みんな記憶喪失

よくあることで、誰もが経験することだと思うが、子どもは記憶を喪失する。

もう何年も前だが、ある子どもと再会した。その子はたしか9歳くらい。その子の両親と僕は友だちで、その一家とぼくはわりと近所に住んでいたから、よく家族ぐるみで遊んでいた。その子は当時、2歳だった。ぼくはものすごく覚えている。ものすごく人見知りで、最初にあったときにはぜんぜんしゃべってくれなかった。何度か会ううちに、あととき突然、仲良くなって、ふたりともテンションあがって、それからものすごく仲良くなった。僕の誕生日などはおめでとうを何十回も言ってくれて、ぼくはもうれしくてたまらなかった。

だが、まもなく、その子は遠くへ引っ越して、ほとんど会わなくなって、こっちも海外をふらふらなどしていたから、やっと再会できたときには7年ほどがたっていた。

僕はドキドキした。覚えているだろうか。

しかし、あろうことか、まったく少しも覚えていなかったのだ。あんなに遊んだのに。。。。

僕が必死に想い出を語ろうとすると、怯えたような目をするので、かわいそうになってやめた。僕は知らないおじさんでしかなかった。

残念だった。でも半分は予想していた。だってそういうものだから。俺だって2歳のころの記憶は1ミリもない。親から、〇〇くんと毎日あそんで大の仲良しだったと聞かされても、おもかげさえも思い出せない。

だから、そんなものなのだが、大人側はぜんぶ覚えているし、それもとてもあたたかい想い出としてそれなりに大事に抱えてきているので、当の本人がまったく覚えていないと、何かが失われた気さえしたものだった。

だが、別に何も失われていないはずだ。俺の記憶は俺の記憶として、そのままあるし、過去のいい想い出が、悪い想い出に変わったりはしない。過去の出来事は少しも変わらないのだし、その子と僕があんなに楽しい時を過ごしたこと、その笑顔にあんなに慰められたことには、少しも変わりはない。はずなのだ。

記憶が人をつくっているのだとすれば、あの子は2歳までの記憶がないのだが、あのころのあの子とはもう別人といってもいいのかもしれない。もちろんそれは、僕にとってということで、ずっとそばにいた親兄弟からすれば、まったく生まれた時からあの子のままだ、ということになるのは当たり前である。

だが、なぜ覚えていてもらいたいと思うのだろう。

いま、過去は過去として独立て価値があるのか、ということを書いてみようかと思ったが、なんだか少しちがうなと思ってしまった。

 

星野道夫が本の中で、こんな話をしていた。

アラスカかだかのテレビの撮影のガイド役をしていたときのことだか、撮影クルーはクジラかだかの映像を撮りにきていたのに何日もクジラに出会えず、イラつきだしという。そこで星野道夫はこう言ったそうだ。クジラにはもしかしたら出会えないかもしれない。そのことで番組には支障がでるかもしれない。でも、いま君たちはアラスカの大自然のなかにいて、一生の間でもう二度とこの地には戻ってこないかもしれない、かけがえのない時間を過ごしている。そのことにもっと大切にしてほしい、だとかなんだとか。

それを読んだときはまったくそのとおりだと思ったが、いま、でもやっぱりクジラ撮りに何百万(あるいは何千万)もかけてやってきて、撮れませんでしたじゃやっぱりすまないだろう。どれほどの損害があるかわからない。それは本当にアラスカで数日間を過ごしているということより価値が低いことなのだろうか。などとヨコシマなことを思ってみる。

 

たいてい、良心の呵責のような気持で、誰かになにかをやってあげなくちゃと思ってやると、裏目に出る。こっちは大変な思いや、いろいろ犠牲にしてやってるのに、相手は、あ、どうも、くらいのリアクションだったり、わざわざしなくてよかったのに、と同情的な目で見られたり、悪い時には、面倒なことをしてくれたなーという苦い顔を返されるときもある。そういうとき、あれ?なんだこれは?とびっくりする。怒りさえ湧いてくるが、たいていは、あとから冷静になると、やっぱり余計なことを勝手にしていたということがおおい。でも、そのときは、なんか、そうしなきゃ自分がすごくケチだったり、やさしくなかったり、義理人情がないように思われる、というか自分でも思ってしまう、みたいな焦りに似た気持で行動するんだけど、そういう焦りがあることじたいが、もう本当はやらなくてもいいことであることを示しているのだろうと思う。でもたまに、ああ、やってよかった。本当にやっといてよかったと思うこともあるので、はっきりいって、未だにその見分けはついかないのかもしれない。

 

最近、バランスボールを椅子代わりにしています。結構快適で、あれ、ぜんぜんオッケーじゃんって思っている昨今です。