歩くという不思議

たまに衝動的に散歩に出ることがある。普段から極端に出不精な僕は、昨夏のあいだは一日に一歩も家から出ないことも珍しくなかった。ただでさえ暑い上に、行くところなどないからだ。

秋になり、冬が近づいたころ、さすがに体が悲鳴をあげたのか、歩いてくれ、外に出てくれと言っているような気がするようになった。具体的には、体がむずむずして落ち着かなくなる。

で、でもとりたてて用事はないし、気の利いた散歩道があるわけでもなく、どちらかというと昼間からフラフラ歩いてると、この、かつての農村に住宅街がじわじわと広がり始めている田舎町では、人の視線が気になる(気がする)。ということもあって、一度は、ほら、仕事、仕事、ひとつでも翻訳を仕上げてからまた考えよう、などと頭がさとしにかかる。が、体の要求が勝つと、えいや、とばかりにあてもなく歩き出すことになる。

 

そういうときはたいてい、なるべく歩いたことのないところを歩こうとする。そのせいで、目算をあやまり、一応目的地なんかも強引に決めたりするものだから、30分で帰るつもりが90分たっても帰りつけないこともある。靴も油断しているから小指が痛くなったりする。

 

そう、不思議なこととは、歩いていると、上半身と下半身が別の意志を持っているかのように感じられてくることだ。

下半身は、つまりは脚は、テクテクと一定のペースで歩きつづけている。とくに疲れもなく、ただ、機械のように体を運んでいく。上半身は、といっても働いているのはもっぱら頭なのだが、頭はいろいろなことをとりとめもなく思考し、急に自暴自棄になったり、不安になったり、妙なひらめきによって希望に満ち溢れたり、忙しい。

でも脚は、我関せずと一定のペースを守っている。ストップと指令を出さなければ、いつまでも進み続けるのではないか、と思われてくる。

人間にとって歩くという行為は、ものすごく基本的な行為なのではないかと思えてくる。呼吸とか、食べる、みたいな。

だって、ぜんぜん疲れない。いや、疲れるのだが、思っているよりぜんぜん疲れない。すごく久しぶりに歩いているのに、1時間歩き続けても、もう立ち止まろう、という意思は脚からはやってこない。

たいていは、暑い、とか、喉がかわいた、とか、飽きた、とか、靴の調子が悪い、とか、歩くという行為そのものとは違う要因によって、歩くのをやめたくなるのだ。

歩くこと自体は、生きる、ことみたいに基本的な行為としてあったのだろうと思われてくる。

ぼくは走らないが、ランニングを日課とするひとは、走る、がそういう行為になっているのだろうか。僕は走るのはどちらかというと嫌いなのだ。

以前、ドキュメンタリーで、目も耳も機能していないという赤ちゃんが、その場からまったく動かなくなるというのを見た。なんでも、目からも耳からも刺激が入らないと、何かに興味を惹かれて、そっちへ行こうとする意志が生まれないからだという。もちろん触覚は機能しているから、手に触れれば興味をもつが、手に触れたということはすでにそこにそれはあるわけで、手足を使って移動する必要などないということになる。その場でずっとそれと戯れている。

その後、大人たちがなんらかのソリューションを見つけ出す流れだったと思うが、今は覚えていない。覚えているのは、そうか、赤ちゃんも、動くのに意志を必要とするのか、という感慨だけだった。

 

元旦は近所の社に初詣に行ってきた。すごい晴れていた。道すがらすごいなーと頭のなかでつぶやくほど、そらが青く晴れ渡っていた。1月1日にこんな陽気に恵まれるなんて、なんだかすごいことなんじゃないかと思った。すごくおめでたい国なんじゃないか、みたいな。

おみくじを引いた。村のじいさま連中がお神酒でへろへろになって笑っていた。平和だ。3番だった。お、はじめてじゃないか、と誰に言うでもなく、じいさまのひとりが言った。3番のくじを渡された。いろいろ書いてあったが、基本、時期を待て、と書いてった。もろもろうまくいくけど焦るな、みたいなことがずっと書いてあった。でも大吉みたいだった。ふーんと思う。これでも大吉なのか、とちょっと不満に思う。もっと威勢のいいコトを書いてあってもいいのにね。おみくじを結びつけて帰ろうとしたら、あ、お手水を忘れていたことに気づく。新年早々、無礼をしてしまった。

帰り道、やっぱりそうだ、と思う。実は出かける前は、すごく出かけれうのを迷っていたのだ。元旦ぐらい家でゆっくりしても罰はあたらない、などとつらつら考えていたところを、でも初詣くらいいくか、と重い腰をあげてきたのだ。で、やっぱり、歩き出せば、歩けるもので、いま、家の近くまで帰ってきたのに、もう少し歩き続けようと、遠回りするために道路をわざわざ反対側へ渡ったところだ。やっぱり、歩き出せば、歩きつづけようとする。それはただの慣性の法則 なのかもしれないが。