Wi2いけるやん

さいきん、Wi2というWiFiサービスを申し込んだ。マクドナルドで仕事をするためだ。SIMフリーiPhoneに入っている月額980円のOCNのモバイルカードでもテザリングできるんだけど、いかんせんスピードが200kbpsしか出ないのが痛い。がつがつ仕事するにはやっぱり高速インターネットが必要なのだ。

Wi2、月額380円で使い放題らしく、マクドナルトとかカフェドクリエなどのチェーン系のカフェではたいてい使えるみたい。スピードは場所によるみたいだけど、ここのマクドは下りで6Mbpsを超えている。Youtubeを見るにも十分なスピードだ。つまりは結構使えるということです。

昨日、マクドナルドに行こうとして昼過ぎに、車庫から原付きバイクを出した。夏の過酷さはないが、暑い、と思わずつぶやいてしまうくらいの気温と太陽。なかなかエンジンがかからないバイクのスターターをえいえいっとキックした。なんとなく、ああ、なんか幸せ、とおもった。

まあ、ひなたぼっこが幸せ、とかそういうたぐいの幸せだが、でも、次の瞬間、こうも思った。生きてくって基本的には幸せなことなんだろうな、ほんとは。でもそういうすべての基礎にあるような幸せは本当に淡い感覚でしかなく、じわーーっとたまに感じられる程度で、すぐに大きな問題や小さくてもやっかいな問題にかき消されてしまうのだ。

つまり、将来とか、健康とか、みじんでも心配したら、もうすでに、さっきまであった幸せは霧散し、心配ごとへの固い気持ちだけが残る。そっちのほうが強度があるというか、バシッとくるからだ。

僕は、最近舗装されたらしい川沿いの土手の道を、本当は幸せなんだろうけどな、とつぶやきながら、顔に風をうけたらやっぱり気持ちいいなと思いながら、マクドナルドへ走っていった。

そしてここ地元のマクドナルドは、中学か高校の学生がいっぱい来るのだが、なんだかみんな顔見知りのようで、学校の教室みたいな会話が飛び交っている。人間模様だ。ヤンキーっぽい男のが彼女っぽい女の子と隅のほうでだらだらしている。制服を来た女の子3人組がかつかつと階段を上ってきて、あ!という顔をして、こそこそと話しながら向こうへいった。クラスメイトかなにかなのだろう。

私服で一人できている男の子が、制服の女の子に、なになに?一人?誰と来てるの?と興味津々で聞かれている。男の子は、へらへらとわけのわからないことを言い返していた。ああ、中学生の青春だ。もう二度と戻りたくないような、戻ってやり直したいような、あの曇り空の日々だ。彼らもまた、暑苦しい日常を生きているようだった。でも楽しそーだった。

新しく来た人が歓迎されるのは、それが新しいからだろう。たとえば、赤ちゃんが生まれてみんな喜ぶのは、それが新しい人格をもった新し人だからだと思う。

こう考えてもいい。いまいる人たちでずっと長生きして、みんなで仲良くやりましょうという世の中になったらどうだろうか?もう何百歳になっても死なない。歳もとらなくてもいい。やっぱり、それって飽きるんじゃないだろうか。

もしくは、いくら生まれ変わりが神秘的で、懐かしくて涙がでるとしても、自分の母親が生まれ変わって、性格もまったく同じで生前の記憶まで持ってて、基本的に同じ人だったとしたら、、あんまり歓迎できない気持ちになりませんか?

やっぱり生まれ変わりだとしても別の人であってほしい。新しい人格をもった新しい人としてこの世に来て欲しい、そんな気がするね。

だから、とびきり新しい人である赤ちゃんや幼児を見ると、わくわくしちゃうんだね。これは新しい人だから、どんな大人に成長するか、まるでわからない!

こんなにかわいがってやったのに、すっかり忘れてしまう、そんな幼児期の傲慢さ、あっけなさを許してしまえるのは、そうやって忘れながら別人のように成長していくことを、正しいことだと認識しているからだろう。そしてそれは、あまちゃんならぬアイドルにも通じるのかもしれないが、ある特定の年齢の、ある特定の時期にしか醸し出せないあるオーラみたいなものを、いままさに味わっているのだと思うからこそ、散る前の桜のように、それを愛でたくなるというわけなのだ。

そして姪っ子は、忘れた頃に電話をかけてきて、僕の名前を呼ぶのだった。くやしいったらない。いつもは抱っこもさせてくれないくせして。