坂口恭平の「まとまらない人」

坂口恭平の「まとまらない人」出版記念イベントに参加してきた。

 

坂口さんのイベントは初めてだったが、圧巻だった。

一時間半が文字通りあっという間に過ぎてしまった。

弾き語りライブ4曲と、インフレーション宇宙のような、トークからトークが派生し、またそこから別のトークへと、無限に植物の根が伸びていくような不思議なトークもすごかった。

最後に、ワークショップとして、参加者から希望をつのり、いのちの電話のライブバージョンをやってくれた。これも面白かった。

 

夢から醒めなければいいと思っちゃう、つまり、現実の毎日がつらい、という相談者には、

「やりたくないことをするな」とアドバイス。相談者は当初、どうすればやりたことができるのか、にこだわっているようだったが、恭平氏は、やりたいことをするにはエネルギーが100いる。やりたくないことをしないだけなら必要なエネルギーはゼロだ。という。

だから、やりたくないことをやらない、から始めなさいと。

そして、やりたくないことを列挙しろと指示し、一番やりたくない

ことだということを、じゃあそれを辞めなさい、はい解決だよ。と。

ただ、やりたくなことをやめるために、事前準備が必要だということで、たとえば仕事をやめるなら、生活保護や失業保険について調べて、現実的な準備をしないとね、ということだった。

平氏は、自分はやりたいことをやっているのではなく、やりたくないことを一切しないだけなのだ、という。

相談者が、でも恭平さんは、本を書いたり、表現活動をしているのは、やりたいことをやっているのではないのか?と問うた。

平氏は、そうじゃない。出さないと(表現しないと)苦しくなるから出してる。「出さない」ということが「やりたくないこと」なのだ、というようなことを答えていた。

イベントが始まる前、ぼくは少し驚いていた。会場には、若いファンが詰めかけているものと思っていたが、年齢層は以外に高く、みんな真剣な顔をしてじっと待っていた。重苦しい空気が流れていた。

だが、恭平氏が喋りだすと、みんな笑顔に。しかめっつらしていた人も笑っていた。これが恭平氏のパワーなんだと思った。

いま苦しいと感じている人、死にたいと感じている人の声をきき続け、励ましつづけている恭平氏に、すごいなあ、こんなに温かくてやさしくて激烈な人はいるんだな、と感動していた。

 

ただ、理解不能なことがひとつあった。。。

平氏、なぜが僕と目を合わせようとしないのだ。。。

新刊本を買ってサインの列に並んだのだが、なぜか、握手をするときも、僕の方を一切見てくれなかった。チラっと見て目が合うと、「あ、やばい奴きた」みたいな顔をして一瞬で目をそらし、以降、いっさい目を合わせてくれなかった。いっそ下を向いていた。

あれ、恭平さん、僕が苦手ですか??みたいな。。。

これがまったく腑に落ちないのだ。僕は嫌われるようなことは何もしていない。。本当に。僕の顔もにこやかだったはずなのに、なぜ目をそらされてしまうのだろう?

 

そのあたりのわけのわからなさも恭平氏の魅力のひとつなのだが、帰り道は少しさみしくて泣きたくなったりもした。

でも、もう一回ライブ行く。

 

 そういえば、今朝、寝起き際に不思議なことがあった。

ふと気がつくと、音が聞こえていたのだ。盛夏のセミの鳴き声のような音が周囲に充満している。

冷蔵庫の音かな?と思ったが、冷蔵庫の音はそれとは別に聞こえている。虫?でも外から聞こえてくるというより、空間全体を音が満たしている。

あれ?これってたまに、まったく音がないときに、音が聞こえるような気がするやつかな?と思う。

静寂の音というやつだ。

耳を澄ました。セミの鳴き声みたいな音なのか超音波なのかわからない音が聞こえている。それが音だと思うのは、微妙に変化してくからだ。音色みたいなものが。

あ、なんかバリ島のガムランとか、日本の雅楽みたいな感じかも、ともう。

そして、ああ、と気づく感じがあった。

世界は本当は音で満たされているんだ。静寂とされるときでも。

そして、その音を模倣、再現しようとしたのが、ガムランであり、雅楽だったのではないか?と思いつく。

そっか、そっかあ、とひとり納得しながら、その静寂の音に耳を傾けていた。

で、途中で、まてよ、やっぱり虫の音?と思って、指で耳の穴をふさいでみた。

すると、もっと大きな音がグワングワンと響いてきた。違う音だ。なんだこれ?

よけいわからなくなったので指をはずした。

そして、さっき、冷蔵庫の電磁波の音だったのかもしれない。なにしろ、冷蔵庫が頭のすぐ横にあったから、とつまらないことを思いつく。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みちくさをくう

ツイッターで、坂口恭平の「いのちの電話」のやりとりの一部らしきものが、流れてきた。

死にたい気持ちになっているという男性に対して、坂口さんは、「小学生の時何が好きだった?」と問いかけていた。

男性は、「何も好きじゃなかったです」と答えた。

それから、じゃあ中学は?と続くのだが、この、「小学生のとき何が好きだった?」という問いは、僕もこれまでにも何度か考えてみたことがあるものだ。

ズバリこれだ、という答えはいつも出てこないのだが、よく頭に浮かぶのは、「粘土遊び」だ。

おそらく小学生というよりは幼稚園かそれ以下のときの記憶だと思うが、自宅でひとり座り、油粘土で人形を何体か作って、戦わしたりして遊んでいたときの情景が浮かぶ。

プロレスの解説者のように、闘いの状況をぶつぶつとつぶやきながら、遊んでいた気がする。

しかし、それがとても好きだったかというと、首をかしげてしまう。そんなに興奮して遊んだわけでもないし、なにしろ粘土遊びは一人遊びだ。思い出すと、少しさみしい気持ちにすらなる。

 

次によく浮かんでくるのは、小学生のとき、学芸会で劇をやっていたときの記憶だ。

題名も覚えている。ひとつは「まさかり太郎」でもうひとつは「丹下左膳」だ。

まさかり太郎は、金太郎がまさかりをもっているようなのが主人公で、桃太郎みたいにお供をつれて、悪者を退治する物語だったと思う。僕がタイトルを含め、発案した記憶がある。

もしかすると、まさかり太郎は演劇ではなく、紙芝居だったかもしれない。

 

次に、丹下左膳だ。丹下左膳というのは、マンガかなんかに出てくる侍の主人公の名前だ。そのまんま、侍の物語をつくった。

まず、すべてが安易だった。そもそも侍の芝居をやろうというところからスタートしていない。クラスの数人とチームを組んだところ、そのなかに丹下という名前の男の子がいて、丹下がいる、じゃあ丹下左膳だ、サムライだ、となった記憶がある。

そして、小学生の僕たちにお話をつくる能力などなく、とりあえず、二手にわかれてチャンバラで切り合えばいいんじゃね、となったと思う。

一応、サムライ風の衣装をそれぞれのお母さんにつくってもらい、新聞紙を丸めたのを刀として、あとはぶっつけ本番でとにかく切り合えばいい、最後に丹下左膳が勝てばいい、という台本だったと記憶している。

結果は大盛況だった。チャンバラ劇は子どもたちに受けに受け、たしかアンコールがかかったような記憶がある。

そして、次の学芸会もリクエストに答えるようにして、劇をした。またしても戦いなのだが、こんどは現代的な戦争で、舞台の両端にダンボールを置いて、そこをお互いの基地に見立てて、とにかく大砲を打ち合うという台本だった。

またしも、筋書きはなく、ただひたすら打ち合って、ときどき、ダンボールから、人やぬいぐるみが吹き飛んで出てくる、ということだけ決めてあった記憶がある。この、ダンボールからぬいぐるみが吹き飛んでくる、というのが大受けで、やんやのかっさいと笑いを浴びたのを覚えている。

 

こうした記憶は、いま書いているから思い出してきたもので、さっきぼんやりと、小学生のとき何が好きだったかな、と考えているときには、思い出せていないものも含まれている。

そう考えると、学芸会で劇をやるのが好きだった、とは言えるのかもしれない。

 

しかし、学芸会は年に2,3回ある程度のものだ。劇のことを考えたり、取り組むのは、本番のせいぜい数週間前からで、それ以外の毎日は劇とは一切関係ない日常を送っていたはずだ。

そこで、じゃあ毎日のように好きでやっていたことはないの?と考えると、はたと困って「なにもないです…」というのが、今までの答えだった。

 

しかし、今日、もしかしたら「みちくさ」が好きだったとは言えるかもしれない、と思った。

特別好きだという感情や、興奮を感じていた記憶はないが、とにかく毎日、あきれるほどみちくさを食っていた気がするのだ。

学校の帰り、友達たちと下校しながら、バッタを見ればバッタをつかまえ、水たまりがあれば足をいれてみたり、穴があれば傘をつっこんで深さをはかったり、ハチがいれば捕まえようとして刺されたり、みちくさにまつわる記憶がいくらでもある。

 

そして、よく母親が笑い話として話すのが、僕が帰宅すると、持って帰ってくるはずの体操服袋がない、またどっかに置いてきた、ということで、母が下校ルートを逆にさかのぼって、よく僕の落とし物を探して歩いたという話だ。すると、ポツ、ポツと、体操服袋や水筒や帽子などが落ちていて、「ああ、ここで遊んだんだな、あれをしたんだな」とわかるのだと言っていた。

 

つまり、遊びに夢中になるあまり、手に持っていたものをそこかしこに置いてきてしまったようなのだ。

そんなことは誰にでも一度や二度はあるだろうが、僕は一度や二度ではなかったらしく、しまいには、近所の友だちのお母さんが、僕が落としたものを自宅に届けてくれるようになったそうだ。僕の名前が書いてなくても、「きっとそうだと思って」と、届けられたそうだから、僕が落とし物をするのは近所には知れ渡っていたのだろう。

 

「みちくさ」が好きだった、という記憶になっていないのは、それがあまりに日常的だったのと、毎日、違う場所で違うことをしていたので、これをするのが好きだった、というような繰り返しの記憶を形成していないからだろう。

でも、僕はまちがいなく「みちくさ」が好きだったのだ。

 

ふと、みちくさの定義ってなんだっけ?と思って調べてみると、デジタル大辞泉では「目的の所へ行き着く途中で、他の物事にかかわって時間を費やすこと」と書いてあった。

 

これはいささか困ったことになった。

 

「小学生のときに何が好きだった?」と聞かれたとき、僕は、「みちくさ」すなわち、「目的の所へ行き着く途中で、他の物事にかかわって時間を費やすこと」が好きでした、と答えなければならないわけだ。

 

なぜ困るかと言えば、「小学生のときに何が好きだった?」と聞く人はつまり、「じゃあその好きだったことを大人になった今でもやればいいんだよ」と言うために聞いているからなのだ。

ロジックはこうだ。悩める大人がいる。彼は、何もする気がおきない、とか、将来何をすればいいかわからない、あるいはいっそ死んでしまいたい気分だ、という。

 そういう人は少なからずいる。そういう状況に陥ることは誰にだってありうる。そして、たとえ今、何もする気が起きない、何もしたいことがないのだとしても、子どものころなら、誰だって、好きなことがあったはずだ、というのがこの問いのキモなのだ。

 で、たしかにあった、何々をするのが好きだった、と相談者が答えたら、じゃあそれを今やってみたら? 子どものころのようにはできなくても、大人として同じようなことはできるでしょ?という提案をするわけだ。

 

で、悩める僕は、「みちくさ」が好きだったといま答えた。

じゃあ今「みちくさ」をやってごらん、と架空の相談相手から提案されたという状況だ。

 

「目的の所へ行き着く途中で、他の物事にかかわって時間を費やすこと」をやってごらん?

 

そう言われた僕の心に起きた最初の反応は、「というか、『目的の所』がそもそもわからなくて困ってきたんだし、どちらかといえば、『みちくさ』のほうばかりを何十年もやってきた気がするんだが、、」というものだ。

いやはや。。

「じゃあ好きなことばかりをやってこれて、あなたは幸せだね?」と人は僕に言うのだろうか。

それはロジックとしては間違っていないが、ちょっと無責任ではないだろうか。「君は目的外のことに時間を使うのが好きなんだから、目的外のことをこれからもどんどんやればいいんだよ!」って言われて、「そうだね!わかった、ありがとう!」って言えるだろうか。

それで問題は解決したといえるのだろうか。

 

とはいえ。「みちくさ」漢字で書けば「道草」。この言葉は、ぼくにぽかぽかとあたたかい、ひだまりのなかの幸福で無邪気な時間を思い起こさせるのは事実だ。

 

学校の帰り道、目的は家に帰ること。だが、その目的は、普通に歩けば難なく叶えられるものだ。だからその途中で、ぼくたちは、リラックスして、好奇心をただよわせ、目についたものに手を伸ばし、ふと始まってしまった遊びを日が暮れるまでつづけたりした。

 

かえるの卵をとっていたら、全身ずぶ濡れになり、このまま帰ると親に怒られるからと、みんなで裸になって、服を干して乾くのを待っていたら、まだ夏ではなく気温が高くなかったのか、ぜんぜん乾かなくて、どんどんと日が暮れてきて心細くなってきて、どうしようか、どうしようか、とオロオロしながら、それでもまだカエルの卵をとったり、アメンボを追いかけたりしているうちに、心配した親たちが探しにきて、服は濡らすわ、帰りが遅くなるわで怒られると思ったら意外なほど怒られなくて、いろんな意味でほっとした、あの日の夕方のことを、幾度となく思い出すのは、なんでなんだろうね。

 

そういえば、いま、とくに都会の子どもたちが、みちくさを食えなくなっているのが問題だと言っている大学のセンセイの著書をAmazonで見つけた。

たしかに、学校の帰りに子供たちが、何時間もどこかへ行方不明になって帰ってくる、そんなことが安全性の面でも許容されない世の中になっているみたいだ。

でも、田舎のほうなら、まだまだ子どもたちはみちくさを食っているのだろう。

 

「みちくさ」不思議なもの。みちくさの目的は、みちくさではない。みちくさをしようと思ってみちくさをするのではない。

あくまで僕らは家に帰ろうとしている。でも、その途中で、興味深いものを見つけてしまうだけなのだ。

少しのうしろめたさ、家に帰らなければと思いながら追いかけるトンボがたのしかったのだ。トンボ狩りをしに来たわけではなかったのだ。

 

僕たちは、トンボ狩りをしにきたわけではなかったのだ。

 

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 Michikusa

 

I saw part of Sakaguchi's telephone counseling conversation with a guy who feels like want to suicide,  on Twitter.

Mr. Sakaguchi asked a man who wanted to die, “What did you like when you were an elementary school student?”

The man replied, "I didn't like anything."

Then Sakaguchi asked the man, "What about junior high school?"

Their conversation continued after that ,but this question, “What did you like when you were an elementary school student?” was something I've thought of several times before.

I don't always get a clean answer, but one thing that often comes to my mind is "play with clay."

 

I think it's probably a memory of kindergarten, rather than an elementary school student. It seems that I sat alone at home, made some dolls with oil clay, and played with fighting dolls.

Like a person who explained professional wrestling on TV, I spoke out with the clay dolls fighting.

However, when asked if I liked it very much, I feel that is not the case. I didn't play with such excitement, and when I recall the scene, I even feel a little sad. Because I always do clay play alone.

The next thing that comes to mind is the memory of a theater performance at an elementary school.

I remember the title. One of them was "Tange Sazen". 

Tange Sazen is the name of the main character of Samurai (the medieval soldier) that appears in comics. I made a story about Samurai.

In the first place, however, I did not start from trying to do a Samurai play. When I teamed up with several people in the class, there was a boy named “Tange” in the team, so I could only come up with the story of Tange Sazen.

And as an elementary school student, I didn't have the ability to create stories.

So I decided to divide the team into two forces, fighting without any scenario.

We had our mother make a samurai-style outfit and we made a sword out of rolled newspaper.

After that, we went out on the stage and fought without a script. We only decided that the hero would win the final.

The result was a great success. The samurai battle excited the children and we got an encore from the audience.

Then, the next school performance was also played in response to the request. Again, this is a battle, but this time it was a modern war, with cardboards placed on both ends of the stage, each of which was likened to each other's base, and fired with cannons anyway.

Again, there was no scenario. We hit missiles towards each other, and sometimes people and stuffed animals jumped out of the cardboard base by the blast.

This idea of ​​a stuffed animal blowing out of cardboard was a huge success. The audience was excited and laughed a lot.

I remember these memories because I'm writing now. I usually forget them.

It may be said that I liked to play drama at elementary school.

However, there are some school performances a few times a year. I thought about and worked on the play from weeks before the actual production, and every day other than that, I had to have a daily life unrelated to the stage.

Is there anything you liked to do on a daily basis?

I get confused when asked.

“Nothing ...” was the answer so far.
 

However, now I thought that I might have liked "Michikusa".

I don't remember feeling emotional or excited about it, but anyway, it seems to have spent so much time every day.

On the way home from school with my friends, I caught the grasshopper when I saw the grasshopper, and if there was a puddle I tried to put my foot in, or if there was a hole, I took an umbrella and tried to deepen it. I have been stung by a bee trying to catch a bee.

There are many memories about “Michikusa”.

My mother often talked about memorable stories when I was in elementary school. When I get home, I don't have a gym bag that I should bring home. I dropped it somewhere again. My mother walked up the path I walked and picked up what I dropped. My mother finds my gym bag, water bottle and hat in various places.
“Oh my son played here,” my mother understands.

I was so addicted to play that I left what I had in my hands.

Anyone could have done that once or twice, but I didn't seem to have done it once or twice.

Eventually, my friend's mom in the neighborhood began to deliver what I dropped to my home.

Even if my name wasn't written, the things I dropped were delivered to my home.
Neighboring mothers would have guessed that if something had fallen on the road, it was mine.

Still, when I was asked what I liked as a kid, I didn't immediately think that I liked Michikusa because it was too everyday.

Also, because I was doing different activities in different places depending on the day, I didn't form a repetitive memory that I liked to do something.

But I definitely liked “Michikusa”.

Suddenly, what is the definition of Michikusa? I thought. When I looked up in the dictionary, it was written “to spent time on other things on the way to the destination”.

This was a bit of a problem.

When asked, “What did you like when you were an elementary school student?” I answered “Michikusa”, that is, I must answer. I liked "to spent time on other things on the way to the destination".
 
Why am I troubled?
After being asked, “What did you like when you were an elementary school student?”, You were told, “So you can do what you like now even when you grow up.”

The logic is this. There are adults who have problems. He says he doesn't feel like doing anything, doesn't know what to do in the future, or wants to die.

 There are not a few such people, and anyone can fall into such a situation. And even if you don't feel like doing anything right now, or you don't want to do anything, even if you were a kid, everyone should have liked something. .

If you've liked it when you were a kid, you can still do it now as an adult. Even if you can't do it as a child, you can do the same thing as an adult. That is a suggestion for those who are suffering.
 
And now I replied that I liked "Michikusa".

In other words, I was advised to do “Michikusa” now.
 
Why don't you do "to spent time on other things on the way to the destination" now?

The first reaction that happened to my heart was, “I mean, I've been in trouble because I don't know the destination, but I feel like I've been doing Michikusa for decades.”

Sigh.

Will people say to me, "So you're happy that you've just done what you like?"

That's not wrong as logic, but is that okay?

Someone tells me, "You like doing something else on the way to your destination, so you can do something other than going to your destination!"

I answer "That's right! Thank you!"

Is that really okay?
Could it be said that the problem has been solved?

 
Although. “Michikusa” written in kanji is “street grass”. It's true that this word reminds me of a warm, innocent time in Hidamari.

The way home from school is to go home. The purpose can be achieved without difficulty if you walk normally. So on the way, we relaxed, greeted with curiosity, reached out to the ones we saw, and continued the play that had just begun until the sun went down.


When we were picking frog eggs, we were soaked throughout the body. If we go home wet, parents will get angry. So we got naked and dried our clothes. Summer hasn't come yet, and our clothes didn't dry out easily.

As the sun went down, we became more and more conscious of what to do and what to do, but we were still catching frog eggs and chasing amembo.

Near sunset, finally worried parents came to look for us. Our clothes were still wet and the return home was so late that we were prepared to get angry by our parents.

However, the parents were not surprisingly angry and we were relieved.

Why is it that I remember that evening again and again?


Speaking of which, it seems that the problem is now that children in the city are no longer able to eat Michikusa. I saw such a book on Amazon.

Certainly, it seems that children are missing somewhere for hours on their way home from school, and that is not acceptable in terms of safety.

But in the countryside, the children are still eating Michikusa.

 
“Michikusa” is a mysterious thing. The purpose of Michikusa is not Michikusa. I didn't do it because I wanted to do it.

We are just going home. But on the way, we just find something interesting.

We chased the dragonfly, worried that we should not derail too much. That was exactly what I enjoyed. We didn't come to hunt for dragonflies.

 

We did not come to hunt for dragonflies.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説の季節

最近よく小説読む。このまえまでは平野啓一郎「ある男」を読んでいた。そのまえも平野啓一郎の「マチネの終わりに」を読んでいた。

 

これは僕にとって珍しいことなのだ。ふだん小説はあまり読まない。エッセイやノンフィクションのほうが好きだ。

だが、ときどき、無性に小説が読みたくなる。そういうときは希望がなくなっているときだ。自信といってもいいのかもしれない。

いまは橋本治の「金色夜会」を読んでいる。

自分のことを忘れたい時なのだと思う。小説を読むときは。

人と人とが出会って、その誰もがいずれこの世から消えていく。

小説に書かれているのは、ただそのことだけ。

ただそれだけのことのなかに、あまりにさまざまなことが起こっている。

不必要なほどに。

そうしたものを、もっとすっきりさせられないか、というのが、小説じゃない本たちの試みのようにも思える。人生をもっとシンプルに、楽に、思い通りに、あるいは、飲み込まれないように。

だが、その試みはたいてい失敗するし、ずっと失敗しなかった人でも最晩年で飲み込まれてしまうかもしれないし、自分には関係ない話だと思っている人がすでに人生のごく初期のころから飲み込まれてしまっているだけなのかもしれないし。

小説に出てくるのは、人生を思い通りにできなかったひとばかりのきがする。

植物が種から目を出すように、我々は生まれてくるんじゃない。

もっとちがうありかたをしているような気がする。あらかじめ、最初から。

人生なんてこんなものさ、と悟ったはずなのに、普通の生活さえもがままならなくなっていく人たちもいる。

ミノムシが木から落ちそうになりながら、自ら吐き出した糸を伝い登っていく。そんな小さな情景に幸福を見る時間が永遠に続いてくれるわけではない。

いつも不思議だった。朝、2階の非常階段の扉を開け、3階のベランダに出て、はるか遠くに水色とグレーの山々が見えたときの、ああ、気持ちがいい、いま幸せなのかもしれない、という気持ちは、きちんと胸のところに物理的な筋肉の、おそらくは心臓の緊張、あるいは緩和として感じられる、あの満たされた感覚は、確かなものなのに、数秒から数十秒ですぅっと消えていってしまうことが。

目の前の景色は1ミリも変わっていない。人生のいかなる状況も。ただ、フイにやってきたものが、静かに去っていった。引き止めることはできない。

 

怯えるな、が吉福さんからのメッセージなのかもしれない。

ただひとついえることは、人が生きていくということの、きちんとしたイメージや解説が、世の中にはまだととのっていない。生きていくということは、言われているようなことじゃない。

シンプルにしすぎれば硬直する、すべてを解放すれば崩壊する。そのあやうさのうえを滑っていく。われわれはそういう営みをしているのではないかと思われる。

 

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THE SEASON OF NOVELS

 

Recently, I started to read novels. I had read Keiichiro Hirano's “A Man” and “At the end of Matinee”.

 

This is unusual for me. I usually don't read much novels. I prefer essays and non-fictions.

But sometimes I want to read a novel for some reason. Perhaps that is when I can no longer feel hope. Or maybe it's when I'm losing confidence.

 

I am currently reading Osamu Hashimoto's “Golden Night Party”.

Maybe I read a novel when I want to forget about me.

 

People meet each other and all of them disappear from this world.

That's the only thing written in the novels.

There are so many things happening in it.

Unnecessarily many.

 

It seems that books that aren't novels are trying to make such things clearer, such as making life simpler and not being swallowed up by the things in life.  

But those attempts usually fail, and even those who haven't failed all the time may be swallowed up in the last years. Sometimes people who think that the story is not relevant to them have already been swallowed since the very beginning of their life.

 

Novels come out only for the people who couldn't live their lives.

 

 

We are not born like plants that come out of seeds.

I feel like we are doing something different from the time we are born.

Even if you thought you understood what life is, over time, you may not be able to manage even your normal daily life, and you don't know why.

 

 

As a caterpillar is about to fall off the tree, it is trying to go up the thread it spit out. The time to feel happiness in seeing such a small scene does not last forever.

 

It was always mysterious. In the morning, when I open the emergency staircase on the 2nd floor, go out to the veranda on the 3rd floor and see the light blue and gray mountains far away, sometimes I feel that I may be happy now.

 

It is a certain sensation that can be felt in the chest.
Perhaps it is heart muscle tension, or relaxation. It is a certain feeling that makes you want to hold your chest.
Nevertheless, the sensation disappears for a few seconds.

The scenery in front of me has not changed at all. The feeling of visiting here stays a little, then leaves quietly. I always fail to keep it.
 

 

“Do not be scared,” may be a message from Mr. Yoshifuku.

The only thing that can be said is that the world still does not have a decent image or explanation of how people live. Our lives are different than what the world tells us. 

If you try to make life too simple, it will stiffen. If you feel every emotion in every moment, it will be overwhelming. We are walking on the balance beam of life, not wanting to fall into the two extremes.  

 

 

 

 

2つの価値

ずいぶん前、フェルデンクライス体操というものを習っていたときのこと。オランダでフェルデンクライス体操を使って、身体に問題がある人を治療している先生のところで治療の様子を見せてもらったことがある。

その先生のところは、医者がサジを投げたような、治療困難な患者が送り込まれてくる感じだった。

たとえば、背骨が(正確にいると背筋が)曲がっていて、このままだと今後の成長に支障が出るから背骨にボルトを入れましょうと医者に言われ、それがいやだと言って治療に来てい10代の女の子がいた。

僕が見学させてもらった日、彼女はやってきて、今日の体育の授業で、みんなができる動きが自分にはできなかったと訴えていた。

肘を90度にまげ、がんばるぞ!みたいなポースをとったあとに、そのまま胸を張るように肘を開いていく、という動きができないようだった。実際、その場でやってもらうとできなかった。

フェルデンクライス体操、あるいはその先生がすごいのは、その日、その場で、その動きができるように彼女を導いてしまった。

骨がゆがんでいるのではなく、骨を引っ張る筋肉に無駄な緊張や、アンバランスな力が働いて、体を思うように動かせなくなっているというような感じだった。先生は、だから、ボルトを入れなくても、筋肉のほうにアプローチしていけば背筋が戻るんじゃないか、というような見立てをしているようだった。

 

今日は話したいのはその患者のことではない。

 

これは、当時も感慨とともにブログに書いた記憶があるが、すでに亡くなったとある男性患者の人からもらったという手紙を、先生がから見せてもらった。

その男性は、何らかの病気ですでに余命が数ヶ月、とか、長くても、1−2年と医者に言われていたという。それでも、もう一度歩けるようになりたい(たしか)、という希望を持って、治療に通っていたという。先生は、彼の希望が叶うべく、とことん一緒に、ときにはきつい言葉で叱咤激励しながら取り組んだのだと言う。結局、彼は歩けるようになることなく亡くなるのだが、亡くなる前に、先生に件の手紙を書いたのだ。

先生と一緒に、歩くという目標に向かって取り組んでこれた自分はとても幸せだった、治療はとても充実して楽しい時間だった、というようなことが書いてあったそうだ。

僕の記憶はもうあいまいになので、もしかしたら、遺族から、本人は治療に取り組めてとても幸せそうだった、という手紙を受け取ったのかもしれない。

どちらでも僕が言いたいことは同じだ。

余命があとわずかでも、また歩けるようになることを目指して努力することに、意味はあるのか、ということだ。

その労苦とお金を費やす価値はあるのか。まちがいなくある、あった、と僕は考える。

いくつかの言い方がある。

1つは、達成という視点だ。もし明日亡くなるとしても、今日、歩けるようになったら、それは素晴らしい達成である。努力が実ったのだそれは人生最後の努力かもしれないが、だからこそ、貴く、人生の終わりに大きな達成感と喜びを味わうことができた、という価値があるだろう。

 

もう1つは、治療に取り組む時間そのものに価値があるという視点だ。歩けるようになるかもしれない、ならないかもしれない、でも、そうした結果よりも、いま、治療に取り組んでいる、自分の体と対話をしている、何がしかの課題をまだ乗り越えようと賢明に生きている、その、まさに、今生きている、生きようとしている、という濃厚な時間を、治療の中で感じていられたのだとしたら、それも間違いなく価値だ。

 

それから、こう言うこともできるかもしれない。明日死ぬかもしれない、でも、今日の私はまた自分の足で歩けるようになりたい、あの思い出の道を歩いてみたい、海辺を散歩したい、そういった純粋な願望がある。近々死ぬとわかっていても、今日の願望を叶える、今日の憧れを追う、それこそが生きるということそのものなのだ、という開き直り、生き物としてまったく正しい姿勢を、あいまいにならないように、心にきざみながら、1日1日を過ごすことを、やりやすくした。そういう価値があったのかもしれない。

 

これまで生きてきた人生の時間。それも価値だ。思い出、達成、経験、出会い、泣き笑い、葛藤、別れ、喜び、悲しみ、ぜんぶが価値だ。価値を積み上げてきたといえる。晩年にそう感じられる人は幸せだろう。

だが、今日、あるいは明日という一日が、これまでの40ウン年に匹敵する価値と生に対する影響力がある、と思うことができたとしたらどうだろうか。

 

それは、一発逆転という意味ではない。

 

もうそう考えるしかないというときに、そう考えることができるだろうか、という問いだ。

 

過去を振り返っても、これからを支えるに足るエネルギーにならないとき、むしろ体の力を奪っていこうとするとき、未来を見たときに、もうそれほどの希望も感じられず、失ったものを取り返すことが叶わないと完全にわかってしまったとき。

まだ何も失っていないと気づきに打たれる、そんな体験がどうすれば可能なのだろうか。打たれる、は求めすぎかもしれない。少しずつでも、そう感じられていくような、そういう道に足を踏み入れるにはどうすればいいのか、

 

足をとられるように、導かれることはできるだろうか、それともそれはもっと登山のようなものなのだろうか。

 

あるいは、それは歌なのか。そういえば、きっと誰もが何らかのツールを持っている。思い出すのだ。それは自分ではなく、ほかの誰かがにとって忘れられない瞬間として記憶されているかもしれないのだ。

だから思い出すのだ。

本当の瞬間を目撃しているのは、いつだって他人だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたといるときの私が一番好き

数年に一度くらい、ZARDの曲を聴きながら、惜しい人をなくしたといって夜中に涙するのが恒例となっているわけだが、歌詞の1つが妙に心に残った。

一緒にいるときの自分がいちばん好き

というものだ。OH MY LOVEだ。

一見、恋をしたことがある人なら、誰でもわかる気持ちのような気がするが、よく思い出すと、実はよくわからない、ということに気づいた。

あるいは、こうとも歌われている。

あなたといるときの素直な自分が好き

 

これは、ほかの人の恋愛話では聞いたことがある気がする。あの人いるとき、自分らしい自分でいられた、と言っていた女の子がいた気がする。

これは、その人といるとき、リラックスしていられる、ということなのだろうか。それなら、気のおけない友だちといるときのほうがリラックスできるのではないだろうか。親友はめったなことを俺を嫌いになることなどないとしんじられるからだ。

 

でも、今、書きたいのはそのことではない。書きたいのは、一緒にいるときの自分がいちばん好き、だということについてだ。

誰とは今回は言わないことにするが、生涯に2人、このひとの前に出ると口がきけなくなってしまう、という人がいた。

あれほど会いたい、話したいと思っていたのに、いざ目の前にすると、何を言えばいいか、わからなくなってしまうのだ。いろんなことを聞きたいと思っていたのに、質問することができない。考えてきた質問がばかばかしい、うそっぽいものに思えて、口に出すことができない。また、その質問にどんな答えが返ってくるか、実は期待している答えがあって、ただそれを聞きたいだけなのだということが、その人を前にするとわかってしまって、その人にもバレているような気がして、フリーズしてしまうのだ。

だから、怒ったような顔をして黙り込むことになる。真剣な質問をしようと思えば思うほど、本当は聴くことがない、ことがわかってしまうのだ。

でも、何かを言ってもらいたい、だからその場から去れずにいる。

そういう瞬間が何度かあった。これは、ばかみたいなシーンだが、大事な瞬間だったという気がした。そういうふうに自分をさせる人、場は、めったに出合えないのだ。

 

つまり、一緒にいるときの自分が一番好き、という言葉から、このエピソードを連想したのだが、この自分とは、つまり、無力感でいっぱいの、ふだんの生活をへらへらと生きている自分に嫌気がさすような、このような濃厚な時間をもっと持ちたい、という焦がれるような思いの、そういう時間に立っている自分だ。

 

とはいえ、本当は恋の相手とも、そうした時間に立てるのかもしれない。あとから振り返っても、あれは舞い上がっていただけじゃない、なにか本物の、研ぎ澄まされた、削ぎ落とされた素直な、そういう。

 

 

いや、恋愛はそんなものじゃなくてもいい、という気がする。もっとリラックスして、素直な自分、でもいい。とか。

 

いま、、もう一度戻ろう、やっぱり恋愛のことを今書こうとしているわけではないみたいだ。

 

あの極度の緊張状態を、同時に深い深いリラックス状態とも言えるような気がするんです。

どうせすべてが見透かされている。その安堵。嘘がバレるから嘘をつけない、つかなくていいという楽。

宗教の話じゃないよ。

 

最近、不思議なことにきづいている。こういう話をするとき、日本人に日本語で話すより、外国人に英語で話すほうが、通じることが多い。

おれは英語がうまいと言っているわけじゃない。おれのつたない英語だと、相手は何度も確認しながら、俺の真意を測らなければならない。こっちも最初から通じるとは思ってないから、ちゃんと伝わっているか確認しながら話す。そういうことが、結果的に、こっちの意図することが、そのまま伝わったという実感をもてる結果につながっている。

日本人に日本語で話すと、こっちもしゃべりすぎてどこか脱線したり、ナルシシズムに入ってしまうし、相手は相手で言葉の連想から勝手に別の話に引きつけてしまったり、とにかくものすごい速さで勘違いをしてくれたりする。そして、ぜんぜんピントのずれた自分の話をべらべらとしゃべりだしたりするのだ。。

 

言いすぎたかもしれない。ただ、外国人にも通じた!みたいな素直な感動を言いたかっただけなのかもしれない。

 

でもやっぱり、言語はけむにまくために使われている。それはまぎれもない事実なのだ。そんなふうに使うために言葉を憶えたんじゃない。そう自分にいいたいのだが、このブログがその精神に矛盾していないことを、いま、祈りたい気持ちにヒヤっとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ferociousな虎

2018年はブログを週に一本書こうと誓ってから、3週間が過ぎてしまった。そういうものだ。

2017年は久しぶりに東京に出てきて、とくに何もないと言えばないが、怒涛といえば怒涛な一年だった。急にたくさんの人と知り合いになって興奮し、また疲れもした。

ところで先週、下北沢にジーパンを買いに行った。そのジーンズのデザイナーが来て、フィッティングをしてくれるというので、そういう機会はそうそうないね、ということで出掛けてみたのだ。到着すると、6人ほどの待ちリストができていた。どのくらい待ちますか?ときくと、店員が、いやーわかりません。と言う。10分で終わる人もいれば、人によっては30分ほどデザイナと話していかれる人もいますので、という。ほう、と思う。そうなると、最大で3時間待ちということだ。とても待てないかも、と思いながらも、一応リストに名前を書いた。

だけど、そんなふうにひとりの客に時間をかけてくれるなんて、やっぱり買ってみたいな、と思う。本屋でも行って、五木寛之の本でも買って、コーヒーでも飲みながら待とうか、と思い立つ。

目当ての本は売ってなかったが、昔たまに行っていた珈琲屋さんにいってみることにする。ジャズがかかる小さなカフェだ。

日曜日であったが席は空いていた。少しタバコの臭いがきになったが、ジャズがかかる店が禁煙ではおかしいわな、と思い直して、席についた。コーヒーを注文すると、あ、そういえば、と思い出す。この店で、面白い本を読んだ。バナナフィッシュを読破したのもこの店のこの席だった。でも、面白い本というのは別の本だ。

キース・ジャレットのインタビュー本だ。ふと本棚を見ると、まだそこにそれはあった。

面白い本だったという記憶だけで、表紙をめくってみた。やっぱり面白かった。

キースはこんなふうなことを語っていた。演奏しているとき、ferociousな欲望を探しているのだ、というような。ferociousは虎だ、とキース言う。ferociousは英語で「獰猛な」という意味がある。虎は怒っているわけではない。虎はferociousなだけだ、と。

なんだかわからないが、ただならぬことを聞いてしまった、という気がしてくる。キースは、ふだん人びとは、自分を含めて、眠っているという。ほんのひとときしか、目覚めていない。目覚めていたい、という欲望がすべてなんだ、というようなことを言っていた(たしか)。

 

あ、と思う。そうだ、このくだりをあの時も読んでいた。まだいろいろな怪しい知識を入れていない僕が、読んでいた。15年前、ここで。

この本の中で、「スポンテニアス」という言葉と出会い、それをネットで検索して、あるサイトにたどり着いたところから、僕のおかしな旅は始まるのだが、それはずっとむかしにブログに書いた気がするので、今回は書かない。

僕の中では、あのおかしな旅はもう終わったという気がしている。それほど強くひかれることもなく、おかしな本も読まなくなった。

だけど、このキースのインタビューは、まだ、何かがうずいていることを、知らせているようだった。

そうか、ここから始まったんだな、と感慨に浸ろうとした瞬間、携帯が鳴った。順番が来ました、とのこと。まだ喫茶店に入って5分しかたっていない。5分ほどで行きますと答えて電話を切ったが、まだコーヒーも来たばかりだし、キースも開いたばかりだ。間にひとり入れてください、と言おうと電話をかけ直すが、出ない。

まあ、多忙なデザイナーを待たせるのもいかがなものかと思い、また、いま動かないとジーパンが買えなくなるかもしれない、という胸騒ぎもして、すぐに席を立つことにした。

コーヒーはとっても美味しかった。

ジーパンは買えた。いつもバカみたいにオーバーサイズを買ってあとで後悔する、あるいは、逆にピチピチを攻めすぎて1回履いて挫折する、を繰り返してきた僕は、ジーパンを買うのに恐れを抱いていたが、今日は専門家が選んでくれるというので、大船に乗った気分だった。

ジーパンはは着心地がとてもよく、不思議だった。いつも、窮屈な思いをしたくないから、オーバーサイズを買ってしまうのだが、不思議とジャストサイズでも、そんなに嫌な感じにならずに履けている。まだ、何度も履いてみないとわからないが、もし、この感覚が正しいのだとしたら、とてもうれしい。

なにせベルトがいらないのだから。本当に履き続けられるだろうか。最初の興奮が醒めたら、キツすぎるよ、履けるかこんなの、ってなりはしないだろうか。そんなかすかな不安をいだきながらも、うれしさを噛み締めている。

虎を、ferociousな虎を、感じたい。それがもしかすると、原点だったのかもしれない、と思った。当時は、逆のことを考えていた。心の平穏をどうやって取り戻すか。どうすれば安心立命の境地に到れるのか。でも、やっぱり、生きるということは、ferociousな虎なんだと、思うし、思いたいのかもしれない。

今年が虎年だったら、このブログも収まりがいいのに、と思ったが、そうもうまくはゆかない。

そうだ、前回捕まえたことばは、ferociousではなく、longingのほうだった。キースはlongingな欲望と言い換えてもいい、と言っていたように覚えている。longingとは憧憬、憧れだ。

憧れもいいが、今は虎を見てみたい。

結局、と思う。15年たっても似たようなブログを書いている。似たようなことに引かれていく。違いがあるとしれば、今は、なんだかバカバカしいね、という感覚が、すぐ横に立っていることだ。なにが虎なんだか、ぷぷぷぷぷ。

なんてことを言いながら、現実に対応していかなくちゃいけない。虎は現実にしっかりと対応している、というか、生き抜くために、虎は虎なのだから。だから、俺は、虎じゃない。でも、虎が生命そのものである可能性もあるのだから。。。

わけがわからなくなってきた。火星に水がたくさんあるというニュースを見たからかもしれない。なら、生命は確実にいるんじゃないの!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予感とさわやかさ

昨年から資料集めを手伝っていた吉福さんの本が、来年、出版見込みという話を聞いた。図書館でコピーしまくったかいがあった。

しかし、不思議なもので、まだ出版されるまでは油断できないのだが、頼まれて資料を集め始めたときは、本当に出版されるか、50%くらいしか思っていなかった。だけど、不思議なもので、とりあえず始めたことで、コンプリートさせたいという気持ちが芽生えてきて、最後のほうは、手に入るあてがあるものを手に入れないことがなんだがもどかしい、というコレクターのような気持ちになっていた。福岡の古本屋から若干プレミアつきの80年代の雑誌を取り寄せたのに、ほかの本からの転載しただけの1ページの記事があるだけなのを発見して、「この、バブルに乗じてイケてる感だけで売ってたクソ雑誌が!」と罵倒したりしていた。同じわずか1ページでも、掘り出し物もあった。名前を出そう。「別冊宝島」だ。何冊が入手したが、どの号もすばらしい、少なくとも面白い記事を載せていた。

クソみたいな雑誌の名前はふせておこう。有名なおしゃれ雑誌です。

 

みたいなことがありながら、集めに集めた資料から、編集者が厳選した原稿案を見せてもらいながら、よくわかんねえ、って気持ちになっていた。

よくわかんねえ、のは、僕が吉福さんにどうしてこれほど関心を持っているのか、ということだった。言えそうで言えない、いかがわしそうで、まっとうそうで、理由がうまく掴めない。

 

何度も書いてきたことではあるが、吉福さんを最初にはっきり意識したときのことを覚えている。入り口は本だった。どの本が最初だったかは忘れてしまったが、まずは本を読んで、面白いことを言うひとがいるなあ、と思っていた。だけど、まだ、たくさんあるその手の本の著者のひとり、という域を脱していなかった気もする。1つ抜けたのは、知人の家で吉福さんの本を見つけて、あ、これ知ってる、と言ったとき、その知人が吉福さんの旧知だったらしく、「あ、吉福さんね、セラピストやめて、ハワイでサーファーになっちゃったよ。そういう人なんだよ」と笑ったときだ。

そのとき、「おっ」と思った。「へえ」と思ったのかもしれない。

頭のなかに、サーフボードを抱えてハワイの風に吹かれている、まだ写真も見たことがなかった吉福さんのイメージが浮かんだ。

僕はそのとき、ハハハ、変わった人ですね、みたいな返答をしたと思う。だけど、そのとき、「へえ、それっていいじゃん」という感じがあったし、なんだか信じられるね、という感じもあったし、ハハハと乾いた笑いが自分から出たことも、喜ばしいことに感じた。胸の中にさっと風が吹いたような感覚があったような、なかったような。

そのとき、今思えば、予感めいたもの、きっとこの人と会うことになる、あるいは、自分は近づいていくことになる、と、熱くではなく、切実でもなく、切望でもなく、ただ、ぼんやりとさわやかに感じていた気がする。

 

記憶はあとづけで編集されるものだから、断言はできない。が、そんなことがあった気がするし、本当にそういうことがあったかどうかは、もはや重要ではない、という気がする。そういうふうにぼくのなかにストーリー化されている、ということだ。

 

でも、ある意味、後々に実際に会った吉福さんは、あのとき、さわやかにハワイの風とともにイメージした人とは、まるで違う、真逆のような人であった気もする。するし、いや、むしろイメージどおりだったともいえるような気もする。

 

というように、吉福さんのアンソロジー本に関するミーティングに出かけようと、井の頭線に乗っていた、先週のことである。

僕は最近話題の哲学の本を、シャープペンシルで線を引きながら、読んでいた。かなり真剣に読んでいたように見えたはずだ。

その車両に、5−6歳くらいの子どもたち10人ほどと、引率の大人数人がドヤドヤと乗り込んできた。

すると、間髪をいれず、1人の男の子が、何の迷いもなく僕の目の前に立ち、何の迷いもなく、開いている本の「表紙」を覗き込んだ。座っている僕が膝の上で開いている本の表紙を覗き込むわけだから、子どもといえど、ものすごく首を曲げて、あからさまに覗き込まないと覗けない。覗き込んできた。僕は「あっ」と思った。「やられたっ」と思った。

うれしかった。いきなり間合いに入られる、ある種の快感があった。もちろん、相手が大人だったら怖かったかもしれない。子どもだから、ほほえましかった。

そんなに表紙が見たいのかと思い、表紙を見せてあげたら、すすすっとあっちへ行ってしまった。「やるじゃん」と思う。好き放題だ。本に目線を落とし、また線を引き引き読み始めると、こんどは、「ぼくはエビフライ! わたしはそのとなりのしかくいやつー!」などと目の前あたりが騒がしくなっていて、目を上げると、子ども3人が熱い視線を僕の頭のすぐ上あたりに注いでいた。振り返ると、そこに何かの広告が貼ってあった。ぼくの頭の裏だ。だから、子どもたちの目線は、ほとんど、僕の頭にもぶつかってくる。おれはどうしていいかわからず、本に目線を落とし没頭し、集中しているようなそぶりを見せたが、子どもたちは一歩も引く気がないらしかった。

これでは本なんか読んでられない、うんよくとなりの席があいたので、1つズレてあげた。これで広告見放題だ。やれやれ、と思っていたら、こんどは僕があけたその席に、さっき表紙を覗いてきた男の子が、早速乗り込んできた。広告はもういいのか?? すると、そのとなりに、女の子も乗り込んできた。1つの席スペースに2人座ったということだ。ふと目を上げると、3人目の女の子が、さみしそうな目で、僕と子どもたちのすき間のスペースをみつめている。僕が少し身をよじれば、座れないこともない。しかたがないから、逆どなりが若い男だったにもかかわらず、僕はそちらに少し身を寄せ、すき間をあけた。

そこまでしたのに、こんどはその女の子は躊躇しているようだった。お友達も、ここに座り、と言ってあげない。若い男に身を寄せた俺がバカに見えるじゃないか! 僕はもう仕方がないから、ここにお座り、というジェスチャーをするしかなかったのだった。

 

果たして、女の子は僕のとなりに出来たすきまに、ものおじしながら座った。見やると、下を向き、身を固くしていた。ぷるぷると緊張で体が震えているようにさえ見えた。なんか悪いことしたかな、本当は座りたかったわけじゃないのかも。。ちょっと気まずい気持ちになりながら、こんなに全身全霊で緊張できるなんて、こどもってやっぱりかわええ、と思わざるをえなかった。

そして、しばらくして、彼らはまた、ドヤドヤと出ていった。振り返りもせずに。。。「やられた」 蹂躙された。もう僕は哲学の本に戻ることができなかった。こんなこむつかしいこと、どうでもええわ、本当のこと言えば、と思えてきた。

 

だけど、悲しいことに、また、ひとりになり、考え事をして、気持ちが煮詰まってくると、哲学の本を開いてしまうのだった。どうでもいいことは、わかっているのにな。