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高校生に囲まれて

図書館を当面の職場と定めてから、毎日、高校生に囲まれています。しかし、頭が下がる。彼らは夕方やってくる。そして、デスクにつくとすぐに教科書をひっぱり出して、もくもくと勉強を始める。現在は夜7時半を回っているが、まだけっこう残っている。おいおい、がんばるなあ。晩御飯は食べたのだろうか?

きっと彼らには目的があるのだ。それはただ、いい大学に受かりたい、とか、テストでいい点数がとりたい、というモノトーンな目標なのかもしれない。あるいは、これこれ大学に入って、これこれを学び立ち、という具体的な夢につながる一本道を見据えているのかもしれない。いずれにせよ、この時間、このデスクにかじりつく時間に先に、何かを見ているのだ。目的をもっているのだ。

僕はといえば、基本的には、来月の生活費を稼ぎたい、ということに尽きる。それは高校生たちの目的とだいぶ異なる気がする。

比べるものではないが、やはり、かれらの真剣な顔を見ていると、どにも気合的には負けている気がしてならないのだ。

ある意味、僕は、すでに手に入れているものを守ろうとしている。世間的には何も手に入れていないが、すくなくとも、ひそやかながら自分の”生活”は手に入れている。それを守る戦いを日々やっているのだ。彼らは、守る戦いではない、はずだ。何かを勝ち取る戦いだ。未来を、自分の未来を、だ。

しかし、くじけないのだろうか? 守る戦いは、ある意味、くじけられない切迫感がある。だが、勝ち取る戦いは、、、

しかし、自分が高校生だったときのことを思えば、それは、守る戦いにも似ていた気もする。それ以外の選択肢を思いつかないから、勉強していた。それ以外に未来につながる道が見えていなかった。選択していないという意味において、それは守る戦いだったのかもしれない。

 

今日、はじめていく歯医者にいった。とても後悔した。はじめは。だって、虫歯を金属の例の棒で、ずぶずぶと突き刺しやがった! ここ、ここね、ここに虫歯あるね、と言いながら、ズブズブ。いてえよ! わかってるから突き刺すな! それから、例のウイーンというやつも荒い。つまり痛い痛い。おかげで舌がピーンと硬直しちゃって、マシンに触れちゃって、血が出た。おいおい、これをヤブ医者っていうんじゃないのか? こんな歯医者を紹介した友人を恨んだ。もう二度と来ない、早く終わってくれ。

しかし、気がつけば、わずか15分くらいで、2本の虫歯の治療が終わっていた。あれ? 4回位かかるつもりだったんだけど。。。

本当に終わったのかな。。まだ経過を見守る必要があるが、本当にこれで終わって無事にいくのであれば、もしかして、凄腕の歯医者なのかもしれない。。とりあえず、もう1回位お世話になってみてもいいかも。。

なんてことがあって。

俺と話したくてしょうがないらしく、よく電話してくる5歳のめいに、今日は非常に珍しく、というか、ほとんど始めて、こちらから電話してみた。お天気もよく、すこしいい気分になっていたからだ。そしたら、何?といって、不機嫌な声で出た。いや、電話をかけてみただけなんだけど、、、というと、あっそ、じゃバイバイ!と言って切られてしまった。。。

どうなっているんだ? いつまでも、なつかれているとおもっていると、子どもの成長は早い。悲しい目にもあうということなのだろうか。、

そのあと親に電話して、ことの顛末を話して、そのまえにオレオレ詐欺じゃないことの確認の質問にあれこれ答えて、姪っ子の顛末を訴えたら、きっと好きなテレビでも見てたんだよ、となぐさめられたりした。

守る戦いはときとして、とんでもなく苦しいことがある。

守っているものを失ったら、とんでもない事態になるんじゃないかと思ってしまうからだ。そうとしか思えないからだ。

いちおう言っとくと、今話しいるのは俺のことじゃない。いま、そんなに苦しくない。

本当は手放せるものを、手放せないと思い込んだとき、守る戦いはとんでもなく、絶望的なものになるだろう。

手放して、失うものは何か。それは手放してみないとわからない。

そういうことをくり返していくことが、年令を重ねるということであると思いたい。

 

先週、スーパーカーというバンドを”発見”して、好きになった。周りに聞くと、超有名なバンドだったということだ。でも、僕は、それを、YouTubeで”発見”したのだ。新しい音楽を好きになれた、そのことは何かとてもいいことだという気がした。

吉福さんのトークの会に行ったときのこと。トークおわりに、みんなで居酒屋にいったとき、夜になっていたが、季節はおそらく春か秋か、もうかなり暖かい、まだかなり暖かいという気功。居酒屋に降りる階段のところで、吉福さんが寒い、寒いといって体をこすっていたので、僕は笑って、ぜんぜん寒くないですよ!と言ったら、吉福さんが、僕は寒いの!と笑って、でも強めに返してきた。このやりとりが、ときどき、ふと頭に浮かぶ。寒いか暑いか、それはまったく個人的な問題で、寒がっている人に、寒くないはずだ、と言うことは、明らかにおかしいことなんだ、とそのとき、指摘された気がした。

もちろん、一緒にいる部屋のエアコンを切るか切らないか、みたいに利害が対立したら話は別だけどね。でも、そうでないなら、誰だって勝手に寒がって体をこする権利は絶対にあるはずだ、ということね。

おそらく哲学とは、自分を含む自分たちが立っている基盤をゆるがし、亀裂を生じさせることで、次世代が生きるための地盤を準備する。そんな行為なのだと思われる。