楽天主義者の未来予測

ぼくは本当はそんなにデジタルな人間ではない。

なんとなく、社会人になって依頼、IT業界をうろうろとしてきたが、プログラマーでもないし、iPhoneだっていまだに4を使っているという遅さだ。いまどき、遅れてる奴でも5Sくらいもっている。つまり、最新技術にあんまり興味ないんだろう。使えるものは使えなくなるまで使う、みたいな人間なのだ。

 

それはTシャツなんかにも適用されて、よく友人などから服装がだらしないと注意されるのだが、ふつうにみんなと同じTシャツにGパン履いてるだけなのに心外だと思っていたが、あるとき、鏡をまじまじと見たら、わかった。Tシャツの首のところがゆるゆるで、ダラーンとしていた。すそも波打っている。よくみればプリントの色もすっかりはげていた。

 

Tシャツは徐々にくだびれたから、気付かなかったのだ。まだ着れる、どこも破れてないと思っているうちに、周囲からみたら、ボロボロの服をきている妙な奴ということになっているのだ。新しい服が欲しいという欲もあんまりないのだ。

 

という話がしたいんじゃない。

 

なんか、TVで最近明石家さんまを見るとイラっとするようになって、なんだろうと思っていたら、さんまがちょいちょい、自分は芸能界の成功者だ、というアピールをしていることに気づいた。それだけのがんばりはしたんだ、ということも匂わせる。

 

いや、おれはさんまはどちらかというと好きだ。でも、生き馬の目を抜く芸能界で必死にがんばった、そして今の俺があんねん、的なのが、なんかイラっとする。

 

それは、第一に、ちくしょう、うらやましい、それだけだろう。でも、第二は、なんだよ、芸人つーのは、世間とちがう価値観で生きてて、その存在で人をいっときなごませる種類の人間じゃないのかよ? というか、そうだったらいいのに、と思ってしまうのだ。

いまテレビに出ている芸人だちは、みんながんばりすぎてる気がする。まじめというか、つまりはテレビに出れるんだから成功者なんだ。異端者というよりは。

お笑いの技術はあるかもしれないが、お前みたいな奴が生きてるってことが救いだよ、思えるような存在様式ではない。芸能という社会の階段を一歩一歩登っていく普通のがんばりやさんなのだ。

 

いや、べつにそれは何も悪く無い。いいたいのは、業界の構造のことなのかもしれない。明石家さんまは、業界のなかの数少ない金の椅子を獲得した成功者ではあっても、業界のパイを広げた人ではない、というか、テレビの世界のパイはまるで広がってないということだ。言いたいのは。テレビで活躍デキる人の数は決まっていて、そこのレギューラーメンバーに入ることをみんなが目指していて、ひとたびそれを手に入れたら、そこからこぼれ落ちまいと必死にがんばる。ああ、これでは世間そのものではないか、、という嘆きだと思っていただければいい。

 

そんなのそうなってんだからそうなってんだよ。という声が自分の中にもあるが、やはり笑いの世界も競争なんだね、というどこかさみしい気持ちが湧くのも事実なのだ。こんなに腹を抱えて笑わせてくれてはいるが、その裏には血もにじむような。。みたいな。

 

まあ、芸能界批判をしたいんじゃないんであって、ちょうどさっき『楽天主義者の未来予測』という本を読んでいて、そこには、世界は潤沢に向かっており、世界中の人が豊かに暮らせる未来がやってくるのだ的なことが書かれていたからかもしれない。

 

テクノロジーのおかげで、世界の食糧問題や水問題、エネルギー問題、環境問題などは解決するだろうという方向で未来が描かれている。

 

IT業界でよく皮肉な話として自嘲的に言われるのが、ITのおかげで仕事はとても効率化されたのに、(ワープロがない時代の書類作成を考えるだけで。。Eメールがない時代の会社間のやりとりを考えるだけ。。。)、働く人はちっとも楽になってない、労働時間も減ってない、むしろ増えている、という議論だ。

 

自分だけがITで効率化されたとしたら、おそらく、楽になったのだろう。みんなが8時間働いてやっていることをIT使って4時間でやっちゃう。あとの4時間は余暇だ。同じ成果を上げているんだからもらえる報酬は同じだ。となるはずが、そういう時期もいっときあったかもしれないが、気がつけばみんなITを使いはじめて、社会全体のスピードがあがってしまった。おいしくなくなってしまったのだ。もちろん、ITを使いこなせない人たちは脱落していったのかもしれないが、それでは意味がないだろう。万人が楽になるはずのIT革命ではなかったのか。

たしかにむかし苦労してやっていたことが、楽にできるようになったという意味では万人に恩恵が与えられたのだ。数字が変わる度に電卓でパチパチ計算していたものが、エクセルに入力すれば何度でも瞬時に計算してくれる。とか。

 

これはなんかおかしいな、と思ってしまうよね。

産業革命はよかったのかもしれない。それは基本的なサバイバルのレベルで人類に貢献したのだから。機械化のおかげで、食料生産がどれほど楽になったか。治水がどれほど楽になったか。衣類も安価に手に入る。いわゆる衣食住が、明らかに万人が(アフリカとかこれからの地域は別かもしれないが)生きる、生き延びることが楽になったと思われる。平均寿命の伸びがそれを証明しているとも言える。

 

だが、IT革命はこれ、ほんとに人の生活を楽にしたのか?と思う。なんか、古いNHKニュースとかみてると、昔のサラリーマンとか、会社来てから悠然とお茶飲みながら新聞読んだりしてるけど、一体どんな会社?ってこともあった。みんな5時に帰ってたらしい、とか。それで今と同じくらいの「満足度」の生活を維持できた、んじゃないかな。

 

つまり、人工知能でどうなる?という。よく、人工知能の発達でこういう職業がなくなる、だの、失業者がこんだけ増える、だのという予測を耳する。それは本当にそういう予測ができるんだろうけど、じゃあなんでわざわざそんな未来に向かうんだということでもある。テクノロジーは万人を楽にするために発達してきたんじゃないのか?という。人工知能+ロボットで、人間の仕事が代替されました。じゃあ、人間は遊んでくらせばいいじゃないか。なんで失業を心配しなくちゃいけないのか。働かなくても暮らせる社会がやっと実現するんじゃないのか?

 

というのは、口にするのも恥ずかしい馬鹿みたいな疑問なんだけど、なんかはっきりとした回答を聞いてない気がする。僕自身、考えても、うまく考えが進まないというか、どっちにも考えられる気がする。人間にとって遊んでくらせる世界は楽園ではないという気もする。人間には、なにか意味のあること、人の役に立つことをしていたいという本能みたいなものがある気がするからだ。だからといって、せっかくがんばってロボットつくったら失業者たくさんでました、さあ問題です、ってのもバカバカしい社会運営だという気がする。でも、いわゆる自由主義的資本主義ってそういうもんでしょ、という気もするし、別に昔から人間社会なんてずっとそんなもんだよ、という気もする。

 

3年くらい前に、アジアに出て住んでみたとき、僕の頭にあったひとつの疑問は、日本はこんなに豊かになったのに、自分を含め人びとに豊か感がない、余裕感がないのはなんなんだろう、というものだった。外国から日本を見ればなにかわかるかな?と思った。だが、インドネシアとタイに行ったのが間違いだったのか、いまいちわからなかった。両国ともこれから経済発展する国で、活気があり、逆にいえば、日本が来た道を遅れてたどってきてるだけにも見えた。高度成長というやつだ。だとしたら、そこにあの疑問の回答などないのは当たり前なのだ。いままさに物質的に豊かになるのを楽しみ、盛り上がっている最中なんだから。

 

だから本当は日本より先を行っているヨーロッパ行かないとだめだったなーって思ってるけど、どうなんだろうね。

 

とりえあず、『楽天主義者の未来予測』の上巻しかまだ読んでないから、下巻に回答なりヒントなりがあることを祈る。