駅巡り

 Facebookで2012年の今日、なにしてた、みたいな写真が出てきた。バリ島にいたらしい。

5年前、バリ島におりたったとき、朝起きてすぐに海を見にいった。観光客のいない海で、びっくりするくらい静かで、風の音だけがかすかにそよいでいた。空があまりにも青くて、広くて、昨日までの喧騒が遠い過去のように思えた。どうしてこんなところにいるんだろう。

逆に、どうしてあんな騒がしい場所にいたんだろう、と日本での生活を思ったりした。ここで、この静けさを基盤としながら、作戦を建てよう。人生を立て直そう、みんなも呼ぼう、楽しく生きられる作戦会議をしよう、そんなことを考えた。

5年後、ぼくは最も騒がしい街東京に舞い戻っていた。どうしてこうなったんだろう、あの旅は、あの逃避行はなんだったんだろう、あのとき、作戦はたてられたのだろうか? 

クタの朝、バイクを走らせて海へ向かうとき、今日の波はどんなだろう?と胸踊らせているとき。バリの空は青すぎる、と感動しているとき、あるとき、今、死んだって、そんなに後悔しないな、とそこまで思った日もあった。

だけど、ぼくは東京にいる。いったいどういうことだ。なんでまた、逃げ出したはずの場所にもどって、それでもなぜか、ほっとしたような気持ちになっている。

春だからだろうか。今日、ふと一瞬、この春がずっと続けばいいのに、と思った。梅雨も夏もこないで、このお天気で、おだやかな、この春がずっと続いて、ぼくはいろいろな場所にでかけて、1日1つ、小さな新しいことがあって、1週間に1人、新しい出会いがあって、そんなふうな暮らしを、あと何年もできたらいい、みたいに思った。

だけどそれは、ぼくが目と肌だけでできていたら、という話だ。ぼくには身体も見られる顔もあり、それには、時間が刻まれていく。

だけど、ふと、降りたことがない駅で降りてみようと思って降りた。駅前のスタバに寄る。とても気持ちがいい空間で、客たちも思い思いのことをして過ごしていた。

昨日は、別の駅前で、カフェ探しに難儀し、結局入ったパン屋付属のカフェで、狭い席に体を押し込みながら、なんだか周囲の人たちがトゲトゲしているような気がして落ち着かず、早々に席をたってしまったのとくらべて、ずいぶん違う。昨日の駅と今日の駅は、3つくらいしか離れていないのに。

おそらくは密度だろう。昨日の駅は密度が高かった。住宅街として古くから開け、駅ビルも古びていた。高齢者も多かった。さびれているのに飽和している、ふしぎな街だった。

今日の駅は新興住宅地で、駅の周囲以外は、突然なにもなくなるような、家しかなくなるような、そんな場所だったが、新しく越してくる人ばかりだからなのだろうか、駅ビルができたばかりだからなのだろうか、新鮮な風が吹き抜けている気がした。

しかしぼくの発現無意識は、どうなっているのだろう。

ちっとも引っ張ってくれていない。早くぼくを大人に、大人を越えたもっと大人にしてくれないか。ぼくという生命体が必要とする成長を、DNAと呼応しながら、準備し、遂行してくれなければ困る。

ぼくは発現無意識のよどみのうずにつかまって、回転しつづけているのかもしれない。

引きにはついていくつもりだ、だから、引きを、引きを!

そんなことを言いながらも、それとなく予定ができて、人と会うことになる、やっぱり東京は、東京だ。

 

春をうれしんで

春になって、やっぱり東京に出てきた。

5年前に東京を出たときと、そのまま接続されたような日々が始まった。面白いもので、5年前に東京を出たあと、一年ぶりに東京を訪れたとき、そしてかつて住んでいた街を歩いたとき、ああ、もう懐かしくない、ここはぼくの居場所ではなくなったんだ、と、知っているのに知らない街のような、違和感を感じた。その翌年、また短期で訪れたときも、知ってるけど親近感の湧かない街になっていることを確認した。

なのに。

今は、本格的に住むのは5年ぶりなのに、街が、5年前とちっとも変わっていないような気がする。5年前と同じ大道芸人、5年前と同じ店を見つける。そうそう、こんな感じ、こんな道、馴染みの場所に帰ってきた気分で歩いた。ゲンキンなものだ。

ということは、やっぱり、しばらくこの街にいるつもりなのかもしれない。

 

最近、理由があって古い雑誌を調べ回っていた。そのなかに、1976年の別冊宝島がある。植草甚一が監修している。植草甚一、面白い人だったらしい。少し調べた。趣味人で、古本屋を巡り、毎日大量の本屋ざ雑貨を買って帰ったという。

いろいろな雑誌を手に取ったが、なぜか、この宝島だけが、輝いていた。編集部の想い、若さ、希望、みたいなものが伝わってくる気がした。この時代のこの編集部に遊びに行きたいと思った。若さの良さのひとつは、世の中の未来、自分の未来に、やはり明るい、いささか誇大妄想的かもしれないが、やはり希望をいだいていることだ。抱かずにはいられない年頃なんだと思う。

俺達が世の中を変えられるかもしれない。たとえ小さな変化でも、大きな流れにつながる一石を投じることができるかもしれない。そんな思いが伝わってくる。

そして、いまも、そんな若者がたくさん、たくさん、何かを企み、もがいているのだ。

井の頭どおりを歩いていると、そんな若者かもしれない若者たちが歩いている。駅へ向かっていくと、コンビニから、まだ10代かもしれない女の子が出てきた。すました感じで当たりを見回し、つとつとと歩いていく。この春上京したのかもしれない。鼻先が少し上を向いている、つまりは街の匂いをかいでいる。その目に表れているのは、好奇心であり、小躍りする心であるように、映った。

ほほえましい。だが、わからない。どんな人だって、どんな年齢だって、それなりの、なにかを背負って、それなりの事情を抱えていたりする。だから、勝手なイメージにすぎない。

だが、わかっている。今、春を春として楽しもうという気分で少しでもいられるのは、移動したばかりだからだ。もうしばらくすると、日々の現実、というか、前々からの悩み、課題で頭がいっぱいになって、周囲が見れなくなる。街の匂いがかげなくなる。それはわかっている。お酒もまずくなる。わかっている。今だけだ。

何らかの移動を起こし続けること。それが春を春として言祝ぐことができる条件なのかもしれない。おれの場合。

中央へ、東京の中心部へ攻め上がろう、とふんどしをしめる気持ちで出てきたのだが、最近お気に入りの場所は、都心とは逆方向に電車で15分ほどいった図書館である。新築のようにきれいで光もいっぱい、気持ちいい。学生たちが遅くまで勉強しているのも刺激になる。併設のカフェコーナーでまったりしながら、果たしてこれでよかったのか、と心配になった。都心のコワーキングスペースを借りるんじゃなかったのか。

まあいい、まだ4月だ。5月になったら考えよう。ただし、動き回るなら、梅雨がくるまでに、だ。

ぼくは考え込んでいた。吉福さんから何を継承すればいいのだろう。真似はできないし、真似したくないところもいっぱいある。だけど、なにかは継承したい。あんまり重いものは困る。おれはそんなに強くない。

夕方、姪っ子から着信が。とれなかったので、電話をかけ直した。つながる。姪っ子が出る。声が聴こえる。こども独特の、平板な、明るい声だ。もしもし、あれ?あれ?と言っている。どうやら、こっちの声が聞こえていないようだ。姪っ子の母が受話器を変わり、すぐに切ってしまった。大人はこれだからいやだ。

結局、ぼくの携帯はインターネット電話をつかっているので、うまくつながらなかったということだ。でもこの一方通行の電話で、元気が注入された気がした。ぼくがどんな壁にどう悩んでいようと、5歳の姪っ子は知ったことではないのだ!

 

夕方のパンとおにぎりで終えたはずの晩飯が、どこかものたりなく、結局、コンビニで、ラーメンサラダなるものを買ってしまった。何か土産がないと家に帰りたくないのだろう。そしてそれは、意外とうまかった。明日も買ってみようかなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コングレス未来学会議

映画『コングレス未来学会議』を見た。ラストシーンが過ぎ、エンドロールが流れたとき、悲しくなって少し涙が出て、見たことを後悔する気持ちになった。

よく知っている感情ではない感情を突然、感じさせられた感じがした。

おいおい、やめてくれよ、こんなのは。。

 

僕は悪夢をめったに見ないのだが、最近、2度ほど見たつらい夢は、自分に娘がいて、自分はもうあまり長くないことがわかっていて、ああ、この子とそう長くは一緒にいられないのだ、と突然のように気づいて、この子が大人になるところを見届けることができないのだと気づいて、とても苦しくなって、そこで目が覚める、という悪夢なのだが、その夢を見たときも、おいおい、独身の俺にそんな夢を見せるんじゃない、どういういやがらせなんだ、と夢の神様を呪ったものだが、それに近いような悪夢だった。

 

それは醒めることが許されない悪夢だから悪夢なのだ。夢から醒めても、ああ、夢でよかった、と一瞬は思うことができたが、でも、それが夢ではないことが心のどこかに響いていて、それは自分の現実はかけ離れてはいるのだけど、自分は関係ないとは全然思えず、どのような形であれ、その夢のような気持ちに現実になる日がくるのではないか、と思わせる、そんな夢ではあった。

 

コングレス未来会議は、もちろん、そういう映画ではない。もっと複雑で、あらすじさえ簡単には語れないような、多層的な不思議な映画だ。

この映画が教えてくれるようなことは、5年に一度くらい教えてもらえれば十分だという気がする。

 

悲しみを乗り越えたと思っていたら、それはただ、悲しみとの接続をあいまいにしたというだけのことなのかもしれない。

みたいなことを翌日になってもつらつらと考えさせてしまう、映画だった。だから、見て同じ目にあって欲しい。ような、あまりおススメできないような、そんな不思議な映画だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都ポテンシャル高い

ポケモンGOのせいで満杯になるかと思われた、オレのオフィス、マクドナルドが、そうなることもなく、遅めの午後からはいつも空いている。

 

京都の四条には、オフィスとしか言いようのない最強のカフェ、モスカフェ、がある。広くて、電源席がたくさんある。女の人がひとりできて、なにやらパソコン作業や、勉強をしているのが目立つ。店員はみんな学生のようで、ういういしく、丁寧だ。いいカフェだ。ただ、なぜかほぼ毎日、電源席におかしなおじさんがいて、イヤホンで音楽を聞きながら、机をピアノに見立ててバンバン叩きだしたりして、うざかった。。いっちゃってる目をしていた。きっと、なんかの人生の袋小路にハマり込んでしまったのだろうが、仕事しに来てる身からすると、迷惑でしかなかった。

 

でも、結局、そういうのが気になるってのは、こっちもテンパってることを意味するんだと思った。集中しなきゃ、仕事を片付けなきゃ、と常にせかされるような気持ちでいるから、寛容ではなくなっているのだ。という面もあるだろう、というくらいだが。

 

そして、最強においしいコーヒーショップを発見した。三条の小川珈琲だ。全国で何店舗か展開しているチェーンのようだが、ここのハンドドリップコーヒーはひさしぶりに、「うまいなー」と声を出してしまうほどうまかった。だが、たまたまとか、京都だからおいしく感じた、ということもある。日をおいて、再度訪問してみた。すると、「やっぱりうめ〜」と声を出してしまった。クリアな味だ。雑味がない。でもコクがある。思わずコーヒー豆を購入。だが、きっと豆もさることながら、淹れ方なのだろう。淹れ方でやっぱり味変わるんだな〜ともう一度コーヒーを勉強したい気持ちが湧いてきた。

 

そして、京都には最強のスターバックス三条大橋店もある。まず、「床」がある。高いお金を出さないと座れないと思っていた床に、コーヒー一杯で座れてしまう。鴨川ぞいで気持ちいい。おれはと言えば、パソコンをするので、地下に行く。地下は広々としていて、たいてい座れる。電源はないが、まあそこはOK。ここは地下なのだが、ガラス張りの目の前が鴨川になっている。地下といいながら、一階みたいな感じだ。だから開放感もある。そして、この三条大橋店は大人気店で、お客がひっきりなしに入ってくるのだが、目の前が鴨川だけに、天気がよいとみんなテイクアウトしていくのだ。鴨川沿いに座って語らうのだろう。そりゃあ気持ちいいさ。だから、いつ行っても、座れないということがない。んーーーすごい便利。店員がこれまた、全員礼儀正しくて気持ちいい。なんだかすごい。

ということで、京都の街としてのポテンシャル高いな‐。と驚いていた。名古屋は完全に負けてる。いろいろ勝負になってない。悔しいね。

 

でも、京都の本当にすごいのは、もちろん、お寺やなんやの歴史ある観光名所だ。そういうところを抜きにして、街としての機能だけでも、かなり過ごしやすいというこの実力だ。そして、もうひとつ、外国人を含め、観光客がそこらじゅうにぶらぶらしている。そのことで、なんだか気持ちが開放される。そういう効果もある。

 

ただ、海がない、とか、湿度が高い、とか、いまいちなところもあるけどね。

でも、京都やっぱりすげえ、というのが久しぶりに訪れた感想でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

オリンピック効果

今年はどっぷりオリンピックにはまっている。放送時間をチェックして、できるだけの試合を見ようとしている。さすがに朝方までは待てずに寝てしまうことが多いが、でも毎夜、テレビにかじりついて叫んでいる。

というぼくも、ロンドンオリンピックは海外にいたこともあって、一切見なかった。見ないとなると関心もなくなるもので、ネットで結果をチェックすることさえなかった。あれ、そういえばやってるんだっけ?という感じだった。むしろ、あんなのに盛り上がって、バカじゃないか、メディアに乗せられてんじゃないよ、他人の試合より、自分のライフのほうが何百倍も大切なんだから、テレビを見ている暇なんてねえんだ、とさえ思っていた。

でも、今年ははまってしまった。。もうオリンピックが始まる前から負けていた。もう、一年も前から、バレボールやらサッカーやらの予選を必死にかじりついて応援してしまっていたのだ。予選をあれだけ必死に応援しておいて、本番を知らんぷりなんてできるわけがないのだ。かくして、深夜や朝方でもがんばって見たりしていた。そうこうしているうちに、ほかの競技も目に入ってくる。予選を見たら準々決勝を見ないわけにいかない。準々決勝を見たなら準決勝が気になるのは当然である。かくして、気がついたらほとんど全競技を追いかけるはめになった。

そうか、こうやってハメられてしまうのか…。と思いつつ、でも、毎日毎日、こんなに興奮できるなんて、オリンピックも捨てたもんじゃないな、と思ったりしている。

そして、ある効果が気がついた。少し前に、夏は暑くて出歩けず、運動不足になるということで、日本3大無駄な買い物の1つと言われる、ルームランナーを買ったのだ。おれはいらないと言ったのだが、母が買え買えというのでしぶしぶ買った。

あー、3日もすればオクラ入りだろうな、と思っていた。事実、母の睨みのもと、しぶしぶ5分ほど歩いて、すぐにスイッチを切る始末だった。

だが、オリムピックが始まってから、なぜか、ルームランナーに進んで乗るようになっていた。30分で自動で切れてしまうのだが、それがなぜか「完走」に思えてきて、なぜか完走を目指してしまうようになったのだ。ここ数日は、完走できている。もちろん、テレビでオリムピアンの活躍を見ながら、歩くのだ(あくまで走る、ではない)。

これは効果だ。あんなに運動が嫌いな僕が、オリムピックに乗せられて、ルームランナーに乗っているのだ。その五輪もあと1週間。オリンピックが終わったら、ぼくもルームランナーを降りるのだろうか。引退だ。

でも、それでも、いいと思った。それで十分だ。少なくとも、1万数千円だかのモトはそれでとれるだろう。

そして、それだけじゃない効果も感じている。やっぱり、なんだか、全般的にやる気が出ている気がするのだ。選手たちがあんなにがんばってる、おれも少しくらいは、って励まされているのだろう。これは明らかに効果だ。

だから、今夜はバドミントンの決勝を見ないわけにはいくはずがない。レスリングも目が閉じるまでは見届ける。

完全にすっかり乗せたれている。だが、どっちかだ。乗るか乗らないか。乗ってしまったいじょう、とことん乗せられたほうが、きっといろいろスッキリするのだと思われる。

今回のオリンピックは、ブラジルの経済うんぬんで、いろいろ問題がありそうだった。もしかするとオリンピックでお金を使いすぎて、このあとブラジル経済はどーんと落ち込んでしまうかもしれない。

だけど、選手たちがほとんど命をかけるくらいの勢いで、全身全霊をぶつけているのは間違いない。それはオリンピックそのものの経済効果やメリット・デメリットとはまったく別の場所に存在するものなのだと思う。

ぼくは長い間、スポーツをどこかで蔑視していたと思う。スポーツってしょせん、ゲームじゃんか、誰が買っても負けても、見ている人の生き死にや、人生の根幹にはぜんぜん関わりがないじゃないか、と。しょせんお遊びにすぎない。きばらしにすぎない。ローマ帝国衆愚政治にすぎないのだ、と。

だが、その一方で、スポーツ選手になんともいえない羨望を感じてしまうのだ。それは富や名声が手に入るからだけではない。真剣勝負をする場所を彼らが持っている、ということもあるはずだ。そういう羨望を感じさせるから、スポーツは多くの人の気になり続けているのかもしれない。何かに没頭できたときの心地よさを、誰もが一度は味わったことがあるだろうから。

ということで、あと1Week、せいぜい五輪を楽しみたいと想います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

核先制不使用

新聞を読んでいたら、オバマ大統領が導入を検討している核先制不使用政策に対して、安倍総理が「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として反対の意向を伝えた、と書かれていた。

 

これを読んだとき、ざわざわっとした。安倍首相の言い分がわからないでもない、と感じてしまったからだ。

 

この話題はいったんおいといて、NHKで、原爆投下を指示した大統領と言われている、トールーマンのことをやっていた。米国に散在している文献を調査し、原爆投下にいたる過程に、具体的に誰がどんな話し合いをして、どう決定されたのかを探ろうという企画だった。結果、意外なことが判明する。原爆投下を指示した悪魔の大統領だと思っていたトルーマンは、実は、この新型爆弾により、一般市民、女性や子どもが犠牲になることのないようにしなければ、と投下を決める前の日記に書いているのだ。トルーマンは新型爆弾の威力は承知していた。だが、それを一般市民の頭の上に落とそうとはよもや考えていなかったらしいのだ。そんなことをすれば、ヒトラーと同じ虐殺者として糾弾されるだろう、とまで日記に書いている。

ならばなぜ広島、長崎に原爆が落とされたのか? それは、トルーマンが軍にだまされたからだという。軍は原爆を都市に落としてその威力を確かめたかった。軍の計画には、投下先として京都さえ入っていた。というか、むしろ京都の落としたいと考えていた。京都は知的レベルが高い人が多いから、新型爆弾の意味を理解するだろう。そのほうが戦争終結が早まる、という理屈だった。それを、トルーマンが、京都はだめだ、と却下する。そこで軍は、広島は巨大軍事都市であって、市井の民が暮らしている場所ではないとトルーマンに信じこませ、投下許可をとりつける。かくして、広島に原爆が落とされた、という筋書きらしい。

広島、長崎、と原爆が落とされ、その結果の現実を知ったトルーマンは、「より多くの命を救うために原爆が投下された」というロジックを口にするようになる。そして、生涯その主張を通した。アメリカ国民もその主張を自分のものとした。

トルーマンはそう信じこまなければ、精神がもたなかったのかもしれない。軍の最高司令官である自分の責任の元で、数万人を一瞬にして殺してしまう、兵器を使用してしまったのだ。それも一般市民、女子供の頭の上に。

そして、おなじ理由で、アメリカ中がトルーマンの理屈を信じ込もうとし、信じこんでいったのだろう。

そして、ぼくがこの番組で一番印象的だったのは、被爆者の1人に、記者が、トルーマンは本当は市民の上に原爆を落としたくなかったらしいですよ、と伝えたシーンだ。トルーマンが自分でそう書いている文書を見た被爆者は、言葉につまって沈黙した。

その数秒、あるいは数十秒の沈黙が、胸に来るものがあった。

そのとき、彼の中で何が起きていたのか。

おそらくであるが、ずっと憎しみの的としてきたであろうトルーマンが、実は、そんな悪魔じゃなかったと知って、何か芯のようなものが揺れてしまったのではなかろうか。じゃあ、だれを憎めばいい?軍か? でも軍は、戦争に勝とうとするだけのマシーンみたいなものだ。人間的な判断をするのは大統領の責任である。

ぼくは恐ろしいと思った。だれも本気でそれを意図しなかったのに、原爆が落とされたのだとしたら、、だれもその悪魔性を引き受ける人間がいないのだとしたら。

原爆を投下した乗組員は、軍の命令に従って作戦を遂行しただけだと語っていた。それを完璧にやり遂げたのだと。それは、そのとおりだろう。

ホローコースにヒトラーがいなかったら、世界はあの「事件」をどう受け止めることができただろうか。

おそろしいなーー。寒気がした。それは、もしかしたらそっちが実態なんじゃないか、って気がしたからだ。ヒトラーが悪魔的な願望を持っていて、人心を操ってそれを実行した。それも十分におろそしいが、ヒトラーがいなくても、似たようなことが起きていた可能性があるとしたら・・・

 

でも、日本人にとって本当に恐ろしいのは、日本の加害性の実態なのだろう。もう時間がずいぶんたったので、事実がどうなのかはわからないかもしれない。でも、ぼくの心の奥でいやーな感じをたまに引き起こすのは、それだ。

もう書いているだけでいやな気持になる。誰かと議論したいとも思わない。だから、これを読んで嫌な気持ちになった人がいたとしたら、申し訳ない。とりま消さないけどね。

 

ということで、やっぱり戦争を語るのは難しい。感情がどうしてもけばだってくる。でも、戦後のさらに後で生まれたぼくでさえ、どこか心に食い込まれている気がしてならず、たまに戦争関連の本など読んでみたりする。

結局、戦争ってなんなのか、よくわからないのだ。

 

 

 

 

 

高校野球

5歳になったばかりの姪が、甲子園に魅せられたらしいとの一報が入った。

おお、と短く感嘆した。そして、ことの大きさを1日たった今でももてあましている。

 

そのとき、姪がお盆の法事でうちに来ていた。みんなでリビングにいるとき、ぼくは何気なく高校野球にチャンネルを変えた。地元東邦の試合をやっていた。7回ウラで9−2で負けているところだった。7回で7点差、さすがの東邦もここで終わりかな、と思ったが、なにせ甲子園だ、なにがあるかわからない。

という気持ちでがんばれ!と見ていたら、昼寝をしかけていた姪がテレビをまっすぐに見つめているのに気がついた。

周りの大人は、せっかく昼寝をしておとなしくなってくれると期待していたので、苦笑いをして顔を見合った。でも、そのまま寝てくれるかもしれず、あまり刺激するな、という顔のサインが母から来たので、ぼくは黙っていた。

試合が進み、いよいよ9回ウラになっていた。その間に3点返したが、まだ4点差だった。9回裏で4点差、しかもたしかツーアウト。さすがにここまでか、と思って、チラっと姪を見ると、さっきまでソファに寝転がっていたのに、完全におやま座り(体育座り)をしている。眼光が鋭い。

あれ、もしかしてこれ見てるの?興味あるの?と聞くと、いや、ちがう、と首をふる。ただ、前を見ているだけだという。前方を見ていると、勝手にテレビが視界に入るだけなのだと言う。おかしなことを言うものだと思ったが、すぐに試合に気持ちは移った。そしてそして、なんと東邦はそこから5点をとり、逆転サヨナラしてしまうのだ!

きたーー!と興奮して叫んでしまったが、姪はとくにはしゃぐこともなく、どうして服が汚れているの?と高校球児のユニフォームを指差すのだった。

それはね、すべりこんだりして、汚れちゃったんだね、がんばっってこと。がんばった人は服が汚れちゃうんだよ。と母が説明する。姪は、ふーんという感じで見ていたが、あ、こっちの人は服が汚れてる人が少ない、と指摘。こっちの人とは、負けたチームであった。

 

そして、その夜。姪の母からメールがあり、姪が、「あれ(高校野球)、なんだかわからなかったけど、また見たい」と言ったそうだ。

 

なんでもないことだ。ただのきまぐれに過ぎない。そういうことは何度もあった。だが僕は、なにか感動のようなものを覚え、それがすぐ消えるかと思ったのに、まだ続いている。

1つは、姪がなぜそう言うのか、わからないということだった。もちろん野球のルールなど知るよしもない。だが、そういえば、試合中、アウトってなに?セーフってなに?とちくいち聞いてきていたな、という記憶がある。興味を持ったのだろうか。

 

結論から言おう。姪は、高校球児たちの、甲子園にかける、激闘の熱い想いに、心をうたれたのではないか。ぼくはそう想いたくなり、そう思うことにした。母にぼくはそうとしか思えない、というと、考えすぎだ、と一蹴されたわけであるが、

でも、それが高校野球だったというところに、妙に何かを僕は感じたのだ。

 

もし姪が、5歳にして、荒ぶる魂、この一瞬にかける青春、というものの存在を、始めて知覚した日なのだとしたら、なんてすばらしい日に居合わせることができるたのだろう、と思わざるをえない。

 

ぼくはもうそうとしか思えなくなり、母に、姪はソフトボール選手になりたがるかもしれない、そしてオリンピックに行くかもしれない、と考えを伝えた。もしかして東京オリンピックに? いや、さすがに9歳では無理か、いや、しかし、世の中に絶対というものははないはずで…。

母はもうそこにいなかった。

 

だけどおれは確信する。なんだかわからないけど面白かった、心が動いた、そういうものに姪は出会ったのだと。そしてそれは、おれのこころに鈍い痛みを引き起こしたわけを、さっきから何度も考えているんだ。

東邦がんばれ!