坂口恭平の「まとまらない人」
坂口恭平の「まとまらない人」出版記念イベントに参加してきた。
坂口さんのイベントは初めてだったが、圧巻だった。
一時間半が文字通りあっという間に過ぎてしまった。
弾き語りライブ4曲と、インフレーション宇宙のような、トークからトークが派生し、またそこから別のトークへと、無限に植物の根が伸びていくような不思議なトークもすごかった。
最後に、ワークショップとして、参加者から希望をつのり、いのちの電話のライブバージョンをやってくれた。これも面白かった。
夢から醒めなければいいと思っちゃう、つまり、現実の毎日がつらい、という相談者には、
「やりたくないことをするな」とアドバイス。相談者は当初、どうすればやりたことができるのか、にこだわっているようだったが、恭平氏は、やりたいことをするにはエネルギーが100いる。やりたくないことをしないだけなら必要なエネルギーはゼロだ。という。
だから、やりたくないことをやらない、から始めなさいと。
そして、やりたくないことを列挙しろと指示し、一番やりたくない
ことだということを、じゃあそれを辞めなさい、はい解決だよ。と。
ただ、やりたくなことをやめるために、事前準備が必要だということで、たとえば仕事をやめるなら、生活保護や失業保険について調べて、現実的な準備をしないとね、ということだった。
恭平氏は、自分はやりたいことをやっているのではなく、やりたくないことを一切しないだけなのだ、という。
相談者が、でも恭平さんは、本を書いたり、表現活動をしているのは、やりたいことをやっているのではないのか?と問うた。
恭平氏は、そうじゃない。出さないと(表現しないと)苦しくなるから出してる。「出さない」ということが「やりたくないこと」なのだ、というようなことを答えていた。
イベントが始まる前、ぼくは少し驚いていた。会場には、若いファンが詰めかけているものと思っていたが、年齢層は以外に高く、みんな真剣な顔をしてじっと待っていた。重苦しい空気が流れていた。
だが、恭平氏が喋りだすと、みんな笑顔に。しかめっつらしていた人も笑っていた。これが恭平氏のパワーなんだと思った。
いま苦しいと感じている人、死にたいと感じている人の声をきき続け、励ましつづけている恭平氏に、すごいなあ、こんなに温かくてやさしくて激烈な人はいるんだな、と感動していた。
ただ、理解不能なことがひとつあった。。。
恭平氏、なぜが僕と目を合わせようとしないのだ。。。
新刊本を買ってサインの列に並んだのだが、なぜか、握手をするときも、僕の方を一切見てくれなかった。チラっと見て目が合うと、「あ、やばい奴きた」みたいな顔をして一瞬で目をそらし、以降、いっさい目を合わせてくれなかった。いっそ下を向いていた。
あれ、恭平さん、僕が苦手ですか??みたいな。。。
これがまったく腑に落ちないのだ。僕は嫌われるようなことは何もしていない。。本当に。僕の顔もにこやかだったはずなのに、なぜ目をそらされてしまうのだろう?
そのあたりのわけのわからなさも恭平氏の魅力のひとつなのだが、帰り道は少しさみしくて泣きたくなったりもした。
でも、もう一回ライブ行く。
そういえば、今朝、寝起き際に不思議なことがあった。
ふと気がつくと、音が聞こえていたのだ。盛夏のセミの鳴き声のような音が周囲に充満している。
冷蔵庫の音かな?と思ったが、冷蔵庫の音はそれとは別に聞こえている。虫?でも外から聞こえてくるというより、空間全体を音が満たしている。
あれ?これってたまに、まったく音がないときに、音が聞こえるような気がするやつかな?と思う。
静寂の音というやつだ。
耳を澄ました。セミの鳴き声みたいな音なのか超音波なのかわからない音が聞こえている。それが音だと思うのは、微妙に変化してくからだ。音色みたいなものが。
あ、なんかバリ島のガムランとか、日本の雅楽みたいな感じかも、ともう。
そして、ああ、と気づく感じがあった。
世界は本当は音で満たされているんだ。静寂とされるときでも。
そして、その音を模倣、再現しようとしたのが、ガムランであり、雅楽だったのではないか?と思いつく。
そっか、そっかあ、とひとり納得しながら、その静寂の音に耳を傾けていた。
で、途中で、まてよ、やっぱり虫の音?と思って、指で耳の穴をふさいでみた。
すると、もっと大きな音がグワングワンと響いてきた。違う音だ。なんだこれ?
よけいわからなくなったので指をはずした。
そして、さっき、冷蔵庫の電磁波の音だったのかもしれない。なにしろ、冷蔵庫が頭のすぐ横にあったから、とつまらないことを思いつく。。