごく久しぶりに歩いているのに、1時間歩き続けても、もう立ち止まろう、という意思は脚からはやってこない。

たいていは、暑い、とか、喉がかわいた、とか、飽きた、とか、靴の調子が悪い、とか、歩くという行為そのものとは違う要因によって、歩くのをやめたくなるのだ。

歩くこと自体は、生きる、ことみたいに基本的な行為としてあったのだろうと思われてくる。

ぼくは走らないが、ランニングを日課とするひとは、走る、がそういう行為になっているのだろうか。僕は走るのはどちらかというと嫌いなのだ。

以前、ドキュメンタリーで、目も耳も機能していないという赤ちゃんが、その場からまったく動かなくなるというのを見た。なんでも、目からも耳からも刺激が入らないと、何かに興味を惹かれて、そっちへ行こうとする意志が生まれないからだという。もちろん触覚は機能しているから、手に触れれば興味をもつが、手に触れたということはすでにそこにそれはあるわけで、手足を使って移動する必要などないということになる。その場でずっとそれと戯れている。

その後、大人たちがなんらかのソリューションを見つけ出す流れだったと思うが、今は覚えていない。覚えているのは、そうか、赤ちゃんも、動くのに意志を必要とするのか、という感慨だけだった。

 

元旦は近所の社に初詣に行ってきた。すごい晴れていた。道すがらすごいなーと頭のなかでつぶやくほど、そらが青く晴れ渡っていた。1月1日にこんな陽気に恵まれるなんて、なんだかすごいことなんじゃないかと思った。すごくおめでたい国なんじゃないか、みたいな。

おみくじを引いた。村のじいさま連中がお神酒でへろへろになって笑っていた。平和だ。3番だった。お、はじめてじゃないか、と誰に言うでもなく、じいさまのひとりが言った。3番のくじを渡された。いろいろ書いてあったが、基本、時期を待て、と書いてった。もろもろうまくいくけど焦るな、みたいなことがずっと書いてあった。でも大吉みたいだった。ふーんと思う。これでも大吉なのか、とちょっと不満に思う。もっと威勢のいいコトを書いてあってもいいのにね。おみくじを結びつけて帰ろうとしたら、あ、お手水を忘れていたことに気づく。新年早々、無礼をしてしまった。

帰り道、やっぱりそうだ、と思う。実は出かける前は、すごく出かけれうのを迷っていたのだ。元旦ぐらい家でゆっくりしても罰はあたらない、などとつらつら考えていたところを、でも初詣くらいいくか、と重い腰をあげてきたのだ。で、やっぱり、歩き出せば、歩けるもので、いま、家の近くまで帰ってきたのに、もう少し歩き続けようと、遠回りするために道路をわざわざ反対側へ渡ったところだ。やっぱり、歩き出せば、歩きつづけようとする。それはただの慣性の法則 なのかもしれないが。 

 

 

 

 

 

みんな記憶喪失

よくあることで、誰もが経験することだと思うが、子どもは記憶を喪失する。

もう何年も前だが、ある子どもと再会した。その子はたしか9歳くらい。その子の両親と僕は友だちで、その一家とぼくはわりと近所に住んでいたから、よく家族ぐるみで遊んでいた。その子は当時、2歳だった。ぼくはものすごく覚えている。ものすごく人見知りで、最初にあったときにはぜんぜんしゃべってくれなかった。何度か会ううちに、あととき突然、仲良くなって、ふたりともテンションあがって、それからものすごく仲良くなった。僕の誕生日などはおめでとうを何十回も言ってくれて、ぼくはもうれしくてたまらなかった。

だが、まもなく、その子は遠くへ引っ越して、ほとんど会わなくなって、こっちも海外をふらふらなどしていたから、やっと再会できたときには7年ほどがたっていた。

僕はドキドキした。覚えているだろうか。

しかし、あろうことか、まったく少しも覚えていなかったのだ。あんなに遊んだのに。。。。

僕が必死に想い出を語ろうとすると、怯えたような目をするので、かわいそうになってやめた。僕は知らないおじさんでしかなかった。

残念だった。でも半分は予想していた。だってそういうものだから。俺だって2歳のころの記憶は1ミリもない。親から、〇〇くんと毎日あそんで大の仲良しだったと聞かされても、おもかげさえも思い出せない。

だから、そんなものなのだが、大人側はぜんぶ覚えているし、それもとてもあたたかい想い出としてそれなりに大事に抱えてきているので、当の本人がまったく覚えていないと、何かが失われた気さえしたものだった。

だが、別に何も失われていないはずだ。俺の記憶は俺の記憶として、そのままあるし、過去のいい想い出が、悪い想い出に変わったりはしない。過去の出来事は少しも変わらないのだし、その子と僕があんなに楽しい時を過ごしたこと、その笑顔にあんなに慰められたことには、少しも変わりはない。はずなのだ。

記憶が人をつくっているのだとすれば、あの子は2歳までの記憶がないのだが、あのころのあの子とはもう別人といってもいいのかもしれない。もちろんそれは、僕にとってということで、ずっとそばにいた親兄弟からすれば、まったく生まれた時からあの子のままだ、ということになるのは当たり前である。

だが、なぜ覚えていてもらいたいと思うのだろう。

いま、過去は過去として独立て価値があるのか、ということを書いてみようかと思ったが、なんだか少しちがうなと思ってしまった。

 

星野道夫が本の中で、こんな話をしていた。

アラスカかだかのテレビの撮影のガイド役をしていたときのことだか、撮影クルーはクジラかだかの映像を撮りにきていたのに何日もクジラに出会えず、イラつきだしという。そこで星野道夫はこう言ったそうだ。クジラにはもしかしたら出会えないかもしれない。そのことで番組には支障がでるかもしれない。でも、いま君たちはアラスカの大自然のなかにいて、一生の間でもう二度とこの地には戻ってこないかもしれない、かけがえのない時間を過ごしている。そのことにもっと大切にしてほしい、だとかなんだとか。

それを読んだときはまったくそのとおりだと思ったが、いま、でもやっぱりクジラ撮りに何百万(あるいは何千万)もかけてやってきて、撮れませんでしたじゃやっぱりすまないだろう。どれほどの損害があるかわからない。それは本当にアラスカで数日間を過ごしているということより価値が低いことなのだろうか。などとヨコシマなことを思ってみる。

 

たいてい、良心の呵責のような気持で、誰かになにかをやってあげなくちゃと思ってやると、裏目に出る。こっちは大変な思いや、いろいろ犠牲にしてやってるのに、相手は、あ、どうも、くらいのリアクションだったり、わざわざしなくてよかったのに、と同情的な目で見られたり、悪い時には、面倒なことをしてくれたなーという苦い顔を返されるときもある。そういうとき、あれ?なんだこれは?とびっくりする。怒りさえ湧いてくるが、たいていは、あとから冷静になると、やっぱり余計なことを勝手にしていたということがおおい。でも、そのときは、なんか、そうしなきゃ自分がすごくケチだったり、やさしくなかったり、義理人情がないように思われる、というか自分でも思ってしまう、みたいな焦りに似た気持で行動するんだけど、そういう焦りがあることじたいが、もう本当はやらなくてもいいことであることを示しているのだろうと思う。でもたまに、ああ、やってよかった。本当にやっといてよかったと思うこともあるので、はっきりいって、未だにその見分けはついかないのかもしれない。

 

最近、バランスボールを椅子代わりにしています。結構快適で、あれ、ぜんぜんオッケーじゃんって思っている昨今です。