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今朝、はじめての雨が振り、コワーキングスペース一帯が停電していた。お向かいのカフェも停電。雨上がりを待ってこそこそと出かけていくと、スタッフたちがろうそくの火でパンを揚げていました。

アメリカ人の友人が、英語の勉強にいいよと言って、コメディーの動画をくれたので、その動画で自分用の教材をつくるべく、細かい作業をしていました。動画の中のセリフをひとつずつ分解するために、セリフの音声と字幕の表示時間を時差なくぴったりに合わせるという作業です。こう書くとわけがわかりませんが、ミリ秒単位の調整を全セリフに対して行い、20分の動画の処理に2日かかったといえばわかるでしょう。

 

音声を聴きながらミリ秒単位で字幕の表示時間を調整していくと、ひとつのセリフを最低5回は繰り返し聴くことになります。意味をとろうとはせず、ただ、音の終わりと始まりに真剣を集中させているだけなのですが、それでも、思った以上にセリフが頭に残っています。

 

何が言いたいかというと、こういう方法こそ、英語学習に効果があるんだろうな、ということです。簡単にいえば、単語帳を作る作業にほうが、単語帳を使って勉強するよりも、学習効果がある、みたいな感じです。どうですか?なんとなく覚えがあるでしょう。

ぼくがこのことにはっきりと気づいたのは、中学のころ、バンドをしていたときでした。文化祭のために2週間で曲を覚えなければならなくなったとき、僕は譜面をみながら必死でギターを練習しました。そのとき、曲をかけながらでは速すぎてついていけないので、曲の歌詞をくちずさみながら、ギターを練習したのです。すると何がおきたか。。ギターの演奏を覚えるころには、すっかり歌詞も覚えてしまっていたのでした。

で、びっくりしたのは、文化祭当日。なんと、ボーカル担当のやつは歌を覚えられなかったようで、あんちょこを見ながら歌うと言うのです。なんだって!?ギターのおれが歌全部覚えてるのに、ボーカルのお前が何で覚えられないんだ!って少し頭に来たけど、なんとなく、そういうものなのかも、とも。

歌って、覚えようとすると、なかなか覚えられず、イライラして進まないもの。とくに英語の歌だったりすれば。でも、ギターのほうを覚えながらだと、なんちゃって英語とはいえ、自然と歌詞が口をつくようになってしまう。このからくり。このからくりは使える、ということです。逆にいえば、ギターの演奏を覚えるのは、とっても大変でした。なかなか覚えられず、すぐに忘れてしまうわで、イライライライラしながら、なんとか覚えたです。

 

だから、何かを身につけようと思ったら、それそのものを練習するのではなく、それを使って別のことをしようとする、と、いつのまにか身につく、みたいな法則ってあるよね、ってだけなんですがね。

 

昨日、コワーキングスペースで、川エビの食べ放題パーティーがあって。おおきいエビを3匹たべて、飲み放題でもあったので、へべれけになってた夜、23時ごろ。となりにいたタイ人の若いスタッフが、酔っ払ってすっかり座ってしまった眼で、はあーーと溜息をつくのを聴いた。そして、来年になるにが楽しみだ、とつぶやいた。

なに?と聞くと、来年になったらお金を自由に使えるようになるの、と。

なんでも、就職してから2年あまり、自分の給料を自由に使えない状況が続いているという。なんでも、弟の学費を助けているのだとか。そんな弟がふたりいるのだとか。そのうちのひとりが今年卒業で、もうひとりも来年卒業できると思うから、ということでした。

弟がふたりいる長女は大変なのよ、、わかる?と彼女。視線も合わせずつぶやく。でもね、私は幸せよ。だって家族だもん、わかるでしょ?

 

僕は、あーなんということだ。もう人と比べるのはよそう、と思った。世の中にはえらい人が多すぎる。。えらすぎて、同じ息を吸っていいのかどうかもわからなくなる。早く人と比べるのを辞めないと自己嫌悪で死ぬことになる。。そんな恐怖がぞわっと来るとともに、世の中にこんないい子たちが何割かいれば、もう、大丈夫にちがいない、と、おかしなやり方でやり場のないいたたまれなさを、ごまかした。そんな夜がありました。

そしてぼくは今日、酒が弱すぎて二日酔いになれない体にむちうって、少し仕事をしました。でも、自分のために、です。そんな日々です。