闖入者

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魚も夜は眠るらしい。今、図書館で飼っているディスカスという観賞魚たちが、身じろぎもせずに眠っているのに気づいた。ついさっきまでくるくると旋回しながら泳いでいたのに。7匹が全員ぷたっと水中で静止している。かわいい。

 

この魚たちは、朝に顔をだすと、エサがもらえると思って寄ってくる。僕の正面を向こうとするから、こっちから見ると薄い板状になってしまう。目が両サイドにとびでて、口をぱくぱくして、間抜けづらがかわいい。だが、本人たちはいたってまじめ、餌が投入されたら我先にぱくつくためにスタンバっているのだ。

 

外国にいると、不思議なことに、世界の大きな出来事が、ますます遠くの出来事に思えてくる。日本でTVにかじりついているとき、世界のニュースはわりと身近だった。日中関係どころか、中国の行く末さえ心配し、日韓関係どころか、韓国の行く末さえ心配し、北朝鮮の行く末を心配し、ギリシャの、EUの行く末を心配し、どっから見てもマフィアのドンのプーチンが牛耳るロシアの行く末について心配し、意外と革命的なことができなかったオバマのことを心配し、世界のあらゆることが僕と関係がある心配ごとのひとつのような気がしていた。

いま、バンコクに来て2ヶ月、タイは近くなったが世界は遠くなった。世界のことよりも、身近に心配なことがぐっと増えたからかもしれない。心配というよりは、注意を払うべき対象、まだ良く知らない人たちがたくさん増えたからだろうか。

先週、図書館カフェに新しい住み込みのお手伝いさんがやってきた。タイのずっと田舎のほうからやってきて、突然ここで働きはじめた。まだ19歳だという。初日、彼女は笑いもしなければ、言葉も発しなかった。緊張していたのだろう。いきなり知らない家で暮らすことになって怖かったのかもしれない。どう考えても、誰にも守ってもらえない状況に、彼女は放り込まれたように見える。この家のひとたちがいい人なら安心だが、悪い人たちだったら、どんな目にあうかわたっかもんじゃない。それを監視して、助けに入ってくれる人もいなければ、携帯電話も持ってない彼女は助けを呼びこともできない。

でも、いろいろな事情、おもに経済的事情により、彼女はここに来た。そして、僕は、彼女に英語を教えることになった。

たぶん、こんな情景は数十年前の日本でも当たり前にあったことだろう。奉公人というやつだ。もっと幼いころからよその家に出された。おしんの世界だ。

リアルおしんを目の当たりにして、僕は、プーチンなんかどうでもいいや、と一歩、世界から引き下がる。なんというか、単純にびっくりしているのだ。そっちの事実のほうが今は面白かったりする。

だが、それもひと月たたないうちに僕の日常として吸収されてしまうだろう。日常はそれほどまでに貪欲だ。あらゆる非日常を、わしわしと日常へと変えていってしまう。そしてまた世界は近づいてくる。

できれば、「世界」からどんどん遠ざかりたいと思う。どうせ遠いんだ。もっと遠くなればいい。世界が遠くなっても、僕のところに突然やってくる世界の断片が、日常にそれなりにとぎれなくあれば、それでいいのだ。

僕は闖入者を待っている。2年前に突然僕の人生に割って入って、わたしたちは他人じゃないんだよ、と存在を誇示した、姪っ子のように。

闖入者を恐れ、そして待っているのだ。