軽い罪悪感の日

2週間ばかり前になるが、奥居香さんがMを歌うのを間近で見ることができた。たまたま、新作アルバムのプロモーションでモールに来ているのに遭遇したのだ。やはり、Mはよかった。

そういえば、先日Mについてブログを書いたばかりなので、不思議なものを感じた。というか、単純にうれしかった。

さっき奥居香と書いてしまったが、垂れ幕には岸谷香と書いてあったので、訂正しなければいけないだろう。人妻なのだ。俺的には奥位香を名乗っていて欲しい気がするが、勝手な気持ちだし、それほど大きな気持ちでもない。

さっき、マクドナルドでパソコン仕事をしていたら、となりに小さな子を連れたママが来て、子どもが大きな声ではしゃぐのをしきりにたしなめていた。俺を気にしているようだった。気にしなくていいですよ、とか言おうかなとも思ったが、なんとなくわざわざこちらから言うのもおかしいかな、とか思いつつ、気にしていないというメッセージを全身からただよわせるように、少しわざとした。

ママがトイレにたったすきに、子どもとアイコンタクトをして、にっこり笑ってやった。お前たちのこと、ぜんぜん気にしてないから、気にせずはしゃげよ、というアイメッセージだ。うまく伝わったかなと思うすきに、ママが帰って来てしまった。

見られた。

もしかしたら、俺が子どもにメっと怒っているかのように思われてしまったかもしれない。冷や汗が出る。が、意識的にニコニコしてみたいので、たぶん大丈夫だろう。

とかなんだかいいつつ、やっぱりマクドナルドは家族連れや学生の場所であり、ちまちまパソコンいじってる俺が場違いなんだよな、と思いながら、でもまあほかにも2,3人同じような奴がいるな、と胸を若干なでおろしながら、仕事に集中したりしていたら、誰かに声をかけられ、はっとなった。

となりのママだった。うるさくしてごめんなさい、というようなことを言ったようだ。しまった!言われてしまった。と汗が出た。それを言われないようにボディーランゲージでがんばっていたのに、やっぱり、気にさせてしまっていたのだ。おれはとりつくろうに子どものほうを見て、子どもは元気なほうがいい、的なことを口走るが、なんだか意味が噛み合ってないような気がしたし、なによりも、慇懃ないやみに聞こえてしまったらどうしよ、と思って焦った。じわっと汗が出るのを感じたとき、おそらく2歳くらいのおそらく妹のほうが、ばいばーい、と言って、手を差し出してくれた。

おお、救世主。俺は、じゃあ、ばいばいなー、的なことをもぐもぐ言いながら、子どもとハイタッチをした。(こどもはハイだが、俺にとってはロータッチ)

ついでにお兄ちゃんのほう、推定4歳、にもロータッチをしようと手をだしたのだが、お兄ちゃんのほうは笑顔こそくれるものの、手を出さなかった。おお、もうそういう歳か、大人だ、とたじろく。ふと、ママを見ると、困ったようなエヘヘ笑いをしていた。

美人だった。

総合的にいえば、負けた、と思った。そういう後味が残った。もうお昼時にマクドナルドに行くのはよそう、と思った。マクドナルドは子連れママさんのオアシスであるべきなのだ。

それからホームセンターに家の玄関につける網戸をチェクしに行く。めぼしいものがない。うちは引き戸なのだが、引戸用の網戸はなんか高いものばかりなのだ。うーん、どうしようかなー、開き戸用を無理やりつけてやろうかな、と悩んでいると、少し離れたところに、うーんとうなっているおじさんが一匹。店員とのやりとりを聞いていると、網戸を買おうとしたのだが、網戸の外枠もついていると思い込んでいたのに、ついていないと聞かせれて、えっ、となっていたところらしい。おじさん、そうかー、そうなのかー、と落胆しながら、あきらめきれないようで、店員にお引取りを願ったあとも、巻き尺を取り出していろいろ計っていた。俺はにわかにおじさんがチェックしている網戸をチェックしたくなったが、待つのもなんだし、近づいていっておじさんにプレッシャーをかけるのもなんだし、あきらめた。

そして、近所にオープンした最近の新しい職場、あおい珈琲にやってきたわけである。今日は合計3回、車を駐車した。すべてバックせずに駐車できる場所に停めてやった。わざわざ停めにくい場所に止める必要などないからだ。だが、こんなことでは一向に駐車が上達しない、という罪悪感を、どう扱ったらいいか、決めかねて、暑い暑いと言いながらお店に入る。応対に出た店員が、おや、知ってる顔だ、的な反応をする。そろそろ常連だ。今日は暑いし珍しくアイスコーヒーだな、と思って席につくが、冷たい水がサーブされるのを見て、ホットコーヒーに切り替える。ただし、今日は炭焼きだ。そんなくだりを何十回とやってきたな、とまた軽い罪悪感を覚える。

今日は、罪悪感の日なのだろうか。

 

 

 

 

 

バレーボール、グリット、広島オバマ

最近、バレーボールのオリンピック最終予選をかじりついて見ている。女子バレーはしびれる場面がたくさんあった。イタリア戦の木村沙織の完全に本気になった顔と鬼気迫るプレーにびっくりしたし、そう、もう全盛期じゃないのかな、と少しさみしく思っていたのが、体が下から突き上げられるかのようにジャンプして、ありえない方角にスパイクを決める沙織選手に、なんだ、まだぜんぜんできるんじゃんか!と安堵と喝采だった人がお茶の間にたくさんいるはずだ。こんな感動話をあと5〜6はできる。そんな熱い闘いだった。

 

そんな日々を送っていると、自身もバレーボールをやっていた中学、高校時代を思い出すのは必然だ。いろいろな場面が思い出されたが、最近、リフレインしているのは、放課後、部活が始まるまでの時間を、チームメイトと一緒に過ごしたある日の場面だ。なぜそこに集まっていたのか、思い出せない。体育館がほかのことで使っていてまだ練習が始められない、とかそんなことだったように思う。教室に、1人、また1人と部活のメンバーが集ってきて、とはいえ、4人プラス女子マネくらいの感じで、窓から日差しがよく入ってきたように覚えている。

ぼくたちは椅子にすわってまったりしていた。女子マネが、最近、この曲がすきなんだ、と言って、MDのイヤホンを部員のひとりに回した。イヤホンを受け取った部員は、しばらく曲に耳を傾けて、あ、エムだね、俺も大好きなんだ、と言った。プリンセスプリンセスの『M』だ。

そのとき、ぼくはなんだかたそがれていて、Mはいい曲だよね、と心のなかであいづちをうちつつ、なんだかスッキリしない気持ちをもてあましていた。

おそらく、今日、練習するのが嫌だ、とかそういうような気持ちだ。そして、そう思う自分が嫌だ、という気持ちもあったように思う。基本的に練習が嫌いで、部活も嫌だ嫌だと思いながらやっていた。それでも上手かったら、漫画のヒーローにもなれるが、僕はうまいほうではなかったから、浮かばれない話にしかならない。

 

グリットが足りなかったのだろうか。いま、ライフハッカーの翻訳で、Grit(グリット)がテーマの記事に取り組んでいた。Gritとは、やり抜く力、というような意味の言葉で、最近、米国では少し流行っているようだ。なんでも、心理学者たちの研究で、さまざまな分野で一流の業績を収めた人に共通していたのは、才能ではなく、このグリットであることがわかったそうだ。ある学生が良い成績を収めるかを予測するには、その生徒のグリットがどれほどあるかを調べればいいらしい。アンケート調査でわかるようだ。

 

オバマ大統領が広島に来た。中継を見ていた。資料館に入って10分で出てきたときは、短いな、と思った。スピーチは、さすがにいいこと言うなと思ったけど、とくに際立ったことを言っているようには思えず、長いな、と思って聞いていた。だが、そのあとで、被爆者のおじいさんと握手をして語り合う場面で、おお、と心が動いた。胸が熱くなった。なぜだろう。すべては段取り通り行われるセレモニーだ。だが、胸は熱くなった。きっとこういうセレモニーは大切なのだ。オバマやっぱりすげえな、と思う。

テレビのなかで、ほかの被爆者のおじいさんが、オバマにほおずりしたいほどうれしい、と泣いていた。そして、肩の荷が降りた気がした、というようなことを言った。へえ、と思う。肩の荷が降りたのか。どういうことなのか。被爆者が抱えてきたやり場のない気持ちが、オバマの来訪と献花によって、報われたということなのだろうか。オバマは原爆を命じた大統領ではない。それでも、これほどの寛解がある。とにかく、よかった。オバマよくやってくれた、という思いがした。そういう僕も被爆者ではないし、身内に被爆者もいない。

そしてMである。久しぶりにMを聞こうとYouTubeをあさっていたら、なぜかテレビドラマがヒットした。なんとなく見始めたら、面白くて7話全部見てしまった。久しぶりに、ドラマっていいな、なんて思いながら見ていた。7年前に亡くなった夫を手放して、生きている人のほうを向く、というドラマだった。というか、主演女優がタイプだった。

 

さて、というか、やっぱり、オバマだ。オバマが広島に来た、これはやっぱり大きい。ドラマの主人公も、最終回、肌身離さず持ち歩いていた夫の遺骨をお墓に返した。そういうことがあって、未来を向ける、なんてことがあるんだろう、と考えていた。

 

 

 

 

 

台北

台北滞在3日目です。今日帰ります。

 

昨日はウォーキングツアーに参加してみた。2時間位で街の一角を歩くのだ。ガイドがついて、建物の歴史などを教えてくれる。

博物館、228事件の記念公園、総督府と、昔ながらの市場と、若者の街西門をめぐった。

ここでも、日本の関わりを意識させられる。最初の博物館が、もうすでに日本が植民地時代につくった建物だという。ガイドが、後ろに見えるのが、博物館で、台湾の伝統的な建造物の1つです、と言うと、参加者の西洋人たちから、ノ〜という声があがる。たしかにそれは、どこからどうみても、西洋風の建物だからだろう。ガイドは、でも、これがまちがいなく台湾の旧跡の1つなんだ、と言った。

ガイドは大学生の女の子2人だ。英語が流暢だ。

僕の英語力では半分くらいしか聞き取れないのだが、僕なりに聴きとったところでは、日本の植民地になって、日本人が支配層になって台湾人が非支配層になった歴史は喜ばしいものではないが、日本が台湾を立派に開発してくれてそれが今の台湾の発展につながったのだ、的な受け止め方、つまりは教えられ方をしているようだった。

228事件の記念碑を見て、総督府へ向かう。大きくて立派な建物だ。いまでも大統領が使っているという。これも日本がつくった建物だ。

もしかしたら東京でも、めぼしい古い建物をめぐれば、西洋建築ばかりなのかもしれない。国会議事堂、東京駅など。日本の近代の歴史が、西洋とのかかわりの歴史であるのと同じくらい、台湾の近代の歴史は、日本とのかかわりの歴史なのかもしれない。日本をとおして西洋の文化と技術を吸収したということかもしれない。

古い商店街へ向かう。せまい路地の両側に服屋や靴屋がところせましと立ち並んでいる。ガイドが、日本と似てる?と聞いてきたので、すごく似てると答える。

台湾オリジンの飲み物であるという、寒天入りのレモネードを飲む。すごくおいしい。続いてビール味のアイスクリームを食べる。妙な味だ。ガイドが食べているアイスを味見させてもらったら、すごくおいしい。でも食べたことがない味。釈迦頭(しゃかとう)という果物の味だそうだ。形が釈迦の頭ににている、見慣れない果物だ。

こういうツアーに参加するのは初めてだった。いつも一人旅のときは、街をやみくもに歩きまわるのが好きだからだ。気の向くままに歩いて、気の向くままにカフェに入る。そういうスタイルが好きだった。でも今回は、なんだかガイドブックを開くにも面倒な感じに疲れがたまっていて、なんとなく人恋しかったので、ツアーに申し込んでみた。

最初、参加者があつまったときは、年齢層も高く、みんな押し黙り、なんだか思ったのと違うかも、途中でこっそり消えちゃおうかな?とか思う。笑顔であいさつしても、あいさつを返してくれない人さえいる。俺以外は白人だ。なんかアウエーでいやな感じだ。残念ながらいればテンションを多少高めてくれるであろう妙齢の女性などはいない。みんなどちらかというと暗い顔をしている。なんか、観光の負け組が集まってきてしまったように感じだ。

それから3時間後、ツアーが終わり、10人あまりの参加者のうちの3人とぼくはコーヒーを飲んでいた。仲良くなっていたのだ。そのままご飯を食べに行き、ローカルフードを楽しんだ。結果、参加して本当によかったと思った。

こういうことはよくあるな、と思った。どうやら僕は最初はなんでも悪い未来ばかりを考えてしまうらしい。というか、いちいち考えすぎなのだろう。カナダくんなどは、かつて台北に留学して3年間住んでいたのだという。なんでそんな君がこんなツアーに参加してるんだ?と聞くと、なんだか退屈だったから友だちでもつくろうと思って、と言う。そんなんでいいんだ、と目からうろこが落ちる思いがした。

そして最後はカナダくんと夜市へいく。めちゃくちゃ大きな夜市だ。よくこれだけの規模の夜市が毎晩、毎晩、開けるものだと思う。東京でもこんな規模の夜市は成立するだろうか? 見渡す限り、食べ物、食べ物、熱気と匂いがむんむんで、食べ物の匂いで酔いそうになる。気がつけば10時を回っていた。歩きすぎて足が痛いので、今日はこれで切り上げることにする。おいしいとすすめられた、肉まんみたいなパンを買ったが、満腹すぎてまだ食べられていない。

 

といろいろ書いてきたが、昨日温泉に行ったことはまだ書いてないことに気付く。台北にいる友だちと合流して北投という温泉に行ってきたのだ。ラジウムがすごいらしく、日本では秋田のどっかの温泉にしかないお湯なのだという。たしかに効能がありまくりっぽい感じのお湯だった。なんかとろみさえありそうなお湯だ。熱すぎて最初はひざまでしか入れない。足を入れてはひっこめ、足を入れてはひっこめをしていると、おじさんがやってきて、そこは熱いですからあちらにいかれるといいですよ、ときれいな日本語で教えてくれた。そんな温泉街が都心から電車で30分なのだ。台北、なかなかの実力だ。

台北は今日も曇っている。曇っているのは空だけじゃに気がする。空気全体がけぶっている。こういう場所なのだろうか。そこはどうも好きになれない。湿度も高すぎる。でも、台北は思ったよりずっと都会にして、ずっとコンパクトだ。全体が下北沢みたいな感じというか、がんばれば歩いて回れるような距離感に都心が収まっていて、すごい密度でカフェやなんかがそこかしこにある。つまり、住みやすそうな街ではあるな、と思った。

 

 

 

台湾6日目

高雄6日目のお昼です。今日はAirbnbで台湾人カップルのアパートに泊まっています。ジャンジャンとアビーです。ジャンジャンはお酒の輸入などをやっていて、自宅のリビングでミニバーを開いていたそうで、もうすぐ古いビルを階層してバーをオープンするとのこと。そして、そこをただのバーじゃなくて、みんなが溜まれる基地みたいな場所にしたいのだとか。フードやカフェもやるんだよ、とのことです。

コワーキングスペースみたいにしてよ、とリクエストすると、そういう場所にもしたいと思ってるとのこと。なかなかおもしろい人に出会えたと思った。

このアパートは、高雄の都心の駅から歩いて5分で、16畳くらいのリビングに、6畳ほどの個室が4つとキッチンがある。ビル自体はかなり古そうで、エレベーターもないんだけど、日当たりもよくて気持ちがいい場所です。

家賃どんくらい?と聞いたら、1カ月で16000元だそうで、5万5千円くらいでしょうか。ビルが古い、家具もないので安いほうなのだそうです。家具付きだと20000元、7万円くらいとのこと。なるほどなるほど。このアパートはひとりで住むには大きいので、借りるなら友人とシェアする感じだね。この半分の広さならいくらになる?ときいたら、だいたい10000元だそうです。3万5千円くらいか。でも、それは高雄だからであって、台北だとこの3倍はするのだとか。東京の郊外とかわらない値段かな。

しかし、高雄の人は台北が好きじゃないらしく、みんな文句を言ってるw 僕はまだ台北にいっていないので、イエスともノーとも答えないけど、まあ、東京みたいに人がセカセカしているらしいことはわかった。あと雨が多いってね。

高雄滞在中、まだ一度も雨が降ってない。昼間は青空が広がり、太陽がじりじりと照って、日本の真夏という感じ。暑いな〜何度ある?と調べると、27度しかない。あれ?おかなしいな、と思うが、体感温度という項目は34度となっていた。湿度が高いから暑く感じるのだろうか。まだ少し肌寒かった日本から来て急激な気温変化のせいか、3日目くらいから夏バテのような感じになって、基本、ぐったりしています。

あと、いろいろ食べたいのに胃があんまり消化してくれなくて、悲しいです。

 

台湾のことどう思う?ってさっきジャンジャンに聞かれた。うーん、と答えに詰まる。いいと思う、好きだよ、とは言ったものの、どこが好き?と言われて、うーんとなる。

まあ人はフレンドリーだけど、フレンドリー過ぎないというか、タイのように街行く人たちが人懐っこいわけじゃない。しゃばりかけるとスマイルしてくれるのだが、そうじゃないとただじっと見られたりするだけだ。もっとも、頻繁に中国語で話しかけられるので、旅行者、あるいは日本人だと思われていないフシはあるので、なんとも言えない。

食べ物も、おいしい店にいけばおいしいが、基本、中華の感じなので、びっくり!感動!ということもそれほどない。ああ、こういう感じね、おいしいね!って感じ。

でも逆に言えば、日本語は通じないけど、なんだか親しい人、みたいな感じをすぐに覚える気はする。違和感が少ないというか、外国にいることを忘れそうになる瞬間がある。とくに、案内してくれている台湾人の友人は日本語ができるので、そうなると、相手が台湾人であることすら忘れそうになる。

あと、漢字のパワーも感じる。街の看板やお店のメニューなど、思ったりずっと判読できる。漢字を見て意味を類推すると、けっこう当たってる。日本と漢字の意味がかなり同じだという印象。漢字が日本にやってきて時間がたつけど、あんまり意味が変わってないようだ。そういうこともあって、しゃべり言葉はまったく意味がわからない難点をのぞけば、けっこうスムーズに生活できてしまっている。

 

あと、高雄は、あるいは台湾は、本当に日本と縁が深いんだ、ということがわかってきた。そのことを高雄の人はみんな知っている。日本人はあんまり知らないんじゃないかな。高雄の歴史に日本というものが、がっちりと介入している。ぬきがたく。

 

前のブログで、旧市街にいったら、おばあちゃんの家を思い出したという話を書いた。その話をジャンジャンにしたら、それはそうだよ、あの地区は日本がつくったんだから、と教えてくれた。高雄に近代的な街をつくったのは日本なのだ。日本風の都市計画を持ち込んだ。だから、懐かしかったのだ。

 

だから、高雄で僕が戸惑っていたのは、外国にきた興奮というよりは、不思議な懐かしさに遭遇するからで、それはそういう歴史のわけなのだ。

そして、228事件という言葉を何度か耳にする。高雄の人の大事な歴史のキオクみたいだ。悲惨な記憶としてだけど。もう少し勉強してから来るべきだったと思った。台湾映画を2−3観るくらいはしておけばよかった、と思ってあわててネットをあさったけど、ていよく日本語字幕で見れる映画は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台湾にて

3日前から台湾に来ている。

高雄は熱い。昼間の気温は27度くらいなのだが、急な温度差にやられたのか、歩きまわりすぎたのか、体が熱くてへとへとになっている。

 

友だちと、どういう人がタイプかというヨタ話をしていたら、

ビビアンスーが好きだったのを思い出した。台湾出身だ。

 

高雄の街は、とくに旧市街や住宅街は、タウンハウスという3階建てくらいの小さなコンクリートのビルが一軒の家になっている。それが、ずっとならんでいて、ときどき、一階が商店になっているのがずっと並んでいるところもある。アジアでは珍しくない風景で、これが中華圏の文化なんだろうな、と思っていたら、なんだか不思議な気持ちになっているのに気づいた。なんだろうな、と考えていた。

あ、そうか。懐かしさだ。とわかる。おばあちゃんの家に似ている。おばあちゃんの家は呉服屋で、商店街のなかにあった。ちょうど一階がお店になっていて、間口が狭くて奥に広い。2階は住居スペースだ。

高雄の旧市街には、おばあちゃんの呉服屋みたいなちょっとレトロで独特の空気の服屋や帽子屋なんかが並んでいて、おばちゃんたちが暇そうにしていて、なんだか、まじで懐かしいぞ、と思う。

僕が海の近くのカフェに行きたいとリクエストして、友だちがネットで探してくれた。そのカフェがこの旧市街にあるんだけど、はりきって行ってみたら、なんともいえないレトロなザ・喫茶店みたいな店が鎮座していた。僕たちは入り口で立ち尽くしてしまった。愛想笑いをしながら、一歩踏み入れてしまった店からおずおずと出てきた。友だちが、こういうのをなんというか知ってるよ、えっと、ショウワなお店、でしょ?と言ってきた。あまりに的を得ていたのでびっくりするやら、おかしいやらだった。

 

人気のある朝食屋さんに連れていってもらった。

小さめの肉まんといった感じの小籠包と、ホットドッグのパンみたいややつにオムレツと何かをあげたパリパリするものをはさんだものが人気だそうだ。おいしかった。とくに小籠包は絶品だった。10時位にいっても混んでたが、朝は行列なのだそうだ。高雄に来てから、「あれ、思ったよりあさっりしている」と何度も口走った気がする。何をたべても、想像より少しやさしい味なのだ。スタバのカフェラテ以外は。。そうそう、朝食には豆乳も欠かせないらしく、みんな飲んでいた。これもうまかった。

 

さっき、突然サイレンが鳴って、何事かと思ったら、防空演習だという。30分ほど外出禁止なのだという。ちょうど出かけようとしていたので困っていたら、宿のオーナーが、君は外国人だから知らなかったと言えばいい。警察がいないところを選んで行き給え、と言う。なので、おそるおそる駅まで歩いていくことに。誰も歩いてないし、車も走っていない。ところどころに警察がいる。裏道を通って歩く。が、ついに警察官に止められる。こっちへ来いと言われて、ここで待ちなさい、的なジェスチャーで指示される。あたりには、道を歩いて止められたっぽい人たちが数人たむろしていたので、一緒に待つことに。やっぱり、日本とは違う緊張感があるんだね。

 

今泊まっているゲストハウスは、実はイリーガルなんだ、とオーナーが言う。というか、台湾のゲストハウスはほとんどがイリーガルなのだという。営業許可をもらうための基準が、大型ホテルと同じものが要求されるらしく、小さなホテルやゲストハウスはクリアできないのだという。いま、そういう宿のオーナーが集まって、規制緩和を訴えていこうとしているとのこと。ここの宿の自慢は玄関のロックだ。日本製のロックだそうだ。なんでも、プッシュ式の番号鍵なのだが、電気がいらない機械式なのだそうで、どうやら珍しい逸品らしい。日本中のゲストハウスをまわっているときに見つけたのだという。こだわりのロックだ。たしかに、電気がなくても使えるようだ。だが、ロックのせいなのか、ドアのたてつけのせいなのか、ロックを開けるのは簡単だが、ロックを締めるのに、僕の場合平均で5回は失敗する。そこが難点だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋本治がいいね、

春なんで褒めるシリーズ。橋本治がいいねだ。

いま、橋本治の本をよく読んでいる。いろいろ。最初に手にとったのは「蝶のゆくえ」だった。高橋源一郎がお勧めしていたので読んでみた。

しんどかった。読後感がせつないのだ。あー。これは物語なのだ、フィクションなのだ、と言い聞かせることができないくらり、ああ、きっと本当にこんなふうなんだろうな、と思わせるものがあった。軽々しく泣かせてくれない小説だった。

 

虐待されて死んじゃう男の子の話なんだけどね。虐待される子も、する大人も、みんなかわいそうになる物語だった。そしてそこはかとない怒りが湧いてくる。そう、この怒りは馴染みのあるものだ。日々うっすらと感じている、社会へのやるせなさ、みたいな感じかな。そーいうのがあったね。

 

それから、いろんな本を読んで、いま読んでるのは「二十世紀」という本なんだけど、面白くて、なかには読み通せなかったものもあるけど、なんかこの人の本は、一気に読めてしまうものがあって、リズムがよいのと、うんうん、そうそう、そうなのよ、みたいに共感を乗せていってくれるところがあって好きなんです。

 

ということで、どうやら橋本先生も「信じられる」に入れちゃおうかなーって思ってるところです。

しかし、この信じられるってなんなんだろうね、前も又吉の本のときに書いたけどさ。まあ、都合よく考えれば、自分が思っていることが正しい気にさせてくれる、みたいなことなんだろうけどさ。でも、うんうん、わかるわかる、とうなずきながら読んだあとで、まあ、でも、きれいごとだね、これは。と急に冷めてしまう人の本もあるんだよね。一方、この人はなんてまあ頭がいいんだろう、と感心して読むんだけど、どっかそこはかとなく、騙されちゃだめだ、ってごくごく小さな声がささやくこともある。内田樹とか、宮台真司かなーたとえば。どちらもどちらかというと好きな作家なので、悪くいうつもりはないんだけど、なんかひっかかるなあ、って感じがあったりする。

 

というか、別に比較して論じたいわけじゃないから、いいや。

そうじゃなくて、なんというか、ああよかった、君がいてくれて助かったよ、という素直な気持ちにさせてくれるのが、僕にとっての「信じられる」作家で、そういう人の本に出会うと、ああ、よかった、これで少し生きられる(おおげさ)と思うわけだ。

 

これってやっぱり、どこか勝手な解釈で、自分が肯定された気分になるからなんだろうけど、でも、それでいいじゃんというか、そういうものだってそんなにホイホイと見つかるもんじゃないよということなのだ。

 

たぶん、橋本治本人に会えば、いじわるなこといっぱいいわれると思う。あんたなんか、ごまかしばっかじゃない、って。でも、そういう形の肯定だってあるわけで、というか、僕のことをどう思うかなんてことではなく、橋本さん本人がどう生きて、なにを感じてきたのか、というところで、ああ、よかった、となるわけだと思う。ご苦労されているのか、されていないのか、ふわふわと掴みどころがなさそうな人なんだけど、とにかく、橋本さんをネタにたくさんのことが書けそうだという気持ちにさせる。ふふふというおかしみを感じる。それが大事なことなんだね。

 

ほうれん草はすごいと思った。

昨年の10月、いや11月になろうとかというころだろうか。父が急逝して少しして、母が庭の畑にほうれんそうの種を植えた。すぐに芽が出てきた。そしてゆっくりと3センチくらいまで育った。だが、そこで成長が止まってしまった。まてどくらせど、それ以上大きくならない。気がつけば冬になっていた。雪も降った。たまに思い出して見に行くと、一列に行儀よくならんだほうれん草は、元気をなくし、葉が黄色くなりかかっているものさえあった。このまま枯れてしまうのだろうか。植えるタイミングを間違えたのだろうか。母に尋ねると、いつもそうだよ、的な答えが返ってきたが、到底納得できるものではかった。

そして、あれ、気が付くと春が来ていた。同じ頃に植えたチューリップがぐいぐい芽を出し、成長して、ついには赤い花を咲かせていた。僕は、ほうれん草はどうかな、と見に行ってみた。あ。少し大きくなっている。ほうれん草は成長を再開させていたのだ。生きていたんだ。冬の間は、おそらく成長するだけの太陽エネルギーが得られないか、気温が低すぎるだからで、ぎりぎり死なな無い程度の生命活動を維持しいて、春が来たとみるや、一気に巻き返しにきたのだ。すごいと思った。よく耐え、そしてタイミングを逃さない。何事もなかったかのように、ほうれん草は育つのだろう。人工知能のロボットってこんな感じ?と一瞬思ってしまう。でも、よくプログラミングされている、としか言えないような感じを持ったのだ。種に入ってた装置すげえな、みたいな。

 

あんなに待ち焦がれた春なのに、本番が来てみると、なんかつらい。まず花粉症がつらい。が、それだけでなく、あんなに待ち焦がれた春が来てみると、自分は何を待ち焦がれていたのか、つきつけられるような気持ちになる。さあ、春がきたぞ、やってみろ、ほら、待ってたんだろ、と言われているような、うかうかしてると春が過ぎさるという焦りもあって、春が好きなのに、つらい、そんな矛盾の中にいま、いる。もうすぐ四月。 モスバーガーでマスクをしながら。なのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまさらながらMFクラウド確定申告を褒めよう

そういえば、今年の確定申告はあっといまに終わって、もう還付金が戻ってきていた。なんとあっけないことか。これでも65万円控除の青色申告のほうだぞ。

およそ3年まえ、白色申告で数週間、うんうんうなっていたのが隔世の感がある。でも、それは、金の力を借りたせいだとも言える。さすがに税理士じゃない。クラウドサービスだ。MFクラウド確定申告だ。

 

月に800円、つまり年に9600円払っているが、その価値はあったと思う。だって簡単だったから。すっきりと設計されたそのシステムもさることながら、なんといってもサポートが抜群だった。このサポートが受けられるなら月800円も安いものだ。チャットで質問するのだが、いつでもすぐに、「ご質問ありがとうございます」とやってきて、僕の要領を得ないだろう質問にキビキビと答えてくれる。だいたい、5分で解決する。

さすがに税務そのものに関する質問は税務署に聞けと言われてしまうのだが、こういう場合はどう入力すればいいの、〇〇っていう項目はどういう意味、などの質問は、僕がわかるまで丁寧に答えてくれる。

わざわざこんなに持ちあげるのは、昨年、競合のfリーなるサービスで嫌な思いをしたからかもしれない。多忙を極める確定申告シーズンだったからかもしれないが、ほとんど侮辱に近いサポート対応を受けたのだ。あれ、そのとき書いたかな? でも、まあ、たまたまかもしれない。たまたま不機嫌なバイトくんに当たってしまったのかもしれない。でも、お金を払っていたのだ。いろいろ比較検討し、特集記事などをふむふむと読んで、よし、これはよさそうだ、これに決めた!と決めたわずか3日後に、かようのしうちを受ければ、グチのひとつも垂らしたくなるのが人の常である。あまりに腹がたったので、即効で解約するとともに、自分にしては珍しく、できればお金を返してほしい、と書いてしまった。もちろん、お金は返ってこなかった。コピペの謝罪文がさらっと送られてきただけだった。

 

まあいい。花粉症で平熱なのに微熱があるみたいな日が続いているからといって、悪口ばかりを吐いてはいけない。だから、褒めようと思って書きだしたはずだったのだ。そう、MFクラウド確定申告は、その点いいぜ、と言いたかったのだ。

サポートのよさは、ある程度何度かサポートを受けてみないとわからないからね。だから僕が確定申告のためにクラウドサービスを使ってみようかな、という人たちのために、いま書いているんだ。MFクラウド確定申告がいいと思うぜ!ってね。

 

 

春なんでテンション高めで書いた。