アンコールワットにいってきた

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ビザの更新のために、カンボジアに小旅行してきました。今回はアンコールワットを見に。

アンコールワットは森を抜けていってようやくたどりつける秘境なんだと思っていたけど、空港からツクツクで20分くらいで行っちゃう感じでした。道も完全に整備されています。

でも、僕はびっくりしました。こんな建造物が千年前のカンビジアで建造されていたなんて。すごいの一言。寺院のまわりのお堀も美しいし、なんともいえない造形美を感じました。黒っぽい寺院と青空とのコントラストがきれいだった。

僕はメキシコの遺跡、ティオティワカンを思い出していました。あの感じに似ているな。そうだ、ここも太陽の文明だったんだ!なぜか、そういう思いが湧いてきました。

とにかく暑かった、それだけなのかもしれません。でも、灼熱の太陽と、青空に彩られたヒンズー寺院は、どちらかというとシッポリする仏教とはちがうオーラを放っている気がしました。もっとパカーンとした乾いた明るくも生々しい文明がここにあった。そんな気がしました。

 

そしてアンコールトムへ。

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なんだこれは!一目見たとき、ぎょっとして立ち止まってしまいました。顔が浮いている。顔がいっぱい浮いている。まるで異星人が作った遺跡のように思えた。サイバーな感じ。サイバーなかっこよさをビンビン感じる。かっこええなー。こんなものまで作っとったんか!どういう人たちだったのだろう。ますます思う。これを作ったひとたちのデザインセンスは今どこに流れ着いているのだろう。エイリアンのデザイナーだろうか。それほど未来的なものを感じてしまった遺跡でした。もちろん、外見だけ。中はちゃんとした寺院で、回廊があって、仏像達が鎮座しておりました。

 

しかし、クメール・ルージュ。なんてことをしてくれたんだ。アンコールワットの仏像はほぼすべて、首が落とされていました。よくそんなことができたなあ。やっぱり仏教文化で育ったぼくは、なんだかひたすら悲しかったです。1000年前の遺跡の仏像の首を落とす必要がどこにある? それが政治というものなのか。イデオロギーの恐ろしさなのか、なんなのか。

 

今回はアンコールワットをなめていたので、ガイドをつけませんでした。次回はガイドをつけて、1000年の歴史に思いを馳せたいと思います。