4月になったのか

4月という月はやはり、好きな月だ。春がやっぱり好きなんだ。

昨日と寸分たがわぬ同じ生活をしているのだが、どことなく気分が晴れていく感じが強まる気がする。

やはり冬は、身も心も縮こまる傾向があるのだろう。動くのがおっくうになって困る。

春は、逆で、部屋で仕事をしなくちゃいけないのだが、ポカポカと陽気がしてくると、散歩にいかなければ損をしてしまうような、貴重なチャンスを逃しているような気がしてきて、そわそわと落ち着かなくなる。

ここ数日気づいたのがだ、家の2階で仕事をしているど、窓の外、すぐのところにある一階の屋根の先っぽのところに、すずめが一羽とまる。いつも同じ雀のわけはないと思うが、基本みんな同じ形をしていて、ずんぐりしている。無駄にかわいいな、と思う。

チュンチュンいって、フン害は困るが、やっぱり、小鳥はそばにいつも少しいたほうがいい気がする。

庭で必死になにかをついばんでいるが、何をついばんでいるかわからない。母は、コケのような気持ち悪いものを食べるんじゃないか、と言うが、僕はそうは思わない。春だけに、雑草の新芽でもついばんでるんじゃないかと思う。だとしたら、けっこう残酷なやつらだな、とフと思う。

本当に、他人と比較さえしなければ、現代日本はもう、生活に困ることはないはずなのだ。でも、やっぱり人を見てしまう。それは、ただ単純に比べるという行為ではなく、人と同じことがしたい、ということも含まれる。そうなるとてきめんに、せちがらさのとりこになる。

それはもう、どんな時代が来ても、変わらぬことなのじゃないか。どうなんだろう。いわゆる先進国でもヨーロッパあたりでは、もっと気楽に人が生きている気がしないでもない。そうだ、かつてヨーロッパ旅行のときに、なんでこんなに人の気配がちがうのだろう、と思ったのを思い出した。

あのころ、7−8年前、欧州の若者は、人生の何の問題もありません、という顔をして生きているように見えた。もちろん、贅沢などしていないが、会社を休職して姉妹で3ヶ月の旅行に出てきたの、というスイス人などと交流していた日々を思い出す。数年に一度はそういうことが普通にできる、と言っていたような気がする。たしかひとりは郵便局で働いていて、もうひとりは金融関係だった気がする。

ただ、あのとき、日本のカオスのほうが、ヨーロッパの高め安定よりもだんぜん楽しいんじゃないか、などと思ったのも覚えている。思えば、まだまだ若く、血の気が多かったということかもしれないし、今でもそう思うのかもしれない。

とはいえ、なんだとはいえ、今日より明日、明日より明後日が楽しくなる、というか、なにかワクワクすることが待ち受けると思える日々を、この世からいなくなるまで続けられるのが理想にちがいない。

子どもをつくればワクワクするだろうか。

姪っ子にはずいぶんワクワクさせてもらっている。

 

日本にまた長居している。理由はたくさんある。節約、ご飯、本、それが主な理由だろう。あと一応家族。逆から言えば、日本を出る理由は本当はない、ということがあるのだがね。だが、と思う。日本にいる理由も、どうしても、というものはない。

思えば、そういう根無し草の状態を、もう10年以上続けてきたわけであり、それは、世間的にはどう見られるか、考えたくもないが、それでもそうしてきた理由のひとつは、まぎれもなく、そういうことがやはりしたかったからと言えわざるをえないのだろう。言い訳をしながら、やはり、したいことをしたのではなかったか。ただ、もっと、本格的にやらかしたほうがよかったな、とは思うが、そこは、勇気と根性が足りなかったのかもしれない。

とはいえ、そんなことを言ったって、明日からもまた何らかの形で生きていかなければならない。のだから、がんばるしかない。それなりに。

そうだ、もうひとつ日本に長居した理由があるのかもしれない。どうやら、ここ一ヶ月くらい、とても良く眠れるのだ。一時的なことだろうか?

とにかく、寝たと思ったら、次に気づいたら朝だったということが、ここ最近珍しくなくなってきた。みんなにとっては当たり前のことだろうけど、僕にとっては、ああ、こんな感覚ずいぶん久しぶりだな、という感じすらする。

なんだ、眠れるじゃないか。もちろん、前だって眠れてたんだけど、なんというか、断続的だったり、朝型になるまで寝れずにへとへとになった後に寝る、みたいなことがあまりにも多かった気がする。

くしくも、今、睡眠に関する記事を翻訳している。やっぱり8時間位寝たほうがいいらしいよ。95%の成人にとっては。米国の研究だけどね。

あと、睡眠不足になると、自分のパフォーマンスが劣化していることにも、気づきにくくなるらっしい。つまり、睡眠は短いけど、別に影響はない、仕事は仕事でちゃんとやってる、って気になってるけど、本当はパフォーマンスは慢性的に落ちているらしい、という実験結果のところを、今日、訳していた。

それを思えは、俺はずいぶん損してきたなあ・・・なんて悲観したくなるが、まあ、今後に期待して、よしとしようじゃないか。

久しぶりのブログだから、書き終わり方がわからなくなっちゃった。

 

しかし、人生とは慣れである。もちろん何でも慣れるかというとそうじゃなくて、何十年もやってみたけどやっぱり慣れなかったということもあるし、ぜんぜん想像もできなかったけど、やってるうちにいつしか慣れたということもある。慣れのパワーを信じて、前に進めばいい、今はそういうことを自分に言っておこうと思う。