小さな例外

昨夜は、また構造体の夢を見れないかと期待しながら寝床についたが、起き抜けに見ていた夢は、もっと後味の悪いものだった。

ざっというとこんな夢だ。どこかのヤクザ者が死んだ。そしてぼくは、偶然か不可抗力から、その死の原因につながっているようだった。そのことに、やくざ者の仲間たちはまだ気づいていないようだった。ぼくは逃げた。でも、あとで僕の関与がバレたら、ひどい目に合わされるに違いない。また、逃げたことで余計な疑いまでかけられるだろう。ならば、今、告白して、ぼくは悪くないことを認めてもらったほうが得策だろうか?だが、認めてくれる保証はない。だからやっぱり黙っておこう。そんな夢だった。目が覚めたとき、まだビクビクしていた。そして、夢だとわかったとき、心底ほっとしたものだ。しかし、ただ後味が悪いだけで、意気地のない夢なことだと、がっかりする。

 

夢はもういい。

さっき、窓際のトットちゃんを読んでいて、あ!と思い出した記憶があった。あれは、おそらく、4歳くらいのころだ。たぶん小学生の姉の運動家を見に行ったときのことだ。ぼくは、目の前で今からはじまりそうな綱引きにまじりたくて仕方がなく、気がついたら、綱を握りしめていた。若い女の先生が、やさしい声で、でも少し困った感情をにじませながら、やるの?と聞いた。ぼくもやるの?だったかもしれない。俺は、ただおおきくうなずいたはずだ。そのときの気持を、さっき思い出せた気がした。

あのとき、僕の記憶が正しければ、ぼくは自分が綱を引くことに少しも疑いを持っていなかった。ただ、綱をみんなといっしょに引きたかった。どっち組でもかまわなかった。あの興奮の中にいたかった。ぼくもやるんだ!ただ、それだけだった。できるかな?とか、怒られるかな?とか、そういうことは少しも考えなかったように思う。ただ、気がつけば綱を握っていて、当然のこととして、それは許されたのだ。

笛がなってぼくは必死に綱引きしたはずだ。かすかにその興奮を覚えている気がする。そして、たぶん負けたような気がする。

ここ数週間、3歳の姪っ子が毎日、スカイプをかけてくる。最近は一日2回になってしまった。昼ごはんどきと、夜ごはんどきだ。といっても、もっぱら母、姪から見ればおばあちゃんが、相手をしている。それは短い時で一時間、長いと4時間に及ぶ。紙芝居を読んであげたり、ようかい体操をするのを一緒に踊りながら見守らなければならないのだ。ぼくはさすがに仕事があるので、最初の15分くらい顔をだすと、サッと消えることになる。おばあちゃんがなんとか相手をしている。

スカイプってすごいな、ということでもある。母は何度も、電話代は本当にかからないのか?と聞いてくる。こんな何時間もおしゃべりして、電話だったら大変な金額になるがね、という。そうだ。ほんの数年前まで、電話にはお金がかかったのだ。ぼくも学生時代(20年以上前)、実家への電話代が月に5万円とかなっていたことがあって驚愕したり、そんなに前じゃなくても、友人の悩み相談を聞いていたら、一回の電話で2万円も使っていたことがあったりした。あれはいったいなんだったのかと思うほど、遠隔コミュニケーションはとりやすくなった。

だが困っていることもあって。それは、スカイプのためにぼくのスマートフォンが供出させられていることだ。ぼくのスマホのネット接続をつかってスカイプしている。だから、姪とばあばのもしもし通信がはじまると、ぼくはスマホをとられた形になるのだ。昨日などは、何年かぶりに、スマホ(携帯電話)を持たずに友人とランチをしにいった。ちゃんと待ち合わせで会えるかさえ、ひやひやした。

姪のためでなければ、スマホを供出するなんてことはなかったはずだ。姪っ子にはさからえない。かわいいからだ。そして、今だけ、という気持もある。3歳の姪っ子をかわいがれるのは、いまだけなのだ。

で、何が言いたいかというと、あの、綱引きの時、おとなから見ると、おれも姪っ子みたいな感じだったのかな、ということだ。小さい子が小さい手で綱を握りしめている。目をキラキラさせて期待にふるえている。あんたは違うからあっち行きなさい、とはとても言えなかったに違いない。そうか、あのときが、姪っ子のこのときなんだ、と妙に感慨が湧いてきたのだ。

そしてやっぱり、綱引きをさせてもらえてよかったと今、思っている。あのときの先生、ありがとう、と思う。ルールはルール。先生は自分の責任で見逃してくれたのだ。そのおかげで、何十年後にも思い出す、楽しいドキドキした思い出となっているのだ。それはいろいろな経験の原型になっているのかもしれない。目の前に楽しそうなことを見つけたこと。体が先に動くほど(あのころはすべてがそうだったのかもしれないが)とにかくやりたいと思ったこと、それに向けて動いたこと、綱をつかんだということ、監督者がやってきて、やるのか?と聞いてくれたということ、やるのだ、と迷いなく答えたこと、じゃあわかったと承認されたこと、よーいスタートの笛が鳴ったということ、あとは記憶がないということ、たぶん叫び続けていたということ、気づいたら終わっていて、どうやら負けたらしいということ、でも楽しかったということ、胸のあたりがスカっと晴れ渡り、全身にエネルギーが駆け巡っていた名残を感じていたということ。どこか誇らしかったということ。

それは小さな例外の事件。だけど、必然的な事件でもあって、つまり、子どもが育っていくときに、そういう例外が必ず織り込まれてくるものであり、必要なものとすら言えるだろう。しかし、あのとき、やっぱり危ないからダメ、またこんどにしようね、って言わずに、ぼくもやるの…?と少し迷いながらも許してくれたあの先生が、やっぱりイイ。これは難しいことろではある。そのときのぼくみたいなちびっ子が何人も集まってきちゃったら、やっぱり運動会としてはちょっといただけないだろう。小学生なりに本気でやっているんだから。でも、ちびっ子がひとりまじっちゃった、なんてのは、絶妙にイイんじゃないかとは思う。それも運動会らしいじゃないかと思う。どうだろう、でもちびっ子が一度握った綱を放すはずもないのもまた事実。果たして、小さなその手をはがせるおとながどれだけいるだろうか。

なんとなく、書きたかったところに着地しなかった。書きたかっただろうことは、こういうことだ。小さな例外を認めてくれる女の先生が好きだ、ということだ。いや、もっと抽象度を高めた方がいい。小さな例外が認められる雰囲気の中に育まれることは、イイことだなあ、ということだ。うーん。まあいいや。