暑いぜー

急に暑くなった。

 

日本にいるとニュースをよく見るようになった。なんとなく家族がみているテレビを一緒に見てしまうからだろう。

 

今なら安保法制だ。集団的自衛権、これそのものは、十分に検討する余地のあるものだと思う。ドイツだって普通に行使しているのだし、憲法違反になるなら、憲法を改正したっていい。ただ、おなじエネルギーを注ぐなら、9条を逆手に戦争をしない国として、外交で世界を席巻するほうがかっこいいのにな、と思う。かっこいいというと語弊があるが、現実的にそっちのほうが未来がある、という気がする。伊勢崎賢治さんの受け売りなのかもしれない。

 

だが、なによりも、国会の論争をたまに見るにつけ、ムカムカと腹が立ってくるのがわかる。安倍さんは、明らかに、野党の質問に答える気がない。議論する気がない。自分の主張をおうむ返しで繰り返しているだけである。なんて時間の無駄なんだ、と思う。それは野党側も同じなのかもしれないが。とくかく、本物の危機を目の前にしている人たちの態度ではない。本当に生き残る道はなんなのか、それを探る武士の論争ではない。だから、10分も見ていると、イライラしてくるのだ。親にはぐらかされたときの子どもみたいに。

 

だが、本当にそれは大事なことなのだろうか?とも思う。尖閣がどうしたというニュースのあとに、中国人の爆買いのニュースが映る。実に平和だ。でも、日米開戦のまえも普通にお互いの国を行き来していたわけだし、そういうものなのかもしれない。こんな平和な感じから、知らないうちにズルズルと戦争まで行ってしまう、そういうものなのかもしれない。

 

だが、こうしたニュースに怒りを感じてばかりいては、いけないな、と思ってしまう自分もいる。大きな存在に対して怒ること、義憤、それは、決していいものじゃないという感触がある。怒りを通して世の中と関わるのは安易な逃げだという気持ちがあるようだ。喜びを通して世界と関わるべきなのだ、ああ、本当にそうであるべきなのだ。

 

自由がこわい僕たちは、なんとか不自由であろうとする。戦争が終わって、米軍に占領された我々は、ほっとしているに違いないのだ。だってゼロから国づくりなんてどうしていいかわからないのだから。

 

まあとにかく、どうして夏があんなに楽しみだったのか、もう思い出せないんだよ。あ、夏じゃなくて、夏休みが楽しみだったのかもしれない。あの長い夏休み、毎日何をしていたか思い出せないんだよ。

 

まあいいや。おれも早くもっとちゃんと大人らしいことを書けるようになりたい。立場を降りて長すぎる時間が経った。立場はやはり、必要なのではないか、まっとうに生きるには。とか言ってみるだけだ。

 

 

でも、最後に言うぞ、新国立競技場にはオコてるぞ。あんな簡単に予算倍にしちゃって、ほかの予算削ったり、ケチったりしてるくせになんであそこだけあんなにイージーなんだよ! もう信じられない。政治家のお口は信じられない。それとも、おれの知らないまっとうな事情や、現実というものがあるのだろうか? いや、ないに違いない。

 

このように、怒りのネタはことかかない。今からニュースを見る。そして怒る。いけないと思いながら、怒れるニュースを探している。今は怒る。だが、そのあとは、だがそのあとは、、、