マンツーマン

先日、高城剛の講演があったので行ってきた。21世紀はどうなる?みたいなプレゼンをしてくれた。

その中で、耳に残ったのは、これからはマンツーマンの時代になる、というような言葉だった。

それは、まず、高城さんがフィリピンの英会話学校に留学した話から始まる。そこでは基本的にすべての授業がマンツーマンで行われるそうだ。

それっていいよね。それなら、米国は英国のマスな語学学校に行くよりもよっぽど実践的な勉強ができそうだ。これはある意味新時代の英会話の学び方だ。一日、5,6時間ものマンツーマンの授業を一ヶ月受け続ければ、かなりいい感じになるんじゃないか。そして、その内容を日本や米国、英国、オーストラリアなどで受けようと思ったら、そうとうの出費がかさむだろう。庶民にはちょっと非現実だ。しかし、フィリピンなら滞在費込みで十数万円でいけるという。学生でもチェレンジできる金額ではないだろうか。これはいいね。

なんて話や、インターネット時代の広告は全員に同じCMを見せるんじゃなくて、個人個人で違うCMを見せる、とか、そういう話をきいていて、つまり、そういうマンツーマン的なコミュニケーションが主流になるじゃないかっていう話で、それはなんか、あ、それって革命的!って思ったのだった。

すべてがマンツーマンになる必要はないし、集団での学びやエンターテイメントだって必要だろう、でもその割合が変わるというか、いままで、集団でしか受けられないと思っていた教育やエンターテイメントがマンツーマンでふつうに受けられるようになったら、その内容さえも変わってしまうのだろうと思ったのだ。より複雑に、より深く、より繊細なことがあらゆる分野で可能となるし、価値を持ち始めるだろう。

そのプロセスは無限に豊かになりそうな気がする。きっとすごく楽しいだろう。めまいがするほどに。

 

中学の同級生と25年ぶりに集まった。思っていたより時間のギャップを気にすることもなかった。ただ、自分の中に意外なほどかたくなに固まっている中学時代のコンプレックスがあることに気づいた。ただの昔話にはまだなっていないあれやこれやが、宴に花咲く昔話の間からこぼれてくることに気づいた。基本的には、楽しくなかったのかもしれない。中学時代は。でも、懐かしい顔が見れたことは純粋にとても嬉しかったし、固まっていたものが動き出した感覚があった。きっとこのように定期的に記憶にお手入れをして、これからを生きる潤滑油にするのがよかろう、とおもった。とにかく、4月から消極的に続いているジャパン・ツアー、人に会うことの良さ、大切さ、思いがけなさを学んでいる気がする。多少の時間とお金がかかっても、人には会いにいくべきなのだろうね。面倒だけど。面倒だけど、やっぱり会って後悔した再会はまだ一度だってないのだし、何か人生がやはり豊かになっていく感じがした。