今日のバンコクは寒い

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今朝のバンコクはすごく寒いです。半袖Tシャツの上に長袖Tシャツを重ね着しても、まだ少し寒い感じ。冷たい風が吹いているのです。

 

昨日、バンコクに非常事態宣言が出されたようです。僕がいるエカマイという地域の雰囲気はいつもかわりません。静かなお天気です。

 

今日のオフィスHubbaは、コワーカーが7人。スタッフが6人です。オーナーのエームが、タイ人学生らしきグループに、たぶんコワーキングスペースを作った目的みたいなことを説明しています。Hubbaはちょっとした名所のようで、連日、TVや雑誌の取材や、見学の人が訪れています。

 

おいしいドリップコーヒーを淹れれるようになりました。教えてもらっています。ドリップするときに、コーヒー豆が対流しているなんて知りませんでした。いかにうまく対流を起こすかがカギのようです。対流がうまくいけば、深みがあり、雑味がないおいしいコーヒーになります。対流がうまく起きないと、味がうすかったり、エグ味がでたり、酸っぱくなったりします。ほんのちょっとした加減で味が劇的に変わってしまいます。茶道ならぬ、コーヒー道がここにあります。

 

そういえば、昨年夏の沖縄で、コーヒー専門店「原点」のマスターが、コーヒーは奥が深い。何十年やってもまだ先がある、みたいな話を聞いたのを思い出します。いま、その意味が少しわかりました。

 

ひだまりに木の枝の影が写っていて、風で揺れている。その光景は、何かです。明らかに何かへの入り口です。いま、白いブロック塀に映る、灌木の影をまさに見ているところですが、ふうーーっと異次元へ接続してしまう気がします。壁ばかりを見つめている僕を、となりの人が怪訝そうに何度か凝視したのを、横目でとらえましたが、リアクションはとらないことにします。

 

最近、心のなかの世界が減っているような気がします。昨日、タイ人アーティストの二人組に会いました。ガールズです。毎日、イラストで交換日記みたいなことをしているそうです。彼女たちの作品をいろいろ見ていたら、なんだか懐かしくなりました。ああ、こんな風に「ある世界」を大切にしていたころがあった気がする。ある世界を、すごく大切に思っていて、同じように「ある世界」を大切にしている友人がいて、わかったようなわからないような会話して、一日を潰せてしまった日々があったような気がする。

 

もっと若くてもっと無知だったけどそのぶん、心の中に別世界が広かった気がする。だんだん年を重ね、人生を生きるということの全体像が見えてきて、世の中の現実というものも身にしみてきて、自分の実態もぼんやりわかってきたのと引き換えに、世界が小さくなった。

 

いろいろ海外を回ったことで、体サイズの世界は広がった。タイにいながら日本の家族を想い、日本にいながらヨーロッパの友のことを考える。そのリアリティの強度は移動するほど増していくので、体が「世界」だと把握している領域は確実に広がっている。

 

そのこと自体は楽しいことだ。

 

バンコクで部屋を探す時、北向きの部屋がいいそうだ。南向きだと暑くなりすぎるのだ。バンコクは、光がふんだんにある。日当たりの良さを気にする人などいない。どこにいたって日差しが回りこんでくる。どこもかしこも、光でいっぱい。これはすごく贅沢なことだ。そのことをタイの人たちはたぶん知らない。