そっちでもいい

毎度のごとく、吉福さんの話をしよう。やっぱり面白いからだ。

ハワイの家を尋ね、インタビューにいったときの一幕が最近、繰り返し思い起こされるからだ。

文脈はすっとばして書いてみると、ぼくが、魂というものがある気がする、と訴える場面だ。言い方はこうだ。ぼくはいま、現代社会、現代日本、社会、世間、そういうものに違和感を抱いている。何かおかいしと思っている。だが、そう考えている自分も、社会にプログラムされてきたはずだ。それは親の影響、学校教育、広く世間一般からの影響、そういうもろもろで、右も左もわからない赤ん坊のときから、世の中とはこういうものだよ、生きるとはこういうものだよ、と、言葉でも、言外でも、教えられてきた。それなら、それを鵜呑みにして生きていけば、なんの矛盾も感じないはずだ。いいか悪いかは別にして、ただ順応して生きればいい。

だがぼくは現に違和感を感じている。ということは、社会のプログラムに左右されない、芯のようなもの、生まれ持っての判断、感性、すなわち魂のようなものがあるのではないか? その魂が、この狂った現代社会に異議を唱えているのではないか?

と、そういうようなことをぼくは言った。

だから、ぼくはこの自分の無垢な魂を肯定し、信頼して、社会と対峙して生きていくべきなんだ、という結論にぼくはもっていきたかったはずだ。

だが、吉福さんは、こう言った。「それはまったくまぬけな見方だね」

ほう。

吉福さんは言う。社会は矛盾を含んだままあなたをプログラムしたのだ、と。

だから、ぼくは矛盾を抱えた存在としているのだと。

そのとき、ぼくの起きたこと。それは、痛快。

不思議なものだが、自分の信念のようなものを、あたまごなしに否定されのだが、その刹那、ぼくはおそらく、こんなようなことを考えた。「なんか、そんな感じだと思ってた」

うそなのだが、ぼくはそのように自分のことを考えたことなどなかったのだが、あっというまに納得してしまったばかりか、むしろ、そっちであってほしかったと前から思っていたかのように振る舞った。振る舞ったというか、本当にそう思った。

どっちがよかったのだろうか。

魂があるんだよ、きみの純粋な魂が悲鳴をあげているんだよ、でも君の魂のほうが正しいのだから、がんばりなさい、と言われるのと、あんたが矛盾ごとプログラムされただけだよ、と言われるのと。

だけだよ、ではない。そんな紋切型の話ではなく、そういう風にみたほうが実態に近いだろう、ということだ。

細かい話はいい。だけど、面白いよね。この変わり身の速さ。自分の。

そして、この胸がすくような感覚はなに?

 

最近、耳の上辺りに白髪が目立つようになってきた。だから染めている。このとき、負い目のようなものを感じる。イチローは白髪を染めていないからだ。この年齢で白髪は自然なことなのだろう。だが、ぼくは、やっぱり染めてしまう。まだもてたいからだ。独身だし、もてる必要があるのだ。と言い訳しているが、そうか、おれはありのままの自分は恥ずかしくて見せないつもりなんだ、という気持ちが、あのころから意識するようになっている。

生物としておそらく自然なことである白髪も見せられないのに、ありのままの自分、とか、そういうこと言うのはもうやめにしないとな、と思うんだ。

とかいいながら、外見をよく見せようとすることなら、昔からさんざんやってきたじゃないか、何をいまさら、という声も聞こえた。

 

さて、脱線したが、本線がどこにあるのかわからない。

痛快だ。今日のキーワードは痛快だと思うんだが、思えば変わった言葉だね。

 

いわゆるゆとり世代の人達がいる。はっきりいってぼくはうらやましい。よく、会社で使えないとか、常識がないとか言われているが、おおらかで自己肯定感をもっていて、ものおじしない。これってみんながなりたい人だよね? もし、ゆとり世代が世間で揶揄されているとおりの気配をまとった人たちなのだとしたら、ゆとり教育は成功したんだと言わざるをえない。ぼくはゆとり教育、受けたかった。ゆとりのある性格になりたかった。きっと、そのほうが生き抜いていきやすいはずなんだから。なんとかなっちゃうんだから。

 

ということで、今日はお墓参りに行ってきました。ずいぶん久しぶりに。バチあたりです。

 

最近、将棋にはまってます。ネット対戦が面白すぎて。あれはいかんね。中毒性がある。早く伊藤かりんに追いつきたい。1級だったかな。すごい強いよそれは。将棋の面白さは、ぼくはほとんど手を読まないんだけど、読めないんだけど、なんとなくいけそうだと感じて、飛車とか角の大駒を切って、攻め込んでいくときの、あのドキドキはたまらないね。跳ね返されることも多いけど、そのまま押し切って勝てたときの快感といったら! 将棋ウォーズ、挑戦受け付けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

奇妙な反転

いわゆる311の地震が起きたとき、オフィスビルにいた。仕事をしていた。グラリとすさまじい揺れがきて、ひさしぶりに死の予感を感じた一瞬があった。これはやばい。そして、とはいえ、東京なのでそこまでの揺れではなく、誰かが冷静にドアを開けにいくのを見ていた。そのとき、心の中に浮かんだことばは、「しまった、忘れていた」だった。僕は神戸の震災も体験していて、大勢の命がなくなってしまうような地震が自分の身にも起こりえるということを知っていた。でも、そのことを、ずっと忘れてしまっていた、というような感じだった。

だからなんだ、ということはないんだけど、なんとなく、いつ死んでもおかしくはないのだ、という緊張感のようなものは、すっかり忘れていた、あるいは、口では言っていても、実感を伴うものになっていなかった、と思ったのだ。

そして、揺れが収まり、誰かがテレビをつけた。津波が地面をのみ込んでいく空撮の映像が淡々と流れていた。なんだこれ? 現実感がなく、ただただ興奮していた。あのなかに何千人もの人が覆われていっていることを、考えればわかるはずなのだが、現実ではないようにしばらくずっとなっていた。

まあ、俺は被災地にも行っていないし、何もしていない。だから、何を言えるのか、というのもあるが、ひとつ、ああ、はっきりしたなあ、と思うのは、本当に何の罪もない人が大勢亡くなったということだ。それまでの行いがよかった人、人を助け、人にやさしくしてきた人も容赦なく波は飲み込んだのだ、ということはわかった。

 

それからしばらくたって、死んだ人は、不幸になったわけじゃない、と思うしかないのだと思うようになった。残された遺族は悲しいし、若くしてなくなった人や、結婚したばかりとか、子供が生まれたばかりとかで亡くなった人はどれほど悔しいか。それはちゃんと考えると胸が張り裂けそうになるくらいだ。だが、それでもやっぱり、死んだ人は、死んだ瞬間から、もう、幸不幸を超えた世界へ行った、と思うしかないような気がしたし、事実、そうなんだろう、という気がする。

本人にとってはすべてがチャラになった。そう思うことは悪いことなのだろうか、いいことなのだろうか。

だから、こういうことだ。生きてるうちは、死んでも死にきれない、という状況はいくらでもあり得ると思う。これをやらずに死ねるか、あの子を残して死ぬなんて、、本当に、悔いの残る死というものは普通にある。むしろ、悔いがまったく残らない死などあるのか、とすら思う。だけど、死んだらやっぱりチャラになるのだと思う。

奇妙な矛盾のように感じる。たとえば、ある知り合い人がいて、死にそうだったら、死んで欲しくないと願う。少しでも長く生きて欲しいと思う。長く生きてというよりは、今、死んで欲しくないと願う。その今は、今、今、今、とずっとつづいていくような今だ。だけど、死んでしまったら、やっぱり、天国で安らかにね、なのだ。

ちょっと何を言っているかわからなくなってきたが、いきなりそこで変わってしまうのだ。だから、死は、悲しいばかりのものじゃない、死ねた、という側面もあるんじゃないか、というような。どんな憎しみや苦しみを抱えていても、抱えているがゆえに死ねず、未来永劫苦しみつづけるのだ、ということにはなっていない、という意味だ。どんななにを抱えていても、いつかは死ねる。そして、おそらく、死んだら、もう苦しみは終わるのだ。

だから、悪いことばかりじゃない、と思えてしまう。だけど、今誰か知り合いが死にそうになっていたり、死にたいと言っていたりすれば、とにかく死なないで、今は死なないで、とやっぱり思う。それは矛盾としか言いようんがないのだが、この矛盾を正す必要があるのか、ないんじゃないか、と思っているというような。そんなような。

で、本題はここからで、こうした、死がどうした、生きるがどうしたというようなことは、はっきりって、ヨタ話だ。酒飲み話だ。本当に考えるべきことは、日々の生活のほうで、とくにこのままではいけない、という状況にいるのなら、状況をどう変えるか、切り開くか、に頭を使うべきなのだ。そこはまるで否定しないし、そうあらねば、と努めているのだが、それでもやっぱり、人に死に接すると、ああ、なにはともあれ、すべてがチャラになるんだな、としか感じられなかったりする。

なんか、まとまらなくなった。どういうトーンの記事になったのかわからないが、なんとなく、いま書きたかったのは、重いことじゃなく、心が軽くなるような方向性だったのだが、たどり着けなかったようだ。眠いので寝る。

 

 

 

 

 

 

 

スタバはいいね

昨日、久しぶりにスタバに行ってみた。混んでいて座れないこともあるので、もう何ヶ月も行っていかなった。つまり、仕事カフェのローテーションからはずしていた。でも、この時間ならどうかな?と、3時半くらいにいってみた。結構席が空いていた。なによりうれしいのが、やっぱり客層がいい。大学生とか若い人が多く、パソコンを開いている人もちらほらいる。外国人もいる。パソコンでスーツの年配の外国人もいる。つまりは、大学教授っぽい人もいた。

やっぱりこういう客層に囲まれると、なんとなく仕事もやる気が出るから不思議だ。それでいて。コーヒーつきで300円そこそこで2時間はいられる。安い。

かつて、コーヒーを目的でスタバに入ると、この程度のコーヒーで300円かよ、これならドトールいくわ、と思っていたが、パソコンを持って仕事をするとなると、え、300円でいいんですか?となる。なにせWiFiも使えるのだ。

 

いま、ある危険な記憶がよみがえってしまった。危険というか、大人げない記憶だ。

いつか書いたこともあるが、23歳でインドにいったときのことだ。それが初の海外旅行だった。バラナシというガンジス川沿いの聖地の街で、聖地といえど町中が土埃でもうもうとしているところの、牛と車と人間が無秩序に行き交う大通りで、忘れもしない、僕は、あまりのカオスの思わず道の真ん中で立ち止まってしまったのだ。

すると、牛も車も人も、ただ僕をよけて通っていった。

クラクションはほうぼうでずっと鳴りっぱなしなので、とくに自分が鳴らされているとは感じず、不思議と心が安らぎさえした。僕は灼熱の太陽の下、土埃の中で立ち尽くして、ああ、と思った。もし、今日僕が、誘拐されて、どこかへ連れ去られたとしても、日本の誰にもわからないのだな、という思考がよぎった。この町に僕がいたことでさえ、日本の家族が知ることはないかもしれない。インターネットも携帯電話もない時代だった。

そのとき、ああ、これが自由か、と身震いするような感動を覚えた。もちろんそれは、23年間日本を出たことがない若造の、井の中の蛙的な誇大妄想なのだが、こういう自由をそれまで一度も感じたことはなかったのだ。

もちろん、それは、俺は誘拐なんかされない、という無根拠な自信があっての、自由感なのだが、今、僕が、これからどこへ行こうと、もう誰にもわからないのだ、という失踪の可能性を感じた瞬間だったのかもしれない。

もちろん、今、そんな願望はない。むしろ、いろんな人たちともっと交流して、認知され、関係を結んでいきたいという欲望をむくむくと感じるくらいだ。

ただ、スタバで真横の席に、日本人にはない感じの雰囲気をまとった、妙齢の外国人女性が本を一冊持ってやってきて、でも、本は読まずにMacbookを開いてなにやら作業を始めたときに、ん〜、どうの外国人の年齢はわかりにくいな、若そうにも見えるし、そんなに若くなさそうに見える。美人にも見えるし、美人じゃなくも見える。ん〜。と思っているときに、感じていた、かすかな懐かしさとは、あの、ゴドウリヤーの交差点で、砂埃のなかで、牛に横切られ、車にクラクションを鳴らされながら、空を仰ぎ、ああ、俺は今、ここにいるんだ、と思った瞬間のあの感じを100倍に薄めたようなのに似ていた気がする。

外国人の女性つながりでもうひとつ言うと、このまえ、新しくできた仕事カフェの1つでせっせとパソコンを打っていたとき、そう、同じ人もいると思うが、僕は考え事をするとき、ふと、通りすがる人を真顔で凝視してしまうクセがあり、向こうがそれに気づいて目が合っても、1,2秒間、目があっていることに気づかないことがあるのだ。いや、目が合っていることは気づいているのだが、頭に中には別のことが巡っているので、今、赤の他人と目が合っている、という現実が、どこか現実離れしたものになっていて、あ、しまった、こっちが現実だった、と気づくまでに少しタイムラグがあるということだ。

で、そうして考え事をして、通路を行き交う人を眺めていたとき、東南アジアとかブラジルとかそっちのほう系の女の人と、パチっと目線が合った。それは珍しいことじゃなく、今日だけでも2−3人とは目が合っているのだが、そこからが違った。

その女の人は、日本人がまずやらない感じの、ちょっとだけ顔をかしげて、つまり、ウインクをするときみたいな顔の動作をして、でもウインクはしないで、フンっっとでも言うような感じで小さなポーズを決めたのだ。

おお、なんか映画で見たことあるような、ないような、相手が男だったら、メンチを切られたとしか思えないような、そういうことがあった。

ただ、それだけなのだが、なんか、それいいね、と思った。

思えば、ずっと前のスタバでも同じようなことがあったし、それがどこかの国や地域での、えしゃくとか、スマイル、という感じなのかもしれない。

でも、なんというか、あれ、かわいいね。もしここが日本じゃなくて、ぼくがジャケットでも着用していれば、ウインクでも返したいところだった。

あんまり女の人のことばかり言ってるとあれなんで、最後は子供のことも言っておく。

それと似た感じを受けたのは、先週のマクドナルド。ものすごくはしゃいで走り回っている3姉妹がいた。一番下は2歳、真ん中は3歳、一番上でも4歳か5歳、と言う感じ。

2歳の子が、店内のいろいろな人に、目が合うと手を振るのだ。女子高生たちがかわいいかわいいとキャーキャー騒いでいた。

まあ、よくいる2歳児だ。それが、たまたま僕が帰るときのと、その家族が帰るときが重なり、出口近くで一緒になった。2歳児は、僕の存在を補足すると、すかさず俺の顔を興味深い目で見て、目線をはずさない。まあ、よくあることだが、お母さんに手を引きずられながら、後ろにいる僕から目線を話さない2歳児に、おれは、あっぱれ!と叫んだ。

あっぱれ!君はそんなにも人生が、いまという瞬間が、楽しくてしょうがないんだな、僕などと言うまっかな他人にも、アクションを投げて、リアクションを楽しもうとしているのだ。知らないおじさんと目が合うことが、そんなに面白いかい? 君よ。ありがとう。そして、どうか、その好奇心をなくさないで!

僕は何かをもらったような気分で、マクドを出て、本屋へ向かう。かねてより気になっていた、中村なにがしの小説を買ってみよう。とりあえず、今晩の楽しみは保証されたと思った。

 

 

 

 

 

ゆっくり思い出す

最近どうも自分のなかで「M」ブームのようで、いろんな人がカバーするMを聴いていた。いいなあ、と感じ入るのだが、やっぱり、オリジナルに戻ってくる。プリプリの。おそらく、それが僕の青春時代とつながっているからに違いないのだが、もう少し内容を吟味してみると、ボーカルの歌い方のある特徴に気付く。奥居香の歌い方は、感情がこもっているんだが、こもっていないんだが、よくわからない、ということだ。

歌いあげている。だが、湿り気がない。あんなに歌い上げているのに、歌い上げやがって、とは思わない。不思議な物語を聞かされているような気分になる。ある日、あるとき、どこかの国で、こんなことがあったのよ。とでもいうような。

Mを聴いて今思い出すのは、恋愛の数々ではない。思い出になりそこねていた思い出などが、ぽつり、ぽつりと浮かんでくる。

それは、ささいなことだから、忘れていたということではない。それは、ふだんの自分からは想定できない行動をとり、どちらかといえば、早く忘れてしまいたい記憶のなかの、非常に事務的な手続きのなかの、テーマをはずれた部分で受けたインパクトの、必死すぎて判断の余地がなかったときに、じぶんが何を選択したかという記憶だったりする。

自分は自分が思っているような自分ではなかった、とき、やってくるのは失望ばかりではない。安心だったりするのだ。

思わせぶりな書き方で申し訳ないのだが、いささか恥ずかしいことなので、誰にでも人生で1回くらいはある、本当にどうしていいかわからなくなったとき、ぐらいに各自が読み替えてくれたまえ、と思う次第だ。

いや、本題は、ぽつり、ぽつりと何かを思い出すって、なんだ?ということだ。

いや、やっぱり、それが思い出されるときに何が起きたのか、のほうだ。

 

人生で、何度も思い出されることよりも、はじめて思い出されるほうを僕は信じる。

とでも宣言しておこう。何度も繰り返す感情よりも、はじめて感じる感情的情景を信じる、と言い換えてもいいだろう。

そう言いながら、まったく同じMのPVを繰り返し繰り返し聞いているのは矛盾なのだろうか。

いま、かわいらしい店員がやってきて、何かを言った。僕は大音量でMを聴いているから、口がぱくぱく言っていることしか見えていなのだが、水を替えてくれたから、お水を交換いたしましょうか、とかだと思う。だから、ありがとう、と小さく言っておくが、その声も自分に届かなかったので、その、ささやかな笑顔だけが脳裏に残った。いい気分だ。

長岡望悠はあんな憂いをたたえた顔から、あんなに強烈なスパイクを打つ。そのことに胸打たれていたことを、なんとなく思い出す。

 

 

 

 

 

 

日本人の英語

マーク・ピーターセンの『日本人の英語』に続いて、『実践   日本人の英語』を読んでいる。やられたー!の連続である。たとえば、ピーターセン先生のよると、日本人はThenの使い方がおかしい、という。「そこで、」の意味で「Then, 」と書く学生が後をたたないのだとか。これはネイティブによると、まったく意味がわからないのだとか。

え、俺もよくやるよ! まずthenの次にカンマなんて普通はつけないのだとか。それなのに、なぜが日本の学生たちは 「Then, 〜」と書いてくるのだと氏は嘆いておられる。

たしかに、俺もなぜ自分がそう書いてしまうのか、よくわからない。学校でそう習った覚えもない。たぶん、おそらく、単純に日本語の「それで、」と書きたいという気持ちが先にあり、それを単純に英語にしようとして、「それで」らしき意味のある言葉として、Thenが浮かび、単純に「それで、」と言いたいところに、「then、」と入れてしますのだろう。きっとそうだ。

ピーターセン先生のよると、たいていの場合、「それで、」と言いたいときは、thenじゃなく、and を入れておけばいいらしい。言われればそうだという気がする。ネイティブはみんなそう書いている。俺はここにジレンマを感じる。

今まで僕たちは、then,〜 みたいな英語は目にしてきていないはずなのだ。そのかわり、「それで、」の意味で「and、」と書かれた英文を少なからず目にしてきたはずなのだ。俺なんかで言えば、そういう文を山ほど翻訳してきたはずだし、「and、」を自ら「それで、」と(経験的学習として)訳してきたはずなのだ。

それなのに、自分で英文を書こうとすると、then, と書いてしまう。

つまり、それは、日本語に引っ張られているということ。英文を書くときにも日本語思考がどうしても出てきて、Thenと書かせるのだ。

もっと恐ろしい事実は。僕は「それで、」は「Then,」じゃない、ということを、以前にも読んだ気がする。どっかでそういう指摘に出会ってる気がする。でもすっかり忘れていた。きっと、今後もうよほど注意してないと忘れてしまうのだろう。で、また、Then、と書くのだろう。

これはつまり、レイヤーの違いだと思われる。

「それで、」を英語にしたいなら、「and, 」でいいんだよ、という知識は入るレイヤーと、「それで、」を「Then、」に変換しようとする知識が入っているレイヤーが違うのだ。「Then、」のレイヤーのほうが土台に近く、深く根付いているのだ。

だから、新しい知識を学んでも、単純に上書きされないのだ。「Then、」は学んだことというよりは、日本語という超基礎的なレイヤーから、自然と湧きあがってくる間違いなのだ。だからしつこいのだ。

おれは再三、ブログでも、翻訳が上達しねえ、とグチってきたが、これが原因なのだと思った。いくら翻訳の技術を身につけていっても、日本語という基本レイヤーからの「間違え」攻撃に絶え間なくさらされているのだ。

あれ、まてよ? 日英翻訳ならそれでいいが、俺がやっている英日翻訳だとその論理はとおらないか? 英語を自然な日本語に変えるのがなぜこれほど難しいか、という理屈にはならないか?

でもまあ、近いところにある気がする。脳内で、英文を日本語的に細切れに変換しているから、それをそのまま文章にすると、トントンカンな日本語になってしまうのだ。意味はわかっている(はず)なのに、なぜか普通の日本語にできない、という現象だ。

 

そう、翻訳という作業は、僕にとって、ある種の抵抗の連続、という感覚がつきまとうのだ。戦っている感じだ。積み上げている、とか、変換している、とか、そういう作業をしているというよりも、脳内で戦っている、という感覚に近い。だから変な疲れ方をする。たとえるなら、右足と右手を同時に出して歩く、という歩き方を、強制的に続けようとするような感じというか、わざわざいらんことをしている、という感覚がどうしてもつきまとう。

翻訳なんて、わざわざいらんことをしていることなのだろうか。わざわざ本質的な変換仕切ることができない、違う言語に変換することなどいらんことなのだ。

僕がバイリンガルなら、翻訳するというモチベーションがそもそも湧かないに違いない。僕は英語のままだと、やっぱりどこかわかった気がしないから、日本語にしてみることで、やっと読めた気がするゆえに、翻訳をするのだ、という側面が否めない。

そこにストレスとある種のやりがいを感じているのだ。

だから、たまにバイリンガルの職業翻訳家みたいな人がいて、日本語と英語を自由に行き来して、両言語で自由に読み書きしている人を見ると、自分がしていることが馬鹿に思えてくる。俺なんかが苦労していらんことせんと、あの人に全部やってもらったいい。

 

まあいい。今日書きたいことはそのことじゃない。翻訳のことじゃない。

こうした、プリミティブなものに、基本的なレイヤーに戦いを挑む、みたいな行為が、そこはかとなく、嫌いだけど、そこはかとなく、興味深い。そんな気がしていることに、今日、気がついた気がした。ピーターセン先生のおかげで。

それは、基本的に、いらんこと、であり、実用的にはあんまり意味がないことであり、当然お金にもならんかったり、人からも馬鹿じゃないのか、とみれらルようなことかもしれない。のかな?

 

筆が荒れてきているのは、早く帰ってサッカーを見なければと思いながら、導入したばかりのATOKでなれないタイプを繰り返してるからだ。

 

ここ数ヶ月、歯の間にワイヤーブラシを入れて歯を磨いている。歯医者さんの指導だ。最初は血がたくさん出た。いまではあまり出ないが、まだ数カ所、ブラシを入れると、はああ、と声を出したくなるような神経への刺激がある。あの感じは、とてもいやだが、1日一回、やらないと物足りなくなった。そういうことかもしれない。

 

 

 

 

 

 

松本人志やっぱすげえよな

毎週日曜日、前夜に夜更かししてすごく眠くても、なんとなく10時過ぎには起き上がる。それは、『ワイドナショー』が観たいからだ。松本人志が出ているワイドショー番組だ。やっぱり松本人志をみたいから見ているようだ。松本人志が時事な問題に何というか。やっぱりそれが聴きたいから見るのだ。

気がつけば、松本人志は、耳を傾けられる人になってしまったようだ。いつのまにしうなった? 昔から天才だとか、キレてるだとか、頭いいとか、独自の視点だとかはあたりまえに言われていたけど、どちらかというといいかげんなむちゃくちゃな人で、なんでもひねった笑いに変えてしまう、笑いがすべてみたいな特殊人間だったはずだ。それがいつのまにか、頼むよ、まっちゃん、信じられることを言ってくれよ、それも笑えるようにね、というすごいハードルの高いことを求められる立ち場になってしまっている。浜田はそんなことないのに。

浜田はまあ、普通の世間をよくわかった、まっとうな大人が言うことを言うことを期待されているだけだ。それは、SMAPの中居と同じようなことだ。

だが、松本は、それではすまされないようなのだ。それ以上を求められている。俺の中で、だけかもしれないけど。

松本に求められるのは、何の後ろ盾もないひとりの個人が心の底から信じていることを、つまり本音を、いかなるときも言う、そんなふうに期待されている。

それは、大げさな本音ではいけない。黒いことを言えばそれが本音かというとそうではない。欲望をあからさまに肯定すれば本音かというとそういうことでもない。もっと繊細な本当の本音を言うように求められているのだ。これは、大変だよ。

本音、というのは語弊があるかもしれない。本音とはいつも1つとは限らないからだ。ぐちゃぐちゃになっている、相矛盾するメッセージが交互にやってくる、そういう本音もある。

松本人志村上春樹なのだ。

村上春樹は大変だ。2度も大変なことを言わされている。1つは、イスラエルの受賞式で、卵と壁、という話をさせられている。させられるいるとしか言えない。イスラエルの場で、イスラエル批判ともとれるスピーチを世界中が見ている中で、した。それも、立場からの発言が許されない作家として。どういうことか。たとえば、政治家なら、公として発言を求められるだけで、お前、本当に心の底からそう思っているんだろうな?とまでは言われない。まあ、なんといっても、あの人は、政治家だから、そりゃあ、いろいろあるでしょ。いろいろな立場や利害や、党利党略、諸事情があるでしょ、ということで、割り引いて聞いてもらえる。オバマでさえそうだ。オバマがどんなにキレイ事を言ったって、そりゃあ大統領の立場ならああ言うしか無い、というように許されて、広島に謝罪しないと言ったって(そこまで言ってないが)、本当は謝罪したいくらいの気持ちがあるはずだ、と胸中を推し量ってもらうことができる。

だが、村上春樹は、推し量ってなどもえらない。作家はやっぱり、私人でしかないからだ。村上春樹が、あれは作家としても公の発言であって、私人としての私はまた別の考えを持っている、などと言えば、たちまちふざけるな!と多くの人を失望させるだろう。べつに小説を書いているからといって、いつも本当のことを言わなきゃいけない、なんてきまりはないのだが。

だが、僕たちは、あるいは僕は、それを期待してしまう。そして、フクシマのあとは、ヨーロッパで、原発はよくない、と言わされた。大変なことだ。

言わされたと書いたが、村上春樹の本心とはちがって、という意味ではない。村上があの場に立ったとき、失望させないでくれ、という1000万の目が注がれたということだ。僕らの村上は、信じられる人であってほしい、と。

どうなのだろう、だが、ああしたスピーチはどのくらい本心なのだろうか、一度聞いて観たい気もする。

だがしかし、どうして僕は、松本人志に、本心を話してほしいと、思ってしまうのだろうか。どうして、立場からのポリティカルコレクトで許してあげようと思えなくなっているのだろうか。それはやっぱり特別な人だからなんだな。

というようなことを仕事の合間に考えていたら、また中高生に囲まれていた。今日もマクドナルドだ。ここまで若い空気を吸いたいわけではないのだが。。。

 

 

 

 

 

 

 

ハリウッドザコシショウ

ハリウッドザコシショウが、R-1で優勝したわけであるが、僕も決勝は生で見ていた。もうヒイヒイいいながら笑ってしまった。中でも好きなのが、武田鉄矢が「ぼくはしにましぇん」と言うところのものまねだ。手をグル回しながら、「ぼっちっちぇ、あっちちゃ」みたいなことを叫んでいる。それで、超笑ってしまった。でも、なんでおもろいのか、すぐにはわからなかった。

 

前に、脳関係の医者だか科学者だかが書いた本のなかで、失語症で言葉が理解できなくなった人たちが、病院でテレビを囲んでいて、そこには米国大統領がスピーチをするところが流れていて、それを見ている患者さんたちがゲラゲラ笑う、というシーンが出てくる。なんでも、大統領が真面目な顔をしてしゃべっているのが面白いのだそうで、つまり、心にもない真っ赤な嘘をとうとうと語っている姿に大笑いしているのだという。患者さんは失語症だからスピーチの内容はもちろん聞いていない。ただ、声色とか、顔の標準、抑揚なんかを見ているだけなんだが、それで大笑いできるらしい。これを、僕も体験したいな、と思った。ただ、言葉が理解できないだけじゃ、この体験は難しいだろう。たとえば、僕はフランス語がまったくわからないが、フランス大統領のスピーチをテレビで見ても、どこが真っ赤なうそで、どこか本心なのか、いまいちわからない。

やっぱり失語症だからこそ、読み取れる何かがあるのだろう。だから、一時的にそのような状態になって、人びとのやりとりを眺めてみたいと思ったのだ。

 

生活の中に笑いがすくなって久しい気がした。10代後半から20代前半のころは、関西に住んでいたこともあってか、とにかく隙あれば笑いをとろうとしていたように思う。近くにいた友だちもみんなそうだった。一日中、笑わし、笑わされていた。面白いことを言えるということに仲間内ですごく高い価値が置かれていたように思う。おそらく若者はとはそういうものだ、というだけだろうが、たしかにそうだったという記憶がある。

どうしてあんなに笑っていたのか。昔のCMで、笑い転げる10代の女の子が、だって箸が転がるんですもん、と言うようなCMがあったが、箸が転がってもおかしい年齢というものがあると昔から言われているわけだ。それはいわゆる思春期、とくに女の子なのだ(たしか)。なぜなのか。希望に満ちているからなのか、ただ、情緒が不安定だからなのか。もちろん、今でもお笑いはよく見るし、仲間内でも面白いことを言い合う場面はある。が、それほど価値を置かれなくなっている気がする。もっと大事なことが人生にはある、と常に引き戻されてしまうからだろうか。

明石家さんまが、つまるところ笑いとは緊張と緩和なんだ、というようなことを言っていた。

そういえば、前のマクドナルドで子連れのママさんが隣に来て、という話を書いたが、あのとき、ふと、思ったことがもう1つあった。それは、ママさんが、子どもに「静赤にしなさい」とたしなめながら、ときどき、ぷぷぷっと吹き出していることだった。子どもが何かおかしいことをするのだ。それはおかしな顔かもしれないし、もっと無意識的なおかしな行動や言動なのかもしれない。ただ、かわいい、というだけで笑ってしまうことがあるのかもしれない。でも、こういう光景ってよく見るよな、と思った。

小さい子供を連れたママさんは、よく、ぷぷぷっと笑っている。子どものすることにウケているのだ。これは発見でもあった。僕は子どもがいないので、あーわかるわかる、とはならないのだ。だから興味深い。僕の感覚でいえば、ママさんは1日に少なくとも20回くらいは子どもに笑かされているはずだ。ただ、かわいい、かわいい、だけじゃなく、吹き出すほど笑えるってすごい。毎日うんざりするほどいっしょにいる相手に、こんなに頻繁に笑わしてもらえるってうらやましい。

子どもは何をして、ウケをつくりだしているのだろうか。天然ボケ的なことだろうか。

ザコシショウは「俺達の」笑いだ。かつてのダウンタウンがそうだったように。芸風が似ていそうな長野は、俺達の笑いじゃない。あれは奴らの笑いだ。みんなの笑いと言ってもいいだろう。正統派だ。ザコシショウは久々にテレビで見られた、俺達の笑い、と言う気がした。

でも、ザコシショウのネタは3回めくらいから、まったく笑えなくなるのが、少しつらさみしい。なぜなのだろうか…。