世界はうごめき

世界はうごめきだということがわかってきた気がする。

 

たとえば、タイで、こんなことを考えてみたりする。

タイで、経済格差がすごく少なくなる未来はあるだろうか。

ご存じのとおり、タイではいま軍事政権だ。クーデターがまだ続いているのだ。

それは、農村部、つまりはお金をもたない人たちの支持がアツいタクシン派と、都市部、すなわちお金を持っている人たちの間での、政治の取り合いに決着がつかないかららしいのだ。

選挙をすれば、数の多いタクシン派が必ず勝利する。民主主義なんだからそれでいいじゃないか?という考えもあるが、それでよくないから、こうなっているのだろう。じゃあ、どうなるのだろう? それはわからない。ひとつわかっていることは、社会はうごめきながら、姿を変え続ける。ということ。身悶えるように姿態をかえつつ、なんとかやり過ごしていく。たまに、どうにもやり過ごせなくなって戦争が起きる。でもまたその後に、社会が戻ってきて、うごめきを開始する。そういうものだろう。

 

で、タイに経済格差が少ない社会が到来するか? 僕は到来すると思う。日本やヨーロッパ程度には。いずれは。人間の集団がやることなど、さほど変わりはないのだ。

 

僕は嫉妬深い人間だ。タイにいると、結構それが見えてくる。

しかし、お前はそれ以上輝くな、と他人に言うような人間だけにはなるまい、と今思った。

 

こっちに来て、タイの人は嫉妬深いとよく耳にする。だが、ちがうだろう。嫉妬に素直なだけだろう。日本人より少しだけ素直に表現するだけだろう。そんな気がする。まだ決定的な経験をしていないので、ただ「気がする」だけなのだが。

 

脱線してるな。

本当は、ここから、ひとりの人間もまた「うごめき」なのだということを書こうと思ったが、しばし筆を止めて、まったく別のことに思いをはせてしまった。

 

最後に、古い世界と新しい世界のことを書こう。

古い世界とは、情報を自分や自分たちが得をするために利用する世界。新しい世界とは、自分の得に使わないとしたら、何が起きるのだろう、という好奇心に身を投げだしていく世界だ。とはいえ、欲があるからなかなかそうはできないのだが。それは他者への貢献とか、利他性とかそういうことではなく、好奇心がドライブしていくものだ。

 

人は好奇心ゆえに生まれ、好奇心ゆえにこの世から去るのかもしれないね。