小さい桃

姪が、ぶどうのことを小さいモモと呼ぶ。発明だ。周りの大人はだれも「小さいモモ」というボキャブラリーを持っていない。だから、「小さい」という形容詞と「モモ」という名詞を組み合わせて、小さいモモという呼び名を発明したのだ。たぶん、果物=モモという回路が出来たのだろう。そして当面はモモのバリエーションで切り抜けようという戦略を脳が立てているのだ。なかなか筋がいい。

 

これを、この小さい人はぶどうのことを桃だと勘違いしてる、とか、同じ果物の小さいものだと思い込んでいる、などと勝手に解釈してはいけない。たぶんだが、はんと違いはわかってる。ただ、ぶどうというとってつけたような耳慣れないボキャブラリーを入れる前に、小さいモモ、と表現してみたわけだ。そのほうが面白いのがわかるだろうか。

 

これはぶどうです、と教えられて、ブドウ、と指させるようになるよりも、自分で、これはあのモモのバリエーションで言えるんじゃないか、と思いつき、で、「小さい」という最近覚えた万能の表現を組み合わせて、小さいモモ、と表現してみることにしたのだ。そしたらそれが周囲の人に通じた。コミュニケーションがとれたようだ。これはうれしいから、しばらくは小さいモモで行くことに決めたのだ。そうにちがいないのだ。

 

これは新しい言葉、ぶどう、をいち早く覚えるよりもずっと重要な能力だということがおわかりいただけるだろうか。つまりこの子は、手持ちの言葉で未知の物体を表現できるようになったのだ。この能力こそが、人類を比類なき発展に導いたのだ。たとえる力だ。このたとえる力で未知のものをわしわしと吸収し、新しいものを創造してきた。それが文明だ。ぼくは文明の萌芽を目の当たりにして、興奮を覚えてしまった。

 

あわよくばもっと僕になついてくれればいい。望むことはそれだけだ。

 

 

桐島、部活やめるってよ』を読んだ。面白かった。一気に読んでしまった。

 

スクールカーストという言葉をネットなどでちらほら目にして、いまの学校はそういうのあるのか、大変だな、と思っていたけど、「桐島」を読んだら、まったく自分の学生時代と同じだった。ただ、高校というより僕の場合は中学を思い出したんだけど。

 

僕もバレーボール部だったし、読みながらニガい思いをした。おれもこんなこと思ってたし。詳細は語らないが、やっぱりスクールにカーストは存在したように思う。ぼくは下の方だった気がする。いわゆるイケてる軍団には入ってなかった。

 

「桐島」の場合、2つのことが語られる。1つは、イケてる軍団の奴だって、自分が空っぽの気がして冷めた気持ちになったりしてるんだぞ、ってことと、イケてない君たちだって情熱を燃やせることをしている瞬間は輝いてるんだってことだ。ほかにもいろいろあるけど、とりあえず2つ。

 

まあこの小説は自分で読んだほうがいいね。あれこれ評論するようなものじゃなく、自分のことを思うために読むのがいい。

 

僕はこどものころ、UFOを見たことがあることにしている。見たことにしているというのは、別にものすごい確信があるわけじゃないし、とっても小さい飛行物体を見ただけだし、なにせこどものころなので、まあ気のせいだったとしてもいいんだけど、UFOだったかもしれないと思っていたほうが面白いし、今日に至るまで覚えているのだから、やっぱり何かだっただろうし、いわんや見間違いだったとしても、その見間違い方に何か意味があると思いたいような、何かだったのだ。

 

それは、はるか上空を、くるくる回っているフライパン型のUFOだった。フライパンみたいに取っ手がついているのだ。それがくるくる回転しながら真っ青な空を飛んでいた。

 

僕はこの話を老若男女問わず、してきたのだが、その反応にいつも不満だった。大抵の人は僕が冗談を言っているのだというふうに、「誰かがフライパン投げたんじゃない?」とか冗談をかぶせてきたり、とにかく、なぜかわははと笑われることが多かった。もちろん、ぼくも絶対UFOだという確信が自分でもないのが弱いところではあった。

 

でも、なんかいつもちょっとムッとしていた。そうじゃない、そういう反応じゃない、僕が望んでいるのわ。それはUFOだ、間違いない、と言われるのも違う。お前に何がわかる?と言いたくなる。オカルトマニアじゃない。ただ、フライパンみたいなものが飛んでいた、そんな遠い遠い記憶があるんだ、ということを、ぼくは小さく大切にしてきたのであり、そのことを、ふんわりと受け止めてほしいのだ。「ふーん。それってなんだろうね?」的な反応が一番望ましいのかもしれない。頭の中ではるか上空をくるくるして飛んでいくフライパン型の銀色の物体を少しでも思い浮かべて欲しかった。そういう感じだ。

 

そして、ぼくがこのフライパンにこだわっているのはたぶん、今きづいたのだが、そのフライパンを見ながら僕は、わけがわからん、という気持ちとともに、まあ飛行機なんだろう、という冷めた気持ちもありながらそれでも、やっぱりくるくる回ってるよな、と思いながらも、少しドキドキして、そして、静かに静かに空を横切っていく、銀色のフライパンを見ながら、ぼくはひっそりとした気持ちになって、やっぱりすこしうれしかったことを。それは無表情の顔の上をさっさーっと何事も無いように通っていった。

 

そういうことにしておきたいのだ。どうだろう。そう言えば許してもらえるのだろうか。こどものころに、M君の家のまえの空き地で遊んでいるときに、そういうものを見た。そういう記憶があることにしておきたいのだ。一人で見ていた。僕だけが気づいていた。そういう記憶があることにしたいのだ。そしてその日は快晴で、でも空は淡い水色で、暖かいけど少しだけ肌寒い、音のない昼下がりだった。